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05話 『聖女様の憂鬱 三』



「それにしても、アルファさんって華語が上手ですよねー」

「そうでしょうか?」

「そうですよっ!」


 胸元に両拳を握りしめながら、チンは私の方に身を乗り出してきた。


「……そうですか」


 初対面の人間にこうも馴れ馴れしくされると、少しやりにくい。私はニヘラとした表情のチンから視線を逸らして、机の上に目を向けた。


「あっ、全然遠慮しなくていいですからね! お腹いっぱ食べて下さい!」


 椅子に座ったチンが、机の上の皿を私の方に向けて滑らせてくる。別にお腹は空いていないけれど、思わず……皿の上に積まれている緑・赤・黄の三色の玉を木串で刺した物――団子と言うらしい――を、一つ手に取った。

 その直後に、チンの手が素早く二本の団子を取って行った。


「いやー、どこからどう見ても西の方の人でしたから、ちょっとだけ声をかけるのを躊躇しちゃいましたよー。道府試験で勉強したはずなんですけど……私、教会語は苦手なので――聞きたいです?」


 両手に木串を握ったまま、チンが私に流し目を送ってきた。

 ……聞いてほしいのだろうか?


『私はアルファ・マオです。こんばんは』

「おっ……アルファさんノリノリですね」『私の名まぇは、チン・コウセンです! こんばんは!』

『ところで――』


 私は右手に持っていた団子を顔の高さまで持ち上げて、


『この団子って、独特の色合いをしていますけど、何味なんでしょうか? それぞれ味が違いますか?』

『…………えと、団子は美味しいです』


 一番上の緑色を食べると、何だかよく分からない草っぽい味がする。甘すぎるのはあまり好きではないので、これくらいの甘さでちょうどいい……。


「……確かに、あまり得意ではないようですね」

「あはは、やっぱり難しいですねー」


 チンは緑・赤の二つを一口で食べて、口をモゴモゴと動かしながら、


「勉強しなきゃ、とは思ってるんですけどね。やっぱり、西の方からも人がたくさん華に来ますから。――あっ、そうだ。そう言えば今、西の方も大変なんでしょ? 朝国が攻め込んできたとかで……実際どんな感じなんですか?」

「どう、と言われても……それなりに忙しくしていますよ」

「もしかして、アルファさんは華に避難してきたとかで?」


 ……正気を疑ってチンの表情を伺ってみたけれど、いたって普通の顔をしている。どうやら、酔っているわけでもなく、こんな立ち入ったことを聞いているらしい。


「いえ、私はただの観光みたいなものです」

「あっ、そうなんですか。よかったです! ……ほんと、大事にならなければいいんですけどねー。教会と朝国が戦争だなんて数百年振りだから、華の人たちもヒヤヒヤしてるんですよ」

「……皆さんは、どちらに勝って欲しいと思っているんですか?」


 チンは一瞬、キョトンとした顔をしたが、特に迷った様子もなく、


「そりゃ、もちろん教会ですよ。ないとは思いますけど、もしも朝国が勝っちゃったりしたら、世界中が混乱しますからねー」


 机の上から湯飲みを取って、チンは音を立てながら東方茶を啜る。

 私も、木串から赤色の団子を口に入れる。赤、なんて派手な色をしてるからどんな味がするのかと思っていたら、さっきの緑と全く同じ味だった。色が違うだけらしい。


「――でも」


 コツン、と。

 湯飲みを机に置いたチンは、


「一番は、そもそも戦争なんて起きないことなんですけどね。朝国も教会――王国と帝国も。それだけじゃなくて、共和国と華だって、みんな同じ人間じゃないですか。争ったって何もいいことなんてないんだから、皆仲良くすればいいんですよ! 実際、朝国以外の国は上手くやってますしね。ほんと、朝国の人たちには困ったもんです」

「……そんなこと言って、朝国への密輸出のほとんどは華からではないですか」

「――あ、あはは……」


 歯切れ悪く、チンは笑った。


「ありゃ、アルファさんって、けっこう上層階級の人だったんですね、そんなことまで知ってるとは。……まあ、華の商人は良くも悪くも逞しいですから、そこら辺はご愛敬ってことで。いつもご迷惑をかけてすみません」

