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31話 『一騎打ち 後編』



 ナジャーハ様は、独特の歩法を使っていた。


 身体がほとんど上下に動かない。


 ヌルリという擬音が似合いそうな、目で捉えづらい動き。


 どうやら、ナジャーハ様の射程は五十メルよりは短いらしい。


 なら……次は、具体的な射程を確定させないとな。


 ナジャーハ様は右利き、左に鞘がある――


 一瞬で判断して、俺は円の内側に沿って左へと移動を開始した。


 ナジャーハ様の進路が、俺を追いかけてカーブする。


 残りの距離が三十メルになった辺りで、ナジャーハ様の右手が柄を握ったのが見えた。


 どう考えても、こんな距離からは届かない。


 けど、何となく嫌な予感がして、俺は少しだけ走る速度を緩めた。


 目に、魔素を集める。


 ナジャーハ様の動きがスローモーションに変化する。


 その中で、刀が鞘から引き抜かれ始めたのが見えた。


 残り、二十メル。


 ナジャーハ様の刀が円弧を描き始めた。


 どう考えても、遠すぎる。


 けど、俺の背筋を悪寒が這い上がった。


 その感覚に従って、俺は重心を落としつつ――進行方向と反対側に跳んだ。


 刃が通った後の空間は、安全地帯だ。


 右から刃が迫るなら、さっさとその空間に逃げるに限る……。


「浅知恵を」


 そんな声が、ハッキリと聞こえた。


 信じられない思いで声が聞こえた方向を見る――


 ナジャーハ様は、すでに刀を振り切った後だった。


 けれど、回転の勢いは止まっていない。


 ナジャーハ様の足――金属の右足が、砂に突き立っていた。


 軸を中心に、力が循環する。


 踊るように軽やかに、クルリと回転するのが見えた。


 気付いた時には、刀の射程の中。


 ナジャーハ様が笑っているのが見えた。


 進路の上に剣を置く。


 碧色の剣と、刀が交差し――


「……?」


 手に、衝撃が伝わってこない。


 確かに、ぶつかったはず――


 その光景が信じられなくて、すぐには理解できなかった。


 ――ナジャーハ様の刀が、剣に食い込んでいる。


 考える時間なんてない。


 碧色の剣に、最大限の電気を流す。


 一瞬白く光って、それは接触している刀にも伝播した。


 刀身は白く光ったが、柄は絶縁だったらしい。


 ナジャーハ様の手はしっかりと柄を握りしめたまま。


 けれど、ショートした衝撃で、刀の勢いは緩んだ。


 それを見逃さず、俺はさっさとナジャーハ様の射程から脱出する。


 完全にビビっていた俺は、ナジャーハ様から三十メルほど離れた場所で、ようやく足を止めた。


 視線の先では、ナジャーハ様が刀を視線の高さまで持ち上げて、刀身を眺めていた。


 ……どうやら、自分の愛刀の状態を確かめているらしい。


 ちなみに、俺の愛剣の半分は、ナジャーハ様の足元に落ちている。


 ……意味が分からない。


 なんで、バターを斬るみたいに、簡単に人の剣を斬れるんだよ。


 ナジャーハ様との稽古の時は、少なくとも刀をぶつけ合うことはできた。


 あの時も……本当は斬ろうと思えば斬れたのか?


 刀を受け止めることができないんなら、どうやって防御しろって――


「――?」


 何か違和感を覚えて、俺は自分の右手を見た。


 右手は、赤く滑っていた。


 親指が付け根からほとんど切断されていて、手の甲の上に乗っている。


 瞬間、猛烈な痛みが襲ってきた。


 慌てて、親指を正常な位置に戻す。


 そこに集中的に魔素を集めると……左手で押さえているうちに、徐々に痛みが治まってきた。


「降参するか?」


 声が聞こえて、俺は顔を上げた。


 ナジャーハ様は、刀を鞘に納めていた。


 腕組をしながら、俺の方を見ている。


「……これ以上、戦う価値がないってことですか」


 ナジャーハ様の視線が、俺の……血塗れの右手に向いた。


「教会の武人が驚異的な治癒能力を持っていることは知っている。フレイ・フィーネとやらも、大抵の手傷はすぐに治していた。……だが、首を斬られては、治せないのだろう?」


