22話 『十八歳 ~自分探しの夏~ 一』
――目が覚めた。
目の前に見えるのは星空。
ほんの数呼吸の間だけ状況が上手くつかめずに、ボーっとその光景を見ていたが、すぐに思い出した。
周りから、他の三人の寝息が聞こえる。
砂の上から上半身を持ち上げると、カマクラの中の光景が見えた。
俺が寝ていたのは、カマクラの端っこ。出入口の近く。真ん中に風音聖官が眠っていて、その向こう側にサラ、フレイさんの順番だ。
サラは俺の隣で寝ようとしていたのだが、俺とフレイさんの強い反対によって今みたいな並び順になった。
三人から視線を逸らして、出入口からカマクラの外へと目を向ける。
外は完全に真っ暗。……太陽の位置と違って月の位置は季節によってコロコロ変わる。なもんで、正確な時間を把握するのは難しいけど、少なくとも夜明けはまだ遠いようだ。
「……」
三人が起きないように気を付けながら、馬立ちになる。そのまま砂の上をそろそろと這って、カマクラの外に出てから立ち上がった。
膝に付いた砂を手のひらで簡単に払う。
砂漠の夜は、昼間の灼熱が嘘みたいに冷える。
……ナジャーハ様は、無事にメフィス・デバイに帰れただろうか?
帰れたなら、あのだだっ広い豪邸で眠ってるだろうけど、もしも野宿だなんてことになってたら……騾馬の体温を感じながら眠ってるんだろうか?
こんな寒さ、魔素を使えたらなんてことないんだけど、ナジャーハ様は魔素を使えないから風邪を引いてもおかしくない。しかも、あんなほぼほぼ裸みたいな恰好だしな。……ちょっとだけ心配だ。
ちなみに、今の俺の服装は旅の塔を出発した時の旅装姿に戻っている。朝国兵の服装にも大分慣れてきてたとはいえ、やっぱりシッカリと肌を覆われてる方が落ち着く。
「アル」
突然声が聞こえて、俺は思わず肩をピクリと震わせた。
振り返ると、
「……風音聖官。すみません、起こしちゃいましたか?」
「気にしなくて、いいね。むしろ、好都合」
「――? 好都合?」
風音聖官はコクリと頷いた。
「少し、アルと二人だけで話したいこと、あったね」
「私と?」
「そう。今から、大丈夫か?」
「え、まあ……はい。大丈夫ですけど」
……俺と二人だけで話したいことって、なんだろうか?
視線の動きが無い分、風音聖官の表情は読みにくい。今も、無表情の風音聖官が何を考えてるのか分からない。
風音聖官は、スッと、左を指差した。
「場所を移動するから、付いて来る、ね」
――
移動する、なんて言うからどこまで行くかと思ってたら、風音聖官が足を止めたのはカマクラから数百メルしか離れてない地点だった。シッカリと、ここからもカマクラのことが見える。
「あの……それで、話したいことっていうのは?」
俺が水を向けると、風音聖官はジッと俺のことを『見』ながら、
「アルは、私たちの味方、なのか? それとも、敵、か?」
「へ?」
間の抜けた声が、俺の喉から出た。
「フレイとサラは、アルのことを凄く信頼してる、ね。だから、全然疑てない。でも、私はアルとこの間、会たばかり――私には、アルの動き、少し変に見えたね」
「……どういうことですか? もちろん、私は風音聖官の味方のつもりですけど」
「なら、どうしてすぐに脱出しなかた、ね?」
風音聖官の言葉に、俺は喉が詰まるような感じがした。正面からは、明確な敵意が俺に向けて発せられている。
「私、アルとナジャーハのこと、全部『見てた』ね。だから、アルが逃げようと思えばいつでも逃げれたこと、知てるよ。でも、アルは私たちが来るまで、何もしなかた――違うか?」
「それは……」
――なんで、俺はすぐに脱出しなかったんだろう?
