表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
141/243

38話 『記憶の欠片 二』



 ドボンと水に落ちるような感覚だった。

 真っ黒な視界。

 体にまとわりつく、自分とは違う物の感触。


 上も下も無いけれど、どっちが浅く、どっちが深いかは直観的に分かる。


 反射的に、浮上してしまいそうになるけれど、その気持ちをグッと堪えて、底へ頭を向ける。


 ただひたすらに落ちてゆく。

 光も音も、何も無い。

 けれど、怖くはない。


 自分の周りには気配が満ちている。


 慣れ親しんだ、イーナの気配。


 ――ここは、イーナの精神の中だという。


 実際にこうやってここに来るまでは半信半疑だったが、今では実感として理解できる。


 ここは、イーナの中だ。


 このだだっ広い、宇宙のような空間。


 最初は真っ暗闇だったはずなのに、目が慣れてきたのか、光の点のような物が見えてきた。


 いや、そもそも目が無いから、目が慣れるもなにも無いんだが……それが一番近い感覚だ。


 ポツンと、光の点が生まれたかと思うと、その数は指数関数的に増えていった。


 大きな物から小さな物まで。

 色も様々。

 白、赤、青、黄、緑、桃、橙……。


 視界一杯に、瞬く星が見えてきた。


 ――『迷子になっている精神の欠片を探してもらいます』――


 聖女様の言葉を思い出す。


「迷子?」


「ええ、正確には違いますが、それが一番近い表現かと。この娘の精神は転移の影響で分裂し、奥深くに迷い込んでしまっており、結果として、意識を失っている……と考えればよいです」


 俺はイーナの顔を覗き込んで、


「治せるんですよね?」


「勘違いしないで欲しいのですが、あくまで治せる可能性がある、です」


 聖女様は淡々とした口調で続ける。


「この娘の精神は分裂したとは言っても、消滅したわけではありません。まだそこにあるのです。であるなら、元に戻すことも決して不可能ではない」


 分かったような、分からないような。


 そもそも、精神が分裂した状態というのが良く分からない。


 多重人格、とは違うようだし。


「それで、探すというのは?」


「それは、そのままの意味です。あなたにはその娘の精神の中に入って、分裂してしまった精神の欠片を探してもらいます。

 あなたが発見することができれば、マオ様がそれを感知し、その娘の精神を修復することができます」


「精神の中に入る?」


「口で説明するのは難しいですが、実際にやってみれば自身で分かるはずです。

 それよりも重要なのは、アル聖官が娘の精神を見つけることが出来なければ、治すこともできないということです。つまりは、その娘を助けることができるかは、あなた次第」


 ……俺次第。


「そうですか。……その、一ついいですか?」


「なんでしょうか?」


「どうやって、探せばいいんでしょうか? 何か特徴とか……どんな見た目なのか、とか」


「それは色々なの」


 マオさんが、聖女の胸に後頭部をぶつけながら言った。


「何かの物だったり、生き物だったり……見える物とも限らないの」


「……それじゃあ、見つけようが」


「それを見つけるのが、あなたの仕事です」


 ピシャリと聖女様が割り込んでくる。


「その娘の欠片が何かは、私にもマオ様にも分かりません。なぜなら、私たちはその娘のことなど何も知らないからです。

 ですが、アル聖官にとっては、違うのでしょう? だったら、見つけられるはずです」


「心配いらないの」


 聖女様と対象的に、マオさんの口調は柔らかい。


「見つけたら、必ず分かるはずなの。だから、見逃すことは心配しなくていいの。

 アルが気を付けないといけないのは、もっと別のこと。その子の精神に飲み込まれてしまうことなの」


「飲み込まれる?」


「そうなの……アルには、これからその子の精神の中に入ってもらうけど、本来は、それは不自然なことなの。だから、必ず抵抗されるの」


 マオさんの背中の羽は、緩やかに開閉している。


「アルのしないといけないことは二つ。その子の欠片を見つけること。それと、戻ってくること。どんな抵抗がされるかは、それも色々だけど……危ないと思ったら、必ず戻って来てほしいの」



 ――



 ……抵抗、ねぇ。


 今の所、それらしいことは何もない。


 けど、用心をしているに越したことはないだろう。


 ついには周囲を取り囲むようになった星々を眺めながら、気を引き締める。


 ――さて、いつまでもこうやって景色を眺めていても仕方が無い。


 何か行動に移さないといけないけど……。


 明らかに怪しいのは、この一つ一つの光点だろうな……。


 一番近くにある、桃色の光点。


 遠近感とかあるようでないので、近いのかは怪しいが、何となく一番近くに感じた光点に近付いていく。


 近付いてみると、案外とそれほど大きくはない。


 というか、小さい。


 結構離れた場所からあれだけの大きさで見えたんだから、数メートルはあるかと思ってたんだが……せいぜい両手で抱えられるくらいの大きさだ。


 表面はボンヤリとしている。


 霧のような、雲のような。


 人差し指を突き出して、俺はその光点に指先で触れた――。



 ○●○



「はぁ……兄さんっ……」


 ――!?


 くちゅっ、と湿った音がして、瞬間意味不明な感覚が俺の背筋を貫いた。


 なんだ、コレ? なんだ、コレ!?


 混乱が頭を満たす。


 身体の、自由が利かない。


 まさか、抵抗?


「んぁっ」


 ――っ!?


