19話 『アル・エンリ救出作戦』
サラの顔を無言で見返していると、閉じた唇をクネクネさせてから、サラは俺から視線を逸らした。
その様子にふと我に返って、俺は周りに目を向けた。
世界が全部横になってる……というか、俺が横になっている。
サラにお姫様抱っこされているらしい。
「サラ、取りあえず下ろしてくれ」
「ん? はい」
サラの腕から解放されて砂の上に自分の足で立つと……自分の視線と同じ高さにサラの顔があった。普段は旋毛を見下ろす感じだから、違和感が……。
……まあいい――ナジャーハ様は?
俺とサラから百メルほど離れた場所では、砂嵐が轟音を立てている。
砂嵐の中は砂の陰になっていて、よく見えない。
「どうかしたの?」
俺のすぐ隣に並んだサラが、聞いてきた。
そういえば、ごく自然に反応してたけど、そもそも何でサラがこんな場所にいるんだろう?
サラの姿なんて、目の前に現れるまでは全然見えなかったのに。
頭が上手く回らない。
短期間に情報が多すぎて――
――砂嵐が、俺の眼前で真っ二つに裂けた。
あれだけ荒れ狂っていた砂嵐が、まるで夢幻だったかのように解けて消えていく……。
……考えるのを放棄して、たださっきまで砂嵐があった場所を見つめていると、そこにポツリとした影が残っていることに気付いた。
あれは……。
右手に煌めく細身の刀。
ホッと、安堵が心の中に生まれる。
見た所、特に怪我をしている様子はない。多少、髪の毛が乱れてたり、マントが砂で汚れてるが……それだけだ。ナジャーハ様の傍には騾馬も無傷で立っている。多少興奮しているようだが、これは単に砂嵐に驚いただけっぽい。
ナジャーハ様、あれで『能力』なしって何なんだろうな。
曰く、柔らそうな場所を狙って刀を差し込めば、大抵の物は斬れるらしいが……砂嵐の柔らかそうな場所? を狙ったんだろうか。
『能力』がないってことは一般人と同じってことで……ナジャーハ様にできることは前世の剣豪ができてもおかしくないはずなんだけど……そんなの無理じゃ?
……まあ、いい。
ともかく、ほんとに心配損だ。
「ねっ、あのヒト、アルの知ってるヒト?」
「ん?」
隣を見ると、サラは瞳をキラキラさせながらナジャーハ様のことを見つめていた。
「……ああ、まあ……知ってる人だな」
「ねっ、イッキュウチっていうのあのヒトとやってみたいんだけど、どうしたらいいの?」
「――サラ。それ、ダメて言ったね」
思ってもみない声に振り返ると、ジト目の風音聖官が立っていた。
「うー、だって!」
「だっても何もねぇよ。用事はもう済んだ。さっさと行くぞ」
風音聖官の隣では、フレイさんが……機嫌が悪そうに腕を組んでいる。これまでにもあまり見た事のない、ピリピリとした空気を発している。
フレイさんはそんな空気を発したままに、俺の方に視線を向けて――
「……あー、おい。お前……小僧で合ってるん、だよな?」
途端に、キリリとした表情が困惑に覆われた。
「あ、はい。そうです」
「……色々と言いたいことがあるが、それはあとでいい。今はとにかく――走れるか?」
「――? まあ、走れますけど」
「なら、行くぞ」
短く言い切って、フレイさんは俺に背中を向けた。
「サラ、ダメね」
名残惜しそうにナジャーハ様へ目を向けるサラへ、風音聖官が声をかけた。
「むー、もうっ!」
頬っぺたを膨らませながら、なぜかサラが俺の手を握った。
「アル、もうかってにいなくなっちゃダメだからね!」
「……」
サラのちょっと潤んだ瞳を見てから、俺は顔半分だけ振り返った。