「チンさんが謝る必要はありませんよ。そもそもの話、教会が朝国を封鎖しているのが問題なのですから。……教会というよりも、聖女と言った方がいいでしょうか」


 自分の目の前に置かれた湯飲みを見つめる。

 中では、東方茶が湯気を立てている。


 空いている方の手で握って口に含んでみると、苦い味が広がった。


「……王国、帝国、共和国、華。過去には色々ありましたし、それぞれに文化も違います。それでも、チンさんが言うように今ではそれなりに上手くいっている。ここに朝国が入っていない原因の大部分は教会が封鎖をしているから……なのでしょうね」

「難しい話をしますね、アルファさん。んー、でも……確かに。考えてみたこともなかったですけど、言われてみたらそうなる……んですかね? 朝国が悪者みたいに華ではなってますけど……」


 首を捻りつつ、チンは私の目を見つめる。


「……でも、だとしたら教会はなんでそんなことをしてるんでしょうかね? 朝国のことが嫌いだから……とか? 昔に戦争やってますし。……考えてみたら、教会と戦争して今でも残ってる国って朝国くらいしかないですよね。大昔ここにあった條なんかは、教会に喧嘩売った次の年には、プツンと潰されてましたし」


 チンは、渋い顔をしながら東方茶を啜った。


「やっぱり、教会って怖いですよね……逆らう物は何であれこの世から消滅させられそうな」

「どんな印象ですか……それ」


 心外だ。

 確かに、幾つか国を滅ぼしてしまったことはあるけれど、決してわざとではなかった。

 国を潰すのは簡単だが、潰してからの処理が面倒くさい。だから、二度と逆らわないように叩きつつ、壊してしまわないように……という絶妙の塩梅に慣れるのに何度か試行錯誤が必要だったのだ。


 ここ数百年に関しては、魔物以外のことに関してはできるだけ干渉しないようにもしている。

 下手に動けば、せっかく落ち着いた世界の魔素の流れが、乱れてしまうかもしれないから。


「えー、だって。王国とかで教会のことを茶化したら、次の日には消されてるってよく聞きますよ?」

「どうやって、誰が何を言ってるかなんて把握するんですか」

「んー? こう……聖女様の凄い力で、とか?」


 チンの顔を見ると、小さく笑っている。

 自分自身、そんなことができるとは思ってないらしい。


 ……まあ、やろうと思えばできるけれど。意味がないからやらないだけで。



 木串に残った最後の黄色い団子を食べると、やっぱりさっきの二つと同じ味がした。



 ○○○



「えっと、本当にここでいいんですか?」


 微妙な顔をしながら、チンは上を見上げた。

 暗い空を背景に、目がチカチカするような色合いの建物がそびえ立っている。そんな建物が一つではなくて、幾つもギッシリと詰まっている。


「はい。ここで合っています」

「でも、ここって。……色街ですよ」


 道行く人には男性が多い。

 場違いな私たちにチラチラと視線を投げかけるけれど、チンの服装を見るとサッと視線を逸らしている。


「分かっていますけれど、ここで待ち合わせをしているもので」


 ジィッと私の目を見ていたチンは、心配そうな表情をして、


「待ち合わせなのは分かりました。でも、よければその相手と合流するまで私、一緒にいましょうか? ここ、治安がそこまで悪いってわけではないですけど、やっぱり女の人が一人では物騒ですし」

