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32話 『聖女様の憂鬱 四』



 羊皮紙の上に羽ペンを滑らせると、カリカリという微かな音が室内に響く。今日だけで既に数十枚と書いた書類。王国から上がってきた新法案の可否を回答する書状だ。


 ……平時なら、こういう面倒な仕事は全部ベータに任せる。けれど、アル聖官に王国での任務を割り振る際に、責任をとると言ってしまった手前……自分でやらざるをえない。


 まったく、忌々しい。


 こんな何の意味もない作業をするために、マオ様と一緒に過ごす貴重な時間が削られてゆく。王国の人間にとっては重要なのだろうけど、私にとってはどうでもいいことだ。気に入らなければ、あとで壊してしまえばいい……


 ……という考えをしていたからこそ、前王の勝手を招いてしまったので、私も多少は反省している。けれど、『戦災領地の税率について』なんて些事まで、どうして私が判断しなければならないのか……。


 確かに、今の王国には法の根拠となる権力が私の他に存在しない。訳の分からない輩が勝手に国を動かすような事態を許すつもりはない。他の白服に任せるにしても、私の考えの全てを理解しているのはベータとガンマしかいないから、下手なことをされては困ってしまう。


 一度転がり始めた車輪は、触らずとも真っ直ぐに進む。けれど、その向かう先が崖だと、待ち受けるのは最悪の事態だ。王国の建て直し、その最初の方向には、私の考えを反映させる必要がある。


 この、辟易とする作業に差す一筋の光明は……今のように薄い紙を一枚書くだけで、全ての人間を意のままに動かすことができる、ということだ。王国においては『聖女様』直筆の書状は絶大な効果を持つ。


 当然だ。こういう時に楽に作業をするためにも、この数百年間、王国と帝国で教会の威光を高めることに注力してきたのだから。


 魔物を狩るだけが教会の仕事ではない。

 むしろ、一生の内で、教会が関わらなければならない程の魔物と出くわす民は少数だろう。そういった『普通の民』の間にも、今では教会に対する心の奥底での信仰が根付いている。

 年に一回、全ての民が教会に対して頭を垂れる。『儀式』という厳かな舞台を通じて、知らずの内に思想の奥底に教会に対する畏怖を植え付けていくのだ。



 ――全ては、マオ様のために。

 


 そう思って、私はずっと行動してきた。

 魔素の流れを制御し、マオ様を危機に晒し得る魔物を誕生させない。そのために国を整え、戦乱と困窮を摘み取り、大陸全体の安定を保つ。


 大昔に立てたその目標を、私はこの数百年でほぼ完全に実現していた。

 今回の王国の騒ぎによってしばらく魔素が乱れるだろうけれど、それも一時的な物だろう。百年も経てば、また元の安定に戻って……それから、また数百年、数千年と、今と同じ安定を保っていくことになるはずだ――。


 そこまで考えていた所で、私は自分の手が止まっていることに気が付いた。

 軽く目元を揉んで、再開……しようとしてから、思い直して机の上に羽ペンを置いた。


 立ち上がってから、背筋を伸ばす。

 この二刻くらいは、ずっと小さな机の上だけを見ていたから、部屋の中に目を向けると新鮮な気がする。

 季節は夏。一年の中で、最も日が長い。


 夕焼けが窓から差し込んでいるから、まだ早い時間かのような錯覚に陥るが……すでに、時刻は夜の八刻。マオ様もすっかり目を覚まして、元気に花のお世話をされている時間だ。


 窓辺に近付いて外の景色を見下ろす。

 色とりどりの花が幾何学的な模様を描いている。


 すでに終業時間を過ぎているので、黒服たちの姿はない――



 ――『プサイより、通信の申請が来ています。許可しますか』――



 頭の中に、デルタの声が響いた。

 申請者の名前に嫌な予感を感じて、反射的に通信を切ってしまいそうになったけれど、


 ――『繋げてください』――

 ――『……あー、あー、聞こえてますかっ?』――


 一瞬の空白の後に、元気のいい声が聞こえてきた。


 ――『はい、聞こえていますよ。……それで、どうかしましたか?』――

 ――『あっ、えっとですね。聖女様に管理を頼まれていた物なんですが、さっき見たら突然凄いことになってて……とにかく一度来てもらいたいんですけど、お願い出来ますか?』――



