02話 『お上り冒険者 後編』
100万字\(^^)/
「もう秋だね~」
落ち葉の増えてきた森の中を歩きながら、私は空を見上げた。
赤く染まってきた木々の間には、青い空。高い所には、綿のような雲が流れている。
「秋の次は冬……野宿ってやっぱり難しいかな……」
「覚悟はした方がいいかも。凍死はしないと思う……たぶん」
どんよりとした気持ちで、私は乾いた笑みを浮かべた。野宿は嫌だ。
「あんなに、家賃が高いなんて……ちゃんと払えるかな?」
時は数刻ほど遡る。
日がすっかり登った頃に街に繰り出した私たちは、一直線で武器商店に向かう……前に、途中で偶々通りかかった借家仲店に寄った。
十日以内に住処を決めないといけないから、ついでに寄っとこう……そんな、軽い気持ちだった――
ーー
「銀貨二十枚?」
私が聞き返すと、仲介人のオジサンは気だるげに頭を掻いて、
「ああ。そこに書いてある通りだ」
「で、でも……」
もう一度、物件の情報が書かれてある木板に視線を落とす。
――門前裏。築三十四年。十メル四方。共用厠あり。毎六月契約――
かな~り、住みたくない家だ。クマススだったら、銀貨二枚がせいぜい。……それが、銀貨二十枚?
「……ちょっと。もしかして、私たちが女だからって足元見てないですよね?」
怒鳴りつけるのを我慢して、私は声を絞り出した。すると、オジサンは下卑た表情を浮かべて、
「もちろん、足元なんて見てねぇよ。ちゃんと嬢ちゃんの胸元を見てる。なかなか立派だぁな」
「……ラウラ」
私が呟くと、待ってましたとばかりにラウラが剣柄に手をかけた。オジサンは物怖じした様子も見せずに、ため息を吐いて、
「まぁまぁ、落ち着きなって。銀級冒険者様と事を構えようって気はねぇから。――嬢ちゃんら、この辺りの人じゃねぇだろ?」
「……? はい、そうですが」
「嬢ちゃんらがいた街ではどうだったか知らねぇが、これくらいの賃料は普通だぜ。別にうちがぼったくってるわけじゃねぇ。なんなら、ほかの仲店にも行ってみたらいい」
「こんな家で銀貨二十枚が?」
「そうだ。つい数年前まではこの借家も銀貨三枚だったんだが、あっという間に二倍。気づいたら十倍よ。――嬢ちゃんらでも流石に知ってるだろ? 王国がぶっ潰れたこと」
「……それはまぁ知ってますけど。二年前でしたっけ? でも、それが何か?」
二だか三年だか前に、王国で大きな内乱が起こったらしい。それで王様が殺されて、ついでにたくさんの人たちも死んじゃったんだとか。
旅商人がクマススの酒場にその話を持って来てから、一月くらいの間はその話題で持ちきりだった。これから世界はどうなるんだとか……正直あまり実感が湧かなかったけど、なんとなく不安に感じたのを覚えてる。まぁ結局、王国が潰れようと、何も変わらなかったんだけどね。
「王国で家を失ったやつらが、大量に帝国に流れ込んできたんだよ。王国人は裕福だから、金に物を言わせて土地やら家やらを買いまくった。そりゃぁ、値上がりするさ。
でだ、中にはその値上がりのおかげで一晩にして大金持ちになるやつらも出てきたわけ。
ついこの間までは、ただデカイだけの農地でチンタラ働いてた老いぼれが、いつの間にかピシっとした服に身を包んで、十本の指全部に色とりどりの宝石がはまった指輪を付けてな。それを見た帝国人も、目の色を変えて土地を買って……で――」
カツカツと、オジサンは指先で木板を弾いた。
「この値がついてるってわけだ。分かったか、嬢ちゃん?」
ーー
「もぉ~、ほんと、いい迷惑!」
私は、空に向かって叫んだ。
「この間までは、王国の人たちも可哀そうだなぁ~とか思ってたけど、もう思ってあげないっ! だって、帝国に流れてきた人たち皆お金持ちになって、そのせいで私たちがこんなことになってるんでしょ! ――よね、ラウラ!」
隣を向くと、ラウラは苦笑いをしていた。
「私は死ぬより貧しい方がマシだけど」
「それはそうよ! でも、そーゆうことじゃないの! 気分の問題!」
腰袋を掴む。
「私たちが三年間。汗水流して貯めた銀貨三百枚! これ、帝都じゃ銀貨五十枚の価値もないんでしょ! ラウラの剣も、私の服も、贅沢なんてできなくなっちゃったじゃん!」
「仕方ない。その分、謝礼額も高いから、依頼をたくさん受ければすぐ溜まる」
「は~。もう、言っても意味ないか……」
私は小さく両手を握りしめた。
「頑張らなくちゃ」
決意新たに、私は腰籠に差し込んでいた紙を取り出した。
そこに描かれているのは、地図。
端っこにはル・ヴェルビニャンの街。そこから伸びる街道から少し逸れた場所には、大きな森林が広がっている。今、私たちが歩いてる森だ。
森、とは言っても保護林なので大して危険はない。……厳密に言うなら、地図の左端を蛇行してる川よりもこっち側が安全で、そこを越えてしまうと危ないらしいけどね。
昨日、登録を済ませた後の説明でも、口を酸っぱくして川を越えないように注意された。なんでも、前までは川の向こう側も同じように安全だったらしいんだけど、数年前から急速に危険になってるんだとか。
特に何があったわけでもなく、原因不明。ひとまず立ち入らないように、ってことになったらしい。