「いえ、大丈夫です。もう合流できましたから。――白虎」

「――うえぁっ!?」


 チンは、自分の隣にいつの間にか立っていた女性に気付いて、スッとんきょんな声をあげた。


「お、え、えーと……」


 恐る恐るといったふうに白虎に声をかけようとするチンに、白虎は黙礼を返した。

 チンは、私と白虎のことを交互に何度か見て、


「えっと、なら、もう大丈夫そうですかね?」

「はい。案内ありがとうございました、助かりました。あと、御団子も美味しかったです」

「……いえいえ! これが私の仕事ですからねっ。それに、団子は私がちょうど食べたかったからですしー」


 ニヘラと笑ったチンは、あっけないくらいあっさりと、人の流れの中に消えていった。


「聖女様。あまり動き回られると……その、困ります」

「ふん。あなたが困ろうと、私には関係ありません。付いてくるだけには何も言いませんが、邪魔をすれば容赦なく排除しますから、そのつもりで」


 言いたいことを言って、私は白虎に背を向けた。

 後ろから、白虎の気配が付いてくる。見ている、という意思表示だろう。


 さっきの小店でチンと話している最中、かなり早い段階から白虎の気配が現れていたが、やはり自分を監視している存在の気配はあまり気分がいいものではない。

 とはいえ、監視されているかいないか分からないよりは、明確に監視されていると分かった方が、精神的には多少はマシだ。なので、白虎の気配は無視することにする。


 代わりに意識して探すのは、別の気配。


 ほんの微かな白虎の気配とは違って、濃密な……一度経験したら忘れられない、主張の激しい気配。

 極彩色の建物と建物の間、狭い小路の向こう側から溢れている。



 ――



 木の扉をノックすると向こう側にドタドタという足音が聞こえて、軋み声をあげながら扉が開いた。


「はいはい。どちら様かいね――」


 老婆は私の姿を見ると同時に動きを止めて、視線だけを上下に動かす。


「……どちら様?」

「聖女様です」

「はぁ?」


 ポカンと口を開けた老婆に向けて、私は表情を変えずに、


「聖女が来たと伯狼円に伝えて下さい。中にいるでしょう?」

「あぁー、爺さんの客かい。外人さんだから何かと思ったよ。取りあえず、入りな」


 老婆が扉を大きく開いたので、私は建物の中に足を踏み入れる。

 建物の中は、『東方無双』と名高い、華武人の頂点に立つ人物の家とはとても信じられないほどに小さい。

 玄関から数メルもしない廊下を抜けるとすぐに部屋に辿り着いて、


「ほら、お客さんが来たよ。起きな!」


 机に突っ伏している老人の頭を、老婆が引っ叩いた。

 老人の頭の傍には、中身が半分ほど減った酒瓶が転がっている。


「……んぅ……なんじゃー……」

「だから、お客さん!」


 顔を突っ伏したまま上げようとしない老人の頭をもう一度老婆が叩くと、今にも死にそうな弱弱しい動きでようやく老人は頭を持ち上げた。

 とはいえ覚醒とは程遠く、表情はダラリと緩み切っていて、目の焦点が全く合っていない。


 老婆が指差す方向――私へと一応顔を向けているけれど……驚くとか、身構えるとか、何一つ反応を示さない。


「悪いねぇ。爺さん、休みだからってから昼間から酒を飲んでたせいで、この様だよ。酒に強いわけでもないのに……全く、いつになったら酒の飲み方を学ぶのかねぇ」


 苦笑いをする老婆を見て一つ嘆息した私は、酒臭い匂いに辟易しながら老人へと近付いた。

 人差し指を頭頂部に突き立てる。


 ――瞬間、老人の瞳に光が宿った。


「…………誰じゃ、あんた」

「聖女です」


 私の言葉を聞いても、伯狼円は何ら反応がない。

 けれど、さっきとは違って今度は、鋭い気配が私に向けられているのが分かる。


「……そうか、聖女ちゃんか。初めて会うのぉ」


 ……ちゃん?


「見た目には分からないかもしれませんが、私はあなたの数十倍は生きていますよ」

「そんなもん、儂には関係ないわい。可愛い女の子は皆『ちゃん』じゃ」


 言って、伯狼円は老婆に視線を向けた。


「婆さん、ちょっと込み入った話をするから、閨におってくれんか?」

「おやまあ……」


 驚いた顔をして、老婆は私の顔をマジマジと見つめてきた。首を軽く捻って、


「……あんま、無茶しなさんなよ」


 小声で言ってから、老婆は扉の向こうへと消えた。

 