 ……凄いこと。


 プサイは、数年前からずっと、共和国で監視任務に就いている。

 この数年は色々とあったから、既に数十年前のことのように思えるが……つい数年前のこと。弧帝が、久しぶりに教会に出現した時に渡された『巻物』。


 弧帝から共和国に埋めるように言われたので、共和国に教会が保有している荒野の地下百メルあたりに埋めておいた。それだけでは何が起こるか不安だったので、主要白服以外では比較的対応力の高いプサイに、その埋めた地点の監視に当たらせていたのだが……。

 

「ベータ、私は――」


 振り返った所で、ベータが今、ここにいないことを思い出した。普段は私の補佐をしているが、現在は、王都で臨時の国王の任に就いている。

 ベータは、常には白服の中でも一番近くにいる存在だから……いないと、かなり変な感じだ。


 ベータがいないとなると……、


 ――『イプシロン、聞こえますか?』――

 ――『……はい? どうしましたか?』――

 ――『少し厄介ごとがありそうなので、しばらく私の代わりに執務室にいてもらっていいですか? 何かあれば通信で連絡を。詳細はデルタに聞いて下さい』――

 ――『え? あ、あの、聖女? 厄介ごとって――』――


 通信を切って、遠く東の方にあるプサイの気配を探る。ついさっき通信をしていたばかりだから、プサイの座標の捕捉に、そう時間をかけずに成功して、



 ――



 転移した先は、真っ暗だった。

 頭の中に地図を思い浮かべ、手早く刻異を計算する。共和国の今の時間は……日が変わるか変わらないかの頃。


 目に魔素を集めて、周囲に目を向けていると、


「――あっ、聖女様! こんばんは、です!」


 笑顔で私を出迎えたのは、神官服に身を包んだプサイだった。一本に結った髪の毛を揺らしながら、人懐っこい笑顔で近付いてくる。


 ……こう、いつも思うことだけれど、どうしてプサイはこんな裏表のない笑顔をできるのだろう? 私から生まれた存在とは、とても信じられない。


「任務ご苦労です。それで、例の物に変化があったというのは……」

「それです、そうなんですよ!」


 弾む声をあげたプサイは、私の腕を掴んだ。

 引かれるがままに、疎らな雑草以外には荒れ果てた黒色の大地を歩いていくと、すぐに見覚えのある物が見えてきた。

 ズラリと並んだ、三環印の刻印された立て札。地面に打ち付けられた杭と杭の間には、青色の縄が架かっている。

 杭は直径一キル程度の円を描くように……私が数年前に設置したものだ。この円の中央の地下深くに、『巻物』が埋まっている。


 その、円の中央。ちょうど巻物を埋めた辺りの地面が、


「……これは、いつから?」

「見つけた直後に、聖女様に連絡しました! ほんと、ビックリしました。いつもみたいに見に来たら、ピッカーって光ってたので!」


 黒い地面が、緑色に光っている。

 土の奥底から光が漏れている、というよりは、地面その物が緑に発光しているようだ。

 ともすれば、光る苔が生えているように見えるかもしれない。


 嫌な臭いがプンプンする。

 ……見なかったことにして、帰っていいだろうか?


「プサイ、この空間の隔離は問題ありませんか?」


 私が地面に注意を向けつつ言うと、横目にプサイが頷いたのが見えた。


「はい! 聖女様から一般人が入れないようにって言われてたので、普段から隔離していましたけど、こんなふうになってるのを見つけてからは、より一層厳重に隔離しています! 今は、虫の一匹も外から中に入って来れないはずです!」

「助かります。――プサイは、その維持にのみ集中していてください」


 プサイの返事を後ろに聞きながら、縄を跨いで円の中に入った。

 ……本当は近付きたくもないけれど、放置するわけにもいかない。




 一歩ずつ、慎重に円の中央に向かっていくと、急激な勢いで魔素が濃くなってくるのが分かる。足元の、砂の一粒一粒から発せられているようで、まるで体全体に粘り気のある液体が纏わり付いて来るような気さえしてくる。


