04話 『音無の森 二』
「ごめんなさい、私……眠ってしまったみたいで」
ハッと目が覚めて、まず私は神官様に謝った。
「いえ、いいですよ。ビビアナさんも疲れていたようですし」
神官様は小さく欠伸を一つしてから、丸太から立ち上がった。
「それでは、行きますか」
突然そんなことを言った神官様を、私はポカンと見上げた。
「……えぇっと、どこに?」
「もちろん、ビビアナさんの仲間の方を探しに」
私は勢いよく立ち上がった。
「さっ、探してくれるんですかっ!?」
「ビビアナさんはどうしたいですか?」
「そ、そのっ! 探したいですっ!」
「では、私も同行しましょう。どうせ暇ですから」
「ありがとうございますっ!」
神官様は一度頷いて、
「とはいえ、あまり期待はしないでください。別に秘策があるわけではありませんから。適当に移動して、偶々見つかったら嬉しい、くらいのものです」
「いえ、それでもありがたいです!」
深々と頭を下げた私が顔を上げると、神官様は真面目な顔で指を二本立てていた。
「ただし、守ってほしい約束が二つあります」
「はい」
「一つ目は、私の傍から離れないこと。必ず私の視界の中にいてください。それが、私がビビアナさんの身の安全を保障できる範囲ですから」
「分かりました」
「二つ目。私の指示には即座に従ってください。『止まれ』と言えば、何をしていても止まって、『屈め』と言ったら屈んでください」
私はコクリと頷いた。
何のことない、いつもラウラとの間でやってることだ。身を護ってもらう側は、護ってくれる人の命令を絶対遵守する義務がある。
じゃないと、私だけでなく、護ってくれる人の身も危険に晒してしまうかもしれないから。
「早速ですが――こちらに」
神官様が手招きしたので、私は焚火の跡を跨いで神官様の傍まで寄った。手のひらを差し出されたので、そこに私の手のひらを重ねると、
「ちょっと失礼しますね」
自分でもよく分からない内にコロリと身体が転がって、私は神官様の腕の中に抱え込まれていた。
膝の下と背中に神官様の腕があって、私は神官様の顔を下から見上げる感じ。
驚いて声も出せない私をよそに、神官様は駆け出した。
すっごい勢い。
息が詰まる。
反射的に閉じた瞼の細い隙間から――すぐ前方に木が迫ってるのが見えた。
「――っ!? ぶっ――」
ぶつかるっ!?
という私の言葉は、浮遊感に包み込まれた。理解が付いて行ってない視界に、パッと青い景色が開けた。
恐る恐る瞼を開こうとして、その眩しさに堪らず目を閉じる。今度は少しだけ顔を傾けて瞼を開けると、私が青空を見ていたんだと分かった。
さらに顔を横に向けると、赤や黄色に染められた秋の森が、遥か彼方まで広がってるのが見える。ずっと、地平線の彼方まで……。
意味が分からなくて、私は目を見開くことしかできなかった。
断じて、私が入った森はこんな広大なものじゃない。それなりに大きいけど、迷いこんで出られなくなるなんてことはほとんど考えられない――それくらいの大きさの森だ。
だけど、私の視界に広がってるのは、南部山地の樹海と言われても信じてしまえるほどの、深い、広大な森だった。
何も言えず、神官様の腕の中でただ森を見つめていた私は……ふと、何かが目に映ったのに気付いた。
何だろう?
