23話 『十八歳 ~自分探しの夏~ 二』
「……おや、アル聖官も夜更かしですか」
三階に登ると、薄暗い部屋のソファに、師匠だけが座っていた。
手に持っていた本に栞を挟んで、膝の上に乗せる。
「サラから解放されるのなんて、今くらいしかないですから」
「大変そうでしたね」
寝付くまで、サラはずっと俺の傍に引っ付いて離れなかった。師匠から借りた本を読んでたら後ろから覗き込んでくるし、ちょっと外に散歩に出たら当然の如く付いて来る。
こういう時こそフレイさんに止めて欲しいのに、なぜか微妙な顔をするだけで何も言って来ないし……。
「前、いいですか?」
「どうぞ」
師匠の静かな声を聞いて、俺は対面のソファに腰かけた。
師匠と紅茶はセットみたいな物だが、机の上には何も乗っていない。前――師匠の元で修行していた時に聞いたのだが、夜は眠れなくなるから飲まないらしい。そして、眠れない時には詰まらない本を読むんだとか。
「……あの」
俺は、少しだけ言おうか迷ってから……結局、口を開いた。
「ちょっとだけ、退屈な話をしてもいいでしょうか?」
「……それは、中々興味深いですね。せっかく、もう少しで眠れそうだったのですが――もちろん、聞きますよ」
俺は、師匠の回りくどい言い方が結構好きだ。
なんだかちょっとだけ唇の端が緩んでしまって、見ると、師匠も小さく笑っている。
「実は……何と言うか、やる気が出ないんです。今回の任務に」
師匠は何も言わずに、ただ俺の顔を見ている。
「もちろん、やらないといけないことだから、やりますけど……本気になれないような。どこか自分のことと感じられなくて……それで、あの。師匠に一つ、聞きたくて」
「なんですか?」
「師匠って、この任務、もう三か月目ですよね? それで……一体、どんな気持ちで任務を続けているのかな、なんて」
……我ながら、要領を得ない質問だと思う。
案の定、師匠は困惑した顔をしながら、
「どんな気持ち、と言われても。特段何かを感じているわけではありませんよ。ほとんどは、この建物に引きこもってるだけですからね。強いて言うなら、任務に対する義務感でしょうか」
「義務感……」
……そりゃ、そうだよな。
師匠の年を正確に聞いた事はないけど、いわゆる中年に入るか入らないかという所だと思う。もう子どもじゃない。やる気が出なかろうと、自分の仕事をちゃんとこなすのが大人ってものだ。
俺だって……前世も合わせたら同じくらいの年なのにな。
「……すみません。変なことを聞いて」
言って、俺は二階に戻ろうと、ソファから立ち上がった。
「――おや、アル聖官。それはあまりに薄情ではないですか?」
言葉の意図を掴みかねて、師匠へと視線を向ける。
「退屈な話をしてくれるんでしょう? 私はまだまだ眠れそうにないのに、自分だけ先に床に就くつもりですか」
「え? あ……すみません」
ソファに座り直した時、師匠がマジマジと俺のことを見つめてきていることに気が付いた。
少し居心地悪く感じていると、
「……ところで、一つ聞きたいのですが」
「はい?」
「アル聖官は今回の任務にやる気が出ない、と言いましたよね?」
「ええ……まあ、そうです」
「そうですか……」
師匠は微かに首を傾げる仕草をしながら、
「……では逆に聞きますが……アル聖官は、これまでの全ての任務において、やる気に満ち溢れていたのですか?」
……思ってもみないことを聞かれて、俺は即座に答えることができなかった。
師匠が、俺の代わりに続ける。
「短い期間でしたが、アル聖官とはそれなりの数の任務をこなしました。中には似たような、詰まらない任務も沢山あったように思います……けれど、その時のアル聖官は、そのようなことを言っていませんでしたよね?」
「……言われてみれば、確かに」
確かに、そうだ。
特に何のドラマもない、面白くもなんともない任務なんて沢山あった。……でもその時は、俺はやる気がどうだとか、そんなことを悩んだりしてなかった。
単に、任務だから。特に考えることもなく、普通に任務をこなしていたはずだ。
……とはいえ、やっぱり何となく、今回の任務は気分が乗らない気がする。
「…………師匠って、今の私みたいな気持ちになったことないですか? この、何となくやる気が出ないというか、憂鬱な気持ち」
「……どうでしょうか。個々の任務に関しては、パッとは思い付きませんね。大抵は数日で終わりますし。今回の任務は久しぶりに長期間ですが……たまの休暇みたいな物だと思えば、特に何とも――むしろ、聖官そのものを辞めたいと思った事はありますけれど」
「へー、師匠もそんなことを思ったりするんですね」
師匠は苦笑しながら頷いた。
「まあ、思ったところで聖官を辞めることはできませんけれどね。莫大な退官金を払うほど辞めたいわけではないですし、監視されるのも私は好きません。隠居できるまで、せこせこと働くだけです」
――退官金というのは、聖官や神官を辞める際に、教会に納めなければならないお金のことだ。確か、一万聖金貨だったか? ちなみに、俺は華に行く時に聖金貨一枚たりとも払ってない。まあ……聖金貨一万枚なんて国家予算、はなから用意できないが。
……ん? というか、今の言い方だと、師匠は持ってるんだろうか?