ナジャーハ様はさっきいた場所から動くことなく、刀を片手に……俺のことを見ている。
俺はサラの手を握り返して、フレイさんの背中を追いかけた。
○○○
「つまり、その中央教会で会った女のせいで、小僧はそんな姿になってるってことか?」
「はい。確証はないですけど……たぶん」
俺とフレイさんの声が、小さな空間に反響する。
フレイさんたちと合流してから、俺たち四人はただひたすらに二刻ほど走った。
なぜかフレイさんがピリピリとしていて、サラでさえその空気を感じ取ったのか、誰もがほとんど一言も言葉を発しなかった。
ようやく足を止めた時にはすっかり日は沈んでいて、時刻は夜。そこは、特に何もない砂漠のど真ん中だった。
こんな場所に止まってどうするのかと思ってたら、おもむろにフレイさんは緑の右手を持ち上げて――次の瞬間には、そこに直径三メルほどの氷製カマクラが出現していた。
ここらもかなり魔素が薄いはずなのに、フレイさんが作ったカマクラは、どっしりとした安定感を持っている。師匠なんて、小さな火球でさえ形を保つのに苦労してたのに……。
俺以外の三人が戸惑った様子もなくカマクラの中に入って行くのに遅れて、俺は最後に中に入った。
氷の透明度は高いので、夜空が綺麗に見える。それに、普通の部屋くらいの大きさがあるので窮屈な感じはしない。フレイさんと風音聖官が砂の上に座ったので、俺はフレイさんのちょうど対面に腰を下ろした。俺が座った直後に、サラが俺の隣にピタリと座った。
――で。
まず話題に上がったのは、俺の姿がなぜか女になってる問題だった。
俺は現状自分が理解してることを説明したのだが、
俺の答えに、フレイさんはしかめ面をしながら頭をボリボリとかいた。
「なぁ、風音。そんな『能力』持ちの聖官なんていたっけなぁ?」
「私は知らな――」
「――ワタシ、知ってるわよ!」
風音聖官を遮って、サラが元気に手をあげた。
他の三人の視線が、俺のすぐ隣にピタリと沿うように座っているサラに向く。
「ワタシとイプシロンね、華に行くまえに、かお変えてもらったの! ローに!」
言われてみれば、そういえばサラとイプシロンと華で会った時、姿が変わってたな。特に、イプシロンなんて男になってたし、今の俺とちょうど逆だ。
どうやら、ロー……とかいう聖官が、姿を変える『能力』を持ってるらしい。
少しだけ頭の中を探ってみたけれど、ローという名前に聞き覚えはない。
「ロー、てーっと……器用だとは思ってはいたが、あいつそんなこともできるのか」
「専用武器、私持ってないからローのこと、あまり知らないね。でも、アルが言てるのは髪の毛、金色。ロー、違くない、か?」
「確かにそうだな。じゃ、小僧が言ってるやつはローじゃなさそうだが……まぁ、ローじゃない聖官だとしても、ローなら小僧の姿を治せそうだな」
フレイさんは俺に顔を向けて、上下に目を動かした。
「――で、どうだ? 小僧はその姿のまま任務続けられそうか?」
「あ、はい。この身体にも大分慣れてきましたし」
「……確か、小僧は剣を使うんだったよな。間合いとか大丈夫か? 腕の長さとか、普段使いには問題なくても、戦闘時にはキツかったりしねぇか?」
応えようと口を開きかけた時、俺の右手をサラが両手で持ちあげた。
何を言うでもなく、ただただ無言で手のひらをむにゅむにゅしてくる。
「えと……どうした?」
「アルの手よわそう。やわらか、プニプニ」
――為されるがままだった俺は、ハッと気付いて顔を上げた。サラとの身体的接触は、フレイさんに……あれ?
