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21話 『手紙 後編』



「……その前に」


 私は、さっきからずっと跪いている白虎に目を向けた。


「そんな姿勢では、私も話しづらいです……白虎も座ってください」


「ですが……」


「いいですから」


「で、では……」


 おずおず、といった様子で白虎は腰を下ろした。


「まず最初に、聖女について。……私はあの人に何もされていないので、あまり敵意を向けないでください。下手に敵対したら、面倒なことになります」


「かしこまりました。他の黒衣衆にもそのように、伝えておきます」


 頭を下げた白虎に頷いて、私は次の言葉を探す。


「実の所、何が起こっていたのか、私にもよく分かっていないのです。気が付いたら、そこは夢の中で……」


「夢、ですか?」


「はい……夢、です。本当に、幸せな。何もなければ、今でもずっと……その夢の中で、私は微睡んでいたかもしれません」


 白虎は、ピンと来ないのか、小さく首を傾げている。


「白虎には今更なので、言ってしまいますが……簡単に言うなら、アルさんと一緒に暮らしている夢です。アルさんだけじゃなくて、お父さんやお母さん――あっ、もちろん、白虎や青馬、他の黒衣衆もいましたよ」


 白虎がほんの少しだけ悲しそうな表情を浮かべたので、言い添えておくと、微かに嬉しそうな表情になった。たぶん、今『声』を聞いたら、かなり情けないことになってるんだろう。


「本当に、幸せな夢でした。不愉快な輩は一人もいませんし……何より、アルさんを奪う教会の犬がやって来る心配もない。でも、ふふっ……それは勘違いでした。夢の中にまで、アルさんを追ってくる人がいたんです。白虎も知っている人ですよ」


「私が知っている……教会の人間でしょうか?」


「そうです」


 白虎は、少しの間考えてから、


「尹 狼鮮でしょうか? 優秀だという話はよく耳に聞こえていましたし……」


「ハズレです」


「では……乍 凛華」


 白虎の言葉に、私は頷いた。


「それは偽名ですから、正確にはサラ・フィーネですね。サラが私の夢の中に侵入して、全部壊していきました」


「それは……申し訳ありません、黒狼様。本当は怒りを感じるべき……なのでしょうけれど、もしも『深紅の風』が黒狼様の夢を壊さなかったら、黒狼様は今も戻って来ていなかった、のですよね?」


「ええ、まあ……たぶん、そうなりますね」


 もしも、あの夢にサラが侵入してこなかったら――


 ズキン、と。


 頭の奥の方に鈍い痛みが走った。

 思わず、額を手のひらで押さえてしまう。


「こ、黒狼様! どうされましたかっ!」


「いえ……大丈夫です。少し、傷んだだけですから」


 慌てて、白虎を制止する。放っておいたら、医官を呼んできかねない。


「……それよりも、続きです」


「本当に、大丈夫でしょうか? ご体調が優れないようでしたら――」


「大丈夫ですから、本当に。そんなことよりも、さっきの話の続きです」


「はい」


 心配そうな表情ながらも、腰を落ち着けた白虎を見やって、私は口を開いた。


「私にとって、私の夢は……不満のないほど幸せな夢でした。そして、その夢がずっと続けばいいって、私は思っていたんです。でも――」


 唇を閉じて、コクリ、と喉を動かした。


「私、私にとっては……幸せな夢でした――でも、それだけ。アルさんの気持ちなんて、私……全然考えてませんでした」


 白虎の、顔を見ることができない。

 私は……瞼を閉じた。

 強く、強く瞼を閉じながら、私は早口で続けた。


「私は、アルさんのことなんて、全く考えてませんでした。それは、昔からずっと。そもそも、私がアルさんを華に縛り付けたのだって、それは全部、私がアルさんの傍にいたいから、そうしただけ。アルさんが私の傍にいたいかどうかなんて、私は考えもしなかったんです。私は自分の我儘で……アルさんを、縛り付けてた――そのことに……私は、ようやく気付きました」


 サラのことを見る、アルさんの瞳。

 私には、一度も見せてくれたことのない顔。

 アルさんが一緒にいたいのは、私じゃなくて――


「アルさんには、幸せになって欲しいんです。これは、たぶん……私の本当の気持ち。だけど、アルさんが傍にいたら、私はアルさんのことを縛り付けてしまう。だから……アルさんは、ここにいない方がいいんです。私がいない場所で、そこで幸せに暮らしてくれたら……それが、私にとって一番嬉しいことだから……だから――」


