24話 『十八歳 ~自分探しの夏~ 三』
階段を降りていると、フレイさんと師匠が会話を止めて俺のことを見上げてきた。
フレイさんは手にコップを持っていて、師匠は長机に座っている。机の上に蝋燭が何本か置かれているのを見るに、おそらく『能力』の訓練をしていたのだろう。
ちなみに、風音聖官は数刻前にどこかへ出かけたので、旅の塔にはいない。
「上手くいきましたか?」
師匠が微かに笑いながら話しかけてきた。
「はい、首尾よく。やっと自由の身です」
「それは良かったです」
「……何の話だ?」
訝し気な表情を浮かべたフレイさんに、師匠が説明をしてくれる。
「アル聖官がサラ聖官に困っていたようなので、退屈な本を貸したのですよ。今頃彼女は、三階で昏々と眠っていることでしょう」
「なんじゃそりゃ?」
階段を降り切った俺は、二人がいる長机の辺りへと向かいながら、
「だって、昨日の晩からサラが私から離れてくれないので――それで、師匠に相談したんです。『何とか、サラから離れられる方法はありませんか』って。それで退屈な本を読む事を提案されて」
フレイさんは首を傾げて、
「なんで、それがサラを引き剥がすことになるんだ?」
「それは、私が本を読んでたら、サラも覗き込んできて一緒に読もうとするからです。退屈な文章への耐性は私の方が強いので」
「はー、なるほどな」
興味なさそうな返事をしたフレイさんに、俺はできるだけ何気ないふうを装いつつ、
「……それで、フレイさんに一つ聞きたかったんですけど」
「なんだ?」
「いや、その……フレイさん、何かありましたか? 前までは、私とサラが接触したら、烈火の如く怒ってたじゃないですか。なのに、例えばさっきだって、全然何も言って来ないですし……」
思いの外スムーズに口が動いてくれた。
気付かれないように、ジッとフレイさんの表情を観察していると、
「ああ、それは。アル聖官が女性になってしまったから、反応の仕方に困っているだけだと思いますよ」
師匠があっけらかんと言い放った。
フレイさんは慌てた様子で、
「――おい、クルーエル! お前何言ってんだ! そんなことあるわけねぇだろうが!」
「いえ、先生は分かりやすいですし」
フレイさんに詰め寄られても、師匠は全く怯んだ様子を見せずに続けた。
「先生はサラ聖官のことを溺愛しているので、年頃の男性一般に対して威嚇をする傾向にあります。けれど、現在のアル聖官の姿は女性なので、どうしたらいいか分からない――このような感じだと予想しますが、どうでしょうか?」
「……」
フレイさんは何も言わずに口を閉じた。
「……えっと、そうなんですか?」
試しに聞いてみると、フレイさんは観念したように溜息を吐いた。
「ああ、そうそう、そうだよ。頭では小僧だと分かっててもな、見た目だけで言うと何とも言えねぇ感覚になる。ぶっ飛ばしたいのは山々なんだが」
ぶっ飛ばしたいのは山々なんですか。
「……それは嫌ですが、できればサラを私から引き剥がすのにフレイさんにも協力してもらいたいなー、と思うんですけど」
「あー? 嫌だよ面倒な。サラのやつ前にも増して力が強くなりやがって、無理やり引き剥がすなんて俺にゃ無理だ。言って聞くようなやつでもねぇし。一番簡単なのは、小僧の方をぶっ飛ばすことだ……それに――」
フレイさんは突然目付きを鋭くしてから続けた。
「――小僧、お前さっきから聞いてりゃ、何様だ。俺のサラにくっつかれるのが、そんなに迷惑だって言いてぇのか?」
「い、いえっ……決してそんなことは。すみません……」
何で自分が起こられてるのか理解不能だけど、取りあえず謝っておく。
こういう所に日本人の性が出てるんだろうな……とちょっとだけ情けない気持ちになっていると、
「そうは言っても、厠まで付いて来られるのは、流石に私でも同情しますよ」
「まあ……それは確かにな」
師匠に感謝の視線を送ったけれど、全く気付かれずにスルーされた。
気を取り直して、
「そう、そうなんですよ! サラにくっつかれるのが嫌いってわけじゃないんですけど――」
「――小僧、お前……俺のサラに手ぇ出すつもりじゃねぇだろうな?」
……いや、結局どっちならいいんだよ。
半ギレのフレイさんの隣で、師匠が苦笑しているのが見えた。
「それにしても、あの先生がここまで娘を溺愛することになるとは思いもしませんでしたよ。昔は、子どもに対して一欠片の興味も持ち合わせていなかったのですけれどね」
フレイさんはムスッとした顔をするが、否定はしない。
どうやら親バカの自覚はあるらしい。
「そういえばイプシロンも、フレイさんに久しぶりに会って驚いたと言ってましたけど、昔のフレイさんってどんな感じだったんですか? 本当に戦闘狂だったんですか?」
「戦闘狂……確かに、的確な表現ですね。私が先生の元に弟子入りした時には、まさにそういった感じでしたよ。二十年ほど前でしょうか」
「へー、二十年前! ……そういえば、師匠とフレイさんって今何歳なんですか? いや、今更ですけど」
師匠とフレイさんは顔を見合わせて、
「私は今年で四十二となります」
「俺は三十、八……いや、九か?」
「八です」
「三十八らしいぞ」
真面目な顔で言い切ったフレイさんに、遠慮なく呆れた瞳を向けながら、
「師匠の方がフレイさんよりも年上なんですね。二十年前となると、師匠が二十二で、フレイさんが十八……」
大体、今の俺と同じくらいの年か。
「それで、十八の時には尖ってたフレイさんが、サラが生まれてから丸くなったんですね」
「サラ聖官が生まれてからというより、カティア氏と出会ってからですかね。少しずつ柔らかくなったのは。……サラ聖官が生まれてからと比べると、少しだけですが」
……カティア?
