12話 『幼馴染 後編』
「できたっ……」
焼きあがったお菓子を見て、私は自然と声に出していた。
ズラリと、小さいアルさんが並んでいる。そのうちの一つ、私が一番こだわって作ったアルさんを手に取った。
アルさんの身長は一四五セン。それを八センに縮小したものだ。
本物のアルさんに即して、腰の部分が胸の部分より人差し指一本分だけ細くなっている。
ここを作るのが、一番難しかった。ほんの少しだけ太くしたら大丈夫なんだけど、こだわって細くすると、焼いた時に折れてしまう。
私は、綺麗に焼きあがったアルさんの腰の曲線にウットリとしながら、その上に指を滑らせた。
「わあっ、良かったわね! 上手くいったじゃない!」
『うふふっ、イーナちゃん頑張ったわね……』
私の隣に立っていたおばさんが、手を鳴らしながら言ってきた。同時に『声』も聞こえる。
「はいっ! 教えてくれてありがとうございました!」
本心からそう言うと、おばさんは目を見開いた。
『い、イーナちゃん!』
心の中で私の名前を叫びながら、おばさんは私を抱きしめた。
同時に、おばさんの『声』が、頭に流れ込んでくる。
台所に私とおばさんが一緒に立っている。
二人で料理を作っていたようだ。
既に料理は完成していて、皿に盛りつけられている。
おばさんと私の二人で、その皿を居間に持っていくと、机には三人が既に待っていた。
一人は、おじさん。もう一人は、アルさん。最後の一人は……アルさんが両手に抱えている。
一見、アルさんが弟をだっこしているみたいに見える。……けれど、よく見ると違うようだ。
おじさんもおばさんも、もちろんアルさんも、みんな綺麗な金髪。だけど、その赤ちゃんの髪は黒かった。
その一方、赤ちゃんの顔はアルさんに似ていて――そこで映像は途切れた。
「あっ、ごめんなさい。ついっ……」
『ああ、女の子って可愛いわ! アルももちろん可愛いんだけど、やっぱり男の子だから……。
まだ私も若いから、作れるわよね? 二人目とか……今度頼んでみようかしら……』
おばさんが申し訳そうな顔をしながら、『声』をダダ漏れにしていた。
これ以上聞いていると恥ずかしいことになりそうなので、意識して『声』を聞かないようにする。
視線を、手に持っていたアルさんに戻す。
――良かった、割れてない。
丁寧に、アルさんを机に戻す。
隣には、アルさんが他に四体並んでいる。
視線をちょっと遠くに動かすと、失敗して割れてしまったアルさんが、たくさん積み上げられていた。
「あの、おばさん……。このお菓子、いくつか私の家に持って帰ってもいいですか?」
「えっ、うん。いいわよ? それじゃ、ちょっと待っててね!」
おばさんは台所をいったん出ると、木籠を持って戻ってきた。
その木籠の中に、比較的上手に焼くことができた準アルさん四体を入れる。
味には自信があるから、これはお父さんにあげよう。
それから……私は、唯一満足行く仕上がりのアルさんを見つめた。
これは、アルさんに食べてほしい。
アルさんに……私がこだわった腰の曲線を見てもらいたい。
それから、アルさんに味の感想を……美味しいね、なんて言われちゃったら。
私は目を閉じて、ため息をついた。
……やっぱり、無理だ。
アルさんにそんなことを言われたら、どんな顔をしてしまうか分からない。
本当は私の手で渡して、アルさんが食べているところを、すぐ近くから見ていたかったけれど――
「あの、これ……アルさんに渡してもらっていいですか?」
アルさんを指差しながら頼むと、おばさんは、力こぶを作る仕草をした。
「ええ、いいわよ! 任せて!」
――
夕焼けに染まりながら、お父さんと手を繋ぐ。
私はこの時間が好きだ。
お父さんに、今日したことについてたくさん話す。
お父さんは笑顔を浮かべて、うんうんと頷きながら、私の話を聞いてくれる。
昔と違って、話すことはたくさんある。おばさんが、私に色んなことを教えてくれるから。
裁縫とか、料理とか……今日はもちろん、お菓子を焼いた話だ。
「ほらっ、これ!」
「……へえ、上手にできてるじゃないか」
お父さんは籠の中から一つ摘まむと、準アルさんの頭を食べた。
「うん、美味しいよ。お茶と合いそうだね。……ちょっと甘めだから、次は砂糖の量を減らしてみようか」
やった! お父さんが美味しいって言ってくれた!
