41話 『記憶の欠片 五』
器用なことに、サラは逆立ちのまま片手を持ち上げて、その手でポリポリと頭をかく――というか、擦る。
サラの右手は包帯でグルグルだからな。
「あんた、ダレ?」
イーナは何も応えずに、サラの牢獄へと入った。
後ろ手で扉を閉めて……ここは、密室になった。
ちなみに、だが。
俺の知っている中で最も潜入が得意なのは白虎だが、その白虎でさえ、特別監獄に侵入することは不可能だ。
白虎曰く、物理的に完全に隔絶されていて、それを無理やりに超えようとすると、何かしらの『仙力』が必要になるらしい。
でもって、特別監獄では『仙力』が使えない。
色々と研究をすれば、それでも可能なのかもしれないけど……そこまでの面倒をクリアしてまで特別監獄に侵入する意味もない。それに、バレたら問答無用で死罪だしな。
……なんてことを考えられるほどの時間、イーナはずっと無言でサラのことをジッと見つめていた。
鉄格子から一メートルほど離れた位置から、ジッと。
未だに逆立ちを続けているサラのことを見下ろしている。
……というか、なんでサラはこんな頑なに逆立ちを続けているんだろうな?
何を考えているのか、全く分からん。
「あなたがサラで、合っていますか?」
キョトンと、サラは目を見開いて……と、とん、と。
ようやく上下が通常に戻った。
「なに? ワタシ、あんたと会ったことあるの?」
「いえ、会うのはこれが初めてのはずです」
「そっ」
短く言って、サラは興味なさげに背中を向けた。
そのまま……ベッドにダイブして、サラは横向きに寝転がった状態でこっちを見る。
「で、なんのよう?」
あっ……イーナ、だいぶ頭にキテるな。
それでも、何とか怒りを沈めたらしい。
怒りの籠った吐息を、細く一筋だけ外に出して、
「少し、お話したいことがあって、お邪魔しました」
「うん」
「あなたは、兄さん――アル・エンリに『能力』を教えて下さった、師匠らしいですね?」
ピクリと、明らかにサラの眉が動いた。
「アル? ……にいさん」
ゆっくりと、ベッドから体を起こして――その場でサラは勢いよくジャンプした。
風切り音が微かに聞こえるほどの高速。
あくまで『能力』は使えないから、ちゃんと視認できるけど……それでもかなりの勢いだ。
実際、イーナは全身を強張らせて、驚いている。
バランスが後ろに崩れて――
「いたっ……」
イーナは尻餅をついてしまった。
同時、けたたましい金属音が牢獄内に響き渡る。
サラが鉄格子に頭突きした音だ。
……サラも多少は学習したのか、前に俺と会った時とは違って床にひっくり返らない。額をほんのり赤く染めて、包帯グルグルの右手を鉄格子に沿え、左手で鉄格子を鷲掴んでいる。
――いや、前じゃないかもしれないのか?
そもそも、今がいつか分からないし。
俺がサラに会いに行ったのは、捕まえて時間が経ってからだから、もしかしたらその間の出来事かも……違うな。
もしサラがイーナと会ってたなら、俺と会った時にその話をしてたはずだ。
つまり……これは、俺がサラと面会してから、サラが脱獄するまでの……半日の間の記憶。
「あんた、アルの妹? ――ねっ、そうなの!?」
「な……」
「な?」
ニッコリと笑顔のサラ。
「何を考えてるんですか、あなたは!!」
大声で言って、イーナは勢いよく立ち上がる。
「大丈夫ですか! 頭!」
サラの頭は元々大丈夫じゃないから、大丈夫だ。
「頭っ! 怪我……あれ?」
「どうしたの?」
「いえ、あの……この牢獄って……『能力』は使えないはずじゃ……」
「そうね」
「そうね、って……」
イーナの視線は、ほのかに赤く染まるサラの額に釘付けだ。
……どうやら、深く考えないことにしたらしい。
「もう、いいです。それより、兄さんのことです。あなたは――」
「ねっ、あんた、アルの妹なの?」
「…………もちろん、そうです」
「なまえは?」
鉄格子の間に顔を押し付けながら、サラは聞いてくる。
イーナは、固く唇を引き結んでから、
「私は、イーナ・エンリと言います。さっきから、あんたと呼ぶのは止めてもらえませんか?」
「ワタシはサラ!」
「……はい?」
「サラって呼んでいいわよ!」
……イーナは、最初からサラのことをサラと呼んでるんだが……残念ながら今の俺には指摘できない。
「アネキ、でもいいわよ!」
「……はい?」
視界が見開かれる。
そこには、ニコニコと満面の笑顔のサラ。
