48話 『紅色の日常』
「いやいや、それにしても――」
神官様は、キョロキョロと周りを見ながら、
「やっぱり、全然変わらないね、この村は」
驚いて、俺は隣を歩いている神官様の顔を見つめた。
「えっ……神官様、この村に来たことが?」
「ん? ああ……そろそろ何年になるかな? 五年は経ったと思うけど……十年は経ってないかな?」
「それは……」
当然、『儀式』のために来たのだろう。
けど……仮面を被った神官様なんていただろうか?
俺は人の顔を覚えるのが苦手だが……さすがに、そんなにインパクトのある奴がいたら、覚えていそうなものだが。
そんなことを考えていたせいか、無意識にマジマジと見つめてしまっていたのだろう。
「あっ、もしかして気になる? コレ」
カツカツと爪先で神官様は仮面を弾いた。
慌てて、俺は目を逸らす。
「い、いえ……」
「いやいや別にいいよ。気になるのは分かってるから――えっと、これはね」
神官様は、微かに首を傾げつつ、
「確か……ああ、そうだ。火事で火傷をしたんだった。それで家族が全員死んでしまって、僕は孤児院で育ったんだよ、って――ところで、この設定」
神官様は口をへの字に曲げながら、こちらを見てきた。
「あまりにひどくない? もっとマシなのあったでしょ」
「……はい?」
えっと……何を言ってるんだろうこの人は?
ひょっとして、マジで頭がいってるのか?
微妙に神官様から距離を取ると、神官様はそれ以上の距離を迫ってきた。
俺よりも低い位置から、神官様が見上げてくる。
……あれ? というか。
髪の毛が短いし、それに分かりやすい起伏も無いから、てっきり男の人かと思ってたけど……この神官様、もしかして女の人か?
やけに肌のきめが細かいし、ほんわりといい匂いもする。
「聞いてる?」
「えっ、あ……すみません」
我に返って、俺は神官様と視線を合わせた。
神官様は、呆れたように溜息を吐いて、
「まっ、いいか。それより……確か、『儀式』は明日の朝から?」
「はい。明日の早朝より私どもの方で用意しておきますので、神官様には九刻頃には準備を終えられたらと」
「そう。つまりは、今日のところは自由にしていていいんだよね?」
「……? はい、別に構いませんが……」
困惑しつつ俺は続ける。
「ですが……夜はお食事を用意していますから、できればご一緒していただきたく……」
「あ、いやいや。夕食はちゃんと摂らせてもらうよ。かなーり、楽しみにしてたから。そうじゃなくて……夕食までの時間のこと。まだ、しばらくは日が明るいでしょ?」
「ええ、それなら。神官様については、ご自由にお過ごしになっていただいて構いません」
「そう――よかった」
神官様は、ニッコリと微笑んだ。
「それじゃあ、夕食までの予定は決まりだ。エンリ男爵――僕と一緒に森に入ろうか」
――
迷い無い足取りで、神官様はズンズンと森の奥へと歩いていく。
道なんてものはない。
いつも討伐で使ってるルートからはとっくの昔に逸れてしまった。
「あ、あのっ!」
地面を這う木の根っこを跳び越えてから、俺は神官様の隣へと小走りで追いつき声をかけた。
「なに?」
「その、一体……どこに、向かっているんですか?」
「さぁ、どうだろ? そのうち分かるんじゃないかな?」
神官様は足取りを微塵も緩めることなく、適当な答えを返してきた。
内心、この野郎……いや、野郎かどうかも怪しいのか。
なら……この神官様、か? いや、それはどうでもいい。
ともかく、顔だけは笑顔をキープしておく。これ大事。
「いえ、でも……それなら、これは何のための? 別にこの村の周りには……何も無いですよ?」
「うーん、たぶん、何かがあるはずなんだけどねぇ。何かは分からないけど」
「……そんな、適当な」
そんな俺の呟きが木々の間へと消えていったのを最後に、しばらく俺と神官様は無言で歩いていた。
十数分後、口を開いたのは神官様だった。
「そういえば聞いたんだけど……エンリ男爵は、妹さんと今度結婚するんだって?」
……突然、プライベートなことを聞いてきたな。
シエタ村の『儀式』は、エンリ村よりも先に行われる。おそらく、ラインハルト辺りが話したのだろう。
まあ、特別隠すような情報でもないので、俺は頷いた。
「はい、そうです。あっ、でも、妹とは言っても、血は繋がっていませんから。妹は拾い子なので。王都の方で色々あったせいで私の婚姻相手がなかなか見つからなかったもので……特例として認められたようです。結婚相手がいないと言っても、流石に平民は難しいですからね……その点、妹は教養や作法もちゃんと身に付けていますし」