とはいえ。一応の目安として川が指定されてるだけで、本当に危険な場所は川を越えてかなり奥に行った場所なんだろうと思う。川を一本渡った向こうが危険で、こっちが安全なんて有り得ないんだから、十分な安全距離はあるはず。無闇に怖がる必要もない。
地図に何カ所か付けられてる×印を指でなぞりつつ、頭の中で自分たちが歩いてる場所を確認する。
「……そろそろ、見えてきてもいいはずなんだけど」
地図から顔をあげて、辺りを見回す。私の声を聞いて、鋭い視線を巡らせていたラウラが、
「あれ」
短く言って指差した方向。木々の間に、揺らめく光が見える。
「さっすがラウラ!」
駆け出したい気持ちになるけど、我慢。まずはラウラが先行して安全確認。それから、私はラウラの後に続いた。
木々を抜けて突如として開けた空間には、小さな池があった。長さ三メルくらい。水面に太陽が反射して、キラキラと光ってる。
私はその畔に跪いてから、池の端っこに集まってる黒い葉っぱを水面から持ち上げた。裏返して、表面を観察する。葉っぱの裏側には、白い、糸みたいなものがビッシリと生えている。長さは一センあるかないかというぐらい。
一人跪いていると、ラウラが私のすぐ傍に立った。
「ビビ。ずっと思ってたけど……何してるの?」
「何って、呼雪藻の根っこを確かめてるんだけど?」
私たちが受けたのは、『呼雪藻の調査』依頼。森にある幾つかの池を周って、そこに自生してる呼雪藻の根っこの長さを調査して報告する依頼だ。
依頼主は教会。報酬は控え目だけど、十日も時間がもらえるので、森に慣れつつ進めるにはちょうどいい。ついでに公開採取依頼っていう、常時受付中の植物を幾つか採っていけば、それなりのお金になるしね。
私の答えに困惑の表情を浮かべながら、ラウラは、
「それは見れば分かる。私が聞きたいのは、どうして呼雪藻の根っこなんて調べるのってこと」
ああ、なるほど~。そういうことね。
「呼雪藻そのものはただの雑草なんだけどね。裏に生えてる根っこの長さで、その冬の寒さが大体分かるの」
呼雪藻を顔の高さまで持ち上げつつ、
「寒い年だったら、水に氷が張るでしょ? だから、呼雪藻は水まで届かせるために根っこを長く伸ばすの。逆にあんまり寒くない年だと、そもそも氷なんて張らないから根っこは短いまま。
ほら、六年くらい前。私たちがまだ村にいた頃に一回だけ、今年の冬は寒くなるから注意してください~、って村長から言われたでしょ? ああいうのは、呼雪藻とか、他にも色んな徴候が各地で調査されてて、その情報から予測された結果が村長に伝えられてるの」
「へぇ……初めて聞いた」
ラウラはその場にしゃがんで、しげしげと呼雪藻を見ながら、
「なんか、不思議……こんなのが」
「他にもいっぱいあるよっ! 例えば――」
私は水辺に咲いてる草ーー水見草を指差した。薄緑色の草は、スッと細長い葉っぱが十数枚集まって一株を作る。
「……それが?」
ラウラは微妙な顔。確かに、そんな顔になる気持ちも分からなくもない。私が紹介しといてなんだけど、水見草の見た目はものすっごく地味だ。知らずに見たらただの雑草にしか見えない。
でも、その見た目に反して水見草は採取士の間ではかなり人気がある草なのだ。先輩の中には、水見先生って呼んでる人もいたくらい。
「水見草はねぇ~、なんとーー水脈を教えてくれるのっ!」
「すいみゃく?」
「簡単に言うと、地面の中の川で……」
う~ん、説明するの難しいな。
「えっと、ラウラは雨がどこに行くか知ってる?」
「どこって、川じゃないの?」
「そうそう、川。で、ここで一つ考えて欲しいんだけど、雨って土に染み込むでしょ? その土に染み込んだ水がどうやって川に行くでしょうか?」
「どうやって……んと、土の中を流れて、川に注ぎ込む?」
「正解っ!」
ズビシっ、とラウラのおでこを人差し指で突くと、パシっと手を叩かれた。
「ラウラの言う通り、雨水は土の中を流れて川に合流するの。それでね、雨水は土の中を自由に流れるわけじゃなくて、土の中にも雨水が流れる道みたいなものがあるの。それが、水脈」
私は水見草を指差しながら、
「水見草は、水脈のある場所、流れの向き、量、速さ……とか、たくさんの情報を教えてくれるの。診方にはちょっとコツがあるから、練習しないと難しいんだけどね」
「ふーん。へぇ、スゴイね」
「……ラウラは先に相槌の練習した方がいいかもね。興味ないのがバレバレだよ」
「バレた?」
いたずらっぽく笑うラウラの頬っぺたをつねってから、
「もうっーー地図ちょうだい」
「はい」
「ありがと」
地図を受け取って、気持ちを切り替える。
次の目的地は、と。
「ん~、やっぱり、勘が働かないなぁ」
ぽんぽんと腰籠を叩くと、音が軽い。
クマススでは腰籠いっぱいに依頼植物が詰まってたのに、今日は全然取れてない。棘蔓が少しだけ。しかも、あんまり質がよくないから、幾らの値も付かない。
地図を見つつ、頭の中で打開策を考える。
クマススと帝都の気候に差はほとんどないけど、地形、地質が違うからクマススの経験を上手く生かせれてない。特に、この森は色んな所に池があるから……地下水が多かったりするのかな?
