17話 『メフィス・デバイ 後編』
「――さて、続いてご紹介するのは、年は十八の剛腕。マンザータ出身のヤーシン。地元では小さな頃から漁労をしていたとのことで、即戦力をお求めの方にお勧めです!! 奴隷条件は、月五十ペ二、三年契約となります。契約更新は要相談! ――では、自己紹介です」
歯が全金歯の中年が両腕を天に掲げると、舞台の脇から大きな青年が出てきた。
上半身は裸で、腰に黄色の布を巻いているだけの格好だ。必然、晒される肌の面積は大きく、アピールポイントたる筋肉に覆われた肉体がよく見える。
「うっす。ヤーシンって言います。おら、頭はあんまよくないですけど、頑張って働くつもりです。妹がメフィス・デバイの学校行きたいってんで、その分のお金を稼ぐためにここに来ました。よろしくお願いします」
「では! 五十ペ二からっ!!」
金歯のおっさんがヤーシンの前に出て叫ぶと、会場の中にチラホラと幾つかの手が上がった。
「五十!」
「五十五ッ!」
隣を向くと、ナジャーハ様はつまらなそうに腕を組んでいた。
「ナジャーハ様は買ったことあるんですか、奴隷?」
「むぅ? ああ……何度かな。家の雑用用に五、六人」
「ん……あれ? でも、家に雑用の人とかいましたっけ?」
無人の豪邸を思い出しつつ聞くと、ナジャーハ様は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「没収されてしまってな。……また、信頼のおける奴隷を揃えなければならないが――」
ナジャーハ様は壁にもたれかかせていた背中を離すと、
「とはいえ、信頼のおける奴隷などそう簡単に市場に流れるものでもない。そろそろ満足したか?」
「あ、はい。我儘言ってすみませんでした」
「うん」
頷いて、ナジャーハ様は義足の方の足を軸としてクルリと方向転換した。
建物の中に入ってくる人たちは、ナジャーハ様の顔を見ると顔をしかめて、サッと道を譲ってくれる。快適だ。
出口から外に出ると、今日も元気な太陽が俺たちを照らしてくる。
何となく首だけで振り返ると、ついさっき抜けてきた入り口の上には、『奴隷市場』という文字が彫り込まれていた。
――
朝、日が出た直後くらいに目が覚めて居間に向かうと、その四半刻後くらいにナジャーハ様がやって来た。紫の長髪には寝ぐせが付いていて、右手には金の髪留めを持っていた。
で、当然の如く髪の毛を整えることを命令された。
昔、イーナの髪を頼まれて三つ編みにしたことが二、三度あるけど……あんまり覚えていない。あの時も、母上に教えられながらだったし……。
俺が記憶を掘り起こしながら四苦八苦している最中、
「今日は貴様の登録に行くぞ」
俺は、ナジャーハ様の髪の毛を編んでいた手を止めた。
「……えっと、何の登録ですか?」
「だから、貴様の奴隷登録だ」
「――?」
にしても、ナジャーハ様の髪の毛ってサラサラだよな。大して手入れをしている感じでもないのに。
……まあ、でも。そんなこと言ったら、今の俺の髪の毛も大概だけどな。
「……あの、私の奴隷登録って……私って奴隷だったんですか?」
「むっ……貴様、分かってなかったのか?」
バッとナジャーハ様が振り返ると、危うく手を髪の毛から離しそうになった。危ない危ない……せっかくもうちょっとで終わりなのに。
「いや、私ってその……ナジャーハ様の部下みたいなものだと思ってたんですけど」
「何を言っている。武人同士が私闘をして、私が勝ち貴様が負けた。勝者は敗者の全てを持つ権利を得ることができる。その場で切り捨ててもよいし……生かすなら、それは奴隷にするということだろう」
……うーん、そんなことを言ってたような気もする。
「私って、奴隷だったんですね……」
「そうだな」
「でも、それなら相手がナジャーハ様でよかったですよ。全然酷いこととかされてないですし……それどころか、修行つけてもらったりもしましたし」
「む、そうか?」
ナジャーハ様が再び前を向いたので、ちょうど編み終わった髪の毛を解けないように片手で握る。
開いた手で、机に置いていた髪留めを掴んだ。
「そうですよ。だって、奴隷って言ったら、もっと鞭で打たれて馬車馬のごとく働かされる感じでしょう?」
「なんだそれは……もしや、賎地ではそういうふうに言われているのか?」
「え……」
あ、いや……どっちかと言うと前世の記憶だな。
大大陸にいた頃は、そもそも朝国の話自体ほとんど聞かなかった。
