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47話 『赤色の日常』



「――だいぶ」


 額に滲んだ汗を手のひらで拭いつつ、父上は空を見上げた。


「暑くなってきたな……」

「止めて下さいよ。そうやって言われると、余計に嫌になるじゃないですか」


 俺も顔をしかめつつ、手で影を作りながら空を見上げてみる。


 そこでは、煌々と輝く太陽が、楽しそうに俺たちのことを炙っていた。


 ここは、森の中。


 くそ暑い七月晴天。


 通気性なんて概念が皆無の革製の鎧を身に着け、それなりの重さの金属製の剣を腰に提げて……俺率いる討伐隊の面々は、エンリ村北側の森に入っていた。


 魔物は、夏でも冬でも関係なく発生する。


 虫は、今日みたいに暑すぎる日には活動性が落ちるものだが、魔物には暑いなんて感覚がないのか、元気いっぱいだ。


 ……ほんと、腹立たしい――っわ!


 ちょうどすぐ傍の木陰から飛び出してきた魔物を、抜き放った剣で両断する。


 斬ってから分かったが、ガマガエルみたいなヌメヌメしたキショイ奴だった。


「これで三匹」


 ちゃんと、倒した魔物を数えておく。


 あとで、証石を握らないといけないからな。


「そうだ。言うのを忘れていたが、そろそろ『儀式』だろう? 準備は問題無いのか?」


 のんきな口調で父上が言った。


「えっと……青玉台は取りあえず用意できてて、神官様用の部屋も、この間イーナが掃除してくれました。あと、屋台は、行商人が三人。去年と同じ人たちから、手紙がありました。……屋台は」


 どうだったか?


「おじさん」


 振り返って声をかけると、隣の仲間となにかを話していた初老のおじさんが、会話を止めて俺の方へと歩いてきた。


「どうしました?」

「いえ、確かおじさん、木工細工の屋台を『儀式』で出してくれるって話で……ちょっと作業が遅れてるって聞いてるんですけど、今はどんな感じですか?」

「ああ、ほんと迷惑をかけたね。ここ数日、妻と一緒に根をつめて取り掛かったから、何とか最低限は用意できたよ」

「いえ、こっちこそすみません。大変なお仕事をお願いしてしまって」


 おじさんは、もう五十を過ぎていたはずだ。


 この世界の基準では、十分お年寄りの部類。


 体に差し障りがなければいいが……。


「いやいや、当然だよ。『儀式』の屋台出しは、持ち回りだからね。それに、私も妻も、好きでやってるわけだから。確かに大変だったけど、すごく楽しかったよ。妻ともそう話していたんだ」

「ほんと、ありがとうございます」


 頭を下げてから、俺は父上へと顔を向けた。


「屋台も、何とかなりそうです。他に、何かあるでしょうか?」

「……うん。聞いた限りだと、大丈夫そうだな。あとは本番、色々とあるだろうが……まあ、何とかなるだろう。私もいるし、困ったら頼ってくれていいからな?」

「はい」


 安堵の息を吐いてから……俺は正面を見た。


 緑の木々の立ち並ぶ、知らない人が来たら遭難の恐怖を感じそうな景色だ。


 だが、俺にとっては、小さな頃から数百と通ってきた道。


 具体的にどこ、とは言えないけれど、何となく今自分が森のどの辺にいるかくらいは把握できる。


 ……ちょうど、道程の半分くらいだな。


 まだ半分もあるのか、と鬱な気持ちになって、俺は視線を地面に落とした。


 そこで、ふと目につく。


 少し先の……木の根元。


 あまり見たことのない鮮やかな赤色の花が、一本だけポツリと咲いていた。


 あのー、あれだ。日本での検察官バッジ。あの花、実際は何色なのか知らないけれど、形はあれによく似ている。その、赤色バージョン。


 ちょっとだけいつものルートを外れて、その花を摘んでみた。


「どうした?」

「いえ」


 後ろから俺を覗き込んできた父上に、俺はその花を見せた。


「あんまり見たことのない花でしたから、ちょっと気になって。――父上は、見たことあります、コレ?」

「んん? ……ん……見たことあるような、ないような? あまり普段、興味を持って植物を観察していないしな」

「そうですか」


 ふーん、そうか。


 でもまあ、三十年以上生きてきた父上が、確証を持って見たことがあると言えないんだったら、それなりに珍しい花なのかな?


