18話 『儀式』
毎年恒例の光景が眼前に広がっていた。
俺の家の前には、ちょっとした空き地が広がっている。普段から俺が剣の個人訓練をしたり、昔は父上と模擬戦をしたりしてた場所だ。
そこには、沢山の人々がひしめいていた。
大抵はこの十五年の生活で見たことのある顔だが、ちょこちょこ見知らぬ顔が混ざっている。
行商人にとって、『儀式』は書き入れ時だ。お祭りで財布の紐が緩んでしまうのは、こちらの世界でも変わらない。
彼らは手に持って食べられる軽食や、小さなアクセサリーなんかを売っている。
それに加えて、村人たちもご馳走や工芸品を作ってくれているので、広場には十以上の屋台が並んでいた。
それぞれの屋台から、香ばしい匂いや、甘ったるい香りが漂ってくる。
そこに混じる黄色い声と、赤ん坊の泣き声。それから、野太い野郎どもの雄たけび。
いつもなら、俺もその中に混じるのだが……今年は違う。
俺は小綺麗なおべべに身を包んで、居心地悪く突っ立っていた。
突っ立っているのは、群衆の中心。
ドーナツ状にポッカリと空いた空間に、俺を合わせて三人の少年少女が突っ立っていた。
毎年、晒し者にされている少年少女たちを見てきたが、自分が晒し者にされるのは初めての経験だ。
今年の主役の顔を確認しようと、複数の視線を注がれる。
率直な感想を言わせてもらうと、ものすごく居心地が悪い。
一点の救いと言えば、俺と同じように突っ立っている二人――男と女が一人ずついるおかげで、視線の量が三分の一に減っていることくらいか。
俺は村人たちに晒されながら、時折横目で、隣に並ぶ二人に視線を向けていた。
同い年なんだから、話したことくらいありそうなもんだが、俺の記憶には……正直、ない。それどころか、顔も名前も知らない。
まあとりあえず、この二人の名前が呼ばれた時に、名前だけはちゃんと覚えるとしよう。
今年の三人の中で、俺の誕生日が最後と父上からは聞いている。自分の『儀式』が終わるまでなら、集中力も途切れてないだろうしな――
その時、ちょんちょんと背中をつつかれた。
「兄さん」
振り返ると、イーナがいた。
桜色の口が半開きになっていて、目はどこか焦点が合っていない。
俺と目が合うと、見る間に頬が赤く染まった。
……今朝から、イーナはこの調子だ。
風邪でも引いてるんじゃないかと心配になるが、イーナに聞いたら「大丈夫ですから!」と慌てて言っていた。
なので、とりあえず様子見することにしたんだか……。
胸の中で不安が大きくなるのを感じながら、俺は小声で言った。
「どうかしたか?」
本来、ここで村人たちに顔を見せるのも『儀式』の一部だ。
こうやって、イーナと話すのはよろしいことではない。
でも、そんなことはイーナも知ってるわけで、それでもわざわざ話しかけてきたってことは、何か危急の要件があるんだろう。
だから、ちょっと身構えながら、イーナの言葉を待っていたんだけど……。
「……イーナ?」
イーナは何も言わず、ぽーっと俺のことを見つめていた。
明らかに様子がおかしい。
いよいよ心配になって、肩を叩いてみると――イーナは、ピクリと身体を震わせた。
ようやく、焦点が俺に合った。
「本当に大丈夫か? 体調が悪いなら、家の中で休んでてもいいんだぞ?」
「い、いえっ――あのっ!」
イーナは、俺の右手を両手で引っ張った。
「これっ! 持っててください!」
手のひらに、何か固いものを握らされる。
何がなんやらよく分からないが、ひとまず受け取っておく。
すると、イーナはパッと手を離して、走り去ってしまった。
向かった先には、こちらの様子を伺う父上と母上。それと、俺以外の『儀式』を受ける子供たちの家族。
そして……その中から、青ローブの老人が一人、こちらに歩いてくるのが見えた。
俺は意識を切り替えて、顔を正面に戻した。
イーナが何を渡したのか気になるが、確認する余裕はない。ひとまず、上着のポケットに突っ込んでおく。
神官様が接近する気配を背中に感じる。
左横を通過する時、青ローブの肩に刺繍された銀三環が、鈍く日光を反射するのが見えた。
神官様はさらに数歩進み、俺たち三人の正面で足を止めた。
今年の神官様は、結構なご年配。六十歳は超えてるんじゃないかと思う。この世界の水準だと、そろそろお迎えが来る年齢だ。
だが、目の前の神官様には、全くそんな気配はない。
ラインハルトみたいに筋骨隆々ではないが、青ローブの上からでも、全身がバランスよく筋肉に包まれていることが分かる。
眉間には深く刻まれた皺。横一文字の眉骨の下には、鋭い眼光を放つ黄色い瞳。
神官様は強烈な威厳を漂わせながら、俺たち三人を睨め付けた。
一人ずつ、数秒ほど視線で射抜いてくる。
俺はそれほど緊張しなかったが、他の二人はそうもいかなかったらしい。
