36話 『眠り姫 後編』
何も確認せずに部屋の中に突進してきたサラは、ちょうどそこに立っていた聖女様――を取り囲む半透明の立方体に頭からぶつかった。
ガキン、と。
およそ人の頭から発生するとは思えない金属音が、部屋の中に響く。
「もうっ! ジャマ!」
クルリと背面宙返りをしたサラは、不満そうに叫ぶ。
「邪魔とは、お言葉ですね」
微妙な顔で聖女様が言ったが、サラは気にも留めていない。聖女様を迂回して、サラは俺の傍まで歩いてきた。
「――? ……どうしたの?」
首を傾げて、サラは俺を見上げる。
「いや……なんでも――」
「ない、なんて言ったらおこるわよ?」
スッ――と伸ばした指先で、サラは俺の胸元を縦になぞった。
「おしえて――」
その場でクルリと回って、サラは俺に背中を向ける。背中を向けて、聖女様へと向かい合う。
「だれが、アルを泣かせたの?」
サラを中心として、巨大な魔素が立ち上がる。薄っすらと、輪郭が赤い。
「サラ聖官、待って下さい! 一度、落ち着いて……」
慌てたイプシロンがサラと聖女様の間に割り込むが、
「あなた、その態度はなんですか」
オメガが、一歩前に進み出る。眉一つ動かさず、冷たい瞳でサラのことを見据えている。
一触即発。
誰かが止めないと、一瞬後にはどうなっているか分からない。
サラと、オメガを、
俺と、聖女様が止めなければ。
聖女様は、相変わらず青色の結界の中で、佇んでいるだけだった。
俺も、動く気力は湧かない。せいぜい、口の端っこで苦笑するくらいしかできない。
――いつだって……サラは、自分に正直だ。相手が聖女様だって、何一つ躊躇いなく向かっていける。
俺なんかとは大違い。
そんな俺が、どうしてサラを止められるだろうか? ――幸い、別に適役が来てくれているようだしな。
ついさっき、サラが開け放った扉。それを、大きな手が掴ん…………ん? 手、か?
手の形をしてるけど、色は鮮やかな緑。……えっと、腐ってる?
「おいおい、なんだ? この状況は……」
手に続けて、全身が入ってくる。どうやら、気持ち悪い色なのは手だけのよう。顔色は以前までと変わらず、完全に健康的だ。
「フレイ聖官。娘の躾くらい、きちんとしてくれませんか?」
聖女様の小言に困惑した表情を浮かべつつ……フレイさんは身を屈めて部屋の中に入ってきた。そこで、フレイさんと目が合う。
「おう、小僧。久しぶりだな」
「……お久しぶりです」
ドスドスと足音を響かせながら、フレイさんは部屋を縦断する。フレイさんは、聖女様を包む直方体の隣で足を止めて、
「あー、サラ? 何してんだ?」
「おしおき!」
「お仕置き? ……てーっと、コイツにか?」
フレイさんは、半目をしながら隣を向く。
「そうっ! いっぱつ、ガツンと入れてやるの!」
「止めとけ、止めとけ。時間の無駄だぞ。コイツ、すぐに逃げるからな」
「そうなの?」
気が抜けたのか、サラの体を覆っていた赤色の魔素は、いつの間にか消えていた。フレイさんは鼻で笑いつつ、隣を向く。
「だよな、聖女さん?」
「……それは、フレイ聖官などとまともにやり合ったら、建物がもたないからです。逃げたわけではないと何度も言ったはずです」
聖女様は苦い表情だ。
「ま、なんだ。それで、そもそもの話だが。なんでサラはコイツにお仕置きなんてしようとしてたんだ?」
「それっ!」
バッとサラは振り返って、俺の服を両手で鷲掴んだ。
「ね、アル。どしたの? なにされたの――」
何に気付いたのか、サラは突然口を閉じて、俺の背中の向こうに目を向けた。
「あっ、泣きむし」
呟いて、サラは俺の服から手を離した。
想定外の動きをされると、高速で動かれるよりもやりにくい。俺は指一本も触れる事ができず、サラは俺の隣をすり抜けていた。
「ふーん」
慌てて振り返ると、サラはベッドの傍でイーナの顔を覗き込んでいた。
「もう、泣いてないんだ……」
……?