「ご無礼をお許しください、黒狼様」


 そんな声が聞こえて、私の頭が何か柔らかい物に包まれた。


 ぎゅっ、と。


 優しい力が、背中を押さえ付けてくる。


「あ、あの……白虎……これは?」


「ご不快、でしょうか?」


「……いえ、イヤではないですけど」


 むしろ……温かくて、落ち着く。

 ずっと昔。まだ私が小さかった頃。

 まだ、私が、下心なんてなかった頃。

 ……兄さんに、抱きしめてもらった時みたいに――


 ズキリ、と。


 また、頭の奥の方が疼いた。

 今度は白虎に悟られないように……静かに耐える。


 白虎の、規則正しい鼓動が聞こえる。

 その音を聞いていると、胸が温かくなってきて……次第に、頭の痛みも引いてゆく。


 ……ゆっくりと、瞼を開く。

 

「白虎は……イヤじゃないんですか? 私のこと」


「……なぜでしょうか?」


「だって……もしも、あの夢に誰も入って来なかったら……たぶん、私は、ずっとあの夢を見続けていました。私にこれだけ尽くしてきてくれた白虎たちのことなんてゴミみたいに捨てて、ただ……アルさんとだけ一緒にいる生活を私は選んだんです」


 腕を、私の身体と白虎の身体の間に滑り込ませる。

 軽く力を入れると――白虎は、もっと強く、私のことを抱きしめた。


「黒狼様、私にこうやってされているのは、ご不快ですか?」


「イヤ、ではないです、けど……」


「黒狼様。黒狼様は一つ勘違いをされています」


 手から力を抜いて、私は白虎の声に耳をそばたてた。


「私たちが黒狼様のお役に立ちたいのは、私たちがそうしたいからです。黒狼様がそうしろ、と命令されるからではありません。もし、そうするのが黒狼様の幸せになるのなら、例え命を賭すことになろうと、私たちはそれで本望なのです……」


 白虎が、小さく息を吸い込む音が聞こえた。


「……黒狼様にとって、私たちのこの忠誠は、ご迷惑でしょうか?」


「迷惑なんてことは……」


 黒衣衆たちを迷惑だなんて思ったことはない。

 心の底から、私に忠義を尽くしてくれる人たち……最初は、ただ都合がいい道具としか思っていなかった。……けれど、今では。


「――で、あるなら、それはアル様も同じなのではないでしょうか?」


「……アルさんも、同じ?」


 意味がよく分からなくて、私は、白虎の胸の中で目を瞬かせた。

 白虎が、心持ちゆっくりとした口調で続ける。


「黒衣衆は、自分たちが黒狼様のお役に立ちたいから、勝手に忠誠を誓っているのです。それを、黒狼様はご迷惑ではない、と言ってくださりました。

 ……そして黒狼様は、アル様に傍にいて欲しいと思ったから、そうなるように行動されたはずです――それが、どうして我儘なのですか?