「……あの、そのカティアさんって……フレイさんの奥さんですか?」
師匠は意外そうな顔をして、
「おや、知らなかったのですか? 知っているものかと思っていましたが」
「いや、初めて聞きました。……全然フレイさんも話さないし、てっきり話題にしちゃいけないのかと」
師匠と二人して目を向けると、フレイさんは難しい顔をして、
「いや、別に隠してるわけじゃねぇんだが……サラには聞かせないようにしてたからな。――カティアは、サラを生んだ時に死んじまったんだ。何と言うか、色々と難しいだろ?」
「……すみません」
気まずい話題が出てきたので俺が小声で呟くと、フレイさんは迷惑そうに手のひらをシッシッっと動かした。
「辛気臭ぇ顔すんじゃねぇよ。カティアが死んだ時はそりゃぁ多少はこたえたが、今では全く気にしてねぇ。どうしようもなかったことだしな」
「そ、そうですか……」
ともかく何か言わないと、と思って俺は必死に話題を探して、
「……なら、えっと、カティアさんってどんな人だったんですか? フレイさんとの馴れ初めとか?」
「……」
フレイさんは何だかよく分からない顔をしてから、手に持っていたコップを長机の上に置いた。
「……さて、寝るのも飽きたし、ちょっくら散歩でもしてくるか。こんな狭い場所にいたら気が滅入る」
言い訳がましく呟きながら、螺旋階段へと向かう。
一歩階段を上がる度に、フレイさんの足元からギギィと微かな軋み音が鳴る。
俺と師匠はそんなフレイさんを見上げていたのだが、
「私も『能力』訓練に煮詰まっていた所ですし、先生とカティア氏の馴れ初めを話してあげましょうか? 私もちょうどその場に立ち会っていたので」
師匠が真面目な顔で俺に言ってきたのと同時に、フレイさんが螺旋階段から飛び降りた。
勢いそのまま、慌てた様子でこっちへと近付いてくる。
「ま、待て待て! クルーエル、お前、何しようとしてんだ!」
「いえ、単に暇でしたから。会話を愉しむことは人間の基本的な活動でしょう?」
「わけの分かんねぇ屁理屈かますんじゃねぇ! いいか、小僧に話すなよ? 話したらただじゃおかねぇからな!」
フレイさんは面の皮が(物理的に)厚いので分かりにくいが、ふと見ると、それがわずかに赤く染まっているのに気付いた。……もしかして、恥ずかしいのか?
デカイ図体に似合わず初心なフレイさんの様子に、俺はちょっとだけ悪戯心が湧いて、
「師匠。師匠がフレイさんとカティアさんの馴れ初めに立ち会ってたってことは、もしかして任務の最中だったんですか?」
「ええ、そうですよ」
「――おい、小僧っ!」
バッと振り返ったフレイさんは俺の口を押さえようとしたけれど、その途中で体の動きをピタリと止めた。口をへの字に曲げて、持ち上げた両手をモゾモゾとさせている。
よく分からないけど好都合。
「――じゃあ、それって中央教会の任務報告にあったりしますか?」
「ええ。十九年前の……九月頃だったと思います」
俺の「へぇ、読んでみます」という返事は、フレイさんの怒鳴り声に遮られた。
――
結局、フレイさんは散歩に行くことなく二階に留まった。どうやら、師匠がカティアさんとフレイさんの馴れ初めを話してしまわないか不安らしい。……そこまで嫌がられると逆に気になる。あとでフレイさんがいない時に聞こう。
二階は三階と違って窓もないので外の景色は見えないし、他にやることなく暇なのか、フレイさんはかれこれ半刻くらいずっと腕立て伏せを続けている。ちなみに上半身の服は脱いでいて、バッキバキの筋肉が腕立て伏せの動きに合わせて躍動している。……超暑苦しい。
で、長机の俺の対角線上では、師匠が『能力』の訓練を行っている。
球状の小さな炎を五つ同時に出して、それを同数の蝋燭の先端目掛けて一斉に発射。綺麗に着火したら成功らしい。
他にも、お手玉みたい火球を動かしたり色々やっている。
……ちなみに、師匠の訓練は暑苦しくはないけど、物理的に熱い。
とうとう耐え切れなくなって、俺は椅子から立ち上がった。
「……あの、ちょっと旅の塔の外を散歩してきます」
師匠は蝋燭から目を逸らすことなく「はい」と答えたのだが、
「おっ! なら、俺も一緒に行くぞ」
嬉しそうな声を上げたフレイさんがピョンと跳ねた。
「……別に、もう失踪したりしませんよ?」
「あ? いや、別にそんなことは気にしてねぇぞ。ガキじゃあるめぇし。単に、この建物の中にいるのに飽きただけだ」
……本当は個人行動の方が好きなんだけど、そう言われては拒否しづらい。
師匠に「夕飯頃には帰って来るように」とお母さんみたいなことを言われつつ、俺とフレイさんは夕刻の砂漠へと繰り出した。
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