25話 『十八歳 ~自分探しの夏~ 四』
旅の塔を出ると、嫌になるくらい見慣れた砂漠の光景が広がっている。
幾重にも連なる大小の砂丘、雲一つない夕焼けの空。他には何も見えない不毛の大地。
数刻前に刻まれたはずの風音聖官の足跡は、風に均されてしまって既に見えない。
「それで、どこに行くんだ?」
隣に立っているフレイさんが、腕を組んだまま聞いてきた。
「え、どこって……特に決めてませんけど」
「はぁ? 散歩に行くって言ったのは小僧じゃねぇか」
「いや、だから。適当にその辺を歩くだけのつもりだったんですけど。それに、ここら辺には何もないじゃないですか」
一番近くの街は、ここに来る時にも通ったインドラだ。散歩で行けるような距離ではない。
メフィス・デバイは論外だし……あと目的地にできるのは海くらいだけど、これもそこそこ離れている。
というか、あんまり適当に遠くまで行ってしまったら、戻って来れないってことになりかねない。普通なら師匠なりサラなりの気配を簡単に見つけられるけど、この辺りは魔素が薄いから気配を捉えるのがかなり難しい。
「うーん。適当にほっつき歩くのも悪くねぇが……何なら、隣の旅の塔まで行ってみるか?」
「隣?」
「ああ、そう時間はかからねぇはずだ。おおかた七、八キルくらい? 散歩にはちょうどいいだろ?」
そういえば、旅の塔は砂漠地帯――アラビア半島を横切るようにたくさん設置されてるんだったか?
アラビア半島の長さなんて知らないけど、旅の塔の数が数百って言ってたから、単純計算で数千キロ……こう具体的に考えてみると、思った以上にスケールがでかいな。
……まあ、そんなことは今はどうでもいい。
「そうですね。他の旅の塔がどうなってるのかちょっと興味ありますし、そうしましょうか」
「よし、なら……」
フレイさんは左右を見てから、
「右の方に行くか」
――
ふと後ろを見ると、既に砂の塔は砂丘の合間に消えて見えなくなっていた。
三百六十度の全てが砂と空だけで、目印になるものは太陽くらいしかない。
「何だか、こうやって砂漠を走ってると、迷っちゃわないか不安になってきますよね」
「あー、確かにな」
隣を走っているフレイさんに話しかけると、苦笑いしつつの返事が返ってきた。
「ま、大した距離じゃないし大丈夫だろう。ここらならギリギリ魔素が残ってるしな。……まあそれに、最悪迷子になったとしても風音が迎えに来てくれるだろう。赤っ恥だが」
砂漠のど真ん中、フレイさんと二人して体育座りをしている所に、風音聖官が迎えに来る様子を想像してみた。……ちょっと、恥ずかしい。
にしても、魔素がないってだけでいつでも道を見失う危険があるなんて、かなり面倒だよな。ナジャーハ様を含めて朝国の人たちは、何かしらの直感みたいなもので方向を把握できるようだが、大大陸の人間には基本的にそんな力は備わっていない。この砂漠は、朝国にとっての天然の城塞と言えるのかもしれない……。
――ふと思い当たって、俺は口元に指先を当てた。
「……あの、フレイさん」
「なんだ?」
「フレイさんって、方向を知るための道具とか、これまでに見たり聞いたりしたことってありますか?」
フレイさんが、眉をひそめながら俺の方を向いてきた。
俺は両手をウネウネと動かしつつ、
「何と言うか、こう……針の上に鉄の板を乗せた感じの物で、その鉄の板が、決まって同じ方向を指す道具です」
前世でいう所の方位磁石。最後に触ったのは小学生のころだっただろうか。
なんで羅針盤なんて単純な道具が三大発明なんて呼ばれてたのか、前世では疑問に思ってたものだが、なるほどこういうことか。海と砂漠、目印になるものが何もないのは同じで、そういう場所では正確な方向が分かる道具は絶大な威力を持っている――それが、今になってようやく実感できた。
フレイさんはちょっと引いたような表情を浮かべてから、物理的にも俺から少しだけ距離を取った。