 もしも、アル様がそれをご迷惑だと感じていたのなら、それは残念なことですけれど……私の目からは、とてもそのようには見えませんでした」


「でも、それは……」


 続けようとして、言葉が後に続かなかった。

 代わりに腕に力を入れると、今度は簡単に白虎の腕は解けた。


 私は、白虎の黒い瞳を覗き込んで、


「……でも。でも、アルさんは、私と一緒にいるよりも、私がいない方が幸せで……」


「不躾ながら――それこそ、我儘というものではないでしょうか? 何が幸せかを決めるのは、アル様のはずです」


「……」


 何も言い返すことができず言葉に詰まった私に向けて……白虎は、優しく微笑んだ。


「黒狼様。黒狼様がすべきことは……アル様に、自分の傍にいることを幸せだと思ってもらえるように、努力することではありませんか?」


 その言葉を聞いた瞬間――パッと、霧が晴れたような気がした。


 がらんどうの黒狼殿。

 書卓では灯りが揺らめいていて、私と白虎の影が、艶やかな床で踊っている。

 季節は夏。

 どこかからコオロギの声が聞こえてくる。 


「……そう、ですね。そうかもしれません」


 私は、その場で振り返って、書卓の方へと向かった。

 右手で、筆を握る。


 背中を向けてしまえば、途端に白虎の存在感が希薄になる。もう、後ろにいるのかどうかもよく分からない。


 『声』を聞くと、まだ、私の後ろにいることが分かった。


「白虎……ありがとうございました」


 小声で呟くと、こっちが嬉しくなるくらい喜んでいる『声』が聞こえてきた。



 ○○○



「驚きましたよ」


 と言いつつも、大して驚いているようには見えない。

 机から茶器を手に取った聖女は、口元で香りを嗅いでから、中身を傾けた。


「あなたもどうぞ……いちおうは、最高級の茶葉で淹れたものです。名前は確か――」


「ルフナ・カンニャム、共和国北部カンニャム地方の物です」


 聖女の椅子の隣に控えていた、白い髪の毛を二つに結った女性が答えた。

 華では、尹 狼鮮に化けていた女だ。


「そう言えば、そういう名前でしたね……ともかく、どうぞ。美味しいですよ。砂糖が欲しければご自由に。そのまま味わわないといけない、なんて窮屈なことを言うつもりはありませんから」


「……ご配慮ありがとうございます」


 何だか、さっきから聖女が愛想笑いなんて浮かべてるので、気味が悪い。

 ともかく、茶器を手に取る。もちろん、砂糖なんて入れない。そんなことをしては、香りが死んでしまう。私は基本的に緑茶派だけど、紅茶も別に嫌いではない。


 一口飲むと、柑橘の仄かな酸味の後に、八角のような独特の甘い香りが口の中に広がった。変わった味だけど……悪くはない。人は選ぶけれど、好きな人にとっては堪らない味だろう。


「さて、早速ですが、手早く本題に入りましょう。ここに長くいてもらっては困る、というのは黒狼には既に話していますから、異論はないでしょう?」


「ええ。私も、そう長々と居座るつもりはありません」


 聖女は、薄い愛想笑いを顔に張り付けたまま、私を見つめている。


「今日は、折り入って頼みがあって、伺ったのです」


「なるほど、頼みですか。黒狼様が、わざわざ東の果てから教会にやってきてまで、私に頼みたいこと……よっぽどの難題なんでしょうね。少し、心の準備が必要かもしれません」


 ……ようやく、聖女の愛想笑いの意味が、私にも理解できた。とはいえ、全部は自分に責任があるので、多少の恥は甘受しないといけない。


「一度、私の方から断ったにも関わらず、申し訳ないのですが……魔物としての指導をマオ様にお願いしたく、伺った次第です」


 言ってから、私は聖女に向けて頭を下げた。しばらく、そのままの姿勢で待っていると、


「……まぁ、これくらいでいいでしょう。いい見世物が見れました。頭を上げて下さい」


 頭を上げると、聖女は腕を組んでいた。腕の上にはデカいだけの肉塊が乗っていて、非常に見苦しい。


「どういう心境の変化かは分かりませんが……つまりは、ようやくアル・エンリ聖官を眷属にする決心がついた、という理解で構いませんか?」


「いえ、違います」


 キッパリ言い切ると、今度こそ、聖女は驚いた表情を浮かべた。一拍置いて、困惑した顔に変化する。


「……では、どうして魔物としての指導をして欲しいと?」


「それは……まだ、納得したわけではありませんけれど、もしも私が本当に魔物なのだとしたら、先達から学ぶべきだと思ったからです」


 訝し気に、聖女はしばらく私の目を覗き込んでいたけれど、


「……なるほど。まぁ、そういうことなら、それでもいいでしょう。私たちとしても、万が一にも黒狼が打ち倒されてしまったら、困りますからね――ただ」


 腕を解いて、聖女は椅子から立ち上がった。


「私個人、としては……さっさと、アル聖官を引き取って欲しいのですけれどね。私とマオ様の間にあの男が割り込んでくるかと思うと……ゾッとしませんから」


 確かに、アルさんが聖女と末永く暮らしている未来を想像すると……私も、いい気分はしない。


「心配されなくとも、大丈夫ですよ。私の力で、アルさんを奪い取ってやりますから」



 ○○○

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