07話 『トロイの木馬作戦 計画』
日が、西に沈もうとしていた。砂丘の合間に、橙色の太陽が落ち込んでいる。
南西――おおかた太陽を目指して砂漠の中を走っているわけだが、流石の俺たちでもメロス君には敵わないので、今見ている間にも、極ゆっくりと太陽が下に落ちていってるのが分かる。
「おっ、あそこだあそこ。今日はあそこで休むぞ」
ポツリと言ったフレイさんの声は、夕焼けの砂漠に良く響いた。
先頭を走っていた風音聖官が足を止めて、続いてその後ろを走っていた俺たちも足を止める。
フレイさんの指差す方向に目を向けると、砂漠の中に岩場らしきものがあった。砂漠を走っていると、時折ああいった岩場が点在している。おそらく、風化に取り残された土地なのだろう。
フレイさんは、すでにそちらへと走り始めていた。
「のどかわいた」
サラが、フレイさんの服の裾を引っ張った。
「またか? ……まぁ、別にいいが。口開けろ」
「あー」と言いながら開けられたサラの口の真上に、小さな水の玉が浮かぶ。
ポチャンと落ちて、サラの口の中に水が弾けた。
ちょうど、そこで太陽が沈み切ったようだ。一気に景色が暗くなる。
とはいえ、雲がないから月星の光は十分。まだ先に進もうと思えば進めれるだろうが……今回の任務のボスはフレイさんだ。フレイさんがそう判断したのなら、特に異論はない。
フレイさんの背中を追いかけて、俺は風音聖官の隣に並んだ。
「一気に空気が冷たくなったみたいですね」
「砂漠はいつもこう。日が出てたら熱い、夜になったら寒い、もう慣れたね」
寒さ、暖さ、乾燥。大抵の悪条件は、体の表面に魔素を纏っていたら問題無い。
だから、せいぜい百度以下でマイナス百度以上の砂漠程度、死にはしないんだが……熱さに体を合わせてた所にいきなり寒くなると、調節が難しい。
「ねっ!」
突然、サラが俺の隣に現れた。……ので、俺は速度を落としてその場をフェードアウトする。
そのまま風音聖官に絡むかと思ってたんだが、サラも俺と同じように速度を緩めて、俺の隣に並んで来ようとする。
……フレイさんの目があるから、サラにあまり近づきたくないんだが。まあ、でも。あんまり露骨に避けるのも変か。
サラはむすっと頬を膨らませていた。
「なんかソレ、いやっ!」
「……嫌とは?」
「ワタシのこと、さけてるでしょっ……」
「んー」と唸り声をあげながら、下からガンをつけてくる。
「いや、そんなことないぞ? ほら、今だってサラと普通に話してるだろ?」
「おんぶ!」
「……は?」
「だったら、おんぶして!」
サラはキリッとした表情で言い放った。
「い、いや……なんで?」
「つかれたから!」
嘘つくな。
サラは赤『能力』だから、俺よりも魔素効率がいい。それに、そもそもの魔素保有量も倍くらいあるんだから、俺よりも先にばてるなんて有り得ない。
ヘルプの視線をフレイさんに向けようとしたら、いつの間にかフレイさんは風音聖官の隣に並んでいて、何やら真面目な話をしている様子。こっちに注意を向けていない。
……空気中の魔素がかなり薄くなってるからだろうか? 気配が捉えづらい。
そうやって、サラから目を離したのがいけなかったんだろう。
ポスン、と。背中に軽い感触が乗ったのに気付いた。
後ろからニュルリと二本の腕が伸びてきて、俺の首に絡みつく。
「おっ、おい! 離れろ!」
「いやっ!!」
耳元で叫ばれたせいで、耳がキーンとなる。
「おい、サラ! 耳が馬鹿になるだろ! 耳元で大声出すな!」
「……これでいいの?」
今度は耳の間近で囁き声が聞こえた。これはこれで、なんか変な気分になってくる。
「……耳の近くで話すのも止めてくれ」
「ん? ……こう?」
「そう、そんな感じで」
いや、そうじゃなくて。
まだ気付かれてないみたいだけど、こんなとこをフレイさんに見られたらマズい。
俺は焦りながら、身体を勢いよく左右に揺すった。
サラは落とされないようにと、万力みたいな力で俺の首を締め上げた。
あっ、ヤバい。
そう思った瞬間には、すでに俺の視界は黒く染まっていた。
○●○
何やら声が聞こえて、俺は瞼を開いた。
目の前に広がるのは満天の星空。
この世界に生まれてからは、エンリ村というド田舎に住んでいたので星空なんてものはアスファルトで覆われた地面と同じくらいに見慣れた物だ。
そのはずなのに、やっぱり綺麗だと思ってしまう。しばらく星空を眺めていると、ふつふつと疑問が湧いてきた。
どうして、自分は星空を眺めてるんだろう? たしか、砂漠を走ってたはずだけど……。
ひとまず、起き上がる。俺は地面に寝かされていたようで、体の上から砂がパラパラと落ちた。
まず目に入ったのは、あぐらをかいているフレイさんだった。どこか物憂げな表情をしながら、指先を地面の上に滑らせている。何か、図のようなものを描いているようだ。
フレイさんがデカいから気付くのが遅れたが、フレイさんの反対側に小さな姿が見える。フレイさんの背中を背もたれにして、サラも地面に座っているらしい。規則正しく肩が動いてるから……寝てる?
