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11話 『奴隷契約 前編』



 『椛』の字が光輝いたのは、ほんの一瞬だった。


 反射的に閉じていた瞼を、恐る恐る開く。


 さっきの光でやられて、視力が落ちてしまっている。だから、ボンヤリとしか見えないが……右手の甲に目を向けると、そこには特段変な所はなかった。


 ……さっきの、何だったんだろ?


 首を傾げようとした時、カチャリという音が聞こえた。同時、首筋にヒンヤリとした感触がする。


「残念だったな。目潰しなぞ、アメルナの兵には効かぬぞ?」


 俺は両手を上げて、大人しく降参の意志を示した。首筋に刃物をあてがわれたままに、「立て」と命令される。


 何刻もの間ずっと同じ姿勢でいたから、体が強張っている。その上、両手は使えないから、だいぶ四苦八苦しながら俺は立ち上がった。その間に、結構視力も戻ってきた。


 俺の対面。『誰か』さんの右手には、湾曲した剣……というか、刀か? それが握られている。刃は俺の顔の至近距離にあるから、そこに浮かぶ刃文がよく見える。


 荷車の中は薄暗い。夕日の赤い光が、幌の隙間から僅かばかりに差し込んでいる。


 刀身は、その赤い光を纏って、怪しく光っていた。


「それでーー」


 『誰か』さんは、鋭い眼光で俺を貫く。


「貴様、何者だ?」


 ……俺には、何も答えることができない。


 今の俺がしている服装は、もしも俺の存在がバレた時に、朝国兵だと偽るために着ていたものだ。けど、その手は既に使えない。ついさっき、俺は『能力』を使ってしまったからだ。


 師匠の言葉を信じるなら、朝国の人間は『能力』を使えないらしい。『能力』を使ってしまった時点で、俺は自分が大大陸の人間だと証明してしまったことになる。


 『誰か』さんは、黄色の瞳を上下に動かして、俺のことを観察しているようだ。


 髪の毛は、俺がこの荷車に入り込む時に気絶させた女の子と同じく、濃い紫。長い髪の毛を三つ編みにしていて、それを金色の金具で固定している。もしかして、朝国人特有の髪色だったりするんだろうか? 俺、金髪を黒染めしたままなんだが……。


 加えて言うなら、髪色だけじゃなくて肌色にも同じことが言える。『誰か』さんは、女の子と同じ褐色の肌を持っていた。大きな胸に肩鎖が食い込んでいて……目のやり場に困る。



 カチャリ、と。



 刀が僅かに傾く音がして、少し遅れてから首筋を液体が流れる感触がした。


「三度は聞かぬ。見るに、純血のようだが……アメルナの子にも関わらず、なぜ外法の術を扱う。出自と名を述べよ」


 『誰か』さんが真剣な顔で言ってくる。正直、何を言ってるかサッパリだが、ダンマリを決め込んでいると、このままスパッとやられてしまいそうな気配がある。ともかく、何か言わないと……


「私はーー」


 俺の言葉に被せるようにして、どこかから聞き覚えの無い声が聞こえた。


 顔は動かせないので、視線だけを動かして声の主を探していると、


「どうした。私は、何だ。続きを早く答えよ」


 苛立った様子で『誰か』さんが言ったので、俺は慌てて口を開いた、


「は、はいっ! わ、わた……」


 またしても、どこかすぐ近くから、可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。俺の言葉に被せるように、俺と全く同じ台詞を言っている。


 声の主に対して猛烈にムカついたが、今は犯人捜しをしている余裕はない。『誰か』さんは気にしてないようだし、俺は構わず続けた。


「……私は、その……メフィス・デバイの出身で、名前はヒシャームと言います!」


 偽名には、第一次対朝戦争で活躍した朝国側の将官の名前を使っておいた。王国では不人気のヒシャームさんだが、朝国では過去の偉人になってるだろう。


 前世で、イスラム圏にムハンマドさんがたくさんいたように、朝国にもヒシャームさんがいっぱいいるんじゃないかな? たぶん。


 『誰か』さんは、眉をひそめていた。


「ヒシャーム? 変わった名だな」


 どうやら、ヒシャームさんは朝国でも不人気らしい。


 首筋から、刃が離された。『誰か』さんは、左手に持っていた鞘に刀を仕舞って、


「だが、ありふれた名ではないからこそ、偽名ではないのだろう、と理解できなくもない。よろしい、信用しよう。ではヒシャーム、もう一つの質問だ。デル・ト・アメルナに誓って答えよ。……なぜ、貴様は外法の術を扱える?」