「サラ……イーナと、会ったことあるのか?」
「いーな?」
「ああ。今、サラの目の前にいる人だ」
「うん、そうね。いっかいだけ!」
……一回だけ、にしても……サラとイーナが会ったことがある?
いつだ?
イーナは黒狼様。
稀に祭事殿を出る事くらいはあっても、内宮から出ることはない。
じゃあ、内宮で会ったのか?
サラは闘仙をしてたんだから、全く可能性が皆無ってわけじゃないだろうが……。
「イーナが、泣いてたのか?」
「ん? うん、びーびー泣いてたわよ」
「びーびー……」
イーナがびーびー泣いてた、か。
とても、信じられない。
イーナが泣くところなんて、ほとんど見たことがない。
昔、イーナがまだ幼い頃に、何度か見たくらいだ。
イーナの寝顔を見つめる。
穏やかな顔だ。
本当、今にも目を覚まして、「兄さん」って言ってくれる気が――
「そうだ……」
キョトンとした顔で、サラは首を傾げつつ俺の目を覗き込んでくる。そのサラの顔を見つめ返しながら、俺は……思い出していた。
昔。そんなに昔じゃない。つい二年ほど前。
俺は今と同じ状況にいた。そして、白いシーツで眠っていたのは……サラ。
――マエノルキア。
『眠り病』によって、サラも、ちょうど今のイーナと似たような状況になっていた。
違いがあるとすれば、あの時は解決法が分かっていて、今はそれが分からないってことくらいだが……。
「アル?」
イーナの体を抱え上げた俺を、不思議そうな顔でサラは見上げる。曖昧な笑顔を返して、俺は……聖女様の目前へと向かう。
「聖女様、さっき言いましたよね? 転移は失敗した、と」
「ええ、はい。そうですが」
聖女様は、警戒心の滲む瞳を向けてくる。
「謝罪も、保障も、どちらもしない。そうですよね?」
「そう言ったはずです」
「あ、何の話だ?」
「しっ、フレイ聖官。静かにしてください……」
フレイさんとイプシロンは置いといて……
「……それは、分かりました。ですが、それなら……何もしないと約束してもらっていいですか?」
聖女様の視線が強くなる。
「どういう意味ですか?」
一瞬気圧されそうになる。けど……唇を舐めて、
「つまり――私と、妹。そして、私と親しい人たちの内、教会と関係のない人には、今後一切関わらないと、約束して欲しいんです」
「……それは、聖官には戻らない、という意味だと取っていいのですか?」
「はい」
真っ赤な瞳を睨み返す。
ツツ、と。聖女様の視線が落ちる。
「ですが、その娘を治す手立てはあるのですか? 教会以上に、様々な『能力』に関する情報が集まる場はありませんよ」
「分かっています」
「だったら――」
「ですが」
イーナの細い体をギュッと抱きしめて、自分の気持ちをもう一度確かめる。
聖女様の言葉は正しそうに聞こえる。
実際、多分そうなんだろう。
それに反抗して、後悔しないか?