「なんだ、それ? 何わけの分からねぇこと言ってんだ?」
「やっぱり、フレイさんも聞いたことないですよね!」
「……そうだが……逆に聞くが、小僧はそんな道具をどっか見たことがあるのか? ――あ、もしかして華で見たのか?」
「いえ、華ではないですけど、昔に」
俺が答えると、フレイさんは空を仰ぎつつ、
「はぁー、そんなもんがあるのか。ありゃぁ是非とも欲しいもんだが、どうせどっかの宝物だろ、そんな夢みてぇな道具」
「……ですね」
磁石の作り方はそんなに難しくなかったと思うけど、それがこの世界でも成り立つとは限らない。なんせ、不思議世界だからな。時空が捻じれてるせいでウニャウニャしてて、磁力程度なら歪んでいてもおかしくない。
成功するかも分からないのにデキるなんて言ってしまったら……ちょっと恥ずかしい。
方位磁石に関しては旅の塔に帰ったら試してみるとして、今は話を変えよう。
「――ところで、フレイさんも、これまで聖官として色んな場所に行ったことありますよね? フレイさんは、そんな感じの不思議な物とか見たことないんですか?」
「あ? それは、同じ方向を指す板、みたいなやつか?」
「はい。あ、別に物じゃなくても、場所とか、人とか、何でもいいですけど。任務で経験した不思議なこと全般です」
「うーむ」と唸ってから、師匠は首を傾げた。
「一つ、二つ、思い付かねぇこともないが……ちょっと足りねぇ気がするな。俺の場合は大抵ぶん殴って解決するような任務ばっかだったし。そういう話題ならクルーエルとか風音の方がたくさん経験してると思うぞ。――そもそも、俺が聖官として活動してたのなんて、復帰以降を合わせても十年ねぇしな」
俺はしばし黙ってから、フレイさんが言っている内容を頭の中で噛み砕いた。
「……そういえば、私とフレイさんが初めて会った時、フレイさんて聖官としての活動を休業してたんですか? あれ、任務であの森にいたわけじゃないですよね?」
「まぁ、そうだな。名目上は任務だったが」
「なんでお休みを取ろうと思ったんですか?」
「そりゃぁ、お前――」
ちょっと言い淀んでから、フレイさんは恥ずかしそうに続けた。
「……カティアがサラを妊娠したからだ。最初は長期間休むつもりなんてなかったが、さっきも言った通りカティアが死んじまったからな。聖女さんから乳母を紹介されたんだが……サラは、俺の手で育ててやりたかったんだ」
……そんなふうに言われると、返事に困る。
俺は、敢えておどけたふうに、
「せっかく引きこもるなら、もっと居心地のいい場所に住めばよかったのに。わざわざあんな魔境に住まなくても……」
魔物が跋扈してたこと自体はフレイさんにとって大した問題じゃないだろうけど、利便性という点ではフレイさんも同じ土俵だ。家庭菜園をしている様子はなかったから、家にあった諸々の物資はどこかで買った物のはずだからな。
フレイさんは渋い顔をしつつ、
「魔境とは、言ってくれるじゃねぇか。あんなでも、いちおう俺の故郷――いや、故郷だったんだぞ」
「故郷?」
あんな場所に、普通の人間が住めるとは思えないけど。野菜の星じゃあるまいし。
俺の内心を表情から見て取ったのか、
「言っとくが、最初からあんなふうだったわけじゃねぇぞ。俺が子どもの頃までは、どこにでもある普通の村だった」
「……」
フレイさんとサラがいたあの森には、樹齢数百年かと思うような巨樹が大量に生えていた。
つい数十年前までは、あそこがどこにでもある――それこそエンリ村みたいな村だった……そんなの、普通じゃありえない。例外を除いて。
「……魔物ですか?」
「ああ」
特に拘った様子もなくフレイさんは頷いた。
人が死ねば、空気中に魔素が放出される。だから、大量に人が死んだ場所――紛争や災害のあった地域……そして、強大な魔物が暴れた地域では、莫大な魔素が淀んでいる。この状態を俗に、土地が穢れた、と表現する。
