54話 『熱砂の地へ』
「――いっぱつ……じゃない?」
「だ、だめですよ。そんな……したら」
頭の中に声が入ってきた。
何かを言っているのは分かるけど、何を言っているのかは上手く理解できない。
ただただ眠たい。
なんか体中が怠いし……もう一眠り。
「でも、じかんが無いってパパ、言ってたし」
「う、確かにそうですけれど……」
「もう、やるわよ――っと」
体が持ち上がる感覚がした。
何か嫌な予感がしたけど……瞼が重たい。
「さっさと……起きなさぃっ!!」
「んぁ!?」
突然後頭部を襲った衝撃に、俺は堪らず目覚めていた。
「ほら、起きたでしょ?」
得意げな顔をしたサラが俺を見下ろしていて、その隣でイプシロンが微妙な表情をしていた。
なぜか、どっちも真っ白なナース服を着ている。
「……え、っと?」
鈍痛がする後頭部を撫でながら、体を起こす。
……これ、たんこぶが出来てるんだけど?
「すみません、アル聖官。大丈夫ですか?」
イプシロンが手を差し伸べてきたので、それを掴んで取りあえず立ち上がる。
マジマジと、サラとイプシロンに目を向けて……
「その服装は……どうしたんですか?」
「ああ、これは――サラ聖官が」
恥ずかしそうにモジモジしながらイプシロンがサラの方へと目を向けた。
俺も目を向けると、サラは得意げに腕を組んだ。
「アルがマエノに行きたいって言ってたから、よういしといたの!」
言って、サラは頭をこちらへと向けてきた。
……俺、そんなこと言ったっけ?
困惑しつつイプシロンを見ると、イプシロンは小さく笑いながら頷いていた。
……まあ、減るもんでもないし。
雑にサラの深紅の髪の毛をかき混ぜると――
「おうっ、小僧は目ぇ覚めたか?」
勢いよく扉が開かれたのが見えた。
それが、ちょうど扉の近くに立っていたイプシロンの背中にぶつかって、俺の方に倒れ込んできた。
慌ててイプシロンを受け止めようとしたけど、寝起きのせいか体に上手く力が入らない。
俺も、サラの側へと倒れてしまって……その向こうには、ちょうどよく俺がさっきまで眠っていたベッドがあった。
「……なんだ、小僧。一度に二人を相手とは……元気そうじゃねぇか?」
フレイさんは、ものすっごくいい笑顔で、ピクピクと唇の端っこを痙攣させていた。
白い犬歯の先っぽが、少しだけ見えている。
その視線の先――ベッドの上。
左手にはサラ、右手にはイプシロン。
ナース服の二人を両手に、俺は大きなベッドの中央でフレイさんを出迎えていた。
「ど、どうも。おかげさまで……」
フレイさんの返事は、歯医者のドリルのような甲高い音だった。
フレイさんのすぐ目の前の空中に、拳大の真っ白な円錐が浮かんでいる。
音は、そこから出ているらしい。
フレイさんが軽く顎をしゃくったのが見えた。
同時、残像を残して円錐が消えていた。
代わりに、俺のすぐ鼻先に円錐の先端が迫っている。
金属音を響かせて、円錐が砕け散った。
「つめたっ」
隣でサラが顔をしかめながら言った通り、円錐の欠片が肌に触れると冷たい感触を残して溶けて消えてしまった。どうやらあれは氷の塊だったらしい。
鼻先に出していた、剣身の一部を体内に仕舞うと、剣で隠れていたフレイさんの顔が見えた。
フレイさんはニヤリと笑っていて、
「どうやら、聞いてた通りみたいだな。それだけできりゃぁ上等だ」
「上等って……いや、ギリギリ間に合ったからよかったですけど、もし当たってたらどうするんですか! アレ、完全に殺すつもりだったでしょ!」
まだ、心臓がドキドキしている。
「お? いや、別に殺ろうなんて思ってないぞ? せいぜい顔の下半分が吹き飛ぶ程度だ」
「……それ、完全に死んでますよね」
フレイさんは呆れたように首を振った。
「おいおい。ここは天下の中央教会だぞ、いちおうな。脳みそさえ残ってりゃ、大抵は何とかなるぞ」
右側を見ると、イプシロンと目が合った。
「……そうなんですか?」
「いえ、脳だけでは流石に元通りとは……。脳だけで生かし続けることだけは可能らしいですけれど」
「……可能らしいって……やったことが?」
イプシロンは、んーと唸りつつ、
「いえ、私は実際に見たことは。ただ、オメガから直接話を聞いたことがあります。彼女は冗談を言うような性格ではありませんから……」
「オメガって……」
……誰だっけ?