 頭が真っ白になりそうだ。


 何か、拍動のような物を感じる。


 それはドンドン大きくなってきて――


「はぁ……はぁ……。ふぅ……今日はここまでですね」


 息が、苦しい。


 全身に倦怠感が残っているのに、身体が勝手に動く。


 見える光景が変わって……光。


 光、光が見える?


 ……なんだ?


 縦に一直線に、光が見えている。


 それが何かを見極める前に……また、身体が勝手に動いて、今度は視界が下に落ちる。


 あの変な感触から回復してみると、色んな物が見えてくる。


 ここは、どこかの部屋だ。


 さっきまで、イーナの精神の中にいたはずなのに。


 相変わらず身体の自由が利かない。


 視線を動かすことさえできず、ただ、正面の光景しか見えない。


「えっと、手巾は確か……」


 左手が勝手に動いて、何か柔らかい物を掴んだ。


 視界に何か白い物を持った手が入って来て、それが湿った指先を拭う。


 というか……これ、俺の手だ。


 全く俺の言うことを聞いてくれなくて、まるで糸で操られているような感じだから実感が薄いが、感触がある。


 どうやら、もう片方の、湿っている手も俺の物らしい。


「ふぅ……」


 視界が、ちょっとだけ動いた。


 応じて――



 ――



 ……俺は悪くない。


 だって、俺には目を逸らすことも閉じることも出来ないんだから。


 ただ、俺の記憶からさっきの光景は、永遠に消えることはないだろう。


 消したくても、完全に視界に焼き付いてしまったから……。


 ……そして、その途中で、俺は気付いてしまった。


 俺の意思で体を動かせないから、気付くのに時間がかかったが……所々、視界に見覚えのある物が入ってくる。


 ここ、イーナの部屋だ。


 祭事殿ではない。


 エンリ村の、俺の実家のイーナの部屋。


 造りは俺の部屋とあまり変わらない。


 増築して作った物だから、ちょっとだけ小さい。


 違いはそれくらいだ。


 そして――


 体が勝手に動いて、さっきの縦の光の元へと向かう。


 その、窓の隙間から漏れる光。


 そこに俺の指が引っ掛かると、窓が開いた。


 パッと、視界が明るくなる。


 視線が上がり、夜空に輝く満月が視界の中央にやってくる。


 体が動き、窓枠に両腕が乗せられる。


 その上に頬っぺたを乗せて、それでも視線は満月を捉えていた。


「……兄さん」


 唇が動き、熱い吐息が漏れたのを『感じた』。


 どうやら、俺はイーナの体に憑依しているらしい。


 憑依とはいっても、体の自由は俺にはない。


 俺にできるのは、イーナの五感を感じ取ることだけ。


 何を考えてるか、とかは分からない。


 加えて、イーナがエンリ村の、この部屋にいる。


 満月をイーナと一緒に眺めながら、俺は自分の考えが正しいことを確信していた。


 これ、イーナの記憶だ。


 口に出して呟く代わりに、心の中だけで言う。


 ちょうど、それを同じくして、体が動いた。


 窓を閉じて、寝台へと向かう。


 どうやら、もう眠ることにしたらしい。


 寝台に体を横たえて、瞼が閉じられる。


 瞼の裏が見えるから、全くの真っ暗ってわけじゃないが……当然何も見えない。



 ――



 えっと……コレ、俺……いつまで暗闇を見てればいいんだろう?


 もう大分時間が経ったと思うんだが……。


 何も見えないから、時間の経過が分からない。


 でも、もう数分は経ったと思うんだけ――


 ――ど?


 さっきまで真っ暗だったのに、突然視界が開けた。


 目の前にあるのは……桃色の球体。


 ……戻ってきた?


 うん、戻ってきたみたいだ。


 周りの景色には見覚えがある。


 大小様々な光点が、真っ黒な背景に浮いている。


 目の前の、桃色の球体を見つめる。


 さっきの……イーナの記憶。


 想定外の、見ちゃいけない物を見てしまったが……というか。


 ついさっき見てしまった、イーナの記憶。


 その中で……その、なんだ、イーナは一人で致していたわけだが。


 いや、まあ……別に、それは構わない。


 イーナも年頃の一人の少女だ。


 そういったことをしていても……うん、普通だろう。


 問題は……兄さんって、俺しかいないよな?


 ……これから、どうやってイーナと接すればいいんだろう?


 俺とイーナは兄妹で……だから、その、なんだ。


 ……取りあえず、今は保留しておこう。あとでまた、考えたらいい。


 周囲へと目を向ける。


 そこには、目の前にあるのと同じような、様々の色の光点が、数えきれないほど浮かんでいる。


 あの、一つ一つが……イーナの記憶。


 ついさっき……俺が見たのと同じように、記憶が詰まっているのだろう。


 これは、イーナも俺も……多分誰しもが同じだと思うが……誰も、自分の記憶なんて見て欲しくないだろう。


 イーナがその時、何を考えていたか。


 それだけは分からないけど、それ以外の……何を見て、聞いて、感じたのか。


 その全部を、俺はこの記憶を通して経験してしまう。


 ――そんなこと、してもいいのか?


 イーナの精神の欠片を探すこと。


 俺の目的はそれだけだ。


 イーナの記憶を覗き見することは目的ではない。


 ……とはいえ、他に何をすればいいのか分からない。


 俺が見つけられなければ、マオさんがイーナの精神を治すことは出来ない。


 治せなければ、イーナはこのまま永遠に目覚めることが出来ない。


 他に手がかりがないのなら――


 ――偶々目に付いた、少し離れた場所にある青色の光点。


 次に、俺はそれを目指すことにした。



 ○●○

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