 内心ヒシャームさんに感謝していたのもつかの間、俺の頭は再び高速で回転を始めた。


 外法の術……と言うと、たぶん『能力』のことだよな? 『誰か』さんの言葉を聞くに、どうやら俺が朝国民だと思っているらしい。


 つまり、どうして朝国民なのに『能力』を扱えるのか、という質問に対して、上手く答えられたらいいわけだ。


「……それは、私にもよく分からなくて。幼い頃に父に連れられてメフィス・デバイを出て、それからはずっと大大陸で過ごしていたので、それが関係があるのかもしれません」

「ほう? それは興味深いな」


 『誰か』さんは、薄く笑みを浮かべた。


「アメルナの子と言えど、賎地に落ちれば外法の術を身に付けることも可能と、そういうことか。……豚共の好みそうな手だ。アメルナの子から加護を剥ぎ取るなど、そこまでしてーー」


 ギリッ、と。『誰か』さんが食いしばった歯から、音がした。


 それから、黄色の鋭い眼差しで俺を貫いて、


「ヒシャーム、もう一つ質問に答えよ」

「……はい」

「仮に任務に成功していたなら、それから貴様はどうするつもりだった?」

「成功していたら? それは……元いた場所に戻るつもりでしたが」

「戻って?」


 『誰か』さんは腕を組んだ。聖女様並の、弩級サイズの褐色の塊が、強調されている。


「――それから、貴様は何を成す?」


 『誰か』さんの声に、俺は慌てて視線を上に動かした。思えば、この人殺しみたいな目付きも、聖女様に似てる。


 怖いので、頑張って『誰か』さんの質問の意図を考えてみたのだが……何を言いたいのか全然分からない。何を成すって……飯食って仕事して、寝る。それを繰り返すだけだ。


「思うに、今回の任務に成功していたとて、また再び危険な任務へと向かうだけだったのではないか?」


 『誰か』さんは、ジッと見つめながらそんなことを言ってきた。


 ……成功して、無事に中央教会に帰ることができたら、まずはイーナからの手紙とやらを読んで、それから華に戻らないと。


 華に戻ったら、また黒衣衆の首領としての仕事に追われるだろうな。仕事は基本ノーリスクだが、たまに荒事もある。


 危険な任務の繰り返しってのもあながち間違ってないな、と思って、戸惑いながらも俺は頷いた。


 頷いて、それから……無言の『誰か』さんと見つめ合う。


「よしッ!」


 突然『誰か』さんが叫んだので、思わずビクリ、と体を震わせる。


 『誰か』さんが右手を伸ばしてきて、それで俺の両頬を鷲掴みにした。ヒョットコみたいに、唇が前に伸びる。混乱中の俺の視線の先には、俺のことを直視する黄色い瞳があった。