私は嬉しい気持ちを伝えたくて、お父さんの左腕にギュッと抱き着いた。
昔なら、お父さんが喜んでくれたら、それだけで頭がいっぱいになるくらい嬉しかったけど……今はもう一人、気になる人がいる。
お父さん以外で唯一、『声』を聞けない男の子。
『声』が聞こえないから、何を考えてるか分からないし……どんな反応をしてくれるかも、分からない。
最初は、それを怖いって思っていた。でも――
私は、森の中に沈んでいく夕日を見つめた。
……アルさんも、美味しいって言ってくれるかな?
○○○
敵の居場所を突き止めるのは簡単だった。
シエタ男爵令嬢――その条件に当てはまる女は一人しかいない。
意識をちょっと飛ばして、シエタ領の人の『声』を聴いていけば、すぐにたどり着いた。
だけど、そこで一つ目の壁が立ちはだかる。
アルさんが言っていた名前は「アリス・シエタ」。私が見つけた女の名前は「ミーシャ・シエタ」。
全然違う。一文字も合っていない。
まずは、遠回しにアルさんに確認した。
分かったのは、アルさんは婚約者の名前なんて、全く覚えていないってことだった。
私は、そのことが嬉しかった。
何でって、それは……アルさんは婚約相手に、全く興味がないってことだからだ。
興味があるなら、名前くらい覚えてるはずだから。
次に、おばさんに聞いてみた。するとすぐに――
「ミーシャ・シエタって子らしいわよ」
おばさんは、特に隠したりすることもなく、教えてくれた。
「……ごめんね、イーナちゃん」
『うーん、私も本当はイーナちゃんに来てほしいけど……シエタ領との関係も大切だし……』
『声』を聞けば、おばさんは私の味方だってことは痛いほど伝わってきた。
だけど、おばさんはエンリ男爵夫人だ。自分の感情よりも、エンリ領を優先する必要がある。
それは当然のことで、私はおばさんに迷惑をかけるつもりはない。
自分で何とかする――そう決意新たに、私は行動を進めることにした。
アルさんに近付く女をどうやって排除すればいいかは、経験として知っていた。
エンリ領にはアリスという女がいる。
そして、アリスには、一つの趣味があった。
去年の今頃、アリスは次の標的としてアルさんを狙っていた。
純粋なふりをして、着実にアルさんに近付いていた。
そのことを知るまで……私はこの力を、お父さんがいつ帰ってくるかを知るためにしか、使ってこなかった。
だけど、この時初めて、他の使い方をした。
まず、エンリ領の人全員の『声』を念入りに聞いた。
目ぼしい人には直接話しかけて、思考を誘導した。
そうやって、アリスに関する情報を全て集めた。
集めた情報をもとに、ちょっと『お話』をしたら……アリスは大人しくなってくれた。
アリスだけじゃない。人は誰しも、知られたくない秘密を持っている。
仮に無かったとしても、作ればいい。私のお願いを聞いてくれる人はたくさんいる。
その人たちにちょっと頼めば、秘密の一つや二つは作ることができる。
私は、その秘密をチラつかせるだけ。それで大抵の人は、大人しくしてくれる。
――今回も同じことをすればいい。
シエタ領、ミーシャと交流のある全ての人の『声』を常に聴いて、得られた情報を整理していく。
ただ、今回は、これまで感じたことのない焦ったさがあった。