「――」
微かな、口に含んだような笑い声が聞こえて――そして、その出元が師匠だということに気付いて、俺は目をパチパチと瞬かせた。
「……どうかしましたか?」
「いえ、何と言いますか……変わっていないな、と思いまして」
俺が首を傾げると、師匠は上機嫌に、
「いえ、実のところ。アル聖官が熱い人間に変わってしまったのではないかと、危惧していたのですよ」
「私が?」
「ええ。――アル聖官が華に逃走したと聞いて……もちろん最初は驚きましたけれど、落ち着くにつれて、私は残念に思いました。アル聖官はもっと賢い、一時の感情に流されることのない冷めた人だと思っていたので」
「……私、そんな冷めた人に見えてましたか?」
「そうですね。初めて会った時はアレでしたが、基本的には冷静だと思いますよ」
どうやら、「冷めた人間」は師匠的に褒め言葉らしい。
「――そんなアル聖官が、自身の命を危険に晒した……おそらくは、何かしらの理由のために。何のためなのかは私は知りませんでしたし、私から聞くつもりもありません。ともかくも、アル聖官は何かの感情に流されてそのような短慮を起こしたのだと当時の私は理解しました。つまりは、アル聖官がただの熱い人間に変貌してしまったのだと。ですが……今話してみて安心しました。アル聖官は、変わらず冷めた人間です」
「……それは、はい。ありがとうございます」
褒め言葉だとは分かっていても、やっぱりどうにも素直に喜べない。
本を机の上に置いて、師匠はソファから立ち上がった。
「――アル聖官が変わっていないのなら、何となくやる気が出ない、なんて気持ちを制御できないはずがありません。思うに、アル聖官なりに合理的な理由があるのでしょう。……夜、一人でいると、ジックリ考えられるのでお勧めですよ。――それでは、私はお先に」
○○○
「――ル! アル!」
体がガタガタと揺れている。
あまりいいとは言えない目覚めにウンザリとしつつ瞼を開けると、笑顔のサラが俺の両肩を掴んで揺すっていた。
「あっ、アル、起きた! あさ!」
左を向くと、窓の外には薄明るい空が見える。
……どうやら、昨日は考え込んでいる間に、そのままソファで寝てしまったらしい。
結局、何の成果もなかったけどな……。
「――なあ、サラ」
「なに?」
「サラって、何で聖官なんてやってるんだ?」
キョトン、としたサラの表情を見ると……質問する相手を間違えた気がしないでもない。まあ、でも。減るもんでもないし。
「確か、サラは海とか山とか、街とか? 色んな物を見たいって、最初に会った時に言ってたよな?」
「そうね!」
「でも、ここ数年でたくさん任務をこなしただろうし、そろそろ見飽きたんじゃないか?」
「ん……」
口を閉じたサラは、ジーッと俺の顔を見つめながら、
「そんなこと、ないわよ」
「そうか?」
「そう。まだまだやりたいこと、いっぱいあるから。ワタシは――」
「――おら、朝飯だってよ」
螺旋階段を上がってきたフレイさんの声が、サラの言葉を遮った。
ちなみに、今の俺とサラの姿勢を第三者的に見ると、サラが俺に被さっているように見えるだろう。
案の定、フレイさんの眉はピクリと跳ねたが、
「……さっさと降りて、準備を手伝え」
それだけ言って、フレイさんはさっさと階段を降りていった。
なんか、不気味だ。前までは、即座に手が出てたのに……。
「なあ、サラ。俺がいない間に、フレイさんに何かあったのか?」
