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02話 『聖女様の憂鬱 二』



 ここは、どこだろう?


 私のすぐ目の前には、淡く輝く聖石。辺りには誰もいない。


 どうやらここは倉庫か何かのようで、空気が淀んでいる。薄暗い。


 服が汚れそうだし、あまり長居をしたい場所ではない。


 周囲に目を巡らせると、数メル離れた場所に扉があるのが見えた。


 聖石を迂回して、そちらへと足を進めようと一歩踏み出した時ーー


「何用でしょうか?」


 後ろから思いもしない声が聞こえた。


 少しだけ苦々しく思いながら、その場で振り返ると……頭を垂れつつ跪いている女がいた。


 心臓に悪いから、後ろから話しかけたりせずに、前から堂々と話しかけてくれないものだろうか? いつの時代も、なぜか暗部の人間は後ろから話しかけることを好む。


「黒狼に会いに来ました」

「……申し訳ありませんが、黒狼様はお休みになられています。せっかくご足労頂いたにも関わらず恐縮なのですが」

「帰れ、と?」


 私の言葉に、女は無言で深く頭を下げる


その頭を見下ろしながら、


「帰れと言われて帰るなら、はなからこんな場所には来ませんよ。幸い、黒狼の気配はよく目立ちます。今、この瞬間に訪ねるのと、私を然るべき場所まで案内して、身支度をする猶予を得るのと……どちらがいいですか?」


 私の問いかけに、女は微動だにしない。ただただ、深く頭を下げている。


 女から視線を逸らし、再度振り返って扉へと歩みを向ける。


 別に今すぐに転移しても構わないけれど……私もかつては女だった。人に会うには幾らかの時間が必要なのは分かる。中央教会から出る機会はほとんどないし、少し外を歩いてみるのもいいだろう。


 扉の目の前まで辿り着いて、扉に手をかけると……外側から鍵がかかっているようで、開かない。


 少しだけイラリときて、さっさと転移をしようとした時ーー


 ガチャリ。


 扉の外で、何か重たい物が落ちる音が聞こえた。


 ……少なくとも私には、扉の外に誰かがいるようには感じられない。別の暗部の者だろうか? さっきの女もデキるようだったが、ここまで全く感じられないとなると……かなり優秀だ。


 感心しつつ扉を開けると、


 ……誰もいない?


 扉の外には、真っすぐに木板の渡り廊下が続いている。


 中央教会は昼過ぎだが、刻異の影響でこちらは夕方だったらしい。景色が赤く染まっている。


 すぐ目の前の床に、鍵らしき物がポツリと落ちていた。


 周りを見回す。


 人っ子一人いない。渡り廊下の両側には砂利か何かが敷かれているらしい。十メルほど向こう側には塀が続いている。


「聖女様」


 わざと物音を立てたのだろう。今回は接近しているのに気付いていたので、冷静に振り返ると、


「黒狼様より、ご案内しなさいと指示を受けました。四半刻程で準備ができるとのことですので、その間……私、白虎が聖女様を案内させて頂きます」



 ーー



 通されたのは、中央教会の応接間と同程度の大きさの部屋だった。


 部屋には私の他に誰もいない。先ほどの白虎とかいう女は、部屋の外に立っている。


 目前の机に茶菓子の乗った皿があって、その隣には湯気をあげる東方茶が置かれている。


 この東方茶、私にはさっぱり美味しいとも思えないが、王国や帝国ではかなり人気がある。


 つい数年前、アル聖官関連で禁輸措置を取られたせいで、東方茶の価格が高騰した。好機と見て買い占めた商人の一部は、禁輸の解除と共に破産したわけだけれど……中には主要商人も混じっていて、後処理が煩わしかった。


 それを思い出すと、東方茶に手を付ける気にはならない。茶菓子には罪は無いので、そちらだけ頂く。


 手のひらに収まるほどの大きさの、桃の花を象った菓子。数十年ほど前にも食べたことがあるが、変わらぬ味だ。


 目が覚める甘い味。……けれど、この甘さは嫌いではない。取り寄せてまで食べようとは思わないけれど。


 せっかくだし、マオ様に幾つか持って帰ろうか? 好き、とは言っていなかったけれど、嫌いとも言っていなかったから。


「わざわざ、何をしにきたんですか?」


 勢いよく扉が開くと同時、黒い影が室内に入ってきた。


 漆黒の、華風の衣装に身を包んだ黒狼が、荒っぽい仕草で私の対面の椅子に腰を下ろす。


「もちろん、あなたに会うためです」

「私はあなたに会いたくありません。迷惑ですから帰って下さい」


 ーーズンッ、と。


 正面からの圧力が強まる。黒狼は軽く不機嫌そうな顔をしてるだけだが……その内心、怒っているのを感じる。


 ……やはり、マオ様には果てしなく遠く及ばないにしても、私の目の前に座っている魔物は、無視できないほどの力を備えている。眷属に過ぎない私とは、一つ違う領域に達している。