私が聞くことができるのは、相手の『声』――その時に考えていることだけだ。
つまり、相手が考えてくれなければ、知りたい情報を得ることはできない。
エンリ村にいるのなら、話しかけて思考を誘導することができるんだけど……今回は、それができない。
それでも、着々と情報を集めていった。
ミーシャの人柄、ミーシャの見た目、ミーシャの癖、ミーシャの過去……どれも大したものではない。
ミーシャは昔から大人しい性格だったらしく、これと言って問題を起こしたことはなかった。
……だけど、諦めるわけにはいかない。
私は、少しでもシエタ領との距離が縮まるように、村の南側に通うようになった。
そこで、シエタ領に住んでいる数百人の村人の『声』を、できるだけ深く聞いていく。
「――やっぱりミーシャにはこれと言って弱みは無さそうです。無いなら作ればいいだけですけど、シエタ領に協力者はまだいません。
これがエンリ領ならどうとでもなるのに。簡単に落とせそうな人はたくさんいるのですが……選択肢は二つですね。
私が向こうで協力者を作るか、誰かを向こうへ送るか。全く、ほんと厄介――」
「……何が厄介なんだ?」
「きゃっ!!」
私がシエタ領へ完全に意識を飛ばしていた時、突然背後から声がした。
慌てて振り返る。
「あ、アルさん!」
私の顔のすぐ近くに、薄い青色の瞳があった。
いつもと違って、青色が少しだけ陰っているように見える。
「こんな所で何してるの?」
何って……アルさんの婚約相手の弱みを探したり、弱みを作るための方法を考えてました――なんて、正直に伝えることはできない。
とりあえず何かを言おうとして、舌が固まる。
「な、なに……ええっと……そ、その!」
「その?」
「……ちょっと散歩を」
アルさんは、暗い瞳で私を見つめていた。
いつもなら、アルさんが視線を向けてくれると嬉しいのに……今は物凄く居心地が悪い。
「あ、あの……アルさん、怒ってます?」
「いや、そんな事はないけど」
アルさんはボソリと答えた。
無愛想なその声に、私は不安になった。アルさんに嫌われちゃったら、私――
アルさんの『声』を聞くことはできない。
だけど、アルさんが考えてることを知りたくて……私は、アルさんの瞳を見つめた。
そしたらなぜか、アルさんも私の瞳をジッと見てきた。
……は、恥ずかしいっ!
私、変な顔してないかな? 顔が熱い……。
……頭がぽーっとしてくるのを感じながら、私はアルさんの顔を見つめていた。
始めて会った時のアルさんは全体的に線が細くて、髪を長くして、女物の服を着たら、女の子に見えてしまいそうだった。
でも、こうして見みると……アルさんも男の人なんだな、と分かる。
今でも、見た目はほとんど変化していない。だけど、目つきが明らかに変わった。力強い、男の人の目だ。
その時、アルさんの目が逸らされた。
すぐに私も下を向く。
頬に両手を添える。
――熱い。
私の顔は燃えているように熱かった。たぶん、真っ赤になっているんだろう。こんな顔、とてもじゃないけど見せられない。
ひんやりとしている両手で、急いで熱を冷ます。
せっかく私が、そうやって頑張ってたのに――
「はあ……。イーナ、風邪とか引いちゃいけないから帰るぞ。家まで送るから」
「えっ……」
アルさんが、私のことを気遣ってくれた?
