46話 『桃色の日常』
「帰ったよー」
玄関扉の前でラインハルトが言うと、家の内側から扉が開かれた。
「お帰りなさい、あなた。遅かったで――これはまた……大きなのを狩りましたね」
オリヴィアさんは目を真ん丸にして、俺とラインハルトが担いでいる獲物を見上げた。
「いやぁ、運が良かったよ。この大きさのは、年に数匹獲れるかどうかって所だからね。これも、普段の僕の行いがいいからだね」
「そうだといいですね。血と内臓はキチンと処理してきましたか?」
オリヴィアさんに軽く流されたのを気にしたふうもなく、ラインハルトは猪を肩から下ろした。
応じて、俺も肩の荷を地面に落とす。
「血抜きは終わってる。便の処理は時間が無さそうだったから、胃より下は森に捨ててきたよ。残りは入れっぱ」
「……となると、即座に腐ることはなさそうですね。夕飯の間くらいは。あなたも、今晩処理するのは手伝ってくださいよ?」
「もちろん」
ここで、オリヴィアさんはハッとした顔をして、俺へ視線を向けてきた。
「あっ、すみません。エンリ男爵。エンリ男爵もお疲れ様でした」
「いえ、ほとんどラインハルトさんだけで狩りましたから。私は話し相手になっただけですよ」
「……主人が、何かご迷惑などかけなかったでしょうか?」
オルヴィアさんが心配そうな顔をしながら尋ねてきた。
……なんでラインハルト、こんなに信用されてないんだろ?
ハラハラとした様子で俺を見守るラインハルトを目の端で確かめつつ、俺は精一杯ヨイショしてあげた。
いや、流石はラインハルトさんですわー。
すごい勢いで突進してくる猪を、一閃。喉を掻っ切って、それでおしまい。
自分なんて、何が起こったか全然分からなかったですー、云々。
まあ、実際。傍から見ていても安心して任せることのできる手際だった。
ラインハルトが絶対に勝てない相手なんて、白虎とか狒狒とか……まあ、そこらの護衛隊の人くらいだろう。
オリヴィアさんとラインハルト、俺の三人で、そんな風に笑い合いつつ歓談していると、
「オイ!!」
と叫びながら、柔らかそうな栗毛の幼児が、トテトテと、転げそうになりながら家の中から走り出してきた。ハシッと、ラインハルトの足にしがみつく。
「あっ、オルトくん――待ってください!」
と言いつつ、幼児に続いてイーナも出てきた。
そこでちょうど、イーナと目が合った。
「兄さん、おかえりなさいです」
「ああ、ただいま」
これまでに、何度も繰り返したやり取り。
だけど、ちょっとはにかみながらイーナが言ってきたので、俺もちょっと気恥ずかしくなる。
俺は、ラインハルトに抱っこして持ち上げられた幼児に目を向けた。
……うわ、めっちゃラインハルトに似てる。
可哀そうに。二分の一を外しちゃったか……。
「えっと、オルトくんで合ってますかね?」
目線を合わせつつ話しかけてみると、コテン、と首を傾げられた。
助けを求めて視線を上に滑らすと、ラインハルトは苦笑いをしていた。
「ひょっとして、アルくん。子どもと話すの苦手かい?」
「はい、苦手です」
「そんな遠回しに言っても分からないから、もっと直接的に言った方がいいよ」
ふむふむ、なるほどね。
確かにそうだ。
ラインハルトのアドバイスに従って、ちょっと考えてから再びオルトくんと視線を合わせた。
「あなた、オルト?」
「うんっ!」
どうやらオルトくんは人見知りしない性格のようで、ニッコリと笑顔を見せてくれた。
不覚にも、ちょっとだけほっこりとしてしまう。
「年、いくつ?」
「えっとね、えっとね、ふた――」
指を二本立てた姿勢で、突然動きが停止したかと思うと、
「みっつ!!」
ピョコリと、もう一本指を加えて、オルトくんは自慢げに言った。
「あなた、ついでですから、オルトをそのまま水浴びに連れて行ってあげてくれませんか? 元々はイーナ嬢に頼んでいたのですが、あなたがいるならあなたに頼んだ方が良さそうですから」
「うん、分かったよ」
