06話 『音無の森 四』
水脈の流れによって地中の状態は大きく変わるから、当然地上に生える植物も影響を受ける。だから、採取士にとって水脈に関する情報はすっごく大切だ。その大切な情報を教えてくれる大先生が、水見草。
採取士が普段水脈を診る時は、特に水脈が滞ってる場所を探す。水脈が滞ってるってことは地中に水分がたくさんあるということなので、環香草や湿苔が自生してることが予想できるからだ。
もちろん、水脈が滞ってる場所が分かるなら、逆に水脈の流れが速い場所を探すこともできる。でも、普段はそんな場所を探すことはほとんどない。
というのも、水脈の流れが速い場所を探すにはもっと簡単な方法があるからだ。簡単も簡単。採取士じゃなくても、それこそ街の子どもたちでも探すことができる。
それは、水の流れる音を聞くこと。
水脈の流れが速いのは、水脈の終着地点――つまり、川の近くだから。
「――なるほど」
私の説明を聞いた神官様は、感心したように頷いた。池の傍に生えてる緑の草を摘まんで、
「つまり、この水見草が、進むべき方向を示してくれるということですか」
「はい。たぶん、上手くいくかなぁと思います」
神官様は地面から立ち上がって、空を見上げた。
「今が……だいたい、朝の九刻。上手くいけば、今日中には森から脱出できるかも知れませんね」
「あのっ、それでなんですけど!」
私は慌てて立ち上がった。
「そのっ、森は脱出できるかも知れないですけど……ラウラを探すのは……」
私と神官様が森を脱出できて、それでめでたしめでたしとはならない。まだ、ラウラは森の中にいるんだから。
水見草は川――出口の方向を示してくれるけど、ラウラの場所を示してくれるわけじゃない。
私が固唾を飲んで見つめていると、
「もちろん、森を脱出したら今度はラウラさんのことを探します。人々を助けるのが私たちの仕事ですから。教会に連絡して、助っ人を派遣してもらいます」
ほっと、息をつく。
よかった。もし神官様がラウラを探すのは難しいとか言ったら……わざと違う方向に案内しないといけないところだった。
神官様にはすっごくお世話になってるから、仇を返すようなことはしたくない。
――
そこには何も無いのに、薄い布をくぐったみたいな、何とも言いようのない感触がした。頭の片隅で怪訝に思うと同時に――突然、その音は聞こえた。
岩にぶつかった水が弾けて飛び散る音。
渦を巻いた水から気泡が浮かぶ音。
川岸の小石の間を水がくぐる音。
私は神官様と顔を見合わせた。
知らず知らずの内に速足になる。
足元で落ち葉が砕ける。
木立の間に光が見えて――
――パッと視界が開けた。
ただキラキラと光る水面が……今は、金銀財宝の煌めきに見える。
同じ光景を見たのはつい一昨日。
やっと、ここまで戻って来た。
私がジーンと感動している横で、神官様はスタスタと川へと向かって歩いて行く。
置いて行かれそうに感じて慌てて追いかけると、神官様は前振りもなくその場にしゃがみ込んだ。危うく神官様の背中に躓きかける。
神官様は右手を水の中に突っ込んで、川底から何かを掴み取ったようだった。
私は肩越しに神官様の手の中を覗き込んで、
「あの……何を?」
「いえ、ちょっと確認を」
神官様は立ち上がって、私に親指と人差し指を見せてきた。
何だろ? と思って目を凝らすと、青色の砂粒が付いてる。
「森に入る前に聖砂を撒いておいたので、ちゃんと残ってるかなと」
「? 聖砂ってあれですよね? 魔物避けの……」
聖砂は教会が――正確には領主さんとか沢山の偉い人を経由して村長さんが配ってくれる青色の砂で、魔物避けの効果がある。大きな街道沿いの土に撒いたり、建材に染み込ませたり、使い方は色々だ。
「聖砂を川に撒いたんですか?」
「はい。魔物が川の向こう側に行かないように」
「……だからかぁ」
私が思わず呟くと、神官様は不思議そうな顔をした。
「あ、えっとですね。この街に来た時に組合で『川の向こう側は危ないから行かないように』って言われたんですよ。川に聖砂を撒いてるから、川を越えちゃいけなかったんですね」
「ああ、そうですね。教会から冒険者組合にそういう指示が出されていたはずです」
う、ちょっと気まずい。私、思いっきり教会の指示を破っちゃったってことか。いや、もちろん教会の指示だって分かってたら絶対に破ったりしなかったよ? 組合の決まりだと思ってたから……あれ?