 別に、珍しかろうがそうじゃなかろうが、見た目が綺麗っていうのが一番大事だと思う、が……やっぱり、物珍しいことってのは、それだけで価値がある。


 俺は、腰から手ぬぐいを取り出して、それを、水筒の中の水で軽く湿らした。


 手に持っていた赤い花を、その湿った手ぬぐいで優しく包んでやる。


「何してるんだ?」


 眉をひそめつつ聞いてきた父上に、俺は立ち上がりながら答えた。


「いや……その、イーナが喜ぶかなーって思って」


 父上が、露骨にニヤニヤした。


 俺の小腹の辺りを小突きながら、


「全く、アルも案外隅に置けないな」

「どういう意味ですか、それ」

「いやいや……私は嬉しいぞ。――おーい、皆!」


 突然、父上が周りの討伐隊の面々へと大きな声で呼びかけた。


「どうしました、先代?」

「ほら、これを見てくれ」


 集まってきた男衆に、父上は俺の方――より正確には、俺が手ぬぐいで包んでいる赤い花を指差した。


「なんかな、アルの奴が、イーナにこの花を贈ってやりたいそうだ。花が萎れてしまわないうちに、今日の討伐はさっさと切り上げるべきだと私は思うんだが――反対の者は挙手!」


 シーンと、沈黙が場に満ちた。


 真剣な顔の者が半分、呆れ顔がそのさらに半分、ニヤニヤ顔が残り四分の一だ。


 父上は、やけに真剣な表情で続ける。


「……では、賛成の者は――挙手!」



 ――



「イーナ、これ」

「えっ?」


 赤い花を差し出すと、キョトンとした顔でイーナは体の動きを止めた。


 俺は微妙に視線を逸らしながら、


「いや、なんか……討伐中に綺麗な花があったから……イーナが喜ぶかなって」

「あ……その、ありがとうございます、アルさん。嬉しいです」


 はにかみながら、イーナは俺の手から花を受け取った。


 イーナはジッと、その花を見つめていたかと思うと、おもむろに……花簪のように、赤い花を黒髪に挿した。


 上目遣いに見つめてくる。


「……どう、でしょうか? 似合いますか?」

「――あっ、おう! 似合うぞ!」


 いかん、一瞬俺……我を忘れてた気がする。


 イーナの様子を見る限り、それほど長い時間ではなかったみたいだが……数秒程度か?


 イーナは、恥ずかしくなってきたのか、頬を真っ赤に染めている。


 慌てたように、俺の手から湿った手ぬぐいを取って、


「そ、それじゃあ私……お洗濯してきますね。お昼ご飯は、今日は夕ご飯がたくさんなので簡単なものですけど、机に準備してあります。ゆっくり食べてくださいね!」


 パタパタと小走りで、イーナは台所の向こうへと消えていった。



 ●○●



 俺とイーナの婚約が成立してから、二カ月が経った。


 別に、婚約したからといって、何が変わるわけでもない。


 当然、最初は何となく実感がなかったし……今でも、とても実感があるとは言えない。それでも、俺の中でちょっとずつ整理がついてきた気がする。


 王国法の規定においては、『儀式』を終えた男女は自由に結婚する権利を持つ。


 俺は十八で、とっくに成人しているし、イーナも去年成人した。


 だから、やろうと思えばすぐに結婚することもできたのだが……いかんせん時期が悪かった。


 七月から八月にかけて、この辺りでは神官様の主導により、『儀式』が執り行われる。


 神官様は教会の下に位置する人たちだから、本来は王国の身分制度の枠外の存在だ。だが、教会と王国は古くから濃厚な関係を築いているから……当然、慣例的な目安は存在する。


 それによると、教会のトップ――聖女様は、国王よりも上に位置する。


 そして、神官様は……おおかた、伯爵と同等以上。


 そんなお偉いさんが、田舎の村々を巡って行くんだから、迎える方は大忙しなわけだ。


 エンリ村みたいな木っ端貴族の結婚なんて、神官様のお誕生日会程度の価値さえないので……この時期に結婚式なんてしても、誰も来ない。


 別に俺の感覚ではそれで構わないが、やっぱりしきたり的なものを破ると後々面倒になることがあるので……俺とイーナの結婚は九月――『儀式』が一段落してから執り行われることに決まった。