 ナジャーハ様は、チラリと足元を見た。


「それに、もう武器も壊れてしまっただろう。それとも、新たな武器がいるか? 用意してやっても、私としてはなんら問題がないが」


 ――敵から武器をもらうなんて、負けているのと同じだろう。


 暗に、ナジャーハ様の目がそう言っていた。


「……武器については、問題ありません」


 専用武器は、魔素と一体化した金属だ。


 多少破損したくらいなら、問題無く再生できる。


 実際、左手に握っていた碧色の剣は、魔素を注ぎ込めば元の形に戻った。


 一方、ナジャーハ様の足元に落ちている破片は、徐々に空気に溶けて消えようとしている。


 もちろん、問題はそんなことではない。


 問題は、ナジャーハ様に勝つ見込みがあるかないかだ。


 さっきの攻防で、分かったことが二つある。


 一つは、ナジャーハ様の刀を受け止めようとしてはいけない、ということ。


 もう一つは。


 俺は、自分の右手に目を向けた。


 傷はすでに完全に閉じている。


 ……これ、いつ斬られた?


 全く、分からなかった。


 『能力』だったら、対応すればいい。


 けど、絶対に『能力』じゃなかった。


 ナジャーハ様が、魔素を使っている様子はなかったし……単に、刀を振っただけのように見えた。


 全てを両断する斬撃と、不可視の斬撃。


 どちらも厄介だが……特に不可視の斬撃がどうしようもない。


 もちろん、別の視点から見ると、これらの情報はナジャーハ様を攻略する糸口にもなる。


 刀は、腐食性の攻撃だと思って対応すればいいし、不可視の斬撃は――どうやら、そこまで射程距離は長くないっぽい。


 もしも十メルや二十メル届くんなら、わざわざ俺に近付く必要がなかったんだからな。


 せいぜいが、五メル以内だろう。


「……降参は、しません」


「そうか。では――覚悟はいいな?」


 ナジャーハ様が、また最初の時と同じ体勢になった。少し前傾の、攻撃体勢。


 俺とナジャーハ様の距離は三十メルほど。


 俺は円の縁。背中に、朝国兵たちが並んでいる。


 それを確認して、碧色の剣を全て霧に変化させた。


 常には、俺を中心とするドーム状に展開するが、今回はちょっと特殊な形。


 背後を守る必要がないので、全ての霧を前側にのみ広げる。


 その分、カバーできる範囲は大きく、十メルほど。


 普通の戦闘なら、こんな明らかな罠の中に入ってくる奴はいない。けど……今、俺とナジャーハ様がやっているのは、一騎打ちだ。


 そして、より制限が多いのはナジャーハ様の方。


 なぜなら、ナジャーハ様は将軍様として恥じない戦闘を行わないといけないからだ。罠が怖くて、一刻の間ずっと様子を見ていましたなんてのは、許されないはず。


 一方、俺としては、それでも全く問題ない。


 待っていると……予想通り。


 ナジャーハ様は警戒しつつも、碧色の霧の傍まで近付いてきた。


 霧のギリギリの縁に立って、


「一つ、警告しておこう」


 感情を感じさせない瞳で碧色の霧を見つめながら、ナジャーハ様は続けた。


「この靄は……思うに、攻撃手段なのだろう?」


「さあ? 敵に自分の手の内を知らせるわけがないでしょう」


「私としては、貴様が私の警告を聞こうと聞くまいと構わないがな。死にたくなければ、手加減した方がいいぞ?」


「――?」


 手加減した方がいい?


 何かの冗談か、とも思ったが、ナジャーハ様はクスリともしていない。


 俺のすぐ後ろに並んでいる朝国兵たちの中からも、笑い声なんて一つも聞こえてこない。


 混乱の最中、ナジャーハ様が――なんの躊躇もなく碧色の霧の中に足を踏み入れた。


 身構えていた俺は、反射的に、


 ――放電。


 瞬間、幾筋もの複雑な折れ線が現れる。


 白い光が、碧色の霧の中を昼間に染め上げた。


 どれだけ速くても、電撃の速度には及ばない。


 発動した段階で、俺の攻撃からは逃れられない。


 雷光が、消える。


 砂の上に、重たい物が落ちる音が聞こえた。


 ナジャーハ様は、碧色の霧の中に佇んでいる。


 傷を負っている様子はない。


 刀を鞘の中に納めると、金属がぶつかる涼やかな音が響いた。


 その音に混じって、水がピチャピチャと跳ねるような音が聞こえる。


 ……下?