「……まあ、そんなとこです」
「全く、そんな根も葉もない話が流布されているのか。――いいか、いくら奴隷と言えども、そのような扱いは許されていない。主人は奴隷の全てを所有するが、その代わりに奴隷に最低限を与えなければならない。すなわち、食事・衣服・寝床だ。基本的に騾馬と同じようなものだと思えばいい。騾馬とは違って、契約によっては給金や……あるいは、知識や技術を与えることもあるけれどな」
「へー」
金の髪留めで、一本にまとまったナジャーハ様の髪の毛をパチッと留める。
「できました」
「ああ、御苦労」
椅子から立ち上がって振り返ったナジャーハ様に、
「それで、登録……というのは?」
「ミンピョウに登録するのだ。ヒシャームはナジャーハの奴隷だ、とな。それをやっておかねば、ミンピョウに登録されていない今の貴様は、誰の物でもない野性の奴隷ということになる。戦闘だろうが、あるいはちょっとした遊びだろうが、貴様が誰かに負けた瞬間、所有権がその相手に移ってしまうからな、早く登録しなければならないのだ」
――
と、いうわけで。
やって来ました奴隷契約所。
奴隷市場に併設されているので、十数メートルと歩かず辿り着いた。
名前のトゲトゲしさとは裏腹に、活気に満ち溢れている。汚れているなんてこともなく……受付が並んでいる所を見るに、どっかの役所みたいな印象。
それほど待つこともなく、受付に通されて、
「――では、そちらのナジャーハ様を主人としてヒシャームを奴隷とする契約を結ぶということでよろしいでしょうか?」
「はい」
ナジャーハ様が答えると、受付の人の目が俺にも向いてきたので、頷いておく。
「契約の種類には金色契約と青色契約、それと赤色契約がありますが……ミンピョウ発行を同時にできるのは金色契約と青色契約となっています。どうされますか?」
「金色で頼む」
「承知しました。料金は一万ペ二になります」
「私の金庫から引いておいてくれ」
「承知しました」
なんか色々話してるみたいだけど、ナジャーハ様に任せとけばいいか……と思ってボーっとしていると、受付の人が石机の上に綺麗な紋章みたいな物が書かれた紙が置かれた。
メフィス・デバイに入ってから紙を見ることなんてなかったので、意識が引かれる。
続けて、紙の上に小ぶりなナイフが置かれた。
「では、こちらの契約書の内容をご確認の上、それぞれの血を一滴垂らしていただくことで、契約は終了となります」
俺はパチパチと瞬いて、机の上に置かれた紙とナイフを見つめる。
ナジャーハ様の手が伸びて来て、その二つを掴む。
視線をナジャーハ様に向けると、全く躊躇いもなく小指の先っぽに、ナイフで傷を付けている所だった。
赤い液体が指先まで垂れて、ポタリ、と一滴紙の上に落ちた。
ナジャーハ様の赤い血は契約書に染み込むと……スゥッと色が薄まって、赤と言うかピンクの痕が紙の上に残った。
「ん」
ナジャーハ様がナイフの柄を俺に差し出してくる。
ちょっと戸惑いながらそれを握って、
「あの……私もここに血を垂らせばいいんでしょうか?」
「ああ、そうだ」
ふーん、血判みたいな物かな?
ナイフの先端で軽く指先を撫でると、肌に薄く線が引かれた。
少しして、ジワリと血が滲んでくる。
指の付け根を右手で揉むと、赤い玉が契約書の上に落ちた。
俺の血もナジャーハ様と同じように染み込んで……突然、鮮やかな碧色に変化した――
「――きゃッ!」
受付の女の人が、仰け反りながら小さな悲鳴をあげる。
俺は……呆然としながら、机の上で燃え上がっている契約書を見つめていた。
ただの赤色の炎じゃなくて……白に、若干青みがかった炎。熱さは全く感じない。
「……ナジャーハ様、これって……こういう物なんでしょうか?」
「そんなわけないだろう」
恐る恐る話しかけた俺を、ナジャーハ様は一刀両断に切り捨てた。
それから、俺の右手を強く握る。
「――一旦出るぞ」
「え……でも」
戸惑う俺には応えず、ナジャーハ様は俺の手を引っ張る。
なされるがままに俺は椅子から立ち上がって、そのまま出口まで連れていかれる。
奴隷契約所の中は騒めいていて、俺とナジャーハ様に視線が集まっているのが分かる。けれど、誰にも止められることはなかった。
――
ナジャーハ様に引かれるままに俺たちは大通りを抜けて……そのまま街の外に出てしまった。
そこで、ようやくナジャーハ様が俺の手を離してくれる。
「あ、あの……」
「今は待て。――おい、そこの」