穢れた土地には不思議なことが起こる。一番よくあるのは、魔物が大量に出没する魔境になること。他にも、近隣で奇形児が生まれるようになったり、農作物が育たなくなったり、逆に巨大な花が咲いたという記録も中央教会の図書館で読んだことがある。
聖官として活動していたら、魔物に壊滅させられた――穢れた村なんて幾つも見ることになる。というか、そもそもそういうレベルの事件じゃないと聖官が駆り出されることはない。
例えば魔物だったら、王国では地方騎士が、帝国では冒険者が、それぞれ最初に相対する。ちょっと手に負えないってレベルになったら中央騎士や軍隊、あるいは神官が出動することになる。
聖官が駆り出されるのは、それでも手に負えない時だ。当然、村の二、三個は消滅している。
聖官になりたての頃は、任務で赴いた場所の様子に色々と思う所もあったけど、何度か経験するうちに何も感じなくなった――それが、自分の大切な人たちの住む村でさえなければ。
……王国での任務で誰も死ななかったのは、単に俺の運がよかったからだろう。
フレイさんは……。
「……すみません」
思わず、口から漏れていた。
「なんで小僧が謝るんだよ」
「いえ、なんか……その……」
自分の気持ちを表す言葉が、上手く見つからない。
哀れみとか、そういう気持ちで出たものでは断じてない。デリケートなことを聞いてしまったことに対する謝罪でもない。
一歩違っただけで俺もフレイさんと同じように故郷を失ってしまっていたのかもしれないのだ。自分が、任務だなんて言って世界中で赤の他人を助けている間に、自分の大切な人たちがいなくなってしまう……。
一般人なら問題ない。天災だったのだと、自分にはどうしようもなかったのだと、そう自分に言い聞かせれば……時の流れとともに、大抵のことに心の整理がつく。
だけど、俺たちは違う。『聖官』がそこにいたら、確実に助けられたはずなのだ。だからこそ、どれだけ時間が経っても――
――そうか。
「……フレイさんの故郷を、魔境だなんて言ってしまって」
たぶん、フレイさんにとってあの森は、今でも故郷なんだろう。
どれだけ姿が変わっても、それでも、ずっと。
――
「旅の塔って、どれも同じような見た目なんですか?」
さっきまでいた建物とパッと見では区別の付かない円筒を、俺は見上げていた。
「俺が今まで見たやつは全部同じ見た目だな。まぁ、外から見て、どの塔に監視がいるか区別が付いちまったら、意味ねぇしな」
「それもそうですね」
俺は三階の窓に目を向けつつ、
「……たぶん、中には誰もいませんよね? 入ります? というか、入ってもいいんですか?」
「せっかくここまで来たんだし、入ろうぜ」
軽く助走を付けたフレイさんは手慣れた動作で、旅の塔の壁を登っていく。
師匠もいないし、俺もフレイさんに続けて三階の窓から建物の中に入る。
中は、フレイさんの言った通り、さっきまでいた場所とほとんど同じ感じだ。
ただ、少しだけ砂っぽい。
フレイさんは砂が積もっているのを気にもかけず、ソファにドカッと腰かけた。
自然な動作で足を机の上に乗っけて……毎度のこと思うが、フレイさんってすげぇ行儀悪いよな。
俺はどうしようか迷ってから、
「私はちょっと二階を見てみます」
「おう」
フレイさんの返事を聞いて、俺は部屋の中央にある螺旋階段へと向かった。
トン、トン、と。
軽い足音が、二階の暗がりに木霊する。
……見た感じ、二階もやっぱり同じ構造だな。
師匠が持ち込んだ食器やら本やらがない分、少しだけ殺風景だが。
……それにしても、何と言うか……
俺は、螺旋階段の真ん中あたりで足を止めた。
ちょっと、不気味だよな。
いい大人のくせして自分でも恥ずかしいが……暗がりの中に降りていくのは、ちょっとだけ怖いと感じてしまう。――そこの寝台の陰とかに、色白の男の子が体育座りしてる――みたいな想像が頭の端っこを掠めて……。
別に二階に降りるモチベーションがそこまであったわけじゃないので、俺は三階に戻ることにした。