頭が上手く回らない。というか、今気づいたけど……どこかからヒリヒリ感を感じる。
しばし感覚に集中して、恐る恐る中指の先っぽで頬を撫でてみると、微かな痛みを感じた。
気付いてみると、顔面全体が痛い。なんでこんな怪我してるんだ? と疑問に思いつつも、魔素を顔面に移動して傷を治癒させる。
「おっ……」
野太い声が聞こえた。見ると、フレイさんが俺を見ている。
そんなフレイさんに釣られてか、目を覚ましたサラがモゾモゾと動いて「うーん」と言いながら伸びをしている。その姿勢のまま、サラが目の端で俺の姿を捉えたのが分かった。
サラは飛び上がるようにして地面から立ち上がる。勢いそのまま、トテテと寄って来て、
「だいじょーぶ?」
コテン、と首を傾げてサラは続けた。
「あのね、のどが乾いたなら、ちゃんと言わないとダメよ? いきなり顔からこけるから、ビックリしたじゃない!」
マジマジとサラの顔を見上げる。
背中に星空を背負ったサラの姿。キラキラと瞳が輝いている。
ここに来てようやく、俺は意識を失う寸前の記憶を思い出していた。
サラに首をキュッと絞められて、一瞬で視界が暗転した記憶。
あの時、俺はサラを背負ったままに四十キルくらいの速度で走っていた。その状態で意識を失ったら……思うに、俺は顔から着地したのだろう。
「おら、小僧。これ飲んどけ」
フレイさんが、何かを放ってきた。受け取ってそれを見ると……水筒だな。木製で、中をくり貫いて水を入れられるようになっている。重さからすると、みっちり中身が入っているようだ。
「喉は乾いてないだろうが全部飲めよ。軽い脱水だったから俺の水を飲ませておいたが、少しずつ抜かにゃならんからな」
「? 水って……」
そういや水の心配はしなくていいって言ってたが、こんな砂漠のど真ん中でどうやって手に入れたんだろう?
ちなみにだが、フレイさんが『能力』で出す水は、本物の水の代わりにはならない。魔素製の水は時間が経てば魔素に戻ってしまうからな。
例えば水の代わりにフレイさんの水だけを飲んでたら、ある時突然全身の水分が失われてヤバいことになるだろう。
いや、まあ……どこから水を手に入れたかなんてそれほど興味もないんだが。
「すみませんご迷惑をかけて。気を付けます」
フレイさんは片手をあげて、サラはうんうんと頷いた。
サラに一言言ってやりたいが、それを言ったら、俺とサラが密着していたことがフレイさんにバレてしまう。
俺は小さく溜息を吐いて、辺りへと目を向けた。
ちょっと遠くの大きな岩の上に、風音聖官が座っている。どこか遠くを見つめているようだ。
サラが、俺のすぐ隣に座った。
「はい」
と言われて差し出されたのは、おなじみのシリアルバー的な栄養食。聖官時代にはよくお世話になった。
家畜の餌みたいな、とても食えたものじゃない味で、栄養価と保存性、軽さだけが売りの合理性の塊みたいな食事だ。俺の舌はさして肥えてないから、何度か食べるうちに慣れたが……久しぶりだな。
感慨深く、サラからバーを受け取る。
「ん? サラはもう食ったのか?」
「うんっ、ワタシたちはもう食べた!」
なら、遠慮なく頂くか。
パッサパサの塊を咀嚼して、水筒の水で喉の奥に流し込む。
何が楽しいのか、そんな俺の様子をニコニコしながらサラが見つめてくる。食いずらい。
サラは、俺の顔を下から覗き込むようにしながら、
「おいし?」
「いや、美味しくはないな」
むしろ不味い。
「小僧、サラ」
フレイさんが不機嫌そうな顔をしながら、俺らのことを見ていた。
「食っちゃべってるくらいなら、こっち来い。話がある」
サラと顔を見合わせてから、俺とサラは大人しくフレイさんと円を描くような位置に移動した。
「サラには一度話したが、これからの……あー、流れ? 予定? そんな感じのを説明しとくから、耳の穴かっぽじって、よく聞いとけ」
ようやく作戦を教えてくれるらしい。俺はバーを齧りながら無言で頷いた。
そして、サラはなぜか立ち上がって、無言のまま歩き始めた。
進路を見るに、風音聖官の方へと向かっているらしい。
「……んじゃ、始めるぞ」
何事も無かったかのようにフレイさんは言った。
「まあ、そんなややこしいもんじゃねぇから、小僧ならすぐに理解できると思うがな」
フレイさんが指先をグリグリと押し付けて、地面に三つの点を作った。そのうちの一点を指差して、
「まず、俺らが今いる場所がココ。んで、この点が朝国軍の本隊がいる場所だ。南西に二十キルってとこだな」
最後に一つ残った点――二つ目の点が南西だとしたら、南の点をフレイさんは指先でトントン、と突いた。
