08話 『トロイの木馬作戦 準備』
フレイさんから作戦の概要を聞きながら、俺はトロイの木馬に似てるなと思った。
まあ、この世界の人たちが知るわけないが。
というか、そんなことより、言っておかないといけないことがある。
「あの、その作戦なんですけど……」
言葉を探して言い淀んでいると、「なんだ?」とフレイさんが急かしてきた。
「補給隊を襲撃して、それで荷物に紛れるってとこまではいいんですが……そこからのとこがちょっと」
俺は、ちょっと離れたところでサラと談笑している様子の風音聖官へと目を向けた。
「確かに、気配を完全に絶つことはできます。けど、風音聖官が見つけられたように、絶対に見つけられないってわけじゃないです。確実にそこにいるわけで……もしも見つかったときに、かなり不味くないですか?」
「それについては大丈夫だ。ちゃんと手を考えてある」
「手?」
フレイさんは大きく頷いて、ちょっと離れた場所に置いてある荷物を指差した。
フレイさんが教会から唯一持って来ていた小さめの荷物だ。
取って来いってことか?
そう思って、その荷物の方へと向かおうとすると、突然バランスが崩れて危うくこけそうにになった。見ると、足首をフレイさんの手が掴んでいる。
やっぱり、かなり気配を捉えづらくなってるみたいだ。普段なら、こんなの簡単に避けられるはずなのに。慣れない。
「何するんですか」
「まぁ、待て」
フレイさんは俺の足から手を離して、さっきまで俺が座っていた場所をポンポンと叩いた。
俺が地面に戻ると、フレイさんはニマニマとしていた。
「そう焦るな。あれは、その時になってからのお楽しみだ」
「お楽しみもなにも、どんな物か分かってないと……心の準備というか。自分の安全に関わることなんですから、出来れば早めに知りたいんですけど」
「いや、駄目だ。直前まで知らないほうがいいと思うぞ?」
笑い混じりのフレイさんの言い草に、俺はどこか嫌な感触を抱いた。
風音聖官の方を見ると、さっきと変わらずサラと会話をしている。距離が離れてるから、何を話してるのかは分からない。
逆に、向こうにもこっちの声は聞こえないはずだけど……何となく、俺は呟いた。
「あの、風音聖官」
「なに?」
すぐ近くから聞こえた。まるで、見の前に立っているみたいだけど、風音聖官は一歩も動いていない。けど、顔はこちらを向いている。
「フレイさんの言ってるものが何か知りませんか?」
フッと小さく笑う音が聞こえた。
「知ってるけど、知らない方がいい、思うよ。それに、知っても知らなくても、何も変わらない、ね」
――
夜が明けて翌朝。
「たぁっ!!」
気合の入った声と共にサラが拳を突き出すと、少し遅れて空気と氷が破裂する音が鳴る。
魔素が薄いことがサラの動きに影響を与えてるのかは分からない。元々が速すぎて全然見えないから、それが多少遅くなった所で俺には区別が付かない。
そんなサラの攻撃を、フレイさんは引き締まった顔をしながら受け止め続けている。
つい数年前まではサラの攻撃を完封していたフレイさんだが、ここまで人外じみた速度で攻撃されたら完全回避は難しいらしい。
その代わり、氷塊が絶え間なく空中に生まれて、それがサラの攻撃を受け止めている。
加えて、例の蜃気楼を使ってフレイさんの姿が五人くらいに増殖してるので、サラの雨霰のような攻撃が単純に五分の一になる。
まあ、瞬間移動みたいに動き回るサラは、その片っ端から叩きまくっていて……ほんと、どうやってあんな動きしてんのかな?