 地面から、音が聞こえる。


 何の音だろう、とその方向に目を向けると――


 砂の上には、手が二つ落ちていた。

 

 小さな、若い少女の手。


 日に焼けた色とは微妙に違う……艶やかな褐色の肌。


 その二本の手の上には、かなりの勢いで血が降り注いでいて、細かな飛沫が周りに飛び散っている。


「さっさと止血をせねば、失血死するぞ」


 ナジャーハ様が、俺を見て言ってきた。


 今も……俺の両手首からは、かなりの勢いで血液が流れ出している。


 両手ともがないから、手で留めるわけにもいかない。


 どこか、冷静に自分の状況を判断している自分がいた。


 ナジャーハ様が電撃を斬った。


 いや……電撃が発生する前に、既にナジャーハ様は刀を振るっていた。


 一瞬遅れて出現した紫電は、ナジャーハ様まで届くことなく……中空で解けて消えた。


 そこまでは、俺にも見えていた。


 けれど……いつ、俺の両手首が斬られたのか、全く分からなかった。


 五メルよりも離れていた。


 十メル先から、ナジャーハ様は『能力』を使うでもなく、俺に気付かれることもなく、俺の手首を両断した。


 ……全く、意味が分からない。


 意味が分からなければ……対策の立てようもない。


 お手上げだ。


「ははっ」


 思わず、乾いた声で笑っていた。


 俺の両手は、砂の上に落ちている。


 上げる手は、既にない。


 負け。


 完膚なきまでの敗北。


 さっさと降参して、血を止めないと。


 俺は、まだ死にたくない。


 心の底から、そう思う。


 ゆっくりと、敵対行動をしていると思われないように、碧色の霧を回収する。


 霧の一部を両手首の周りに集めて――放電。


 太い血管と神経をジュール熱で凝固して、ひとまず応急処置。


 それから、俺はナジャーハ様の黄色い眼を真っすぐ見つめた。


「降参は、しません」


 俺の言葉に、ナジャーハ様は目を細めた。


 刀の柄を、右手で握る。


「それは……死を選ぶ、ということか?」


「いいえ、死にたくもありません」


 俺は、凪いだ気持ちで笑った。


「死にたくもないし、降参して奴隷にもなりたくありません」


「……まだ、私に勝てるつもりでいるのか?」


「いいえ。どうやって勝ったらいいか、見当も付きません。ただ――」


 逃げる事はできます。


 そう、俺は続けようとした。


 けれど、その直前――


 緑の光。


 なんの前触れもなく、強い光が視界を覆った。


 とっさに目を閉じるが、それでも遮れないほどの光。


 光が灯ったのは一瞬だったが……視界が戻るには数拍を要した。


 恐る恐る、瞼を開ける。


 正面。十メルほど離れた場所には、変わらずナジャーハ様が立っていた。


 ポカン、と口を開けている。


 何が起こったのかさっぱり分からない。ひょっとしたら、フレイさんたちが何かをしてくれたのかもしれない。


 ともかく、図らずも、逃げるには最高の好機。


 男としてどうかと自分でも思わなくもないが、それがどうした。逃げたもん勝ちだ。


 どうせ、ナジャーハ様たちはメフィス・デバイに行くんだし、追っては来れまい。


 背後の朝国兵たちをぶちのめそうと後ろを向いた時――


 持ち上げた右手には……手が付いていた。


 手の甲が、緑色に仄かに光っている。


 ――椛――


 白い肌に文字が浮かんでいて、それが光っていた。


 ……白い、肌。


 呆然として……俺は、自分の両手を見つめた。


 長年見慣れた、透けるような白い肌。


 今さら気付いたけど……視点も、数十センほど高くなっている。


「……貴様」


 声がして、振り返ると……ナジャーハ様が困惑した顔で俺を見ていた。


「ヒシャームはどこに……。いや、それよりも……その証」


「証って……これのことですか?」


 右手の文字を見せると、ナジャーハ様は頷いた。


「デル・ト・アメルナの紋章……。貴様……いや、貴公は……何者だ?」



 ○○○

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