「……教会にいても、どうにもならないかもしれない。だとしたら、聖官として忙殺されるよりも、イーナの傍にいたいんです。例え、ずっと眠ったまま目覚めなかったとしても」
とか言ってるが、本音はもっと別の所にある。
……やっぱり、俺にはどうにも聖女様のことが信頼できないのだ。
聖女様の言葉に従うよりも、自分で考えて行動したい。
まずは、マエノルキアに行ってみよう。
あそこは、世界で最も医療が発達している地だ。もしかしたら、上手くいくかもしれない。
幸い、知り合いは沢山いる。厚かましいと思うけど、頭を下げれば便宜を図ってくれるだろう。
マエノルキアが駄目だったら、その時は、その時に考えればいい。いずれにせよ、イーナが目覚めるまで、俺は諦めるつもりはない。
「えっ、アル……聖官辞めちゃうの?」
イーナを抱えてるから視界が狭いが、左の方に深紅の髪の毛が見えた。
そちらへ目を向けて、
「ああ、そうだな……聖女様が認めてくれたらだが」
「むぅ」
サラは唇を尖らせた。
聖女様へと視線を向けて、
「言ってたのとちがう! アルといっしょにいれるって言ったから、ワタシこっちにもどってきたのに!」
「それは……」
「アルが辞めるなら、ワタシも辞める!」
「ま、待って下さい!」
声をあげたのは、イプシロンだった。
「サラ聖官に今辞められてしまうと、その、困ってしまいます」
「そんなの知らないわ」
「おい、サラ。サラには一緒に付いて来てもらわないと困るぞ。それに、小僧だって……連れていけると俺は聞いてたんだが」
フレイさんまで会話に混ざってきた。
大分、場が混乱している。
会話に参加していないのは、ずっと直立しているオメガと、俺の腕の中で眠りこけているイーナ……ああ、それと、ガンマもいたか。
そして……俺は、聖女様のこんな顔は初めて見た。
聖女様は、困りきっているような表情をしている。眉を歪めて、赤い瞳は揺れている。
その聖女様の瞳は、俺の直上で停止した。
「分かりました、アル聖官。あなたの要望、全てを飲みましょう。そして、保障はしないと言いましたが、加えて多少の金銭的な援助も出すこととします。――その代わりと言っては何ですが……聖官を引退するのは、最後に一つ、任務を終えてからにしてもらっても構いませんか?」
……任務?
「ええ、まあ……一つくらいなら、別に大丈夫ですが」
「一つだけです」
念を押すように聖女様は言ってきた。
「はい、一つだけなら。色々と迷惑もかけましたし」
「……助かります」
小さく言って、聖女様は俺の傍のサラへと向き直る。
「サラ聖官、ひとまずアル聖官については保留しておいて、次の任務には参加してもらえませんか? アル聖官も参加しますから」
「んっ……アルも出るの?」
「ああ」
「じゃあ、ワタシも行く」
即答するサラを見下ろしつつ、疑問に思う。
なんで、サラはこんなに俺と一緒に行動したがってるんだろう? 生まれたての雛じゃあるまいし。
それに、サラと俺は、マエノルキア以来一度も一緒に任務についていないわけだしな。
……まあ、サラの頭の中なんて、考えても無駄か。
やりたいようにやらせといたらいいだろう。別に俺に害はないし。
「では、早速。打ち合わせをしましょうか。ちょうど、全員揃っていますし、場所は……」
「さっきまで、俺とサラがいた部屋でいいだろ。無駄にでかかったしな」
「そうですね、そうしましょうか」
「聖女、黒服に用意を命じておきました」
トントン拍子に、これから打ち合わせをする、という方針で話が進んでるけど……
「あの、その任務の打ち合わせですが――」
いくつもの視線が、俺に注がれる。それに少し緊張しながら、
「また、私がここに帰って来てからでいいですか?」
「あ、便所か? わざわざ言わなくても、さっさと行ってこいよ」
鼻で笑って、フレイさんが道を開ける。
「いえ、そういうのではなく……ちょっとマエノルキアまで行ってきます。行き帰りで、一月もあれば帰ってきますから」
「はぁ? 小僧、お前、何言ってんだ? 一月って……」
笑顔が固まって、困惑した顔でフレイさんは腕を組む。