 濃密な――弧帝の魔素。


 目の前に本人がいる時でもこれほど感じることはないから、よっぽど大量の魔素をあの巻物に込めていたのだろう。その巻物が、今……活動を始めようとしている。


 言いようのない不安を感じる。


 これまでの長い時間の中で、弧帝には幾度となく辛酸を舐めさせられてきた。


 直近では姿を人間からコウモリに勝手に固定されたし。その前にはバラバラに身体を引き裂かれて、箱に詰められたこともある。他にも色々だ。


 そのどれにしても、弧帝自身は何か深い意図があったのではなくて、単に悪ふざけでやっていただけのように思う。


 けれど……毎度のことながら、悪ふざけの規模が度を逸しているのだ。私をコウモリに変えたり、馬が言葉を話すようにしたり、それだけの為に数十万人分の魔素を費やすなんて正気の沙汰とは思えない。


 そして……今回も、同じ規模の魔素が溢れている……。



 円の中央、巻物の直上に辿りついた私は、心の準備を整えてからその場に片膝をついた。

 周りの、本来は黒いはずの地面は、眩いばかりに緑に光っている。


 その緑の地面に両手のひらを広げると、ほんのりと温かかった。

 ――意識を、地中深くまで向ける。



 やはり、表面に出ている部分はごく一部のようで、地下は……。


「――?」


 何だろう、これは?

 地下に、何か……弧帝の魔素が固まっている場所が、数えきれないほどある。

 私が確認している間にも新たな塊が幾つも生まれて、生まれた直後には、それぞれの塊の間が互いに連結されていっている。


 これは……何かが、地下に作られている?

 それ以上はよく分からない。


 地面から立ち上がって、手のひらと膝に付いた緑色の砂を払い落とす。




「聖女様、どうでしたか?」


 縄の円を跨いだ私に、不安そうな顔をしたプサイが話しかけてきた。


「まだ分かりません。しばらく様子を見るしかないでしょうね」

「ふぇー、聖女様でも分からないなんてことがあるんですね!」

「私だって、万能ではありませんから。分からないこともたくさんあります」


 私の返答に、プサイは目を真ん丸にして、


「珍しいですね、聖女様がそんな……なんて言うのかな? その……自信のなさそうなことを言うなんて。いっつも背筋をピンッて伸ばしてて、自信満々って感じなのに――痛っ!?」


 デコピンをしてやると、景気のいい音が鳴った。

 プサイは両手でおでこを押さえながら、


「えへへ……ごめんなさい」

「……なんでそんなに嬉しそうなんですか」


 ニコニコ顔のプサイを一睨みしてから、私は腕を組んだ。


「それはともかく――もうしばらく、監視任務を頼む事になりそうですが、大丈夫ですか?」

「もっちろんです! 一般人からの空間隔離、何か変化が有ったら聖女様に報告! ……でいいんですよね?」

「はい。基本的にはそのように。もしも私に通信がつながらないことがあれば、ガンマかイオタ辺りに協力を頼めばいいでしょう」

「了解です!」

「では、私はこれで――」


 言って、早々に中央教会に帰ろうとした私の手を、


「――えっ! 聖女様、もう帰っちゃうんですか?」

「……そうですが。仕事が溜まっているので」

「うぅ……でもでも! ちょっとだけ、もうちょっとだけ……駄目ですか?」


 プサイが、潤んだ瞳で見上げてくる。

 私は冷静にそれを見下ろしながら、


「あなた、今年で何歳になりましたか?」

「えっ? えーと……ひゃく、さん歳? だったと思いますけど……」

「いつまでもベッタリではいけませんよ。そろそろ姉離れをしなさい」


 未だに私の手を握っているプサイの手を、ゆっくりと引っぺがす。


「では、もうしばらくの間、よろしくお願いします」

「…………はい」



 ○○○

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