サラとフレイさんが何をしているのかと言うと、要は肩慣らしだ。
魔素が薄いこの砂漠では、普通に過ごしてる分には変化を理解しづらいけれど、確実に感覚が違う。
気配を感じることが難しいし、『能力』もスムーズに動いてくれない。
そういった違和感は、戦闘時には致命的な失敗に繋がり得る。
というわけで、作戦決行までの空き時間に、まだこの環境に慣れていない俺とサラの肩慣らしをしておこうということになった。
俺とサラ、と言ってるようにーー
視線を正面に向ける。
そこには、特に構えも取ることもなく、しかも瞼も閉じてるせいで、ともすれば眠っているように見える風音聖官が佇んでいる。
「どこからでも、来ていい、ね」
静かに、風音聖官が言った。
サラとフレイさんの方は景気よく爆裂音が響いているが、俺と風音聖官の間には乾いた風が流れているだけ。
俺は魔素の流れをジックリと確かめながら、碧色の剣を左手に握る。
大規模な『能力』の発動は禁止。
風音聖官曰く朝国兵は近くにいない。だからそう心配する必要はないんだが、向こうに察知されるリスクを考えて、この訓練ではあまり派手なことをしてはいけない。
まあ、俺の戦闘は、それほど面白いものにはならないので、心配はいらない。
「では、お願いします」
言った瞬間、俺は剣を風音聖官に向けて投擲する。
風音聖官は少し驚いてくれたようで、瞼をピクリと動かし、胸の前に右腕を差し出す。
回転しながら飛ぶ碧色の剣が、風音聖官のすぐ目の前まで迫った時、剣は形を失い霧状へと変化した。
やっぱり、霧の展開には少し時間がかかるな……とか思いつつ。
俺は、既に風音聖官の背後に移動していた。
右の人差し指が、碧色の霧に触れている。
放電。
紫電が走る。
「まる見え、ね」
電流は風音聖官を貫くことなく、背中にぶつかった瞬間消滅してしまった。
何が起こったのか理解できない。
が、まあ、その程度のことで動揺はしない。
霧を剣に戻して、それで風音聖官に切りかかる。
もちろん、簡単に攻撃が防がれるだろうことは分かっている。
そもそもこれは訓練だから、逆に斬撃が当たったりしたら困る。
人の体を治すのは結構難しいし。
俺の剣は、風音聖官の背中から十数セン離れた所で、何か柔らかくて、弾力のあるものに跳ね返された。
ゴムみたいな感触。
反動と、砂の上という足場の悪さのせいでバランスが崩れる。
風音聖官がゆっくりと振り返るのが見えた。
俺に手のひらを向けている。
こんな簡単に一本取られたら、流石に情けないな。
風音聖官がどんな『能力』を持ってるか分からないが、あの手のひらの軌道上にいたらマズそう。ともかく回避。
碧色の霧を足の裏から噴射。
空を飛んだりはできないが、数メル跳ぶくらいの勢いは出る。
宙返りをしつつ、風音聖官の動きを注視する。
風音聖官が向けた手のひらの軌道上。
……?
何も、『能力』が発動したような痕跡がない。
もしかして、フェイント?
焦ってもできることがない。体内の霧は全部使ってしまった。
「うぉっ!?」
思わず、声が出ていた。
ゆっくりとした足取りで近付いてきた風音聖官が、間抜けな俺の姿を下から見上げる。
「捕まえた、ね」
勝利宣言を聞くとともに、俺は藻掻くのを止めた。
……なぜか、俺は空中に浮いている。
浮遊感というものは無くて、何か柔らかい……ついさっき、剣を弾き返したのと同じ物で、胴体を包まれている。
安定感はあるが、表面はフワフワ。高級布団で簀巻きにされてる感じ……と言ったら分かりやすいだろうか?