 というわけで、今の俺にとってのイーナは……元幼馴染で、元妹で現婚約者で……将来のお嫁さん、という、訳の分からないてんこ盛りの存在となっている……わけだけど――まあ、イーナはイーナじゃんって、最近では考えられるようになってきた。


 ……ともかくも、イーナのことも大事だけど、俺はエンリ男爵であって、その責務から逃げられるわけではない。今はもっと、大事なことがある。



 ――



 お腹が痛い。


 ボンヤリと頭の中で考えて、俺は何度目かの溜息を吐いた。


 エンリ村の南からは、緩やかに蛇行しながらずっと遠くまで道が伸びている。


 エンリ村に存在する、外への唯一の道だ。


 まあ、森を抜けるのも不可能ではないだろうけど……魔物がどれだけいるかも分からないし、わざわざそんなことをする意味もない。


 俺は、そんなエンリ村の玄関――『エンリ村』と文字の彫られた、粗末な縦丸太の隣に立っていた。


 今日、神官様が来るらしいので、そのお迎えだ。


 去年は、父上と一緒にお迎えをしたのだが、今年からは俺一人。


 ……緊張する。


 去年の神官様みたいに、怖そうな人じゃないといいんだけど……こればかりは、会ってみないと分からないんだよな……。


「……はぁ」

「溜息でお迎え? 感心だなー」

「……え?」


 後ろから声が聞こえて、俺は慌てて振り返った。


 そこに立っていたのは、


「で、君がエンリ男爵で……合ってるよね?」


 肩に銀三環――教会のシンボルが刺繍された青ローブを身に纏っている。


 顔の上半分を黒塗りの仮面で覆った神官様が、そこに立っていた。


「え、あ……はい」


 混乱のままに答えてから――俺は慌ててその場に跪いた。


「も、申し訳ありません、神官様! このような態度でお出迎えしてしまって!」

「いいよいいよ、そんなことしなくても」


 軽い調子の声が聞こえたので、俺は恐る恐る顔を上げた。


 神官様は、なぜか顔の上半分が三日月型の仮面で覆われているので、表情が分かりづらい。


 けれど……全体の雰囲気として、なんとなく、本当に怒っていないように見える。


 これは……今年の神官様は当たりか?


「しかし、神官様。私の目からは……神官様が道を通ってきた姿は見えなかったのですけれど、どこからいらしたので?」

「ん? 普通に道を通ってきたよ?」


 神官様は、右手の人差し指を一本立てて、それを俺の顔の目の前でグルグルし始めた。


「でも、ちょっとだけ意地悪したけどね。途中までは普通に道を歩いていたわけだけど……ずっと遠くから、村の入り口に君が立っているのが見えてね。ちょっとだけ驚かしてあげようかと思って、道を迂回してきたっていう、それだけだよ」

「……その、一つ尋ねてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ?」

「……どうして、わざわざそんなことを?」


 神官様は、唇だけで薄く笑ってから答えた。


「仕返し」

「……しかえし?」


 なんの?


 俺が頭の中で思った瞬間、神官様は小さく噴き出した。


「いや、だって……ここまで来るのは一苦労だったから。何度心が折れそうになったことか。でも、僕が来なくちゃどうしようもなさそうだったからね……頑張って来たわけだよ。ちょっとくらい仕返ししたって、罰は当たらないでしょ?」


 「それに、反応が面白そうだったし」と、神官様は最後に付け足した。


 エンリ村は、三方を森で囲まれ、南側だけに道が伸びている。つまり……他の村から飛び出すように存在するわけで、エンリ村は経由地ではなく終着点にしかなりえない。


 だから、エンリ村に用のある人しか基本的に来ることはないし……エンリ村に用のある人と言ったら、たまの行商人と、神官様くらいだ。


 確かに、神官様からしたら面倒な場所に位置する村だとは思うが……そんな大げさに言うようなことか? 心が折れそうとか……別に断崖絶壁の渓谷を越えないと来れないわけじゃあるまいし。


 そんなこと言いだしたら、行商人のおっちゃんたちはどんだけ強靭なハートを持ってんだよってことになる。


 ……たぶん、神官様が最後に付け足した、「面白そうだったから」というのが、本当の理由だったのだろう、と理解して……ついでに、今年の神官様は変な人なのだと受け取って、俺は真面目な顔で立ち上がった。


「それでは、神官様。お部屋をご用意していますので、こちらへどうぞ」



 ●○●

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