逃げるチャンスはあった。
それも、一度だけじゃなくて何度も。メフィス・デバイに向かうまでの間には、それこそ無数のチャンスがあって……実際、俺は迷っていた。
逃げるべきか、何度も悩んで……結局、俺はその全てで逃げないことを選んだ……。
「それは…………怖かったからです」
「……怖い?」
風音聖官の不審そうな顔に緊張しながら、俺は思い付いたままに続けた。
「ナジャーハ様が、将軍だなんてことは知らなかったですけど、それでもかなりの手練れだと分かりましたから。無理に逃げようとしたら、どうなるか分からなかったので……」
風が吹くと、砂の流れる音がする。
それはさながら潮騒のよう。
「――そう、か」
風音聖官が、漏らすように言った。
歩み寄って来て、俺の胸の中央に指先を突き立てる。
「私は、サラ……とついでに、フレイの友だち、ね。だから、アルがもしも二人を危険に晒すなら、躊躇なく殺す。それだけは、覚悟しとくね」
「…………はい」
俺の応えを聞いて、風音聖官は指先を下げた。
途端、ついさっきまでの圧迫感が幾らか和らぐ……けど。
既に俺から『視線』を逸らしてカマクラの方を見ている風音聖官のことを、盗み見る。
……風音聖官とは、今回の任務で初対面だけど……始めて会った時は、殺害宣言されるとは思ってもみなかったな。俺が……裏切り者か。
まあ、あながち間違ってもいないのかもしれない。
風音聖官の言うように、実際、俺は逃げなかったわけだし。
そもそも、俺は仮の聖官に過ぎない。この任務が終わったら華に帰るんだし、もしも華と教会が敵対したら……多分、華の方に肩入れすることになるんだろう。
――もしかしたら、そういうことなのか?
俺が、あの荷車から逃げ出さなかった理由。
どうせ、この任務が終わったら華に戻るんだから……やる気がない。
深いことを考えていたわけじゃない。理性的に考えたら、さっさと逃げ出して任務に取り組むことが、最適解だ。だけど……分かってはいても、実際にそれを実行するかは別の事。
実際に行動に移そうと思えるほど、今の俺は……やる気がないんだろう。
「私は戻って眠る、ね。アルは、どうするか?」
「あ、私は……目が冴えてしまって。もうしばらく、起きてます」
「そう」
欠伸をした風音聖官は、目尻に涙を溜めている。
片手をヒラヒラと振りながら、そのままカマクラへと向けて――
――二歩ほど歩いた所で足を止めた。
その場に留まったまま、顔だけ俺の方を向く。
「そうそう……一つだけ。ナジャーハと二人きりの時のアル、凄く楽しそうだた、ね。あれで怖がてたなんて、役者の才能、ある思うよ」
ニヒッと笑って自分の言いたいことだけ言うと、風音聖官は一直線にカマクラの方へと歩いていった。
○○○
「風音聖官…………色々あったようですが、お疲れ様でした」
螺旋階段を上った俺を出迎えたのは、ホウキと塵取りを持った師匠だった。
師匠の肩の向こう側に目を向けると、一足先に建物の中に入ったフレイさんとサラが、ソファに座ってくつろいでいる。
「それで――」
困惑した師匠は、俺の方を向きながら、
「これが件の……アル聖官で合っていますか?」
「はい、師匠。私です」
師匠は視線を上下に動かして、俺のことを観察してくる。
ちなみに、師匠の視線に嫌らしい所は全く無い。ただただ困惑している感じだ。
そもそも、師匠の弟子として一年ほど一緒に過ごした経験からすると、どうやら師匠は女性に対して興味というものを持ち合わせていないっぽいからな。師匠が興味があるのは、基本食べ物だけだ。
曰く、世界中の食べ物を食べられるから、聖官をやっているらしい。
「ともかく、二人とも椅子に座っておいてください。私もすぐに戻ってきますので」
そう言って、師匠は俺たちの脇を通って階段下へと降りていった。
入れ替わりで、俺と風音聖官は部屋の中に入って、フレイさんたちの座っている場所へと向かう。
フレイさんとサラは、二人揃って両足をダラーと伸ばしてソファに座っている。意識してか無意識か、ほとんど同じ格好をしてるのは、親子の為せる業なんだろうか。
俺がソファに座ると、
「いやぁー、やっぱ、ちゃんとした建物っていいな。この椅子だって、岩と違って柔らかいし、今晩はちゃんとした寝台で眠れるしなー」
ややトロンとした目付きのサラも、フレイさんの言葉に無言で頷いて同意を示している。
……まあ、気持ちは分からなくもない。
聖官の体力的に数日野宿したとて全く問題ないのだが、精神的な物はやっぱりある。
人間が形作った空間というものは、それだけで身体を癒してくれる。