「エンリ男爵も、ご一緒にどうぞ。汗をかいてらっしゃるでしょうから」
オリヴィアさんの言葉に、ありがたく頷く。
猪を狩ること自体は造作も無かったのだが、何分それまでが長かった。
森を歩き回っている間に軽く汗をかいてしまったし、それ以上に乾燥した地面から舞い上がった土埃のせいで、体中かキシキシする。
ちょうど、イーナが手に体拭き用の布を三枚持っていたので、それを両手が塞がっているラインハルトの代わりに俺が受け取った。
●○●
ラインハルトの家のすぐ近くには、小川がある。
主に生活用の水として使われていて、下流で畑に注ぎ込んでいる。
皆の飲み水になるものだから、そこで水浴びなんて日本では完全にマナー違反だが、そこら辺がこの世界では緩い。どうせ一回煮沸するし、ご自由にどうぞって感じだ。
なんで、外で躊躇いなく全裸になれる野郎どもの姿を、暖かい季節にはちょくちょく見かけることができる。エンリ村にも似た小川があって、同じような光景が見られるのだが……いかんせん家から遠いので、俺はあんまりやった記憶がない。
つまり何を言いたいかというと……ちょっとだけ恥ずかしい。
普通に農作業帰りの老若男女が近くを通っていくし。
それどころか、ラインハルトは領主様だから、ちょくちょく声をかけてきたりするし。
ちょっと雑談ってだけじゃなく、真面目な仕事の話をしてたりもする。
全裸のマッチョが、真面目な顔をしながらウンウン頷いている姿は、見ていると飽きない。
堂々としたマッチョな背中を眩しく眺めつつ……俺は体を丸め、手のひらですくった小川の水を、全身にかけていた。
すぐ傍では、バシャバシャとオルトくんが一人で水遊びをしている。
この子が溺れたりしないか見張っておくのが、俺の仕事だ――なんて思いつつ、オルトくんをガン見していたせいだろうか?
「にーに、あたま、あらって?」
オルトくんが突然、俺の膝に両手を置きながら言ってきた。
「……にーに? ……私のことですか?」
「うんっ!」
と元気いっぱいに言って、オルトくんはあぐらをかいている俺のふくらはぎの上に座った。
どうやら、俺の返事を聞くまでもなく、オルトくんの中では俺が頭を洗ってくれることが確定しているらしい。
……いや、まあ断る気もないんだけど。
何となく釈然としない気分になりながら、俺は小川から水をすくって、それをオルトくんの髪の毛にかけた。シャカシャカと、マッサージする感覚で手を動かす。
子どもの髪の毛って柔らかいなーとか思っていると、数分経った頃だろうか?
「ごめんね。オルトの面倒見てもらって」
隣に全裸のマッチョが座っていた。
「いや、どうせ暇でしたし。案外と大人しくしてくれてたので、あまり手間もかからなかったですよ。これくらいだったら、むしろサラ――」
●○●
「ごめんね。オルトの面倒見てもらって」
隣に全裸のマッチョが座っていた。
「いや、どうせ暇でしたし。案外と大人しく――」
そこで、俺はようやく気が付いた。
全く身動きせずジッとしてるな、と思ってたら、オルトくん座ったまま寝てるじゃん。
柔らかなほっぺを突っついてみても、全然起きる気配がない。
「……そろそろ戻りますか? オルトくんもおねむみたいですし」
「だね」
言って、ラインハルトは立ち上がった。
近くに畳んで置いてあった布を取って、こっちに放ってくる。
それを右手で掴み、俺はオルトくん左手で抱えながら立ち上がった。
「あっ、オルトは僕が拭くよ。アルくんは先に服を着ててくれ」
「ああ、はい。どうぞ」
ラインハルトにオルトくんを手渡して、俺は言われた通りに先に身支度をさせてもらうことにする。
その最中、
「どう?」
突然、ラインハルトが言ってきた。
「はい? 何ですか?」
いったん服を着る手を止めて、オルトくんを器用に手の中で回転させつつ、布で拭いているラインハルトに目を向ける。
ラインハルトはこちらを見ることなく、世間話をする調子で、
「子どもも、案外いいものでしょ?」
●○●
