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10話 『一人旅路』



 あんまり大っぴらに荷を動かしたら、勘づかれてしまう可能性がある。


 だから、動かす荷は最低限に、良い感じに隠れるためのスペースを作って、俺はそこにうつ伏せで隠れた。


 体の上にも幾つか荷を被せているから、ちょっとだけ息苦しい。


 ここから朝国本軍まで二十キルほど。補給隊の移動速度はせいぜい一刻あたり五から十キルなので、数刻の旅路となる。しかも、その途中で微睡んだりしてはいけない。


 ……せめて、外の景色くらいは見えないとな。


 荷車は、不思議な素材で出来ている。パッと見、木みたいに見えるが、それにしては表面がささくれ立っている。腐った木みたいな? 細い線維がたくさん集まって、一つの塊になっているようだ。


 繊維の隙間に指を入れてホジホジすると、小さな、ピンホールくらいの穴を開けることができた。そこに目を押し当てると、外の景色が見えてくる。


 ……うーん。


 視界が狭すぎて状況がつかめない。けど、これ以上穴を広げたら外からバレるかもしれないし、我慢するしかないだろう。


 視界のほとんどは砂の色で、時折人影らしきものが横切るのが分かる。


 聞こえてくる音から判断するに、俺がセコセコと寝床を用意している間に、ここら一帯の状況は落ち着いたらしい。戦闘音は遠くから聞こえてくる。


 サラはともかく、フレイさんも風音聖官も俺が埋まってた大まかな場所は把握している。


 だからこそ、この辺りを選んで突っ込んできたわけだし。戦闘が遠くに離れてるってことは、そろそろ三人は離脱するつもりなんだろう。



 ――



 俺の予想通り、数十分もすれば戦闘音は消えて、代わりに指示を出す声がしばらく聞こえていた。


 それも途絶え――ガタリ、と。荷車が動き始めたのが分かった。


 穴から見える外の景色、とはいっても砂しか見えないんだが、その景色がドンドン後ろへと流れてゆく。


 俺の存在に気付かれている気配はない。


「……」


 音が出ないように小さく息を吐いて、俺は覗き穴から視線を外した。慎重に、床に顔を置く。


 砂が幾らか積もってるのが玉に傷だが、床はヒンヤリとしていて気持ちいい。


 あと、数刻。眠ってしまわないように気を付けないと……。


 サラでも誰でもいいから話し相手がいればいいのだが、一人だとやれることはそう多くない。


 荷車が砂の上を滑る音を聞きながら、思考は当てどなく漂う。


 雑多な思考の中。ふと過ったのは、イーナの顔だった。


 俺の記憶の中で、最後に見たイーナの顔。クシャクシャに歪めて、泣きそうになっている……こっちの胸が痛くなってしまいそうな、悲痛な顔。


 今の今まで、意識して、深く考えないようにしていた。


 けれど、周りには誰もいなくて、荷車と砂が擦れる音だけが聞こえてくるこの状況では、半ば無意識の内に俺は考え始めていた。


 最後に見た、イーナの顔。


 そして、聖女様から聞いたイーナの言伝。


 ごめんなさい……と一言だけ。俺に謝る言葉。


 イーナは、何に対して謝ったんだろう? 全く心当たりがない。


 強いて言うなら、俺が意識を取り戻すのを待たずに、先に華に帰ることか?


 謝る必要なんてないのに。イーナは『黒狼様』だ。我らが主が突然消えて、白虎も狒狒も、黒衣衆の連中は皆大慌てだったはずだ。早く帰って、無事を知らせてあげるのは、俺の覚醒を待つ以上の価値がある。


 でも、本当にそんなことなんだろうか?


 それだったら、ごめんなさいではなくて、単に先に華に帰ってますとか。そういう言い方も出来たはずだ。けど、イーナの言伝はただ……ごめんなさい、とだけ。


 嫌な予感がする。

 考えれば考える程心が焦る。


 こんな場所で、うつ伏せに伏せってる自分が嫌になる。今すぐ飛び出して、本当のことを確かめたい。


 聖女様が、イーナからの手紙を預かっていると言っていた。それを読めば、書いてあるのだろうか?


 ……なんて。


 俺は苦笑いして、床から顔を上げた。


 今こんな場所で考えても意味がない。悩むだけ無駄だ。


 どうせ、俺には実行に移す気概なんてない。何だかんだ言っても、全部をぶち壊しにするのに躊躇してしまう。


 俺に出来ることと言ったら、さっさとこの任務を終わらせて聖国に戻ることくらいだ。


 そのためにも、『トロイの木馬作戦』は成功させない……と?