とはいえ、俺と風音聖官はそれなりにお上品にソファに座っていると、師匠がカチャカチャと鳴らしながら食器を載せたお盆を持ってきた。
手早く人数分の紅茶を淹れた師匠は、
「それで、先生たちはどれくらいの間ここにいるつもりなんですか?」
「ん? んん……最低でも二、三日は休むぞ。どうせ、あんまり急いでも関係ないだろうしな」
ダラっとしていたフレイさんは、少しだけ姿勢を正した。
「にしても、だいぶキツイよなぁー、俺らがずっとやって来たことが、ほとんど朝国に効いてないなんてな」
「確か、メフィス・デバイに困窮した様子が全くなかったと風音聖官からは聞いているのですが」
言いながら、師匠が俺の方を向いたので、
「はい。でも、普段の様子を知らないので確実かは分からないですけど、夜に街に飲み食いに出る程度には余裕があるみたいです」
「それは……少なくとも、今すぐ物資がどうこうという状態ではないんでしょうね。――と、なると。このまま向こう側が諦めるまで長期間『旅の塔』の防衛を続けることを覚悟する、あるいは……」
チラリと向けられた視線に、フレイさんは苦笑いを返す。
「俺らが上手く叩きのめすことができたら、あと何日もしない内にこんな何もねぇ場所からはおさらばだな」
机の上のコップを取ったフレイさんは、全く味わう素振りも見せずに中身を一気に飲み干した。
勢いよくコップを机の上に置いてから、再びダラリとした姿勢でソファにもたれかかった。大口を開けて、欠伸を一つかます。
「……だがまぁ、そう急ぐ必要もねぇ。何日かはここでサボっても、聖女さんも文句は言わねぇだろ」
――
「――ちょっと待て」
俺が言うと、サラは、チワワよろしくキラキラした瞳を俺に向けてきた。
「どうしたの?」
「いや、どうしたの? じゃなくて……一体どこまで付いて来るつもりだ?」
ちなみに、ここは『旅の塔』一階である。
一階は薄暗く、玄関口と……トイレくらいしかない。
俺は今尿意を感じていて、それに従ってここに来ている。そして、サラがなぜか無言で付いてきた。
「どこまでって、アルのそばまでよ?」
「……俺は厠に行こうとしてるんだけど」
「うん」
……玄関の分厚い扉の向こうから、砂と風の音が聞こえる。
サラの深紅の瞳はどこまでも透き通っていて……残念なことに、俺はサラが何を考えているのかサッパリ分からない。
俺はトイレに行こうとしていて、そこにサラが付いてきて……?
「あの、サラさん? 俺は用を足したいんだけど、ちょっと恥ずかしいから二階に上がっててもらえないかな?」
「ん? いやよ」
「……えっと、どうして?」
サラは腕を組むと、ちょっと怒った顔になった。
「だって、そばで見てないと、すぐに居なくなっちゃうじゃない!!」
「いやいやいや、大丈夫だから! 勝手にいなくなったりしないから! だから、二階に――」
「――ダメっ! アル、まえにもそう言った! 言ったのに居なくなった! だからもうダメ。アルのそばにずーっといるの!」
……言われてみれば、確かに昔、そんな約束をした気もする。
そりゃ、破った俺が悪いんだろうけどさ。
「いや、でもな。サラの気持ちも分かるけれども、用を足してるとこを見られるのは恥ずかしいというか……」
「だいじょうぶ。いまのアル、おんなの子。ワタシもおんなの子だから、恥ずかしくないでしょ?」
――
トイレから出ると、階段の傍に風音聖官が立っていた。
「……すみません。毎度付き合わせてしまって」
「ん」
言って、風音聖官はさっさと螺旋階段を登って行った。
……やっぱり、風音聖官の態度が、昨日の夜からギスギスしてる気がする。
いや、俺の気のせいかもしれないけど。もともと口数の多い人じゃないし。風音聖官じゃなくて、俺の方に少し苦手意識みたいな物が生まれてるのかもしれない。
フレイさんが言うには、二、三日は『旅の塔』にいる予定らしい。……移動中はやっぱりどこか仕事中という意識があったから気にならなかったけど。気が緩んでしまうと、ギスギスした空気がストレスになりそうだ。
そんなことを考えながら、風音聖官に少し遅れて螺旋階段を登ると――
椅子に座っていたサラが、立ちあがってトテトテと俺のすぐ近くまで走ってきた。
特に何を言うでもなく、俺の横十センくらいに立ち止まる。
フワリ、と。ほのかに柑橘の香りがした。
サラ曰く、俺が勝手にいなくならないように監視しているつもりらしい。
……二日か三日か分からないけど……俺にとっては休暇にはならなそうだ。
○○○