水浴びからラインハルト家に戻ると、家の中は美味しそうな香りで満ちていた。
机一杯が皿で満たされ、それぞれの皿に別の、バラエティ豊かな料理が並んでいる。
イーナが料理上手なのは知っていたが、どうやらオリヴィアさんもかなりの腕前のようだ。
まあ、見た目できる人っぽいから、それほど驚きはなかったが。
食事の席は、俺が思っていた以上に盛り上がった。
食事開始早々に、ラインハルトが秘蔵だという果実酒を部屋から取ってきたせいである。
お堅いオリヴィアさんにまたどやされるんじゃないかと怖さ半分興味半分で、俺は瓶を抱えたラインハルトとオリヴィアさんの様子を眺めていたのだが、意外なことにオリヴィアさんは何も注意することなく、それどころか、眠そうな顔をしていたオルトくんを寝室に行って寝かしつけることさえした。
結論から言うと、オリヴィアさんは大のお酒好きだった。
ついでに言うと、それほどお酒に強くはなかった。
ラインハルトから半ば奪い取るようにして秘蔵の果実酒を手にしたオリヴィアさんは、手際よく他の三人分のコップにお酒を注ぎ、それから自分のコップに並々と注いでから、一気にそれをあおった。
次の瞬間にはオリヴィアさんの顔は真っ赤になっていて、アッと言う間もなく、オリヴィアさんの隣に座っていたイーナに絡んでいた。
「すっごく美味しいですよ、飲んでみて下さい。――ほら」
と、ハキハキとした口調で言ってから、オリヴィアさんは机からイーナのコップを取り、抵抗しようとするイーナの喉に無理やり酒を注ぎ込んだ。
それを見た瞬間、ヤバいと思って避難しようとした俺を引き留めたのは、ラインハルトだった。
すごくいい笑顔で俺の腕を鷲掴み、酒瓶を俺の口にあてがおうとしてくる。
そこで初めて気付いたが、いつの間にかラインハルトのコップも空になっていた。
……そこから先のことは、ボンヤリとしか覚えていない。
ただ……何となく楽しかったイメージだけが残っている。
――
目が覚めると、イーナと目が合った。
状況が全く理解できずに、イーナの黒い瞳を見つめてしまった俺を、イーナも無言で見つめ返してくる。
「……え、っと?」
ふと我に返って、俺はまずイーナと距離を取った。
横たわっていた状態から体を起こし、周囲の状況を確認する。
……ここは?
場所は、小さな部屋の中。
灯りはついていなくて、すぐ傍の窓から注ぎ込む月光だけが、室内を薄く照らしている。
月光を背景に、俺に少し遅れてベッドから身を起こしたイーナのシルエットが見える。
「――」
……ベッド?
慌てて下に目を向けて、自分が今現在座っている場所を確認すると……俺も、同じベッドに座っていた。
「兄さん、大丈夫ですか?」
俺と対照的に、落ち着いた様子のイーナは立ち上がって、ベッド際の小机へと向かった。
机の上には陶器製の水壺が置かれていて、柄杓が一本突っ込まれている。
イーナは、その柄杓に水をすくって、
「一口飲みますか? 多分、気分がよくなると思います」
「え? ああ……」
そういえば、さっきまで酒を飲んでたんだったな。記憶が朧だけど。
別に気分が悪かったりはしない。むしろ、スカッと頭が冴え渡っている感じだ。
とはいえ、せっかくの好意を無下にするわけにもいかないので、俺はイーナから柄杓を受け取った。
ヒンヤリと冷えていて、若干火照っている体に心地いい。
「気分はどうですか? 兄さん、ラインハルトさんにかなりお酒を飲まされていましたけど……」
心配そうな顔をしながら、イーナが覗き込んできた。
「大丈夫大丈夫……というか、俺、そんなに飲んでたのか?」
「そうですね……ラインハルトさんと兄さんだけでも、酒瓶二つほど空けていましたよ」
……酒瓶二つ?
もしかして、あのブッといやつをか?
……全く記憶にない。
なんだか薄ら寒い物を感じて、俺はイーナの様子を伺った。
「……その、俺何か変なことしてなかったか? 変なこと口走ったりとか」
裸踊りとかしてないだろうな?