「あっ、覚えてませんか? 先日アル聖官も会いましたが、あの医師のような服装をしている……」
言われてみると、ふんわりと姿を思い出してきた。
あの、怖そうな白メイドか……。
……ちょっと、待て――
「イーナは?」
呟いて、俺は勢いよくベッドから立ち上がっていた。
部屋の中を見る。
いない。
俺だけ。
マオさんも聖女様もいない。
裏庭?
思いついた瞬間、俺は走り出していて――
その次の瞬間には、俺はベッドの上に転がっていた。
幾何学的な紋様の描かれた天井が見える。
「落ち着いてくださいアル聖官。イーナさんなら、アル聖官よりも一足先に目覚めていますから」
「本当ですか!!」
「え、ええ……」
イプシロンが若干引いてるように見える。
シスコンとか思われてるんだろうか?
どうでもいい。
なぜなら俺は正真正銘のシスコンだからだ。
「イーナはどうでしょうか? 何か後遺症とか――というより、今どこにいるんですか?」
「それは……」
イプシロンは、気まずそうに俺から目を逸らして、
「イーナさんは、しばらくアル聖官と会いたくないと言っていまして……今、どこにいるかを教えるわけにはいきません。それと、聖女がアル聖官にお話があるらしく……一緒に来てもらっていいでしょうか?」
○○○
聖女様がいるという執務室に向かう途中、イプシロンからいくらかの説明をしてもらった。
どうやら、俺は丸一日寝込んでいたらしい。
本来なら長くても数刻で終わるはずらしいのだが、曰く、思いっきり絡めとられていて、自力での帰還は困難な状況だったとか。
要は、俺は失敗したのだ。
イーナの魂の欠片の探索に。
絡めとられていたっていうのには、心当たりがある。
イーナの精神の中に入って、最初に俺がいた真っ暗な空間。あそこにいる間は、俺はちゃんと自分が何のためにそこにいるのか理解していた。
けど、イーナと出会ってから……俺は全てを忘れて、暢気におままごとに興じていたってわけだ。
今思えば、あのイーナそのものが、『抵抗』ってやつだったのだろう。
で、そんなどうしようもない俺を救ってくれたのが、
「えっ、それじゃあ……サラもマオさんと会ったんですか?」
イプシロンの話を聞いて、俺は素直に驚いていた。
これまでの印象では、聖女様は狂信的にマオさんのことを溺愛しているように見える。
そんな聖女様が、よりにもよってサラをマオさんと会わせることを許すか? いくら俺を助けるためとは言っても。
「ええ、はい。聖女はかなり難色を示していましたが、マオ様がお願いしたら折れまして……聖女から聞いたのですが、アル聖官もマオ様の眷属になったんですよね?」
「……?」
眷属?
何の話だ?
イプシロンと互いに無言で見つめ合って、首を傾げる。
「……あの、もしかして聞いていませんか?」
「たぶん」
「すみません、今のは忘れてもらっていいでしょうか……」
気まずそうにイプシロンは目を逸らした。
……えっと。
「イプシロンが言うなら、頑張って忘れます」
「助かります」
重い空気が流れそうになったので、意識して俺は明るい口調で、
「そう言えば、一つ聞きたいことがあって」
「はい」
「私がイーナの精神の中に入ってる時、中で……まぁ、色々あったんですけど。中で会った色んな人たちは、全部作られた人たちなんでしょうか?」
「作られた人たち、ですか?」
イプシロンは微かに眉を寄せた。
「えっと、上手く言えないんですけど……例えば、中には自分の父親や母親がいて、二人とも話したりして……あれらの会話というか私の言葉に対しての父親とか母親の答えは、全部イーナの精神が作り出したものなんでしょうか?」
「なるほど、そういう意味ですか……。すみません、出来れば答えてあげたいんですけれど、人の精神については私もさっぱりで。聖女が多少は……でも、やっぱり、マオ様しか詳しい所は分からなくて……」
イプシロンは数メートル先に見えてきた扉を見て、一つ頷いた。
「私に聞くよりも、聖女に話してみた方がいいかもしれません。そしたら、聖女がマオ様に話を持っていってくれる……かもしれませんから」
――
執務室に入った俺とイプシロンを迎えたのは、部屋の中央に鎮座する聖石だった。
聖女様はそのすぐ傍に立っていて、聖石に片手を添えていた。
「あ、あの……聖女。これは?」
イプシロンが俺の言葉を代弁してくれた。
「聖石ですが」
「それは、見れば分かります。そうではなくて」
「その話は一旦置いておきましょう……それよりも」
聖女様は俺に右手を差し出してきた。
「黒狼から手紙を預かっています。あとで読むように。それと……一つ言伝を預かっています」
……黒狼って、イーナのことだよな?
