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44話 『薄黄色の日常』



「おはよ」

「おはようございます、兄さん!」


 居間に向かうと、既に起きて朝食の準備をしていたイーナが挨拶を返してくれた。


 台所では、母上が料理をしていて、イーナは配膳の準備をしていたようだ。


 俺は椅子に座って、対面の、空っぽの椅子へと目を向けた。


 父上は、まだ起きてない……いや、違うな。


 窓から、庭で素振りをしている父上の姿が見える。


 その様子を何となく眺めていると、父上と目が合った。


 父上は苦笑いをしてから、額の汗を布で拭った。


 木刀を握り直して……どうやら、家に戻るようだ。


 部屋で着替えて居間に戻ってきた父上は、俺の対面の椅子に腰かけた。


「どうだった? 私の剣筋は」


 俺はさっき見た光景を思い出しつつ、ちょっと考えて……


「少しだけ、いつもと違ったような気がしましたけど……ちょっとだけ、遅いような?」

「……やはり、アルにはお見通しだな」


 父上は、腕を組んで、


「狒狒殿に昨日教えてもらってな……試していたんだが」

「教えて貰った?」

「ああ。昨日の討伐の後に……こう――」


 右手で手刀を作って、父上はそれをゆっくりと振り下ろす。


「これまでは、直線的に斬ることだけを考えていたわけだが、曲線的に斬る方法を教えて貰ってな」


 言って、今度は弧を描くように父上は手刀を振った。


「へぇ……曲線的にというと、どういった理由で?」

「それがだな、流動的な魔物を相手にする時、その魔物が動かなくなるまで裁断するだろ?」

「はい」

「あれ、普通のやつなら問題ないんだが、たまに酸やら毒やらの性質を持ってるやつ……あいつらを何度も斬っていると、すぐに剣が痛むから、何とかならないかと狒狒殿に相談したんだ」

「あ、確かに。あいつら、面倒ですよね」


 と、そこに、困ったような笑顔をした母上が、皿を持ちつつやって来た。


「もうっ、また討伐のお話? アルにお仕事引き継いでから、あなた、本当に生き生きしてるわね」

「むっ、人聞きが悪いな。討伐だって、立派な仕事だぞ」

「そんなこと言って――」


 椅子に座りつつ、母上は続ける。


「だって、前からずぅっと、家に引きこもるのは嫌だ! 討伐だけしていたい! なんて言ってたじゃない」


 父上は露骨に母上から目線を逸らして、ナイフとフォークを手に取った。


 その様子を、母上は楽しそうに眺めていて……この人たちは本当、何歳になっても仲が良いな。


 父も母も、既に三十半ば。人生の折り返しも過ぎて、父上なんて目尻に皺ができてきている。母上は、父上と比べると分かりづらいが……どことは言えないが、何となく年を取ったなとは思う。


 それでも、父上も母上も昔から変わらず、ずっと。こっちが恥ずかしくなるくらい、いつもイチャついている。


 パチンと、母上が突然両手を打った。


「あっ、そうそう! 今日ね、イーナが――」

「お母さん!」


 台所から出てきたイーナが、母上の言葉を遮った。


「言わないでくださいって、言ったじゃないですか!」

「あっ、そうだったわね。そうだった、そうだった……ごめんなさいね!」


 イーナは、悪びれる様子もなく微笑む母上をジト目で見てから、溜息を吐きつつ椅子に座る。


 その二人の様子を眺めていた俺は、我に返って食事に取り掛かることにした。


 今日のメニューは、ゆで卵に煎り豆、名前の知らない菜っ葉と、長い付き合いになる固いパン。今日は安息日明け最初の日だから、ちょっとだけ豪華だ。


 ナイフとフォークを手に取って、ゆで卵をカットする。


 それを口に突っ込んで、


「父上、今日の討伐ですけど、指揮をお願いしていいですか?」

「ん? 別に構わないが……何かあるのか?」


 父上は食事の手を止めた。


「はい、ちょっと。もう二月もすれば『儀式』でしょう? 昨日の晩、倉庫を確認してみたら、青玉を置く台に被せる布、あれがカビちゃってて……」

「……本当か?」

「はい。多分……去年、雪が多かったから、そのせいかな、と。――絹生地はすぐに用意できないですから、早めに対策をうっておかないと」

「うーん、そうだな」


 難しい顔をした父上は、口元に手を添える。


「どうしたものか……」

「それでなんですけど」


 声をかけると、父上は視線を上げてきた。


「シエタ村に行って、頼んでみようかな、と。ちょっとアレですけど……まあ、もしシエタ村になくても、ラインハルトの奥さん経由で何とかなるかなって……」


 父上は軽く目を見開いたかと思うと……小さく笑った。


「さすがアルだな。すっかり、領主様をやれてるじゃないか。もう、私の手伝いはほとんどいらなそうだな」



 ●○●



 俺も、今では十七歳。


 もうすぐ十八になる。


 十五歳で『儀式』を終えて、早二年だ。


 『儀式』の直後から、名目上は俺が父上の仕事を引き継いで、『エンリ男爵』という大層な肩書になっていたわけだが……その実、父上がメインで仕事をして、俺はその傍で学ぶという生活を送っていた。