鉄格子に強く押し付けてるせいで、変な顔になってる。
「どういう意味ですか? 私はあなたの妹などではありませんが……」
「ん?」
サラは、パチパチと瞬いて、
「だって、イーナはアルの妹なんでしょ? アルの妹ってことは、ワタシの妹ってことでしょ?」
「……え」
小さく漏れた声が聞こえたかと思うと、急激な変化が俺の体に現れた。
動悸がして、背筋を冷や汗が伝う。
ワナワナと唇が震えて……、
「そ、それって……もしかして……」
ゴクリと、唾を飲み込む。
「サラは、その……兄さんと……」
「アルと?」
「……いえ。何でも――いえ、でも……」
今にも、心臓が止まりそうだ。
それくらいに、鼓動が激しい。
喉が渇いて……逆に、目の奥の方がジーンと熱くなってきた。
「……サラは、もしかして……兄さんと、け、結婚、なんて、して、ませんよ……ね?」
「ケッコン? あ、ケットウ! それなら、まえにいっぱいしたわよ!」
「いっぱい? え、っと――え? いっぱい、ですか?」
どうやら、サラが結婚を決闘と聞き間違えてることを、イーナは気付いていないらしい。
ついさっきまで苦しいほどだった動悸が、綺麗に収まっている。おそらく、全てが困惑に上塗りされたせいだろう。
「うん、いっぱい! ひさしぶりに、またしたいわね!」
「……?」
無言で、イーナの目はサラを見つめている。
「また、したい……って、何のことですか?」
「ん? だから、ケットウ! まだいっかいもアルに勝てたことないから、勝ってみたいの! ぜぇーったいっ――きもちいいとおもうから!!」
ここで、サラは鉄格子から手を離して、一歩後ろにさがった。
腕を組んで、プクーっと頬を膨らませる。
「きのうもね、またアルに負けちゃったの……アルに勝てるように、いっぱいいっぱいがんばったけど、でも、コロンって負けちゃったっ!」
言ってる内容のわりに、サラの表情はどこか嬉しそうだ。
目が、キラキラと輝いている。
「もっと、がんばらなくちゃっ!」
「……あなたなんかが、兄さんに勝てるわけないじゃないですか」
イーナが口の中で呟いたのが、俺には聞こえた。
「ん、どうしたの?」
「あなたなんかがっ!!」
大股で一歩前に出て、イーナは両手で強く鉄格子を握った。
「あなたなんかが、兄さんに勝てるわけないじゃないですかっ!!」
「――? つぎは、勝つわよ?」
ギリッと、歯が擦れる。
なぜか、体の奥の方が――痛い。
「兄さんは、私の兄さんなんですっ……世界で一番強くて、カッコよくて、優しい――兄さんなんです! あなたなんかに――あなたなんかが……」
「だいじょうぶ?」
フワリ、と。
サラの香り。
柑橘のような、サッパリとした香りと共に、柔らかい感触がする。
背伸びをしたサラが、俺の頭を撫でていた。
それを認識した瞬間、イーナは勢いよく、その手を叩き落した。
「勝手に触らないでくださいっ!!」
「ん、でも……イーナ、かなしそうだったから」
イーナの視線より幾らか低い位置から、サラは見上げてくる。
サラは、コテンと首を傾げて、
「かなしいときはね、こうやってアタマを撫でたらうれしいの――でしょ?」
「……」
……視界が黒くなって、サラの顔が消えた。
イーナの体が、目を閉じたらしい。
数秒、暗闇が続いてから、瞼が開く。
そこには依然として、不思議そうな顔で俺を見上げるサラの顔。
無言のままに、イーナは回れ右をして……そのまま、サラの牢獄を出て行った。
――
「もう、よろしいのですか?」
特別監獄の入り口――いつもなら、五人の闘仙が壁に腕を突っ込んでいる部屋では、白虎が待っていた。
「はい。満足できましたから――」
言って、イーナは壁際へと目を向ける。
「狼円さん。あとは、お願いします」
「ん、りょーかいじゃ」
壁の穴に突っ込んでた右手を引き抜いて、お義父さんは椅子から立ち上がった。
ついさっき、俺が通ってきた特別監獄へと繋がる扉の前までお義父さんは歩いて、
「嬢ちゃん。本当に、いいのか? 今ならまだ……間に合うぞ?」
「……構いません」
イーナの声には、熱が無かった。
さっき、サラと話している間、胸の中に溢れていた熱は……廊下を歩いているうちにすっかり消え去ってしまった。
シン、と冷えて、冴え渡った頭の感覚。
俺の目は、扉の前で、首だけで振り返るお義父さんを捉えていた。
「お願いします。サラを、消してください」
○●○