 まあ、殺されたとて中央教会で復活するだけなので、怖くも何ともないけれど。


 私は、にこやかに笑って、


「私のアル聖官は、現在朝国で任務中です。ひょっとしたら、任務中に死んでしまうかもしれませんね? そうしたら、永遠にアル聖官は私の物です」

「そうですか」


 平静を装っているつもりかもしれないが、一瞬表情に出ている。


 力量では僅差で私の方が下だけれど、経験は圧倒的に私が上だ。


 興味のないふりは、信頼の裏返し。アル聖官が朝国で死ぬなんて思っていないのだろう。


「ところで、あなたは知っていますか?」

「……何をですか」

「朝国では、『能力』を使えないのですよ」


 小さく、黒狼の眉が跳ねた。


「正確には、大幅に制限されると言った方が正しいですけれどね。人によりますが、十の一から百の一ほどしか『能力』の馬力は出ません。アル聖官がどの程度かは運次第ですが、一般兵の一太刀で死んでしまうかもしれませんよ?」

「……だから、何だと? アルさんは剣の扱いにも熟達しています。『能力』がなくとも、アルさんは簡単にやられたりしません。それに、そもそも真正面から敵に立ち向かうような無謀なことをアルさんはしませんから、だからーー」

「分かりましたから、もういいですよ」


 黙って聞いているといつまでも続きそうだったので、途中で口を挟んだ。


 私は、黒狼の漆黒の瞳を見つめ、口を半笑いにしながら、


「ずいぶんとアル聖官のこと買っているようで。そんなに『信頼している人』なのなら、傍に置いておくと都合がいいですよ? これからの日々は長いのですから。それとも、白虎とかいう女を眷属にしますか?」


 ーー部屋に、鋭い音が鳴った。


 私の目の前、東方茶が満ちていた湯飲みが、独りでに割れる音だった。


 溢れた熱い茶は、机の上を不自然な形で流れて、勢いそのまま私の体に繁吹(しぶ)く。


 黒狼が椅子を倒さん勢いで立ち上がった。怒りの満ちた瞳で私を見下ろして、


「その話は、既にしたはずです。アルさんを私の眷属にするつもりはありません。アルさんが華に戻ってくるのを許すつもりもありません」


 言い捨てると、さっさと部屋を出て行ってしまった。バタンと、扉が大きな音を立てて閉まる。


 机の上へと目を向ける。そこには、砕けた湯飲みが転がっていた。欠片の一つをを拾い上げて、至近からマジマジと観察してみる。


 せっかくのいい品なのに……黒狼も、もったいないことをする。


 コツコツと、控えめな音が扉から聞こえた。


「はい」

「失礼します、聖女様」


 白虎がスルリと部屋に入ってきた。チラリと机の上へと目を向けて、手に提げていた籠から真っ白な綿布を私へと差し出した。


「こちらでお拭きになってください」


 受け取って、服に飛び散っていた東方茶を拭き取る。白虎は白虎で、別の綿布を籠から取り出して、机の上を拭いている。


 手早く黒狼の後処理を終えた白虎は、床に跪いたまま申し訳なさそうな目を私に向けてきた。


「申し訳ありません。聖女様の御召し物と同じものはすぐには用意できずーーよろしければ、こちらを」


 両手で捧げられたのは青色の布だった。受け取って広げて見ると、それが青色の華の服だと分かった。


「それでは、外でお待ちしているので……準備ができたらお呼びください」


 静かに扉が閉じて、私は再び部屋の中に取り残された。


「……」


 手の中の青い服を見つめる。


 ……かなりの年月を過ごしてきたが、東方の服を着た経験はこれまでに一度もない。


 濡れて肌に張り付く神官服を脱いで、折り畳んでから机の上に置いた。


 神官服の中には内服を着ていて、その下は肌着だけれど……どこまで脱げばいいのだろう? 内服の上から着ても大丈夫か?