イーナから、手紙に……言伝?
困惑しつつ……聖女様から純青の、教会のマークが金で刻印されている封筒を受け取――ろうとしたら、スッと俺の手は空振った。聖女様が顔の高さでヒラヒラと手紙を揺らす。
「やはり気が変わりました。この手紙は今ではなく、またの機会に渡しましょう」
「えっ……なんで」
「下手なことが書いてあって、またあなたに失踪されては堪りませんから」
そう言われると、言い返すことができない。確かに、内容次第では、俺は躊躇せずに行動するだろう。
でも、だからこそ内容が気になる。内容が分からなければ、モヤモヤしたまま何もできないから。
聖女様は目を細めてから、長い溜息を一つ吐いた。
「手紙は、任務が終わってから渡します。心配せずとも黒狼は心身ともに健康ですよ。マオ様の名に誓って保証します。これで満足ですか?」
「……分かりました」
聖女様のことはそれほど信頼できないが、マオさんの名前を出したのなら、取り敢えず信じてもいいだろう。
俺は、ふと思い出して、口を開いた。
「そういえば先ほど、言伝があると言っていましたよね? イーナからの。それは……?」
聖女様は、露骨に嫌そうな顔をしたけれど、観念したように瞼を閉じた。
「黒狼の言葉にどのような意味が込められているか、私には捉えかねるので、彼女が言っていた通りに伝えます。……『アルさん、ごめんなさい』……だそうです。――何をニヤついているんですか、アル聖官」
「い、いえ……すみません」
ニヤついてたつもりは無いんだが……変な顔をしていたらしい。
そうか、イーナもちゃんと覚えているのか。あの……婚約者同士としての、生活を。
なんだか、猛烈に気恥ずかしい。
それはともかく……ごめんなさいって、何のことだ?
捉えどころのない嫌な感じが、一瞬脳裏を過った。
「全く、あの娘は私に何を言わせて……まあ、いいです」
言って、聖女様は聖石をパシパシと叩いた。
「イプシロンの話に戻りましょう。端的に言うならば、この聖石は華に繋がっています。黒狼が華と中央教会を行き来する専用の物として用意しました」
「なっ、聖女、専用って……」
「今回は特例です」
聖女様とイプシロンの話を聞きながら、俺も驚いていた。
聖女様の目の前で、淡く輝く聖石に目を向ける。
俺は唾を一つ飲み込んで、
「あの……それで、イーナは今どこに?」
聖女様はイプシロンから俺に顔を向ける。
「……黒狼は、しばらくはアル聖官と会いたくないと言っています。私にはよく分かりませんし、興味もありませんが……手紙を読めば何か書いてあるのではないでしょうか?」
……手紙。
聖女様の手に握られている手紙に、視線を向ける。
「いずれにせよ、アル聖官は黒狼としばらくは会えませんし、手紙を読む時間はいくらでもあるでしょう。こっちの話は、もうあまり時間がありません」
言って、聖女様は人差し指で聖石を小突いた。同時、聖石の下に青色の光が広がる。
それは、一つ一つの光点の集まった集合。
教会の聖石だと、その教会一帯の地図になっているものだが、今目の前に広がっているのは、もっと広い範囲。
中央教会の大聖石と同じ、世界地図が床に出現していた。
「ここ――」
その内の一カ所を、聖女様は強く踏みしめた。
光点は一つも存在しない。
小大陸。
「現在、教会と朝国は戦争中です。アル聖官にも、参戦してもらいます」
○○○