「聖女ちゃんもそんな所に立ってないで」伯狼円は机の上を手のひらで叩いた「ひとまず座らんか?」


 伯狼円の対面には、空っぽの椅子がある。

 小さな部屋を横切ってその椅子に座ると、木が軋む音がした。


「酒飲むか?」

「いえ、そう長居をするつもりはありませんから」

「そうかい」


 伯狼円は一度自分のコップに手を伸ばしかけたけれど、思い直したように引っ込めた。

 私は伯狼円が動きを止めるのを見て取って、


「――先日はありがとうございました」


 伯狼円は意外な言葉を聞いた、というふうに目を丸くした。


「聞いた所によると、あなたがイプシロン――尹と、サラ聖官――乍を牢獄から解放してくれたとか。二人とも教会にとって貴重な人材です。あなたのおかげで失わずに済んで、非常に感謝しています」

「……そんなことを言いに、聖女ちゃんはわざわざこんなあばら家まで来たんか? 案外、聖女ちゃんは可愛いんじゃなぁ」

「……」


 ……この老人は、私が聖女だときちんと認識してこんなことを言ってるのだろうか?

 仮にも聖女に、『可愛い』だなんて。よっぽど頭のネジが外れているのか……あるいは。


 伯狼円の顔は好々爺然としているが、目は全く笑っていない。

 ……私の反応を見定めている。


「伯理円」


 早速、本題に入ることにする。


「あなたの義理の息子、となっていた人物の名前です。ですが、私の知っている所によると、本名は『アル・エンリ』。中央教会から脱走していた聖官の名前です」

「おっと、忘れとった。儂、少し用事が……」

「――封魔結界」


 椅子から立ち上がろうとした伯狼円の頭が、ガラスに似た青い天井にぶつかる。

 伯狼円は、渋い顔で自分の周りを取り囲む障壁を見やって、


「ふん、甘く見てもらっては困るのぉ。聖女ちゃんが儂を独占したい気持ちも分からんでもないが――」


 気付けば、伯狼円の体の表面を覆うようにして赤い光が灯っている。

 極限まで圧縮され、肉眼で捉えられるようになった赤色の魔素。


 普通、魔石粉を用いなければ魔素なんて見えないのだが……やはり『東方無双』の名は伊達ではないのだろう。聖官で対等に戦えるとしたら……相性の問題もあるから一概には言えないが、フレイ聖官くらいだろうか? それも、長期戦による魔素切れくらいしか勝ち筋が見えない。極まった赤『能力』は、三色の中で個としての完成度が一番高い。


「破れるものなら、破って逃げても構いませんよ。そうですね……もしも成功したのなら、私は何も言わずにこのまま帰りましょう。ですが、失敗したなら――私の要求を一つ飲んでもらいます」


 私の言葉に、さっきまでは比較的余裕のあった伯狼円の表情が、硬くなる。

 白い眉毛の下の目を細めて、


「……久しぶりに、カッチーンと来たのぉ。そうまで言うなら――」




 ――部屋の中が、真っ赤な光で塗り潰された。




「…………一つ、いいかいの聖女ちゃん」


 赤色の箱の中で、伯狼円はきまり悪そうに佇んでいた。

 箱の中には、他には何もない。

 ついさっきまで伯狼円が座っていた椅子は、茶色の粉末となって四隅に滞っている。


「この壁、何で出来てるんじゃ?」

「元々は私の魔素ですが……見た所、今のそれは、十の九くらいはあなた自身の魔素でできているようですね」


 封魔結界を解除すると、赤色の光が空気の中に溶けて消えた。


「あちゃー、こりゃ、婆さんに怒られるの」


 その場にしゃがんだ伯狼円は、茶色の粉を指先で摘まんで小さく溜息を吐いて、そのままの姿勢で椅子に座っている私のことを見上げる。


「それで、要求っていうのは何かの? ……あんまり、難しくないのだと嬉しいんじゃが」

「そう難しくはありませんよ」

「おぉ! そうかそうか――」


 ほころんでいた伯狼円の表情は、



「――黒狼を懐柔してほしいのです」



 私の言葉を聞いた瞬間に、困惑に染まった。



 ○○○

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