40話 『記憶の欠片 四』
幾つも幾つも、イーナの記憶を覗き見て。
それでも、俺が見た記憶は……周囲に浮いている記憶の玉の、ほんの一部に過ぎない。
記憶の玉の中には、ただのごく普通の一日がひたすら続く、というのもあった。
一日、二日、ならともかくも、それが、十日、二十日、となると、流石に嫌になってくる。
どうにかして、記憶を覗く前に、どんな内容か判断できないか?
そう考えて記憶を見ていくうちに……数なんていちいち数えていないけど、感覚的には百個くらいの記憶を通して、俺は何となくその判断がつくようになっていた。
記憶の玉は、大小様々だ。
光の強さも、弱い物から強い物。
色は、もっとたくさん。
赤、青、黄、緑……むしろ、俺には無い色を見つけることが出来ないほど、たくさんの色がある。
……これは、全部俺の印象だから、百パーセントってわけじゃないけど、
光の大きさ、強さは、その記憶がどれだけイーナにとって意味のある物かによって変化する。
光が大きいほど、強いほど、その記憶はイーナにとって重要なものだ。
――『奪嫁の儀式』の日。
――『儀式』の日。
――俺と再会した日。
光の色は、記憶の内容。
赤や橙の暖色系は、楽しい、嬉しい記憶。
青や水色なんかの寒色系は、悲しい、辛い記憶。
……ついでに、桃色は、まぁ……そういう記憶だ。
それが分かってからは、煌々と輝いていない限り、桃色の玉には触れないようにしている。
――そして、今。
俺の目の前には、強く輝く青色の記憶の玉が浮かんでいた。
指先を伸ばして、それを記憶の玉に突っ込もうとして……躊躇する。
色は、青。
しかも、俺が数えきれないほど見てきた記憶の中でも、かなり色が濃い。
……この記憶の存在には、かなり前から気付いていた。
気付いていたけど、後回しにしていた。
でも、とうとう……後回しにしようもなくなってしまった。
遠くには、まだ強く輝く光があるけれど、少なくとも近くには……もう、他に目ぼしい記憶がない。
――手を、伸ばす。
○●○
「――それでなっ! ……どうしたと思う?」
「……どうしたんですか?」
「うーん、そうだなぁ……聞きたいか?」
俺が、目の前でドヤ顔していた。
……うざい。
「はい! ぜひ、聞きたいです!」
イーナはやっぱりできた妹である。
俺の眼前で、俺は機嫌良さげに頷いて、
「サラのやつな、貝殻ごと食ったんだよ! 中身しか食べられないって知らなくてな。――しかも、『おいしいっ!』なんて言っちゃって……美味いわけないよなー?」
「ふふっ、すごいですね、サラさんって」
……これが、いつの記憶かは覚えている。
ついこの間だ。
内宮に侵入者が入った日、俺はイーナにサラについての話をしてやった。
……俺、こんなにうざかっただろうか?
無駄にテンションが高いし、無駄に溜めるし……。
そんな話を何時間も聞かせられれば、そりゃぁ……気分が悪いだろう。
俺の記憶では、イーナは終始ニコニコしながら話を聞いてくれてたはずだが、イーナの感覚を理解できる状況になってみると、よく分かる。
イーナ、これ、キレる寸前だ。
腹の奥底で、不快の塊が積み上がっている。
……率直に言うなら、気分が悪い。
なるほどな。だからこの記憶、あんなに濃い青色をしてたのか……。
イーナの記憶の中でも、かなり上位に入る悪感情の記憶。
耳を塞いで、意識を閉じてしまいたいが……残念ながら、俺にその自由はない。
あと数時間。夜明けまで、俺は自分の醜態を見続けなければならないらしい……。
――
「白虎」
俺が祭事殿から出て行き、狒狒と青馬が……俺の時はいつの間にか姿を消す癖に、イーナに対してはしっかりと頭を下げてから、各自それぞれの役割をしに向かって……祭事殿には、イーナと白虎の二人きりになっていた。
俺は布団に女の子座りをしていて、白虎はその対面に正座をしている。
イーナが声をかけてからずっと、白虎は全身を石のように固めたままだ。
「ふふっ……白虎も、見てましたよね?」
抑揚の無い声。
「……はい」
「兄さん、すごく嬉しそうでしたね……サラのお話をしてる時」
「……はい」
普段と違うイーナの様子に、白虎はかなり緊張しているようだ。
表情も、声も固い。
……全部、俺のせいである。
俺がしょうもない話を一晩中してた上に、イーナを叱ったせいである。
むしろ、ちょっと口調に不機嫌さが現れているだけに抑えてるのは、称賛に価すると思う。
こんだけ、頭がくらくらするほどの苛立ち、俺はこれまで感じた記憶がない。
俺が感じるのは、所詮はイーナの感覚だけ。『心』の部分はまた別だ。
当然、苛立ちの源は『心』なわけだから、実際イーナが感じている感情がどれだけのものなのか……俺には想像もつかない。
「少し、私は眠ります……二刻ほどしたら、起こしてもらえますか?」
突如、素早い動きでイーナは布団を被った。
「は、はいっ……ごゆっくり、お休みください!」
布団越しに、白虎の声が聞こえて――
――俺は再び、記憶の玉の浮く暗闇に戻って来ていた。
目の前には、濃い青色の、煌々と光る霧の塊。
さっきので、この記憶はおしまいのようだ。
……体感としては、かなり長かったが……中身は薄っぺらかったな。
ほとんどが、俺の無駄話だったし。
見るまでは、どれだけヤバい記憶なのか恐々としていたわけだけど……逆に言えば、それだけ期待もあった。
何か、あるんじゃないかと。
……結果は、見ての通りだったわけだが。
俺は、今俺がここにいる目的を忘れてはいない。
イーナの、精神の欠片を探すこと。
イーナの記憶の欠片は、掃いて捨てるほど見てきたけど……『精神』の欠片らしきものは、未だに見つからない。
手掛かりさえ、ゼロだ。
だから、何か、少しでも、意味があるんじゃないかと、期待してたのに……。
溜息を吐く――あくまで気持ちだけで――俺は溜息を吐いて、周りへと目を向ける。
――お?
すぐ近くに、さっきまで無かったはずの記憶の玉が増えている。
色は――青。
かなり、光も強い。
これは、たまにある現象だ。
一つの記憶を見た後に、さっきまで無かったはずの記憶の玉が増える。
大抵は、ついさっき見た記憶に関係のあるものなわけだが……。
マジマジと、その、新しく生まれた記憶の霧玉を見つめる。
色は――青。
今度は、期待してもいいだろうか?
○●○
……ここは?
いつものパターンじゃない。
大抵は、エンリ村か、祭事殿か、どっちかで記憶は始まるんだが……そのどちらでもない。
なんだか、薄暗い場所だが……でも、全く知らない場所って感じもしないんだよな。
視界の中には、誰もいない。
一人で、イーナの体は歩いていた。
飾り気のない石でできた床が、イーナの歩調に合わせて乾いた音をあげている。
廊下は、そんなに長くない。
真っすぐ十数メートルほど続いて、そこで行き止まりになっている。
……やっぱり、どこかで見たことがあるような?
そのままイーナは突き当たりまで進んで、そこで右を向いた。
行き止まりかと思ってたら、扉があったようだ。
飾りなんてやっぱり一つも無い、武骨なデザインの、鋼鉄製の扉。
――これって。
見た目と違って、軋み音をあげることさえなく、スムーズに扉は開いた。
そこでは――
縦格子の向こうで逆立ちをしているサラと、目が合った。
○●○