 それも、最近では、俺一人で何とか大体の仕事が出来るようになってきて、父上の手を借りることが少なくなってきた。


 ……我ながら、ちゃんとやれてると思う。


 一人の大人として、領主様として。


 これからは一家の大黒柱として、父上や母上、それとイーナの面倒を見て……もちろん、エンリ村の領民たちの生活にもちゃんと責任を持って……領主としての生活を、俺が自分の子どもに引き継ぐまで続けるのだろう。


 派手ではないけど、充実した生活。


 そんな幸せな日常を噛みしめて、俺は日々の生活を送っていた。



 ――



「――近頃オルトのやつが結構言葉を話すようになったんだけどね、一つ、由々しき事態があるんだよ」

「ほうほう」

「いいか、よく聞いてくれ。オルトがな、オルヴィアのことは『カーカ』と、ちゃんと呼ぶのに、僕のことは『オイ』って呼ぶんだよ。ちょっと前までは、上手く発音できないだけかと思ってたんだけど……最近では、『オイ、とって』とか、僕のことを見ながら言ってくるんだ。――どう思う?」


 深刻な表情をしたラインハルトを眺めつつ、俺は紅茶を一口分すすった。


 コクリ、と飲み込んで、


「……まあ、そんなに気にしなくていいんじゃないですか? その内、なんとかなりますよ」


 ――多分。


 と、心の中でだけ付け足しておく。


 ……というか、子どもは知らない言葉は話せないものだから、そのオルトくんはどこかで『オイ』という言葉を聞いたんだと思うんだが……ラインハルト、普段オルヴィアさんからどう呼ばれてるんだろうな?


 なんか、深く考えないほうがいい気もがするが。


 ラインハルトは俺の解答に不満そうに顔を歪ませたが……ながーい溜息をついてから、背もたれに深く腰掛けた。


「ふっ……そんな余裕の態度も今の内だけだよ。アルくんが数年後に僕と同じように悩んでても、助けてあげないからね」

「……なんですか、それ。皮肉ですか。ラインハルトさんも知っての通り、私は万年独身ですよ。ミーシャさんに振られちゃったから」


 現在、エンリ村周辺には、適齢期の未婚の女性令嬢は存在しない。


 こういう時、大抵は中央貴族の末端令嬢がエンリ村に飛ばされてくるのだが……王都でゴタゴタがあったために、都合がつかない。


 俺も十八。そろそろ結婚しないといけないんだが……相手を見つけられずにいた。


 ラインハルトにも相談したことがあるので、当然俺の事情は知っているはず……。


 ――まさか。


 思いあたって、信じられない思いでラインハルトに目を向けると、ラインハルトは親指を立ててきた。


「話は、つけてきたよ。アルくんの結婚相手」


 ラインハルトは椅子から立ち上がって、すぐ傍の棚から筒状に丸められた羊皮紙を手に取った。


 赤色の絹糸が巻かれていて……蝋印で封がしてある。


「実は、ついこの間許可が出たばかりでね。エンリ村に送ろうかと思ってた所だったから、アルくんの方から来てくれて都合が良かったよ」

「……なんですか、それ。なんだか、やけに仰々しいですけど。それに……その蝋印。確か……」


 ……え、っと。


 何だったっけ?


 大昔に、母上から格家の印号を教えてもらった気がするが……使う機会がゼロなんで、完全に記憶の彼方だ。


「僕のお義父さん。シュバルツ子爵がどっかの伯爵様に口利きしてくれてね。僕も初めて見たんだけど、特別許可証ってやつだよ。伯爵位以上に認められている、支配地域内での王国法例外規定」

「あ、なんか聞いたことがある気がします、それ。へぇー、それが……」


 ……あれ?


 というか、俺の結婚相手の話だったよな?


 なんで、特別許可証なんかの話が出てるんだ?


 首を傾げている俺の目の前で、ラインハルトは蝋印を爪で剥がして、羊皮紙を机の上に平たく広げた。


 俺は椅子から身を乗り出して、そこにインクで書かれている内容に目を通す。


 えっと……、『本特別許可令は、王国法貴族令第三十八条に基ずく――』ここら辺の、形式的な部分はどうでもいい。もっと、下の――


 『――特別な状況を鑑み、シェノーバ・ノクリア伯爵の責任に依り、アル・エンリ男爵とイーナ・エンリ準男爵令嬢の婚姻を許可することとするものである。』


 ……ん?


 『――アル・エンリ男爵とイーナ・エンリ準男爵令嬢の婚姻を許可する――』


 ……んん?