俺の言葉を遮って、ナジャーハ様は近くに立っていた男性に話しかけた。
「性別はどちらでもいい。今すぐ出せるのはあるか?」
「あいよ。前払いで百ペ二ならあるよ」
「それで構わない」
男性の傍には、地面に打ち込まれた杭に縄で繋がれた騾馬がたくさん並んでいる。
どうやら、騾馬を借りるらしい。
男性はすぐに一匹の騾馬を引いてきた。
毛並みがボサボサしていて、お世辞にも世話の行き届いているようには見えない。
「金」
「ああ」
男性の手のひらに、ナジャーハ様は金貨を一枚乗せた。
縄を受け取って、そのまま鞍の上に登る。
「ヒシャーム」
手が、俺に向かって差し伸べられる。
「え、あ……」
「早く」
急かされてナジャーハ様の手を握ると、フワリと俺の体が持ち上げられた。
ナジャーハ様と後ろコブの間に着地する。
「振り落とされなように、しっかりと掴まっておけ」
「んと……」
恐る恐るナジャーハ様の腰に手を回す。
「もっと強く!」
「は、はい!」
怒鳴られたので、ぎゅぅッとナジャーハ様の背中に抱き着いた。腕が、柔らかなお腹に食い込む。
その直後――
突然後ろに体が引っ張られる感覚がした。
今度は恥ずかしがる余裕もなく、ナジャーハ様の髪の毛に顔を埋めるようにしてしがみ付く。
体を引っ張る力は一瞬で消えて、ゆっくりとナジャーハ様の背中から顔を持ち上げると……すでに、騾馬はかなりの速度で走っていた。
流れる風が、耳元でうるさい。
……すげー。
騾馬って、荷車を曳いてなかったら、こんなに速度が出るのか。
目測だけど……時速百キルは出てるんじゃないか?
……と思ってたら、すぐに騾馬が走る速度が落ちた。
どうやら、もうバテたらしい。元々、騾馬は瞬間的な速度じゃなくて持久力と力重視の生き物らしいし……まあ、しょうがないだろう。
「……その、ナジャーハ様?」
これくらいの速度だったら、近くで話したら聞こえるはずだ。
「なんだ」
「あの……これは今、どこに向かってる、んでしょうか?」
「……そうだな……貴様はどこか行きたい場所があるか?」
「え、いや……え?」
「特に行きたい場所がないなら、鰐狩りにでも行くか? いい暇つぶしになる」
……暇つぶしって。
「さっきのって……やっぱりまずかったんでしょうか?」
俺は、青白い炎を思い出しながらナジャーハ様の背中に問いかけた。
ナジャーハ様はすぐには答えず、少しだけ間が空いて……
「どうだろうな……とっさに逃げてみたが。私の知っている限り、契約書が突然燃え始めたという話は聞いた事がないから、何とも言えない――ただ」
一度、ナジャーハ様は騾馬の首筋を縄で打った。
「あまり、好ましい反応は得られないだろうな。金色契約は、アメルナが保証する契約だ。その契約書が突然燃えだしたとなると……しかも、私も一緒にいたわけだしな」
「あー……」
確かに、その土地の神様が保証する契約が燃えだしたって……まるで、俺が悪魔か何かみたいだな。えぇっと……オトリスだったっけ? 朝国の死神とかいう。
俺がオトリスだとすると……ナジャーハ様は、オトリスをメフィス・デバイに引き込んだ神の反逆者という所か?
「……一つ質問なんですけど」
「ん?」
「これ、私たちってメフィス・デバイに戻れるんですか?」
「……」
ナジャーハ様、無言。
「……どうなるかはまだ分からない。取りあえず今、ほとぼりが冷めるまでメフィス・デバイから離れようとしている所だ。拘束されたら敵わんからな。夕刻に外からメフィス・デバイの様子を伺ってみて、特に変わりなければ戻ればいいし、万が一のことがあれば……まあ、その時はその時だろう」
……俺は何も言えず、ただナジャーハ様の後頭部を見つめていた。
……ヤバい。
なんか、想像以上に深刻な雰囲気なんですけど……普通にナジャーハ様に申し訳ない。
俺なんかは元々、あと何日かしたらメフィス・デバイから逃げ出すつもりだった。帰る場所がある。けど、ナジャーハ様はそうはいかない。
……まあ、ナジャーハ様はナジャーハ様で、何か面倒事に巻き込まれてるみたいだけど。
――その時、俺の頭の中に稲妻が走ったような気がした。
「……ナジャーハ様、一つ提案があるんですけど」
「提案?」
「はい」
「なんだ、言ってみろ」
「もしもメフィス・デバイに帰れないなんてことになったら、華に来ませんか?」
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