手で軽く砂を払ってから、フレイさんの斜め対面のソファにちょこんと腰掛ける。
左を見ると、窓の外には空が見える。
さっきまでは夕焼けだったけど、空の端っこが紫に染まりかけている。あと一刻もしないうちに夜が来るだろう。
ボーっと、頭を空っぽにして、そんな景色を眺めていると、
「――小僧」
静かな声が聞こえた。
声の方向に目を向けると、フレイさんがだらしない姿勢のまま俺の方を見ている。
「さっきの……一つだけ言っておくぞ」
「さっきの?」
フレイさんは頷いて、
「俺の故郷の話だ」
フレイさんは上体を背凭れから起こしてから、途端に口をへの字に曲げた。
右手で頭をポリポリと掻きながら、
「あー。俺はな、小僧に多少は感謝してんだ……」
「…………えっ、と?」
突然の感謝の言葉に戸惑っていると、フレイさんは勢いよくソファから立ち上がった。
「ともかくだ! ともかく……」
尻すぼみに声を小さくして、フレイさんは俺のことを真面目な表情で見下ろす。
「……小僧があの森に来てくれたおかげで、俺とサラは今ここにいる。小僧が来なかったら、たぶん俺とサラはまだあの森にいたんだと思う。まぁ、ちょうど時期がよかったってのもあるけどな」
「時期?」
フレイさんは頷いて、
「ああ。元々はな、サラが大人になったらあの森から出してやろうと思ってたんだ。だが、いざその日が来てみると……どうしても、踏ん切りが付かなくてな。そのままズルズルと、一月くらい経った時に、小僧が俺たちの家に来た。それが最後の一押しになって――」
「――ちょっと待ってください」
俺は、フレイさんの言葉を途中で遮った。
「なんだ?」
「いえ……その、帝国での成人って、何歳からでしたっけ?」
「十五だが?」
何当然のことを聞いてんだ、という表情をフレイさんはしているが、俺もそう思う。
教会の勢力圏では、『儀式』の行われる十五歳が子どもと大人の境目。それは当然のことで、わざわざ確かめるまでもないんだけど……
「あの、さっきのフレイさんの言い方だったら、まるでサラが……私と会った時には既に十五歳だったみたいに聞こえるんですけど」
「ああ、そうだが?」
フレイさんが、真顔で言った。
「えっと、初めて会った時、私もちょうど十五になったばっかしで……え? えっと……つまり、私とサラって……同い年、なん、ですか?」
「いや、俺は小僧の年なんて知らなかったが、まぁ、聞く限りそうなるんじゃねぇか?」
…………マジか。
俺、ずっと……サラのこと、かなり年下だと思ってたのに。
大体五歳くらい下――俺がこの間十八になったばかりだから、十三、四くらいかと思ってた。
それが、同い年?
いきなりそんなこと言われても。
いや、ちょっと待て。同い年どころか――
「あの、フレイさん! サラの誕生日って何月ですか!」
「な、なんだ。いきなり大声出して」
「そんなことはどうでもいいですから! それで、何月なんですか?」
俺の勢いに押されたのか、フレイさんは唖然とした様子で、
「……ちょうど今ごろ、七月と八月の境目だ。正確な日は知らん」
それを聞いて、俺はホッと胸を撫で下ろした。
……よかった。
俺は六月生まれ。ギリギリ、俺の方が早い。
サラの方が俺よりも年上という、最悪の事態は避けられたようだ。
「……なんか知らんが……くそっ、何を言おうとしてたか忘れてたじゃねぇか」
「あ、すみません」
フレイさんは嘆息してから、腕を組んだ。
「まあ、細けぇことはいい。結局、俺が言いたいことは……もしも、困ったことがあればいつでも俺を頼れってことだ! 借りの分くらいなら、力になってやる」
「? ……よく分からないですけど、ありがとうございます?」
フンッと鼻を鳴らしたフレイさんは、窓の方を見た。
「遅くなると、クルーエルがまたうるせぇな。そろそろ帰るか」
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