「え、でも、教会からの指示なんて一言も言ってなかったような気が」
「それは、教会からの指示だと皆さんには知らせないように、冒険者組合には言ってありますから」
「……なんでわざわざ?」
「私も全てを把握してるわけではないですが、帝国の上層部からあまり大事にしないでほしいと教会に要請があったと聞いています。この森は帝都に近いですから、そこで何かが起こっているという噂が立つと、困るとかなんとか」
「困る?」
「交易に支障が出るということです。帝都が危険だという噂が少しでも立ったら商人たちは別の道を通りますから。莫大な通行税を取りっぱぐれるのが嫌なんでしょう」
……なんじゃそりゃ。
通行税って……お金がそんなに大事なのか!
…………うん、大事か。
大事だよね、お金。
私だってお金のために決まりを破って川を越えたわけだし。
……でも、私たちと違って生活にも困ってないような偉い人がそういうことをするのは、何か嫌だ。
「この森のことってやっぱり皆に内緒にしておくんですか?」
「いえ、流石にそれはできないです。いくら要請があるにしても、危険ですから」
「ですよね! もう、偉い人たちが泣いちゃうくらい思いっきり宣伝しちゃってください!」
「……なんだか、嬉しそうですね?」
「いえ、知らずに入っちゃう人がいるかもしれませんし」
ちょっと不謹慎だったかな? 神官様がすっごく微妙な顔をしてる。冗談のつもりだったんだけど……。
言い訳をしようと私が口を開きかけた時、
「とりあえず、この一帯を禁域に指定するよう報告をする予定です」
「へぇ、禁域に……へっ?」
えっ、禁域ってあれだよね? 不帰森とか、火焔山とか……。この森が、その禁域に?
「禁域に指定された地域は教会が管理することになるので、教会関係者以外の立ち入りは固く禁じられます。それは冒険者の方々も例外ではありません。となると、おそらくビビアナさんにも影響が出るかと」
神官様がそこまで言ってくれて、ようやく私は事態のマズさを理解した。
そもそも私たちが帝都にやってきたのは、専門職を修めて金級冒険者になるため。
この森への立ち入りができなくなったら、必要な経験が積めなくなっちゃう……となると当然専門職は修められないし、金級冒険者にもなれない……。
「……たしかに、そうですね……でも、仕方ないです。万が一にも私たちみたいに森に入っちゃう人が出ないように、厳重に閉鎖した方がいいと思います」
私は、思ったことをそのまま言った。
神官様は生真面目な顔で頷いて、
「ともかく、今は教会に向かいましょう。救援要請は早い方がいいですから」
「あっ、それでなんですけど」
私は煌めく川の水面を見ながら、
「帝都までは私を置いて神官様だけで向かった方がいいんじゃないかな~と。私が早く付いても役に立ちませんし。それなら、少しでも早く神官様に到着してほしいです」
「……大丈夫ですか?」
神官様は心配そうな顔をした。
……ほんと、神官様はお人好しだと思う。私みたいなただの冒険者風情のことを、こんなに気にかけてくれる。
「大丈夫ですよっ。私だって冒険者ですから!」
――
青色の街道を走っていく神官様の後ろ姿を見送って、私は無人の駅舎に設置してある椅子に腰かけた。
時刻は既に夕方前。あとしばらく待てば、日の入り前の荷車がやって来るはず。
帝都まではたいした距離じゃないから歩いてもよかったんだけど、森を抜けた途端にどうにも力が抜けてその気力が湧かなかった。
荷車なんて贅沢普段はしないから、今日くらいは自分にご褒美だ。椅子にぐで~っと深く腰掛けて、ひたすら遠くまで蛇行していく街道を眺める。
旅商人の人に聞いたところによると、この青色の街道の遥か東には共和国って国があるらしい。しかも街道はそこで終わりじゃなくて、ず~っと東の大陸の果て――華まで長い道のりは続く。
逆に西側もルーリッヒまで続いてるので、この街道は大陸を東西に貫いてることになる。
ほんと、想像も付かないくらい壮大な話だと思う。
この街道と比べたら私たちのしてきた旅路なんてすっごく短い。村からクマスス、それから帝都。せいぜいが十日の道のり。
でも、それでも……私は私たちのこれまでに結構満足してる。短い旅路だって、旅ってことに変わりない。
小さな村で一生過ごすのも悪くはないけど、村を飛び出して今ここに立ってることは我ながらすっごいことだと思うから。でも――
「……ラウラ」
ラウラが一緒じゃないと、これからの道のりを楽しめないよ。
だからどうか……無事に帰って来て。
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