足掻くのを止めたら結構快適だ。
両手両足をダランと投げ出して、風音聖官を見下ろす。
「降参です」
フッと、俺を包んでいたものが霧散して、俺は宙に放り出された。
「どう、ね? ココの感触には慣れた?」
「うーん、幾らか掴めてきましたが、やっぱり絶好調とはいかないですね」
霧の流れがいつもよりワンテンポ遅いし、電流の威力は大幅ダウンだ。
「できればもう一回手合わせ、と言いたい所ですが。その前に……さっきのあれ、何ですか? 体を拘束したり、剣を跳ね返したりした奴。あんなの使われたら、またあっという間に負けちゃいそうなので、良ければ教えてもらえたら嬉しいんですが」
「ん? んー、そんなに変わったものじゃない、ね。ほら、ここにもあるよ」
風音聖官がクイッと指を動かした瞬間、熱風が俺の肌を撫でた。
「それ」
「……風、ですか?」
感じたそのままに聞いてみると、風音聖官はフリフリと首を振った。
その動きに従って、黒のポニーテルが左右に揺れ動く。
「違うね。私にも上手く言えないけど……動いた子は風になるし、止まってる子もいる。大きくなったり小さくなったり、色んな形がある、ね」
子? 形?
何を言ってるのか理解できないが……見るに、風音聖官本人もどう表現したらいいか分からないらしい。
たぶん、俺の電気と同じように、分かりづらい物なんだろう。
でも、俺なら、ひょっとしたら分かるかもしれない。前世の知識がある俺なら。
風音聖官の言っていたことと、さっきの模擬戦で使われた『能力』、それらを全部説明できるような……
「あの、もしかしてですけど」
「何ね?」
「風音聖官の『能力』って、人を窒息させたりもできます?」
風音聖官は、分かりやすく驚いた顔をした。
「どうして知ってる、ね? アル、私と任務受けるの初めて……サラからーー」
途中まで言って、風音聖官が首を振った。
どうやら、サラがそんな説明をすることはあり得ないことに、自分で気付いてくれたようだ。
……とはいえ。
目の前の、華奢な女性に目を向ける。
聖官第五席。
そして、『青』の称号を持つーーつまりは、青『能力』持ちの中で、最も強いと教会が保証する人間。
その肩書も納得だ。
空気を操る『能力』なんて、チートかよ。
対人戦なんて、相手の周りの空気を消すだけで指一本触れずに勝利可能。戦績を聞くに、魔物相手にも強力な武器があるようだし。
勝てるとしたら、息を止めたまま、風音聖官が体表に纏っている空気の鎧をぶち抜く……くらいだろうか?
当然、そんなことは風音聖官も分かってるだろうから、頭を使わないと裏をかけないだろうし、それ以前に空気という見えないものを発想すること自体難しい。
『能力』を推測できなければ、倒す作戦を立てることもできない。
ふと思い付いて、俺は口を開いた。
「思うんですが、確かフレイさんって朝国の将軍と一騎打ちをしたんですよね? それ、風音聖官でもやっぱり勝てないんですか?」
風音聖官はマジマジと俺を見つめる……ような雰囲気を出して、難しい表情をした。
「さぁ? 予測が付かない、ね。勝てるかもしれないし、負けるかもしれない。博打は好きね。でも、自分の命を賭けるなんてのは嫌ね。金子くらいが、一番いい塩梅よ」
俺と風音聖官は二人並んで、嬉々としてサラとの訓練に勤しんでいるフレイさんを見つめた。
その右腕からは真緑の小手が消えていて、氷の腕が日光に煌めいている。
やっぱ、腕を切り落とされてそれでも喜べるフレイさんって、俺らと感覚が違うよな。
スリルに生きるファイターなんだろう。
戦うのは楽しいけど、命を削るギリギリの戦いなんてのは御免だ。
まあ、それでも他に手が無いんなら危険に身を投じるのも仕事だが、他に手があるならわざわざ危険なことはしない。聖官の任務の半分は、死なないための下準備だったりする。
常に慎重に。
父上の教えは今でも俺の中で健在だ。
だから……。
遠く離れた岩陰に置かれている、例の荷物へと目を向ける。
俺が潜伏中に仮に朝国に発見された場合、その危機的状況に対する『手』。
なんか……不安だ。
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