「目的地は、この辺り。南に三、四十キルくらいの位置だ」
「そこに、何かあるんですか?」
「いや、何もねぇ」
フレイさんへと目を向ける。
フレイさんはまあ待て、と言うふうに肩をすくめて、朝国軍の本軍がいるという点と、目的地だという点を結ぶように線を引いた。
「これは移動中に説明したが、今の状況は、朝国側が攻めて教会が守るって感じだ。教会側からしたら守る場所が馬鹿みてぇにあって、朝国はそのどこでもいいから手薄な場所を攻めるだけでいい。圧倒的に教会が不利だ」
「ですね」
「だが一つだけ、朝国にも弱点がある。どこか分かるか?」
「ん?」と薄ら笑いを浮かべながらフレイさんが聞いてきた。
その表情にちょっとだけイラッと来たが、真面目に考えてみることにする。
朝国の目的は、旅の塔を破壊すること。
平常時なら、いざという時は王国軍とか帝国軍が出張ってくるって脅しが効いてるから朝国も攻めてくることはない。
だが、現在王国にそんな余裕はないし、帝国は絶賛大不況中で、暴動が起こったりしている。加えて、各地で魔物が発生してるから、神官たちも忙しい。
とてもじゃないが、全軍総出で旅の塔を守ることはできない。
そう判断して朝国は攻めて来ていて、事実それは正しい。
数百とある旅の塔を全て手厚く守ることなんて出来ない。要所に聖官を配置し、他の塔はせいぜい神官とか、帝国の兵士数人とか……数十人に攻められたらあっという間に陥落する状況だ。
朝国はそういった手薄な場所に兵力を集中させれば、それほど苦労をすることはないだろう。圧倒的に朝国有利……だが。
「まず簡単に思い付くのは、補給路が長いことでしょうね。大量の兵を動員するなら当然食糧とか諸々の消耗品が必要ですが……聞くに戦闘が数か月単位で続いてるんですよね?
最初に用意してた分なんてとっくに尽きてるでしょうから、物資を本国から運ぶ必要があるはずです。
数百キルも大量の物資を運ぶには、莫大なお金と労働力がかかりますし、その負担を長期間も続けられるとは思えないですが」
そこまで言って、俺はフレイさんが砂に描いた直線に目を向けた。
……なるほど。
「その補給路……を、襲撃するんですか?」
荷を運ぶには莫大な労力がかかっている。それを無に帰すことができたら、朝国にとっては大打撃だろう。
一人納得していると、ついさっきまで機嫌良さそうだったフレイさんの顔がムスッと変化しているのに気付いた。
「……ま、そーいうこったな」
呟いて、フレイさんは重たい溜息をついた。それから口をへの字に曲げて、
「小僧の言う通り、朝国の補給路は狙い目だ。なもんで、これまで俺と風音で何度か襲撃を繰り返してきた。そのせいで、最近は結構な数の兵が警護に付くようになったくらいだ。
まあ、それはそれでこっちとしては一向に構わねぇ。向こうが忘れた頃に襲撃するってのを繰り返して、最終的に朝国の体力が尽きるまで待つ、これまではそういう方針だった。――小僧の話を聞くまではな」
「話?」
首を傾げると、フレイさんはニヤリと笑って「ああ」と首肯した。
「イプシロンからな。小僧がイプシロンでも感知できないほど完璧に、気配を消せるようになってる……って話をだ」
それは確かにそうだけど、今の話に何か関係が……あるんだろうな。
ほら、フレイさんもやけに楽しそうな顔をしてるし。嫌な予感しかしない。
「サラなんかだと論外だが、俺とか風音はそこそこ繊細に魔素を操作することができる。だがな、それでもやっぱり気配を完全に絶つなんて芸当はできねぇ。
でもって、完全に気配を絶つことが出来なければ、確実に朝国の奴らに勘づかれちまう。だから、これまで正々堂々と真正面から嫌がらせするくらしか出来る事がなかったんだが……」
フレイさんが、ソーセージみたいな人差し指で俺を指した。
「小僧なら色々できるってわけだ。俺はイプシロンから話を聞いた瞬間に思ったな、こんな便利な奴を使わない手はねぇって」
「……私は便利な奴ですか」
抗議の思いを込めて言ったつもりだったが、フレイさんはどこ吹く風で楽しそうに笑っている。
俺は溜息を吐いて、
「それで、何をすればいいんですか?」
フレイさんは笑うのを止め、腕を組んだ。
「おう。大枠の作戦は変わらねぇ。俺とサラと風音は、朝国の補給隊を叩く。小僧は、襲撃で混乱が起こっている間に荷の中に忍び込め。で、本軍の中にまで辿り着いたら、内からドーン、だ」
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