「ふーん、なるほど。ねっ、一つ興味があるんだけど」
神官様は足を止めて、俺の方を見てきた。
「それって、どんな感じなの? いくら血は繋がってないって言っても、長年兄妹として一緒に暮らしてきたわけだよね? やっぱり、何と言うか……難しくない?」
神官様の問いかけに、俺は思わず苦笑してしまった。
こういうデリケートな問題に、こうもズケズケと言って来られると……逆に不快な気持ちはしない。
むしろ清々しささえ感じてしまう。
「……まあ、そうですね。確かに、決定した当初は困惑しました。実際、自分でも無理じゃないかと思ったんですけれど……時間が経つにつれて、何となく受け入れれてきた気がします。なんでかって聞かれると、困るんですけどね。……まあ、何となく、何とかなりそうって感じです――答えになっているか分からないですけれど」
「へぇ……つまり。結婚相手がいないから仕方なく結婚するわけではなくて、本当に相手に対して好意を抱けてるってこと?」
真顔で聞いてきた神官様から、俺は視線を逸らした。
唇を軽く歪めつつ、
「……端的に言ったら、そういうことです」
「ほぉ……端的に言ったら、ね」
微妙に笑いの含まれた声で、神官様は繰り返した。
それから、仮面の下の唇を三日月型に伸ばして、
「なら、よかったよ。そういうことなら……僕から言うことは何もないかな。『儀式』の時に、祝福の言葉をあげようか?」
そんな提案をしてきた。
想定外の言葉に、俺は一瞬思考が真っ白になって……直後に、大きく頷いていた。
「ぜひ、お願いします」
神官様から祝福を受けるということ自体に、俺は特にありがたみを感じないけど……何より、『儀式』が盛り上がりそうでとてもいい。
――
それから、神官様とあまり中身のない話をして――神官様はどうやら話好きなようで、基本的に神官様が話して、俺は相槌を打つ感じだったのだが、一刻ほど経った頃、
「あ」
突然、神官様が声を漏らしてから立ち止まった。
「あったあった、あれだね」
頭に疑問符を浮かべながら、神官様の視線の先へと目を向けると……何か、キラキラしたものが、木の根っこの陰に隠れている。
神官様は小走りでそこへと向かい、俺が止まって見ている間にさっさとその『何か』を拾ってきた。
「……これ、何か分かる?」
神官様が両手で抱えていたのは、人頭大の……血のような濃い赤色の――
「青石? ……でも、なんでこんな所に――っというか、色も変ですし」
マジマジと、神官様の手の中の深紅の青石を観察してみる。
表面は滑らかで、逆さの俺の顔を反射している。そこだけを見ると、ただの水晶玉なのだが……前世で占い師が使っていた水晶玉と違うのは、玉の内部で煙のような物が蠢いている所だ。
絶えず形を変えながら、深紅の煙が――普通は青色の煙なのだが、それが内部でゆっくりと動いている。
「……なるほど、青石か」
俺と同じように青石を見つめていた神官様は、考え込むよう呟いてから……バッと顔を上げて、仮面越しに俺を見てきた。
「やっぱり、決まりだね……それじゃあ、帰ろうか」
「……? 何か、用事があったのでは?」
「ああ、これこれ。これだよ。この青石を見つけることが……目的だったみたいだね」
また、神官様が訳の分からないことを言っている。
目的だったみたいだね、って。まるで、何が目的だったか知らなかったみたいじゃないか。
やっぱり、かなり濃厚に勘づいていたが……今、俺の中で確信した。
この神官様は、頭のネジを幾つか無くしてしまっているのだろう。
俺は過去にまともな神官様たちにしか会ったことがないが、風の噂では、結構変な神官様ってのは多いらしいし。
神官様は、ヨイショッと言いながらいつの間にか取り出していた麻袋の中に、深紅の赤石を仕舞っていた。麻袋の口には紐が通されていて、そこを引っ張ると巾着のように閉じられる仕組みらしい。
実際、神官様は麻袋の口を絞って、長く伸びた紐を、ナップザックのように肩にかけた。
一瞬、チラリとこっちを見てから神官様が歩き出したので、俺も隣に立って歩く。
「話は変わるけど」
ふと思い付いたような口調で、神官様は続けた。
「エンリ男爵は、今の生活……幸せだと思ってる?」
いい加減、いちいち神官様の突拍子もない話に、困惑しなくなってきた。
俺は、ちょっと考えて、
「まあ……そうですね、はい。食べるに困ってはいませんし、健康ですし」
「退屈じゃない? 毎日毎日同じ生活で」
「そうですね……確かに、神官様の目から見たらそう見えるかもしれませんね」