「――え?」


 思わず小声が漏れて、俺は慌てて手で口を覆った。


 聞かれて……。


 荷車は、一定のペースで走っている。 


 それを確認して、俺はホッと息を吐く。


 いや、ちょっと待て。ホッとしてる場合じゃない。


 もう一度、周りの気配へと意識を向ける。とはいえ、頑張って意識を向けなくても、それは明らかだった。


 心臓がバクバクと鳴る。それを押さえ付けつつ、俺は覗き穴に目を付けた。


 相変わらず、砂の景色がそれなりの速度で流れているのが見える。


 ……いや、むしろ、それだけしか見えない。


 他の兵士たちはどこ行った?


 ついさっきまで、周りにはたくさんの人の気配があった。実際、覗き穴から人の姿も見えたし。


 それが、今では全く感じられないし、見当たらない。


 単騎、荷車は砂漠を進んでゆく。



 ――



 荷車は時折停止した。


 その時は決まって荷車の中に誰かが入ってくるようで、俺は息を殺してジッとしていた。


 荷車に入ってくる誰かは、何やらゴソゴソとしてからすぐに荷車の外へと出た。その後すぐにまた中に戻って来て、今度はしばらく中で過ごしてから外に出る。直後に荷車が動き出す……というルーティンが何度か繰り返された。多分、休憩していたんだと思う。


 ……依然として、俺は悩んでいる。


 選択肢は二つだけ。

 このままここに伏せっているか、

 ここから脱出するか、だ。


 もちろん、選ぶべきは二つ目だ。


 『トロイの木馬作戦』では、俺は荷車の中に紛れて、朝国軍本陣に侵入するはずだった。


 けれど、どうやらこの荷車は朝国軍本陣には向かっていないらしい。


 覗き穴から見える影の方向と長さから考えるに、この荷車は西へと向かっている。本来なら北へと向かうはずだから、全く違う方向だ。


 このままこの荷車に隠れていては、どんどん目的地から離れてしまう。


 だから、さっさと脱出して、兎にも角にも元いた地点まで戻るべきだと思うが……。


 問題はそこだ。


 俺は、自分の『能力』のおかげで、完全に気配を隠すことができる。だが、黒衣衆のやつらみたいに潜伏術に通じてはいない。


 脱出する時に、百パーセント物音が立つだろう。もしも、俺の存在がバレてしまったら……。


 今、俺が感じ取れる気配は二つだけだ。一つは騾馬の物。もう一つは、騾馬を操縦している誰かの物。


 つまり、その『誰か』は、補給隊から離れて単独行動を取っていることになる。


 ……ただの一兵卒に、そんなこと許されるか?