 華服を手に取って観察しつつ、さっきの黒狼や白虎の服装を思い出す。神官服も華服も、上に羽織って着る物だから……内服の上からでいいだろう。


 多少手間取りながらも何とか自力で着ることに成功して、私は小さく息を吸った。


 グルリと部屋の中を見回す。


「……さてと」


 足元と頭の上で、二枚の円陣が回転している。


 直接向かおうかと思っていたけれど、せっかくだから少しくらい寄り道をしよう。この服装なら、目立たないだろうから。



 ーー



 暗転の後に最初に感じたのは、全方位から押し寄せる声の波だった。


 唖然とした顔で私を見つめる人が何人かいるが、その人たちは後ろからやってくる人に突き飛ばされるようにして、慌てて人の波の中に消えていった。


 私にも、道のど真ん中で立ち止まる迷惑な輩へと対する厳しい視線が注がれている。


 ひとまず、歩き始める。


 ……それにしても、人通りが多い。かつての王都も人が多かったけれど、あちらはもう少し整然としていた。こんなふうに各々が好き勝手に行きたい方向に歩いている、というふうではなかった。


 流れなんて物はない。様々な方向から迫りくる人を回避しつつ前へと進むーー合戦にでも参加している気分だ。


 加えて、匂いも強い。


 道の左右には屋台が並ぶ。一つ一つは食欲を誘う薫りなのかもしれないけれど、全てが入り混じって耐え難い物へと変じてしまっている。


 屋台だけではない。気分が悪くなる程に人で溢れていて、各々の体臭が私を取り囲む。


 立ちはだかる人間を除去する誘惑を振り払って、何とか……人混みから脱出することに成功した。


 建物と建物の間。人がギリギリすれ違えるかどうか、といった細い路地に入り込む。


 そこに転がっていた木箱を椅子にして、しばし休憩。深く、溜息を吐く。


 イプシロンから、華は人が多いと聞いていたけれど……ここまでとは思わなかった。


 あまりにも楽しそうに華での経験を話すものだから……少しばかり好奇心が湧いてしまったのは否定しない。


 どうやら、久しぶりに遠出したせいで、私は知らず知らずのうちにはしゃいでいたらしい。


 ……休憩したら、大人しく目的地まで転移しよう。


 視線を地面に落とす。汚い地面。得体の知れない黒い塵が、たくさん落ちている。少しだけ酸っぱい香り。


 ーー視界に、靴が入ってきた。


「どうしたのぉ、そこの姉ちゃん? 具合でも悪いのかい?」


 顔を上げると、私を見下ろす二人の男がいた。両方とも服を着崩していて、髪の毛が奇怪な色をしている。具体的に言うと、赤と青。


「……それは、私に言っているのですか?」

「もちろん! 君だよー、君。こんなとこでうずくまってるからさぁー、気になってねっ!」

「そうですか。私は問題ないので、構わなくていいですよ」


 必要最低限のことを言って、再び精神を休めようとしたけれど、


「だめだめー、だめだよっ! こんな可愛い子がこんな場所にいたら、何に巻き込まれるか分からないからさっ!」

「ちょうど近くに俺の家があるんだよぉ。休むなら、うちで休む方がいいっていうか?」


 二人が片方ずつ私の腕を掴んだ。引っ張って、立ち上がらせようとしてくる。


 どうやって殺すのが一番目立たないか、考えていると、


「はいはーい。そこまで」


 どこか間延びした声が、路地裏に響いた。


 イラッとした表情を浮かべた二人は、私の腕を掴んだまま振り返ってーーその姿勢で固まった。


「全く、こんな暑い中あなたたちもよくやりますねー。取り締まる側の気持ちにもなって下さいよ」

「い、いや……俺たちは、なぁ?」


 何が「なぁ」なのか分からないけれど、相方の男はコクコクと高速で頷いた。


 右腕に黄色の腕章を付けた女性は、チラリと私へと目を向けた。


「まっ、私もヒマじゃないですからね。さっさとどこかへ消えて下さい」


 俊敏な動きで人混みの中へと消えた二人を見送って、女性はこちらへと向き直った。その場でしゃがんで、


「はわぁー、すっごい美人さんですね。ちょっとさっきの人たちの気持ちも分かる気がします。……よければ、これから私と逢引しません?」



 ○○○

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