神官様に凝視されている間、明らかに歯を震わせる音が聞こえてきた。
最後の少女から視線を外して――神官様は口を開いた。
「これより、『儀式』を始める」
昨日、初めて声を聞いた時も思ったが……笑っちゃうくらい、外見通りの声色だ。
低く、深みがあって、思わず背筋を正してしまうような声。
神官様の声はそんなに大きくなかったが、不思議と良く響いた。
少しだけ残っていた村人たちのヒソヒソ声が、完全に途絶えた。
夏虫の声だけが広場に響く。
神官様は無言のまま、広場の中央に設置されている小机の前に移動した。
高さ一メル、一辺五十センほどの木製天板の上には、青い布がかけられている。
その上には、水晶玉が載っていた。
人頭大の、完璧な球形をしている。
これは、正真正銘の神具。聖女様が手ずから作ったという、『儀式』のための道具だ。
つるりとした球の中には、煙のようなものが蠢いている。
その煙は青色をしていて、神秘的な光を放っていた。
「ラビルド・エンリ」
神官様の声に、俺の右隣に立っていた少年が前に出た。
水晶玉の目の前――神官様の、小机を挟んで反対側で立ち止まる。
ラビルドが到着して、一呼吸を置いた頃……。
「始めよ」
神官様の一言に、少年は両手を水晶玉にかざした。
水晶玉の滑らかな表面から、五センチほど外側を包み込むように両手を添えている。
その姿勢のまま、少年は静止した。
村人たちと、俺と、隣の少女……そして正面の神官様から、全ての視線が少年に注がれる。
……そのまま、数十秒が経った時。
「よろしい」
神官様の言葉に、少年の肩から力が抜けた直後――
割れるような拍手が沸き起こった。
エンリ村の全ての村人が、新たな大人の誕生を祝福しているのだ。
少年は疲れた笑顔を浮かべながら、周囲に手を振っていた。
その様子を、俺ともう一人の少女、そして神官様だけが、硬い表情で見つめていた。
――五分後。
エンリ村に、二度目の拍手が沸き起こった。
「ジュリ!」
その中、一際大きな叫び声が響いた。
声の主は、ついさっき『儀式』を終えたラ……少年だ。
「ラビ!」
ラビ……少年の姿を捉えたジュリエットさんは、顔に花を咲かせた。
駆け寄りあった二人は互いに熱い抱擁を交わし――そのまま、熱烈なキスを披露する。
そんな光景にドン引きするでもなく、村人たちは歓迎ムードだ。
王国法では、『儀式』を終えた瞬間に、男女は結婚する自由を得ることになっている。
だから、似た光景を、十五年で三度ほど見たことがある。さして珍しいものでもない。
俺と神官様だけが、死んだ魚のような目で、その様子を見ていた。
――半刻後。
新婚夫婦に祝いの言葉を捧げる作業を終えた神官様は、俺の名を呼んだ。
未だ弛緩した空気が残る中、俺は神官様の眼前へと進み出た。
神官様が一言呟くのを、俺は緊張しながら待っていた。
「お前がアル・エンリか」
想定外の言葉に、神官様の顔を凝視する。
神官様は、眉一つ動かさずに言った。
「話は聞いている。エンリ領の次期当主は有望だ、とな。期待しているぞ」
……なんでこの人、俺のことを知ってるんだ?
そんな疑問が頭に浮き上がった時、低い声が聞こえた。
「始めよ」
条件反射のように、俺の身体は動いていた。
両手を水晶玉に添えると……冷たそうな見た目なのに、ほのかな熱を感じる。
そのことに一抹の驚きを覚えた瞬間――
「えっへへぇー! 今年の出来は最高なの!」
目の前に、女の子がいた。
何やらご機嫌そうな声を出している少女は、俺に気付いていないようだった。
無防備に背中を見せている。
俺の胸くらいしか身長がない。背中もそれに応じて華奢で、折れてしまいそうだ。
その背中の中央部。ちょうど肩甲骨のあたり。
少女の着ている青色の服には、その部分だけ、穴が開けられていて……そこから、黒い翼が飛び出していた。
それほど大きくはない。俺の手のひらと、同じくらいの大きさだ。
「――は?」
それしか、言えなかった。
俺の声に少女は首を傾げた。
少女は、チラリと顔だけで振り返った。
「ふにゃぁっ!!」
目を真ん丸にして、少女はその場で飛び跳ねた。
左右の足を絡ませて――ずっこける。
少女のお尻は、柔らかそうな青い絨毯が受け止めた。
少女の手に握られていたグラスは宙を飛び……絨毯のない所に落下した。
見るからに高そうなグラスは、あっけなく砕け散った。
グラスの中の赤い液体が撒き散らされ、青い絨毯の上に降り落ちる。
赤い液体が青い絨毯に染みこみ、濃い紫に変化していく。
……その様子を眺めていた俺と少女は、同じタイミングで互いの瞳を見た。
少女の瞳は、綺麗な青色をしていた。
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