そう思って、目を凝らしてみる。
たぶん、だけど……数百メルから一キルの間くらいの距離。木の梢の上。何かが、乗ってる……。
「――っ!? 神官様!!」
私は、慌てて声をあげた。
腕を持ち上げて、梢の上に見える人影を指差す。
「あそこっ、誰か人がいますっ!」
期待のこもった私の声に、神官様は私が示してる方向に顔を向けた。
「あれです、あれっ! あの、周りよりちょっとだけ高い木の上ですっ。よく見えないですけど、誰かいますよね?」
私は、指を向けてた腕をそのまま持ち上げて、遠くに見えるその人に向かって手を振った。
すると偶然にも、向こうの人も同じ瞬間に手を振り始めたみたいで、互いに手を振り合う恰好になる。
「やっぱりっ! もしかしてラウラかもっ!」
早く行きましょうっ! と声を掛けようとして上を向くと、なぜか神官様は渋い顔をしていた。
「あれは……違います。期待させてしまってすみません、伝えるのをすっかり忘れていました」
「……違う、ですか?」
神官様は「そうですね……」と呟いてから、
「見えている人影に向かって、大きく手を振ってもらえますか?」
「? えっと、こう、ですか?」
よく分からないけど、言われた通りに手を振ってみた。すると、私とほぼ同じ瞬間に人影も手を振り返してきた。
「そのまま、手を止めて下さい」
「はい」
「もう一度、手を振って下さい」
言われた通りに腕を動かしているうちに、私は段々違和感を覚えてきた。……違和感というか、少し気持ち悪い感じ。
人影は、私が手を振ると手を振って、止めると同時に手を止める。『人影』の名前の通りに、まるで私の影みたいに同じ動きを繰り返してくる。
もちろん、単に私の動きを真似てるだけかもしれないけど……正直、あまり趣味はよくない。少なくとも、ラウラはこんな危険な森の中で悪ふざけはしない。
「あれは、私たち自身です」
腕を振るのを止めて、私は上を見た。
理解できてない私の表情に気付いたのか、神官様は少しの余白を入れてから、
「あそこに見えている人影は、私たちです。鏡に映った姿だと言えば、分かりやすいですか?」
「えっと……」
どうしよう、神官様が突然難しいことを言いだしちゃった。さっぱり分かんない。
「……鏡にはビビアナさんの姿だけではなく、周りの景色も映ってますよね? だから、もしも鏡の向こう側に行けたとしても、周りの全てが同じだから、行く意味がないことになります。
私たちの目的は、この森を探索してラウラさんを探すことです。そのためには別の場所に向かわないといけない。なので、『あそこ』を避けて移動しなければならないですよね?」
ほとんど理解できなかったけど、取りあえず私は頷いた。難しいことは神官様に任せよう。私に分かったのはせいぜい、
「つまり、あそこに見える人影はラウラじゃなくて、そして危険なものでもないということですか?」
「まぁ、だいたいそうです。危険かもしれない可能性も捨てきれませんが……」
神官様は遠くに見える人影を睨みつつ、
「今は一つしか見えませんが、たまに大量に――十とか二十とか、見えることがあるんですよ。で、大抵は単なる自分の姿なので、当然危険でもなんでもないんですが……たまに、混じってることもあります」
「混じってる?」
「はい。自分ではない『何か』がこちらを見てることがあります。自分と同じ姿をしてるので、注意して見なければ気付きませんが。ただ、何もせずにニヤニヤしてるだけで襲ってきたことはないので……今の所は危険とも言い切れませんね」
神官様の言葉を聞きながら想像してみて……何とも、嫌な感じがする。
神官様、淡々と語ってるけど、気味悪く感じないのかな? 自分と同じ姿の『何か』がこっちを見つめてニヤニヤしてるなんて……悪夢にでも出てきそうだ。
「……魔物なんですか?」
「さぁ――」
神官様は首を軽く捻りつつ、
「確かめたことがないので分かりません。おそらく魔物だとは思いますが……。ともかく、ビビアナさんは私の傍から離れないようにしてください。『それ』が寄ってきたら困りますから」
――
神官様がラウラを探すのを手伝うと言ってくれた時、私はてっきり森の中をトコトコと歩くんだと思ってた。
けど、神官様が選んだのは森の中じゃなくて森の上だった。
例えとしてはすっごく失礼だけど、お猿さんみたいにピョンピョンと枝の間を駆け抜けていく。
これがまた、あり得ないくらいの速度だから、左右を流れてく木々が、茶色い川みたいに見える。
それなのに……一向に、森を抜け出る様子がない。もう、移動を始めて一刻くらいは経ったはずだから、二十や三十キルくらい移動しててもおかしくないのに。
これだけの距離を移動しても、時折神官様が森の上に出て見えるのは、見渡す限りの森――代り映えのしない景色だけだ。
私はというと、神官様に運ばれてるので肉体的には全く疲れない。
もちろん、精神的にはすっごく疲れる。神官様に走らせて、私だけノンビリ運んでもらうなんて状況、ものすっごくお腹に悪い。
せめて神官様の邪魔にならないように身を縮めて――赤ちゃんみたいな姿勢をしてたのが悪かったのかもしれない。