「ヒシャーム、貴様は私に破れた。即ち、生殺与奪の権は私が握っていることになる。ここで死ぬか、私の下僕となるか、今ここで選べッ!!」



 ○○○



 微睡みから目覚めると、荷車が砂の上を滑る音ーーここ数刻で聞き慣れた音が聞こえた。


 体育座りの両膝の間に頭を埋める姿勢だった俺は、ボンヤリとする頭を持ち上げた。


 荷車の中。


 それはすぐに認識して、自分の周りがほとんど真っ暗なことから、既に太陽が沈んでしまったのだと悟った。腕を持ち上げて、唇の端っこに溜まっていた涎を拭き取る。


 それから、流れるような動作でその腕を胸元まで持ってきて――


「……はぁ……なんでぇ」


 思わず、小声で漏れたのは、どこか甘えるような可愛らしい音色だった。その声に、より一層、ドンヨリとした気分になる。


 一気に眠気は覚めてしまって、俺はせめてもの抵抗にと、体育座りを解いて胡坐をかいた。


 今、外で騾馬の操縦をしている『誰か』さん。名前は、ナジャーハというらしい。


 死ぬか、下僕になるか、どちらか選べという問いかけには、特に躊躇うことなく俺は下僕になることを選んだ。そりゃそうだ、まだ死にたくないし。


 というわけで、めでたく俺はナジャーハ様の下僕(仮)となったわけだが……まあ、そこまではいい。そこからが問題だった。


 ナジャーハ様は俺に、『場所を移動するから、中で待機しているように』と命令を下して、颯爽と荷車の外へと出て行った。


 中に取り残された俺は、逃げようとするモチベーションも湧かなかったので、取りあえず休憩しようと床に腰を下ろした――その時になって、俺はようやく事態に気が付いた。


 なにか、黒い物が視界を過ったからだ。


 なんだ? と思って視線を向けると……それは、腕だった。


 俺が生まれた時から見慣れてきた、透けるように真っ白な肌ではなくて、健康的な褐色の肌。それが、俺の視線のすぐ先に浮かんでいた。


 マジマジと、そのほっそい腕を見つめて、なんとなしに俺は左腕を左右に揺らした。


 そうすると、目の前の腕も、俺のイメージと全く同じようにフラフラと揺れる。


 視線を二の腕から……胸元に動かして、ようやく俺はそれとご対面と相成った。


 ナジャーハ様とは比べるのもおこがましいほどの、慎ましやかな双丘。あっちがモンブランだとしたら、こっちは高尾山くらい。けれども、確かにそこに御鎮座なすっていた。


 ……で。


 全てが夢だったらありがたかったのだが……今、もう一度下方へと視線を向けてみても、やはりそこには二つの膨らみがある。


 ラインハルトも同じくらい胸部が膨らんでいるが、こっちを枕にした方が圧倒的に寝心地がいいだろう。


 胸だけじゃない。体中が、何となくフワフワした感じがして、ちょっと落ち着かない。


 ……こうやって、遠回しに考えても仕方ないな。そろそろ、現実は現実として受け入れた方がいい。


 ――俺の体が、女になっている。


 ちょっと意味不明過ぎて、受け入れるのに時間がかかったけど……夢オチじゃないことを確認できた今となっては、白旗を上げるしかない。


 まだ外が明るい内に、荷車の中にあった水甕の水面に写して確認したのだが、今の俺の容姿は、記憶にある自分の姿と似ても似つかない物だった。


 背は低くて、全体的に弱弱しい感じ。あんまり力を入れると折れてしまうんじゃないかと心配になる。


 顔も体と同じくらい弱そうで、ちょっとイジメたらすぐに泣いちゃいそうな、ふにゃっとした見た目だ。


 濃い紫の髪の毛はショートカット。で、肌は全身が褐色。日焼けしたからとかじゃなくて、元々の肌色がコレらしい。


 ふと、どこかで見た事のある女の人だな……と思ったが、ちょっと思い出せなかった。


 で、この体。何と言うか、自分で言うのもアレだが……けっこう可愛い。


 もしも、街中でこんな子に縋り付かれて、涙目で『助けてください……』とか言われた日には、大抵の野郎どもは血を浴びる事も厭わないだろう。


 もちろんだが、全然嬉しくない。むしろ、もうちょっと普通の容姿だった方が、目立たなくていい。


 ただでさえ卑猥な恰好をしてるんだから、こんな容姿まで持ち合わせていたら、男どもの視線は俺に釘付けだろう。


 イーナの記憶を知ってるから分かるが、ジロジロ見られるのはあまりいい気分がしない。想像しただけで、ゾワッと、背筋を氷が滑るような気がする。


 その点で言えば、ナジャーハ様が女の人でよかったかもしれない。もし男で、あまりよろしくない奴だったら、俺史上最悪の事態が勃発していた可能性も……ゼロではない。


 小さく溜息を吐いて……俺は幌で覆われた天井を見上げる。


 ところで、コレ……どうやったら元に戻るんですか?



 ○○○

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