普段の俺だったら絶対にしないが、記憶がないから自分が信用できない。
お酒を飲んだことは何度もあるが、記憶を失うのは初めての経験だ。
……物凄く、怖い。
「えっと、その……変なことは特にはしていませんでしたよ? ただ、ラインハルトさんと二人で楽しそうにしていただけで」
イーナは、歯に何か物が挟まったような物言いだった……。
気になったけど……聞いた所で、ただただ後悔する予感しかしない。
俺は、全てをなかったことにすることにした。
「――ところで、ここは?」
「ああ、ここは。シエタ村の端っこの方にある空き家です。つい二年前までここでお爺さんが一人暮らししてたみたいなんですけど……その、お休みになってしまったので。一時的にラインハルトさんが管理しているらしいです。今日は、私と兄さんはここに泊ってくださいと」
「……なるほど」
言った直後に、何が『なるほど』なんだと自分に突っ込みつつ、俺はそうやって意識を逸らそうとしても、否応に高まる胸の鼓動を感じていた。
つまりは、あれだ。
ここは……俺とイーナが、この一晩を過ごすための場所ということだ。
音が出ないように気を付けて、唾を飲み込む。
「えっと、その、なん――」
「兄さん」
想定外にイーナが割り込んできて、俺は慌てて口を閉ざした。
イーナは真剣な表情で俺を見ていて、
「実は……もうあと数刻もしないうちに夜明けでして」
イーナの視線に釣られて窓の外を見ると、満月からやや欠けた月が見えた。
空の、そこそこ高い位置にあるけれど……季節と月齢、十数年の経験から考えて、あと一、二刻くらいで夜明けだと理解できた。
イーナは申し訳なさそうな顔をしながら、俺へと視線を戻してくる。
「ごめんなさい。本当はもっと早く起こすべきだったんですけど……私の目が覚めたのも、兄さんの少し前で。ただでさえ、色々とあって兄さんはお疲れでしょうし、明日からお仕事もあります。その……このままお休みになった方がいいかなって」
「あ、おう……そうだな。確かに、もう時間が……」
そうか、時間がないのか。
確かに。
流石に何も言わずに二日も自領を留守にするわけにはいかないし、明日は……というか、もう今日か。
朝一にここをたって、エンリ村に向かわないといけない。
エンリ村に着いたら着いたで、今日は討伐の日だし、溜まってる書類も処理しないといけない。
……仕方ない、か。
そう、自分で納得して、俺は頷いた。
「だな。しょうがないし、もう寝るか」
言うが早いか、俺はパタリと寝台に横たわって、すぐさま壁際へと寄った。
イーナの方を見ながら、ポンポンと自分の隣を手のひらで叩いて、
「イーナもちゃんと寝台で寝ろよ。疲れてるのも、朝一でエンリ村に帰らないといけないのも、俺と同じなんだからな」
これは、予防策だ。
イーナのことだから、変な遠慮をして、自分は朝まで起きておくなんてことをしかねない。
案の定、イーナは意外そうな顔をしてから、
「は、はい……」
遠慮がちにベッドに腰かけた。
「ん」と言いながら俺がもう一度ベッドを叩くと、ゆっくりと身を横たえる。
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
俺はイーナに背を向け、壁に張り付くような恰好になってから瞼を閉じた。
背後から、イーナが寝返りを打った気配がして、それから物音一つしなくなった。
寝息さえ聞こえなくて、イーナが息をひそめている様子が手に取るように分かる。
たぶん、気まずいのだろう。
当然のことながら、俺とイーナは、普段は別の寝床で眠っている。
というか、一緒に眠った経験なんか……少なくとも俺の中では皆無だ。
もしかしたら、イーナの記憶では、幼い頃には一緒に眠っていたことになっているのかもしれないがな。
俺が持っている幼少期の記憶と、俺以外の記憶では、内容が全く違うから何とも言えない。
……なんだか、変に緊張する。
身動き一つしてはいけない気がする。
もちろん、そんなんだから全く眠たくならない。
むしろ、さらに目が冴えてしまう。
「兄さん」
突然、耳元に熱い風を感じて、俺は思わず全身をビクリと震わせた。
「な、なんだ?」
もう手遅れかもしれないが、内心の動揺を悟られないように素知らぬ顔で首だけを後ろに捻じると……俺の、本当にすぐ傍にイーナの顔があって、またさらに軽く動揺する。
イーナの漆黒の瞳は、月光を反射してキラキラと光っていた。
「その……兄さん――いえ……あの……ごめんなさい、私が休んでくださいって言ったのに、話かけてしまって」
「……いや、別に構わないけど……どうした?」
「……」
イーナは口を引き結んで、ただジッと。俺の瞳を貫いてきた。
俺は無意識にイーナの目から視線を逸らして、代わりに唇の辺りに目を向けていた。
その、薄ピンク色の唇が、小さく動いた。
「今から、兄さんのことを……アルさんって呼んでもいいですか?」
「……は?」
予想外の言葉に、変な顔をしてしまう。
唖然とした俺の視界の中で、イーナは恥ずかしそうに続けた。
「だって……私とにい――アルさんは……その、夫婦になるんですよね? だったら、『兄さん』なんて呼び続けるのは、おかしいかな、って。……ダメ、ですか?」
「え? いや……別に駄目じゃないけど……」
……駄目じゃないよな?