神官様が枝を蹴る時の、トンッという、規則的な安楽椅子みたいな揺れと相まって……つい、瞼が重くなってきた時だった。
突然、周りが青くなった。
空の青い色じゃない。青い煙が、私を包んでいた。
すっかり目が覚めた視界に、信じられない物を見た。
高さが十メルくらい。両腕で包み込めないくらい太い幹を持った立派な大木が、私たちへ向けて鞭のようにしなる枝を振っていた。
そして、なぜか私の鼻先に綺麗な青色の剣が浮かんでいた。
枝が剣に触れた瞬間、大木は真っ二つに裂けた。
全く意味が分かんない。早すぎて、何が起こったのかほとんど見えなかった。
私に見えたのは、枝が剣に触れた瞬間に枝が弾けて、同時に大木が真っ二つに裂けた――ということだけだ。
煙を上げる、黒く染まった裂け目を通って、何事もなかったかのように神官様は真っすぐ進んだ。
「……あっ、あのっ……今のは?」
少ししてから、ようやく私の口が動いてくれた。
神官様が全く動揺してないから、ひょっとしたら寝ぼけて見た夢だったのかもしれない……と思いつつも、堪らず私は口を開いていた。
「魔物です」
どうやら私の夢ではなかったらしい。……夢だったらよかったのに。
「……さっきのが、この森に普通に出る魔物ですか?」
「そうですね。さっきのように木の姿をした魔物が一番多いです。他にも蔓や花、の魔物も見ましたけども」
「あれが、特別強力なわけではない、んですよね?」
「標準的だと思います」
あの魔物で標準的。
神官様があっという間に倒しちゃったから分からないけど、あの枝での攻撃って、どう見ても尋常ではない威力が込められてたと思う。
ラウラのことは信頼してるけど、ラウラは私と同じ銀級冒険者だ。しかも六級。ギリギリ一人前と認められるくらいの力量。
無理な物は無理だ。あんな攻撃、受け止められっこない。
……心ばかりが焦る。
ラウラが魔物に蜂合わせてしまう前に、見つけないといけない。急いで合流しないといけない。でも、私にできることはない。
私はただ神官様に運んでもらってるだけで、私が焦った所で一拍たりとも速くなるわけじゃない。
……強いて言うなら、私をここに置き去りにしてラウラを探してもらえば、一拍くらいは速くなるかもしれないけど……それでは本末転倒だ。
私にできること。そんな物は……たぶん、どこにもない。
――
なんてふうに思ってたけど、案外私も役に立てるみたい。
神官様が手に持っている茸を見て、私は内心そう呟いた。
「これ、よかったら使ってください。もしかしたらビビアナさんもご存じかもしれませんが――この茸、コクがあって凄く美味しいんですよ」
そう言って神官様が鍋の隣に置いたのは、小ぶりの茶色い傘を持った地味な茸だった。ちなみに、名前を穴掘茸という。
この茸を食べてしまったら、死体を埋めるために穴を掘らないといけないことから、そう呼ばれるようになったらしい。
「……神官様、これ……毒茸です」
「えっ」
神官様は目を真ん丸に見開いてから、口元に手を添え――ようとした。
慌てて立ち上がった私が手首を掴んだので、すんでの所で阻止できた。
「――っ。だから、毒茸ですって! 死んじゃいますよ!」
「あ、ああ……すみません」
「早く、そこで手を洗ってきてください」
私はすぐ傍にある池を指差した。水面を三日月型に呼雪藻が覆っている。
神官様はお尻を叩かれたようにいそいそと池の傍まで向かった。その場でしゃがんで、ジャバジャバと手を洗い始める。
その後ろ姿が何だか子供っぽく見えて、少しだけおかしくなってくる。とはいえ、流石に神官様を笑うことなんてできないから、奥歯で笑みを噛みしめた。
神官様から目を逸らして、鍋の横に置かれている危険物を火箸で掴む。焚火に突っ込むと、白い煙を上げて茸は燃え始めた。
この煙にも毒が含まれてるので、吸わないように気を付けつつ、料理の支度を進める。
料理と言っても、その辺で適当に採ってきた木の実とか香草を煮込んで、塩を加えただけの――料理? って感じの代物だ。
そんなこんなをしてる内に、神官様が池の方からこちらに歩いてきた。
鍋を上から覗き込んで「美味しそうですね」なんて言ってる。
……ほんと、気を使わせてごめんなさい。こんなことになるんだったら、もっとちゃんと、お母さんから料理を習っとくんだった。
冒険者になるって小さい頃から決めてたから、「料理くらいできないと、誰も貰ってくれないよ!」って怖い顔して怒鳴るお母さんから逃げてばっかりだったっけ……。
……そういえば、何も言わずに村を出てから、一度も村に帰ってない。帰ったらお母さんとお父さんに絶対怒られるから、帰るつもりなんて全然なかったんだけど……今なら、銀級冒険者になった私たちなら、褒めてくれるかな。
それで、しばらくノンビリ過ごして、料理とか裁縫とか習ったりしちゃって……それから、また帝都に戻ってきたらいい。焦らなくても、それくらい休んだくらいで何も変わらない。
「――ふぅ」
息を一つ吐いてから、思い出を切り上げる。
鍋はもうすっかり、グツグツと煮えていた。
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