 そもそも何で単独行動を取ってるかも分からないし、朝国軍の上下関係も知らないから判断はできない。


 ただの一兵卒だったら問題ない。どうとでもなる。だけど、ただの一兵卒じゃなかったら……慎重に行動しないといけない。


 朝国兵と戦ったことがないから何とも言えないが、将軍とやらは、フレイさんと伍する程度の戦闘力を持っているらしい。


 だとしたら、将軍に及ばない人たちの中には、聖官に匹敵する程度の人も混じっているだろう。『誰か』が、それじゃないという保証はない。


 俺は自分の力を過信しない。不意を打つことさえ出来れば、いくら聖官レベルが相手だとしても引けを取ることはないと思っている。


 逆に言えば不意を打つことができなければ俺の実力は大した物じゃない。


 普段なら、敵のことを徹底的に調べてから、確実に勝てる道筋を見つけて仕掛けるが……今回はそんなことはできない。完全に出たとこ勝負になる。


 朝国兵は『能力』を使えないらしいから、俺がよく使う戦法――敵の魔素を操作して『能力』の発動を防ぎ、敵が混乱している間に電流を浴びせる――も使えない。


 ……リスクが高い。せめて、敵が完全に油断した時まで待って、それから考えよう。


 そういうふうに、ずっとウジウジと考えている内に、覗き穴から見える外の景色は、橙色に染まりつつある。


 荷車が止まった。

 同時、息を潜める。


 『誰か』が砂を踏みしめる音が幌越しに聞こえて、その足音はグルリと荷車の後ろまでまわった。布が擦れる音が聞こえて、荷車の中が橙色に染まる。


「……んしょ」


 小さな声が聞こえた。


 『誰か』はいつもの通り、荷車に大量に積まれている袋の一つを持ち上げたらしい。


 足音は荷車を下り、再び騾馬の方へとまわる。ドサッ、と何かが砂の上に落ちる音がして、


『許可する』


 『誰か』――低めの女性の声が聞こえた。騾馬は鼻息で返事をして、直後にバリバリという固めの咀嚼音が鳴り始める。


 いつもの、何度も繰り返された流れだ。この次は、


 と俺が思った通り、『誰か』は再び荷車の中に戻ってきた。


 カチャ、と金属音――たぶん、剣か何かを床に置く音が聞こえて、続いて、人が床に座る振動が伝わってくる。


 ここから、四半刻くらい『誰か』は荷車の中で休憩して、再び走り出すというのが一連の流れだ。


 『誰か』にとっては休憩なのかもしれないが、俺にとってはむしろ苦痛の時間だ。全く身動きが取れなくなるから。


 『誰か』は静かな雰囲気の人だ。休憩中はほとんど身動きを取らないし、呼吸音さえ立てない。流れる音といえば、騾馬の咀嚼音と、風が幌を揺らす音くらい。


 『誰か』に存在を悟られないように、俺は自分の気配を消すことに勤める。呼吸を浅くして――


 目の前に、親指サイズの何かが現れた。


 反射的に俺は体を仰け反らしていた。背中の上に乗っていたいくつかの袋が、ドサドサと床に滑り落ちる。


「誰だっ!!」


 『誰か』は勢いよく立ち上がって、ほぼ同時に、剣を鞘から引き抜く音が涼やかに響いた。


 俺は身を仰け反らした姿勢のまま、突然目の前に現れた何かを観察していた。


 見たことのない生物だった。


 足は無くて、クネクネと身を捩らせて前に進んでいる。その動きだけを捉えるとミミズみたいだが、ミミズと違うのは、その全身が赤色の甲殻で覆われていることだった。


 どっちが頭か分からないけど、進んでる方向が頭なんだろうか?


 ……現実逃避をしてみても、現実は変わらない。


 『誰か』がゆっくりと近づいて来ている。あと数秒と経たない内に、『誰か』の視界の中に俺の姿が入るだろう。


 どうやら、一か八かの時がやって来たらしい。


 腹を決めて、準備を始める。指先に、けれど体外には出ないように、魔素を集める。


 『誰か』が聖官レベルだったら、対応されてしまうかもしれない。


 いくら『誰か』が強かったとしても、電気よりは早く動けないだろうし、初見だったら心ショックに対応することはできないだろう。けれど、霧には対応できる。


 俺がすべきことは、『誰か』が退避するよりも早く、霧を展開すること。


 成功すれば、それで俺の勝利。

 失敗したら、あとは純粋な戦闘力次第。



 『誰か』が攻撃を仕掛けてくる直前。俺と『誰か』の距離が最も近づいた時ーー



「――――ッ!!」



 直感と同時、俺の指先から碧色の霧が噴出した。

 

 この砂漠では、魔素の操作が制限される。だから、霧が展開するスピードは、俺が込めた魔素の割には焦れったくなるくらいに遅かった。


 回避される。


 冷静な俺が、頭の中で呟いた。


 この程度の速度だったら、サラやお義父さんみたいな赤『能力』持ちなら簡単に回避する。


 赤『能力』持ち以外だとちょっと厳しいかもだが、それでも半々くらいの確率で回避されるだろう。


 そう頭の中で理解できたからこそ、『誰か』が回避をする気配が全くないことに気が付いて、一転俺は安堵した。


 どうやら、俺の心配しすぎだったらしい。聖官レベルなんかじゃ全然なくて、ただの一兵卒ーー


「……三つ数えるまでに出てこい。さもなくば、問答無用で両断する」


 動揺の一欠けらも感じられない声は、俺の耳を素通りした。真っ白な頭に、徐々に思考が湧き上がってくる。


 ……今、何が起こった?


 碧色の霧は、確かに『誰か』のことを包み込んだ。それと同時に、俺は電気を流そうとして……。


 ――斬られた?


 ふと浮かんだ言葉を、即座に自分で否定する。


 斬る、なんて、そもそも形があるものに対して使う言葉だ。霧は元々形が無いんだから、斬ることなんてできない。


「一つ」


 『誰か』の声が聞こえた。

 その声に、我に帰る。


 ともかく、『誰か』がただの一兵卒じゃなかったことは確かだ。


 その上、単純戦闘力は俺よりも高いっぽい。黒衣衆としての任務で『誰か』を倒さないといけないなら、真っ先に寝首をかくことを考える系だ。


 ……どうしよう。


「二つ」


 淡々とした声で、『誰か』が言った。嫌な汗が首を伝う。


 万事休す。ここで殺られるくらいなら、投降した方がマシだ。


 そう結論が出て、俺は立ち上がろうとした。両手のひらを床に広げて、腕に力を入れる。


 ――気付いたのは、その時だった。


 俺の右手が、仄かに光っている。もっと正確に言うなら、手の甲に浮かんだ文字が、緑色に発光していた。


 『椛』と書いてある。


 これって、確か……。


 記憶を遡ろうと、マジマジと『椛』の文字を見つめるのと、その文字が強く輝くのは同時だった。



 視界が、緑に塗りつぶされる。



 ○○○

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