地下水があるなら水脈もたくさん通ってるはず。水見草ほどじゃないけど、水の分布で影響を受ける植物は結構多い。だから、水脈の分布も分かってない状態だと、採れる植物はかなり限られる。
あんまし水の量が関係しない植物だと……欠伸草とか?
群生するから一つ見つけたらたくさん採れるし、分布に日照とか水量があんまり関係ない。この森でも私の勘が当たりやすいかも。
ただ、もちろん難点もある。
一つは、木の根っこの陰とかに生えるから見つけるのが難しいこと。でもまあ、これは慣れればそんなに大変じゃない。むしろ、慣れてしまえば簡単に見つけてしまえることが一番の問題だ。
当然のことだけど、私以外にも採取士はいる。組合では毎朝依頼の取り合いが行われるけど、公開採取依頼は現場で取り合いが起こるのだ。欠伸草なんて美味しい獲物、真っ先に狙われる。
他の採取士の裏をかく――そこが、採取士の腕の見せ所だ。
――
次の目的地へと向かう最短路から少しだけ逸れると……ゴロゴロと大小の岩が転がってる場所に出た。川岸だ。
川岸と森の中間辺りの大きめの岩――その、根元の辺りを探していく。
「あった」
小声で呟いて、私は岩の根元に生えている欠伸草を採取した。
ーー欠伸草は、木の根元の陰に生える。
その話を聞いた時から、なんでそんな居心地の悪い場所に生えるのかな? と私は思ってた。一年、二年と、欠伸草を採取してるうちに、私は何となくその理由を察した。
欠伸草は、木の根元に生えてるんじゃない。木の根っこから生えてるんだ。
たぶん、木の根っこから養分を吸い取ってるんじゃないかな、と思ってる。欠伸草を抜いても同じ場所から生えてくることが多いのも、これで説明がつく。
抜いても大抵の場合は根っこが土の中に残っていて、しかもその根っこは木の根っこから養分を吸い取ってるので、葉っぱがなくてもまた生えてくる……とか?
ところで、木の根っこは障害物があればそれを迂回する性質がある。例えば崖にぶつかったら崖にそって曲がるし、大きな岩が地中にあったら、それをグルリと回る。
そうやって根っこが蛇行すると、その辺りの根っこの密度が大きくなる。ということは、それから養分を吸い取る欠伸草も生えやすくなる。
実際、崖の傍に欠伸草が生えやすいことは採取士の間でも結構知られてる。だけど、大きな岩の根元についてはそこまで一般的な知識ではないので、誰にも見つからずに生えてることが多い。
……というより、私みたいに見つけた人は、取り合いにならないようにその知識を隠すから、あんまりこの知識は広まってないんじゃないかな、と思う。ほんとはこういう知識は共有した方が世の為になるんだけどね。生活がかかってるから、綺麗ごとは言えないけど。
知識通りに周りを探すと、全部で八本の欠伸草が見つかった。
「豊作、豊作っ!」
機嫌よく言うと、周りを警戒してくれていたラウラが近寄ってきて、
「どう? いい感じ?」
「うんっ! クマススでの知識も、ちゃんと使えるみたい」
ラウラが、ホッとした表情を浮かべる。
私も内心、ホッとしている。
これくらい採取できたら、取りあえず家賃と食事代くらいは問題なさそう。……でも、クマススで溜めてたお金が目減りしてしまったことを考えると、ちょっとばかし物足りない。
私は、チラリと川の方に目を向けた。
「ね、この川が、昨日の説明で言ってたやつだよね?」
「そう。危ないから越えないようにって」
私は、ジッと川の向こう側を見た。
向こう岸も、こっちとほぼ同じような森が広がってる。あっちにも、欠伸草があるかもしれない。
……それに、川を越えるのが禁止されてるなら、それは採取士に手付かずの森が広がってるってことだ。採取依頼の植物も、沢山生えてる可能性が高い……。
「……ちょっとくらいなら、向こう側に行っても大丈夫じゃないかな?」
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