神官様は、おそらく色々な場所を飛び回っているのだろう。
色んな場所に行って、色んな人に会って、色んな出来事を経験して。
対して……俺はエンリ村に縛り付けられている。
たまに外に出ることもあるが、基本的にエンリ村という狭い範囲でしか行動しない。
そして、そのエンリ村で、毎日同じような生活を送っている。
――だけど。
「でも、ちゃんと幸せです。何も無い、代り映えの無い日常が……私は好きです。変化があれば、それは楽しいコトかもしれませんけど……必ずしも楽しいコトだけじゃないと思いますから。――まっ、何より……楽しかろうが詰まらなかろうが、私は一生ここで生きていくしかないんですけれどね。だとしたら、楽しんで過ごさなきゃ、損でしょ?」
「……ふーん、そっか。エンリ男爵は、自分ではそう思ってるのか」
独り言か呟いて、神官様は西に傾いてきた太陽を見上げた。
「それならもう一つ……あくまで例えばの話だけれど。エンリ男爵の大切だと言ってる日常、それを形作っているもの……そうだな――せっかくだし、エンリ男爵の妻になるという、イーナ準男爵令嬢にしようか。もしもその人が、このエンリ村から誰かに連れ去られてしまったら、その瞬間……エンリ男爵の大切な日常は壊れてしまうわけだ。その時……エンリ男爵ならどうする?」
……また、変なことを聞いてきたな、と苦笑しつつ、俺はちょっと真面目に想像してみる。
もしもイーナが、誰かに誘拐されたら……。
「それは……いる場所が分かっているなら、全力で探し出そうとすると思います」
「まあ。そうだろうね。じゃあ、次は……無事にエンリ男爵が、イーナ嬢を探し出して、エンリ村まで連れ戻してくることができたとしようか。その時、エンリ男爵はどうする?」
「……どうする?」
質問が漠然としすぎていて、よく分からない。
「例えば、これまでは本人の好きなように行動させていたけれど、誰かに常に一緒にいてもらうようにするとか……そういう行動の変化は起きるかな?」
神官様が付け足した言葉で、ようやく何を言わんとしているか理解できた。
「どうでしょう……たぶんですけれど、全くこれまでの通りとはできなさそうですが。もしかしたら、神官様のおっしゃる通り、できるだけ誰かに傍にいてもらうようにするかもしれませんし、私自身も前よりも気を付けて様子を見るようにする……かな、と」
「それでも、イーナ嬢にはある程度自由に行動させるわけだ。一番安全なのは……イーナ嬢を家に閉じ込めて、あらゆる場所に鍵をかけて、二度と外に出さないことだと思うけど」
俺は若干引いて、神官様から半歩分だけ距離を取った。
「……いやいや、流石にそんなことはしないですよ」
「どうして?」
俺の方を見つつ、神官様は一歩分近付いてきて、
「だってそうでしょ? 家の中が一番安全だよ。外には何があるか分からないんだから。変な毒虫が、いきなり全てを奪い去ってしまうこともあるかもしれない。なら、大切なものは家の中に閉じ込めてしまうことが……正解じゃないかな?」
「……まあ、確かに私だけの立場から言えば、それが正解なのかも知れませんが、それじゃああまりにも、閉じ込められる側が窮屈じゃないですか?」
「窮屈?」
神官様が疑問形で聞いてきたので、俺はその場に屈んで――たまたま目に付いた、白色の花を摘んだ。
「例えば、家に閉じ込めてしまったら、ふと花が見たいなと思ってもそこにはないでしょう。あるいは、走り回りたいと思っても走る場所は無いですし、他にも色々……家の中なんて小さな空間だけでは、窮屈だと思いますが」
俺は立ち上がって……なんとなしに、その白い花を神官様に手渡した。
神官様は両手で花を受け取ってから……コテン、と首を傾げた。
「本当にそうかな?」
だいぶ、日が傾いてきた。
ついさっきまでは明るかった空は、いつのまにか紅色に染まっていて……神官様の仮面が、赤い光を反射している。
「花が無いことも、走り回れないことも、それを不自由だと感じるのは、そもそもその存在を知ってるからだよ。自由を忘れてしまえば、そもそも不自由だとは感じない。花という存在も、走り回った記憶も、それを失ってしまえば……不満は出てこない。だとしたら、家の中でも、幸せに生きていくことができるんじゃないかな?」
唇でニュッと弧を描いて、神官様は続けた。
「……まっ、それが本人にとって本当に幸せなのかどうかは、僕には分からないけどね」
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