「ちょっと、この、妹が病気でして……できるだけ早く、マエノルキアで診てもらいたいんです」
「ん、病気?」
一瞬、フレイさんの視線がイーナに向いたのが分かった。
「だが、病気って言っても、一月も待つわけには――というか、なんでわざわざ歩きで行くんだよ。確か、マエノルキアにも聖石はあっただろ? さっさと行って、帰ってくればいいじゃねぇか?」
「すみません、ちょっと訳ありで……聖石を使ってなら、聖官以外も安全に転移できると私も知っていますけど……できれば、転移を使いたくないんです」
何の事情も知らないフレイさんからしたら意味不明だろう。実際、頭の上には大きなハテナマークが浮いている。
「その娘なら、任務から帰ってくるまで教会で責任を持って面倒を見ておきましょう」
そこへ、聖女様が提案してきた。
「治すことはできませんが……教会であれば、その娘を完全に現在と同じ状態で保つことはできます。だから、心配いりません。ですよね、オメガ?」
聖女様の呼び声で、オメガに全員の視線が集まる。オメガはそれに緊張した様子もなく、
「はい。専門ではありませんが、一月程度なら問題なく現状を維持することはできます。ガンマの手を借りられるなら、より盤石かと」
「えぇー、わたしめんどうなのはー」
「取りあえず、その娘は寝台に寝かせておいてください。別の部屋に移動し、任務の説明を行います」
ガンマの声は聞こえていたはずだが、聖女様はまるで聞こえていないかのように話を進める。既に振り返って、出口へと向かおうとしていて……
「聖女様、待って下さい」
ピタリと、聖女様は足を止める。
「何ですか、まだ何か?」
「説明は少し待って下さい……私がマエノルキアから帰ってきたあとにお願いします」
「……はい?」
聖女様は体半分だけ振り返って、
「その娘のことなら、教会で面倒を見ておく、と言ったはずですが」
「はい、ありがたいです。でも……」
息を、小さく吸い込む。
「それは、遠慮します。妹は、これからすぐにマエノルキアに連れていきます。あそこの医師たちなら、何とかしてくれるかもしれない。だったら、診せるのは早ければ早いほどいいですから」
「マエノ――」
隣から聞こえて、そっちへ目を向けると、深紅の瞳が俺を見上げていた。
「アル、マエノに行くの?」
「ああ。マエノルキア、にな」
「マエノに行くなら、ワタシ、またあの服着たほうがいいの?」
「服?」
「ん――」
首を傾げて眉をひそめていたかと思うと、すぐにサラは満面の笑みになった。
「ナース服!」
……ああ、あの服か。
マエノルキアで、確か、エルシアさんの命令で着させられていたんだったか。イプシロンと一緒に。
その時の二人の姿を思い出しつつ、ふとイプシロンを見ると、ちょうど目が合った。サーっと、白い肌が赤く染まってゆく。
……そんな恥ずかしがらなくても、ちゃんと似合ってたと思うが、ナース服。
「ちょっと待ってください」
聖女様が額に手を当てている。
「なぜ……いえ――はぁ……確かに、そうですね」
聖女様は顔を上げて、隣を見る。
「フレイ聖官、アル聖官と二人で話してきますので、先ほどの部屋で待っていてください。今度はサラ聖官の管理をしっかりとお願いします」
「ん? ああ、分かったが……」
「アル聖官、その娘を持って、私について来てください」
……移動?
二人だけで話す?
これ以上何か話があるのだろうか?
一瞬、聖女様に対する疑心が浮かんできたが……わざわざ二人で、ということは、話を聞いても損はないだろう、と思い直す。
頷いて、聖女様に続いて扉へと向かう。
「おい、サラ。待て」
「ん?」
「いつものことだが……話、全然聞いてないだろ」
後ろでフレイさんとサラの声が聞こえたので首だけで振り返ってみると、サラは俺のすぐ後ろを歩いていた。
サラの肩を、フレイさんが掴んでいる。
その様子に唇が緩むのを感じながら、俺は再び聖女様の背中へと目を向けた。
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