胸がうずうずして、一瞬で顔が熱くなった。
思わず顔を上げてしまってから後悔する。
顔を見られるのが恥ずかしくて、私は顔を明後日の方向に逸らした。
だから、アルさんが私に手を伸ばしていることに、気付くのが遅れた。
突然、左手を掴まれた。
「あっ……」
アルさんの、アルさんの顔に似合わないゴツゴツした手が、私の左手を包み込んだ。
私の手よりもずっと熱くて、たくましい手だった。
私はただ、アルさんの横顔を見つめていた。
○○○
――寒い。
机の上に組んだ両腕を枕にしていた私は、頭を持ち上げた。
肩から、毛布が滑り落ちる。その瞬間、冷気が体にまとわりついてきた。
毛布を拾って身体に巻き付けると、私は台所へと向かった。
……寒い。
眠ってる間に、すっかり身体が冷えてしまった。お茶でも飲んで、身体を温めようと思った。
お湯が沸くまでの待ち時間に、意識を森の方向へ飛ばしてみる。
もうこれは、癖みたいなものだ。
昔は意識を飛ばすのに集中する必要があったけど、今では片手間に飛ばすことができる。
いつものように、討伐隊の『声』を探す。その近くに、アルさんとお父さんはいるはずだ。
アルさんはともかく、お父さんが心配だ。
今朝は、ここ数ヶ月で一番元気そうだったけど……それでもいつ体調が悪くなるか分からない。
「……あれ?」
私は、身体に巻いた毛布を強く握りしめた。
そのままの姿で、玄関扉を開ける。
外に出ると、冷たい風が私を襲った。顔から、一気に熱が奪われる。
だけど、私には、そんなことを気にする余裕はなかった。
ここ最近は使っていなかった強度で、もう一度森の中へ意識を飛ばす。
すると、さっきまでは無音だった森の中から、騒めきの様な『声』が聞こえてくる。
これは、違う。人じゃない。動物や、木の『声』だ。
それらの『声』を意識的に取り去りながら、人の『声』を探す――
エンリ村の周りの森は、それほど大きくない。
だから、討伐隊の人たちの『声』なんて、いつもはすぐに見つかるのに……なかなか見つからない。
嫌な想像が頭を過ぎる。
見つからないのではなく……そもそも存在しないのなら?
それはつまり――
『……あ……』
「――っ!」
見つけた!
意識を数十メル後戻りさせて、耳を澄ませる。
『……う……』
『………………』
『……あ……え……』
『…………』
聞こえてくるのは、ものすごく小さな『声』だ。
だけど、確かにそこにいる。数は……十前後。
この人数で森の中にいるのは、討伐隊の人たちだけのはずだ。
だけど……『声』の様子が、明らかにおかしい。
似たような『声』を聞くことはしょっちゅうある。
生まれて間もない赤ん坊の『声』だ。生後一ヶ月もすれば、もうちょっと大きな『声』を出すようになる。
つまり、討伐隊の人たちの意識は……赤ん坊程度まで低下してるってことだ。
――どうして。
あまりにも突然の事態に、頭がまとまらない。
アルさんとお父さん、それに討伐隊の人たちも。みんなが危険に陥っていることは確実だ。
助けるために、私ができることは?
森に走っていく?
でも、私に剣は使えない。
アルさんやお父さんが遅れを取る相手に、私が何かをできるとは思えない。
じゃあ、このまま何もせ――
●●●
「んっ……」
鼻先に冷たい感触。
見ると、分厚い雪雲から、とうとう雪が降ってきたようだった。
……あれっ?
というか。
なんで私、こんな所に立ってるんだっけ?
辺りを見回してみると、薄っすらと雪が積もっている。
そこに、私はぽつんと一人で立っていた。身体に毛布を巻きつけただけの格好で。
外に出るような服装ではない。実際、身体が凍えてしまっている。
とりあえず、仮の家に駆けこもうとした。
「――と、その前に」
私は玄関扉の前でいったん振り返って、意識を森の方へと飛ばした。
いつもの感覚で気軽に意識を飛ばすと、討伐隊の『声』はすぐに見つかった。
『アル! 倒れてるっ、ど、どうしたんだ!!』
そんな、お父さんの絶叫が聞こえた。
……兄さんが、倒れてる?
全く心の準備なんてできてなかった私には、その『声』の意味が分からなかった。
『アル! アル! ……あれっ、これ……寝てるだけ、か?』
というお父さんの『声』で、ようやく我に返る。
『声』が聞こえてくるのは、森の中。
しかも雪が降った後だし……そんな場所で寝てる?
どうして?
……よく分からないけど、討伐隊の他の人たちの『声』も統合してみると、兄さんが雪の上で眠っていたのは確からしい。
私が混乱している間に、討伐を中断して帰ってくることが決まったようだった。
――と、いうことなら。
私は外用の服に着替えるために、家の中へ駆け込んだ。
○○○
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