てっきり憤怒の表情をしてるかと思ってたら、フレイさんは俺とサラの様子を困惑した顔で見ていた。……拍子抜けしつつ、俺はサラの手をポンポン叩いた。手を離してもらってから、
「やっぱり身体が変わって多少違和感がありますけど、そこら辺は念入りに確かめましたから。万全とは言えませんけどね。普通にやる分には多分大丈夫です」
フレイさんはピクリと眉を動かした。
「そういえばお前、アイツに剣の指導とかやってもらってたらしいな」
「あいつ?」
「アイツだアイツ。小僧がさっきまで一緒にいたあの女」
「ああ、ナジャーハ様のことですか――」
そこまで言って、俺は気付いた。
「――あれ……私、そんなことフレイさんに言ってませんよね? もしかして、どこかから見てたんですか?」
「ん? ああ、はぐれて次の日くらいからはずっと、小僧のことは把握してたぞ。俺がじゃなくて風音がだがな」
言われて見ると、風音聖官はコクリと頷いて、
「アルとナジャーハ様? のことはずっと『見てた』ね。覚えてるのと違たから、すごく困た」
それから、風音聖官とフレイさんから、簡単な経緯を聞いた。
『トロイの木馬作戦』の日、日が暮れても一向に騒ぎが起こらないことに違和感を覚えたフレイさんたちは、風音聖官の『能力』を使って師匠に問い合わせたという。……というか、風音聖官は遠くの人を『見る』だけでなく、話しかけることもできるらしい。
空気操作、千里眼、加えて話しかけることもできるって……大概にしろって感じだ。一つでいいから分けて欲しい。
まあそれは置いといて、風音聖官からの連絡を受けた師匠は、そこから『通信』を使って中央教会に連絡……これも俺は知らなかったのだが、聖官の中で出世したら『通信』とやらを使えるようになって、それで中央教会と連絡を取れるらしい。
師匠から連絡を受けた中央教会は聖官拘束によって俺の位置情報を確かめて、俺がメフィス・デバイに向かっているということを把握。その情報は師匠から風音聖官へと送られて、何か手違いがあったことをフレイさんたちは認識したらしい。
この段階で、『トロイの木馬作戦』翌朝。風音聖官は中央教会から得た位置情報を元に俺を捕捉して、それからずっと俺のことを『見て』いたらしい。
それから、三人で俺とナジャーハ様のことを追いかけ始めて、メフィス・デバイの近くまで辿り着いたのはいいが……一足先に俺とナジャーハ様は街の中に入ってしまった。
師匠に話しかけたみたいに俺に話しかけたらよかったんじゃ? と思ったら、風音聖官いわく、特定位置には話しかけられないらしい。目安としては、だいたい半径五十メルくらいにはだだ聞こえだとか。
フレイさんたちが、どうしようか……もう突入しちゃおうか、とか思ってたところに、俺とナジャーハ様が二人だけでメフィス・デバイを出てきて、
――そこからは、俺が知ってる通りだ。
「にしても、そのナジャーハ様とやらがアイツだったって知った時は、驚いたな」
水筒を傾けたフレイさんは、どこか遠い目をしていた。
「驚いた?」
「そりゃそうだろう。小僧は知らなかったみたいだが、アイツ――将軍だぞ?」
「――しょーぐん!」
馬鹿でかい声が、カマクラの中に響いた。
「それ知ってる! パパが負けたヒトよね!」
「ん……いや、負けてないぞ。引き分けだ引き分け。いやむしろ、ほとんど俺が勝ってたと言っても過言じゃねぇ」
「でもパパ、うで切られた!」
俺は、フレイさんの緑色の右手に目を向けた。
確か……朝国の将軍と一騎打ちした時に、切り取られたって言ってたっけ――。
……ん、というか。
「え……。将軍、なんですか? ナジャーハ様が?」
「そうそう、アイツが例の将軍……のはずなんだけどな。アイツ、何であんな場所で小僧と一緒にいたんだ?」
不思議そうな顔のフレイさんに聞かれて、俺の方も首を傾げる。
「……なんででしょう。確か、『今の自分は無職だ』とか言ってたので、今はもう将軍じゃないんだと思いますが」
「あぁ? 無職? ってーと、朝国はアイツを使わずに遊ばせてるってことか?」
「そうなんですかね? 何か、色々あるみたいですけど、あんまり立ち入った所までは聞いてないのでなんとも……」
大臣がどう、とか?
大臣、将軍、という単語から、政治闘争的な物の匂いを感じる。そういったドロドロしたものに巻き込まれて、ナジャーハ様は失脚してしまった……のだろうか?
「――負けたから、ね」
嬉しそうな顔をしてるサラ、互いに首を傾げてる俺とフレイさん。一人冷静を保っていた風音聖官が、突然口を開いた。
「その将軍、フレイに負けた、ね。だから将軍、やめさせられた。――メフィス・デバイの人たち、そう言てるの、『見えた』よ」
俺とフレイさんは、変わらず困惑の表情のまま顔を合わせた。
フレイさんに負けた……と朝国の方では判定されたんだろうが、一回負けたらそれだけで職を追われるんだろうか?
……追われる、んだろうな。
俺だって、ナジャーハ様に負けたら奴隷にされたわけだし。……やっぱり、朝国の風習はよく分からない。
「――ま、アイツが将軍じゃなくなってるなら、こっちとしては好都合だ」
フレイさんはニカッと笑ってから腕を組んだ。
「朝国の本陣に別の将軍がもういるんだろうが、アイツより強ぇやつがそう何人もいるとは思えねぇ。何なら、補給隊を叩くなんて面倒なことをしなくても、直接本陣にカチコンでみてもいいかもな」
○○○