うん。別に構わないはずだ。ちょっと違和感はあるけど。
「そ、それじゃあ、これから……アルさんって呼びますね」
「……ああ。分かった」
胸の奥の方がすごくむず痒い気がする。
端的に言ったら、ものすごく恥ずかしい。
それはイーナも同じなようで、ほっぺたをほんのりと淡く染めている。
止めてくれ。
そんな露骨に恥ずかしそうにされたら、こっちも余計に恥ずかしくなる。
俺は耐え切れずに顔を正面に戻して、再び壁のシミを数える作業に戻ろうとした。
そこへ……。
「……どうかしたか?」
前触れも無く背中全体を覆った温かさをスルー出来ず、俺は全身を硬直させて壁に向かって話しかけた。
俺の投げかけには、すぐには答えが帰って来ず……答える気が無いのか? と俺が理解しかけた時。
「……アルさん。一つだけ、お願いしてもいいですか?」
俺の背中に埋められているせいだろう。
くぐもった声が聞こえた。
「なんだ?」
「私にこうして……くっつかれるの、イヤですか?」
「……別に、嫌ではないけど」
「――っ。だ、だったら、夜明けまでの数刻の間。私のことを……抱きしめてほしいんです」
……?
何を言ってるんだ、イーナは?
何かの冗談だろうか?
純粋に疑問に思って、言葉に詰まっていると……俺は、気が付いた。
背中の感覚。
……イーナ、震えてる?
「……」
俺は、ゆっくりと。ベッドの上で体を転がした。
……すぐ目の前に、目を潤ませたイーナがいる。
――俺にとって、イーナはなんなのだろう?
今まで、あまり深く考えたことがなかった。
イーナと俺の血は繋がっていない。
イーナは拾い子で、どこの誰とも分からない。
けれど、幼い頃からずっと……それこそ、物心の付くか付かないかの頃から、本当の兄妹同然に育てられてきた――それが、俺以外の人たちの認識だ。
でも、俺にとっては違うのだ。
イーナはロンデルさんの一人娘で……俺のたった一人の幼なじみ。
最初の出会いは、家族ではなかった。
妹なのか、幼馴染なのか、どちらが俺にとって大きいのか?
……やっぱり、頭で考えてみても、結論が出る気がしない。
だったら――気持ちで考えるしかないだろう。
今、目の前に……イーナがいて。
同じベッドで横になっていて。
瞳を涙で潤ませて。
抱きしめて欲しいと言っている。
「……これでいいのか?」
「は、はいっ……」
腕の中に包んでみると、イーナは自分と同じ人間だと思えないほどに細くて……手を離してしまったら、どこかに消えてしまいそうな気がした。
よこしまな気持ちなんてない。
ただ……イーナのことを護ってやりたいと思う。
イーナは、体をモゾモゾと動かして、俺の胸の辺りに額を押し付けてくる。
綺麗な、黒い髪の毛だけが見える。
しばらく動いていたイーナは、落ち着く場所が見つかったのか身動きを止めて……俺とイーナは話すこともなく、互いに抱きしめ合っていた。
イーナが息をする微かな音が聞こえて、全身にイーナ鼓動を感じる。
ついさっきの静寂とは違う。
もっと……心地の良い静けさだ。
「……アルさん」
そこに、イーナの柔らかな声が伝わってきた。
「ん?」
「さっき、お夕飯の席で、ラインハルトさんから聞いたんですけど……普段、ラインハルトさんって、オリヴィアさんにタジタジじゃないですか?」
「――っ……ま、まあ、そうだな」
危ない、もう少しで笑ってしまう所だった。
というか、イーナにもそういうふうに思われてたんだな。
「ですけどね……オリヴィアさんって、二人きりの時はすごい甘えん坊らしいんです。そこがすごく可愛くて……だから、普段どれだけ怖い顔をされても、全然嫌じゃないって。ラインハルトさん、言ってました」
「へぇ……あいつが、そんなことを。何と言うか……うん、分からなくもないかな」
「そういうものですか?」
微かに、イーナの頭が動いた。
「どうだろ? あくまで個人的な意見だけど……そうだな、例えば――狒狒。あの人、いつも適当だろ?」
「ですね」
「だからこそ、たまにちゃんとしたことを言ったりすると、おぉ……ってならないか? 白虎が同じことを言っても、いつものことだからあまり気にならないけど」
「あっ……なるほど。確かに、分かる気がします。……なら――」
突然、イーナは顔を上げて、俺のことを見つめてきた。
「こらっ!」
小声で言って、イーナはクスクスと笑った。
「こうやって、普段はにい――アルさんを怒って、いざという時に思いっきり優しくした方が……アルさんは好きですか?」
「……かもしれないけど……イーナには、絶対に向いてないだろ。やっぱり、自然体が一番健全だと思うが」
「ですよね――」
イーナは一瞬悪戯っぽい表情を浮かべてから、再び俺の胸元に顔を埋めた。
そのまま、ギュッと。強く俺を抱きしめながら、
「だから私、頑張ります。普段から、私とアルさんは仲良しですから……二人だけの時は、いつもよりずっとずっと……アルさんに見てもらえるように」
●○●