「ちょっと、これ……え? ラインハルトさん、これってどういう……」

「どういうも何も、そのままだけど。イーナちゃんとアルくんの血は繋がっていないんでしょ? 書類上の兄妹に過ぎないから、問題ないって説明したら何とか通ったから、よかったよ」

「いや、そういう問題ではなくて……えっと、何で私とイーナがそんなことになるんですか。何も話聞いてないですし、意味不明というか……」


 ラインハルトは顔をしかめながら、


「そんなこと言っても、他に相手がいないんだからしょうがないでしょ。いつまでも独り身なんて有り得ないんだしさ。どうせ貴族同士の結婚なんて、数代遡れば同じ系譜なんだし、兄妹でも大して変わらないよ。むしろ、イーナちゃんとは血が繋がってないんだから、新しい血を入れるって意味でも上々だと思うんだけど」

「……言われてみたら、確かにそうですけど。でも……イーナは、妹だし、そういう目で見た事がない……」


 ……いや、正確に言うなら、ないことも無きにしも非ずというか。完全に否定できるかというと否定しきれないというか。


 というか、イーナはそもそも俺の妹じゃなくて、いや、妹ではあるんだけど、そうじゃなくて。イーナへの対応が多少揺れるのもしょうがないわけなんだよ。


 ……俺、大分混乱してるな。


 ――ふと、見ると。ラインハルトは俺の事を見ながらニヤニヤと笑っていた。


「……なんですか」

「いや……よく、そんなことを恥ずかしげもなく言えるなぁって。もしかして、僕を笑わせようとしてるのかい?」

「……はい?」


 意味が分からない。


 別にボケたつもりはないんだが。


 ニヤニヤしていたラインハルトは、俺が無言でいると、次第に戸惑ったような顔になった。


「えっ? ……もしかして、アルくん。…………本気?」

「だから、何の話ですか」

「アルくんとイーナちゃんの仲が良すぎて、見てるこっちが恥ずかしくなるって話」

「……」


 俺は、机からコップを掴み取って、中身を一気に煽った。


「……えっと、その、一つ聞きたいんですけど」

「どうぞ」

「具体的にどの辺りが、そんなふうに見えてましたか?」

「どの辺りって……」


 ラインハルトは腕を組んだまま天井を見上げて、


「まず、僕とアルくんとが話す時、アルくんの話の十の八くらいはイーナちゃんの話だよね。『イーナが靴下を贈ってくれたんだ!』、『イーナの料理は本当に美味しいんだ!』、『イーナが肩を揉んでくれると、体が軽くなるんだ!』、『イーナが――』」

「もういいです。ごめんなさい。やめて下さい」


 顔がホッカイロのように熱くなっているのを感じつつ、俺は左手で自分の顔面を掴み、右手をラインハルトの方へと向けた。


「えっ? もういいの? まだ全然最初なんだけど……」

「もう、大丈夫です」


 確かに、ラインハルトにそんな話をした記憶はあるが……傍から見ると、こんなに痛々しいのか……。


 完全にシスコンじゃないか。


「……ええ、まあ。私がイーナのことを、その……まあ、そこそこ大切に思ってることは事実ですけど、それとこれとは話が別です。あくまで妹として、私はイーナのことを大切にしてるだけです。自分の嫁にするとか、そんなことは考えてません。それに、父上と母上……何より、イーナが何言うか――」

「もちろん、ウスラさんとクレアさんからの了解は得てるよ?」


 ……え?


「……えっと、もう一度言ってもらっても?」

「アルくんとイーナちゃんの婚姻については、ウスラさんとクレアさんからの許可はちゃんと貰ってるよ。大歓迎だってさ」

「……」


 ……何かの聞き間違いか?


 まず自分の耳を疑って、次に頭を疑って……それでもやっぱり他の解釈ができないと理解して、俺は自分が混乱の渦に巻き込まれているのを幻視した。


「ともかく、色々と言いたいことはあるけど……ほんと、色々あるけど。アルくんにここで言って聞かせてもしょうがないしね。自分のことは自分で理解しなきゃ。――真面目な話、アルくんとイーナちゃんの婚姻は、伯爵まで巻き込んだ話になってる。ここでいくらアルくんがごねても、もうどうしようもないよ」

「……イーナは?」


 無意識に口が動いた。


「イーナちゃんも、今頃オルヴィアから話を聞いてるはずだよ。ま、イーナちゃんが死んでも嫌だって言っても、もう決まっちゃったことだから、意味無いんだけど」


 突き放したような口調で、耳に指を突っ込みながらのラインハルトの様子を俺はずっと見ていて……その様子に、ふと違和感を覚えた。


 そもそも、ラインハルトは頭のいいやつだ。


 勝手に、独断専行に、俺とイーナの婚姻を進めるはずがない。


 父上と母上にはなぜか話が通っているらしいが……しかも、なぜかオッケーが出たらしいが、ラインハルトの性格的に、こういう大事な話はまず俺に話すはずなのだ。


 そのはずなのに、今の今まで俺に一言もそんなことは話さず、婚姻が決定してしまってから初めて話した。


 ……もしかして、何かの意図が?


 そう思ってラインハルトの顔を眺めてみると、何か深淵な知性が感じられるような気がしてくる。


 耳をホジホジしていた小指を鼻先へと持ってきたラインハルトは、ふっ……と。甘い吐息を吹きかけていた。


 ……いや、やっぱあんまり知性は感じられないな。



 ●○●

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