「パパに?」
「そう。フレイさんに」
サラは首を傾げながら「うーん」と唸ってから、
「分かんない!」
何が楽しいのか、ニコッと笑顔で言った。
それから、俺の両肩から手を離して、
「それより、ごはんだって! ワタシ、おなか空いた!」
「そうだな。あんまり遅いとどやされそうだし」
ソファから立ち上がると、肩がぶつかりそうなほどすぐ隣にサラが並んだ。
「……歩きづらい」
「抱っこして欲しいの?」
「いや、そういう意味じゃなくてっ」
真顔のサラが俺の背中に手を回してきたので、慌てて距離を取る。
「――そっ、そういえば!」
なおも近寄って来るサラを牽制するために、俺は反射的に口を開いていた。
「さっき何か言いかけてたみたいだけど、何を言おうとしてたんだ?」
ピタリ、とサラの足が止まる。
……なんだ? 唇をうねうねと動かしてるけど……。
不審に思っていると、サラはプイッと顔を逸らした。
「んーん。なんでもない」
――
……だいぶ、扱いに慣れてきたな。
俺は音を立てないように静かに本を閉じた。
これは師匠に借りた本で、題名は『セヌレ朝アメルナにおける専制君主制の興隆』。時代を見るに、どうやら、現在の朝国の前に存在した国……王朝の話らしい。ちなみに、現在の朝国の正式名称がライード朝アメルナだということは、ナジャーハ様から聞いた。
師匠が太鼓判を押してくれただけあって文句なしに退屈な本だった。
聖官拘束のおかげで古文は勝手に翻訳されるけれど、それでも冗長な言い回しと興味のない内容は眠気を誘い、危うく俺まで眠りそうになってしまった。
……すぐ隣からは、クークーという寝息が聞こえる。
俺と一緒に本を読んでいたサラは、数分前に撃沈した。
本当に眠っているか、しばらく様子を見ていたけれど……この様子だと、しばらくは起きそうにないな。
幸せそうな寝顔だ……。
「――あんまり、人の娘の寝顔を見てんじゃねぇよ」
低い声に、俺は思わず体を跳ねさせた。
慌てて声の出元に目を向けると、フレイさんがジト目で俺の事を見ている。
「あっ……起きてたんですか」
「さっきな」
フレイさんはボキッ、ボキッ、と首を回してから、ソファから立ち上がった。
ギギギ、とソファの軋む音が聞こえる。
すわパンチが飛んでくるかと身構えていると、フレイさんはこちらを向くことなく、そのまま二階に繋がる螺旋階段へと消えていった。
……やっぱり、おかしい。
いや、別に殴って欲しいわけじゃないけど……こうまで態度を変えられると、何と言うか……モヤッとする。何か、フレイさんに嫌われるようなことをしてしまったんだろうか?
チラリと隣を見ると、サラは柔らかく笑っている。
……何となく手を伸ばして、紅い髪の毛を撫でてみると、思った以上に滑らかな手触りだった。
思えば、初めて会った時はもっと髪の毛短かったよな。男と見間違えるくらいに。
あの頃のサラと今のサラの中身がそう変わったとは思えないけど、多少は女の子っぽくなったのだろうか? こうやって、自発的に髪の毛を伸ばすくらいだし……。
――バッ、と。
後ろを振り返ってみたけれど、やっぱりフレイさんの姿はどこにもない。
前までだったら、すぐ後ろにフレイさんが立ってるパターンだったんだけど……。
「……はぁー」
こうやって、ウダウダ悩んでても意味ないよな。
膝の上に乗せていた本を慎重に机の上に置いてから、俺はソファから立ち上がった。
○○○




