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35話 『眠り姫 前編』



 ……あの娘?


 とは、誰のことだろう?


 加護……加護でいいんだよな? 籠でも過誤でもなくて、加護が一番ピタリとはまる気がする。


 俺には弧帝の加護が付いていて……で、また別の加護も付いている?


 ……全然心当たりがないんだが。


「娘、とは……つまり、あれはやはり生物ではなかったということですか。――なるほど、信じがたくはありますが……確かにそれなら……」


 俺の隣で、聖女様が勝手に納得していらっしゃる。付いていけてないのは俺だけのよう。


 例の如く、弱った瞳をオメガへと向ける。


 ……目が合わない。


 オメガはせっせと魔素粉を、もともと入っていたガラス瓶へと回収している最中だった。疎外感がすごい。


「……あの、オメガ、さん?」

「はい」


 ピタリと動きを止めて、オメガは顔を上げた。


「その……ちょっと理解が追い付いていなくて」

「少し待っていてください」

「え……あ、すみません……」


 言われた通り大人しく、黙って待つことにする。こじんまりとしながら待つこと数分、オメガがガラス瓶の蓋を閉めた。


「聖女、よろしいでしょうか?」


 オメガは俺ではなく聖女様の方を向いて言った。


「ああ、はい。お願いします」

「では、確か――」


 オメガは俺に灰色の瞳を向けてくる。


「あなたに合わせて説明を、とのことだったので、始めから説明します」

「お、お願いします」


 なぜかドモッてしまった自分に少し苛立ちつつ、俺は背もたれから身を起こした。


「あの娘――いつまでもあの娘では都合が悪いですね。名前はなんですか?」

「名前……アル・エンリの妹だとは聞いていますが……」


 オメガに問いかけられた聖女様は、眉を顰めつつ俺に視線をよこす。


「……イーナ・エンリです」

「イーナですね」


 確認してきたオメガに頷き返す。


「先ほど、そのイーナの魔素を診断した結果ですが、色は青、輝度は七十三と出ました」


 ……七十三。


 それって……。


「そして、あなたの中にも青、輝度七十三の魔素が含まれている。全くの偶然という可能性も捨てきれませんが、そのような極小の可能性よりも、加護と考える方が適切でしょう」


 また、加護だ。


「あの、一ついいでしょうか?」

「どうぞ」

「その、加護って前々から聞くんですが、それって何なんでしょうか? 私、知らなくて……」


 滑らかに、オメガの瞳は俺の左へと水平に動いた。


「……その説明は、私からしましょう」


 言って、聖女様は俺へと体を向ける。


「まず……アル聖官も薄々気付いているかと思いますが、私は人間ではありません」

「……そうですね?」


 そりゃ、そうだ。


 人の寿命はせいぜい百年。聖女様は御年二千歳を越えるという。残念ながら、人間はそこまで長くは生きられないのだ。


 聖女様は人間じゃない。


 すでに『聖女様』というカテゴリーにあることは、王国民共通の認識だろう。


「自分で言うのもなんですが、私たちは人間を超越した存在です。そして、私たちは人間に自身の魔素を、つまりは力の一部を分け与えることができます――これを、『加護』と私は呼んでいるのです」

「加護……」


 同じ話は、ずっと前に聞いた覚えがある。


 別名――『聖官拘束』か。


 力を与える代わりに……『能力』の対象にすることができる、ということなのだろう。


 俺には弧帝の加護もついているという。つまり、弧帝の『能力』の対象にもなるということか? 顔も知らない、何かの。


 そして、俺にはもう一つ――



 ――



 イーナは妹だ。


 ……いや、昔は幼馴染だったが、今では妹であることに違いない。


 幼い頃からずっと、一緒に育ってきた。


 初めて会った時は、椅子に座ったら足が付かないくらいのチンチクリンだったのが、今では立派なレディに成長している。


 そう、成長したのだ。


 ご飯も食べるし、うんこも……じかに目で見たことはないが、しているはずだ。


 厠に入る所は見たことがあるから。


 農作業を手伝えば汗もかくし、汗をかいたら水を浴びる。


 夜になったら普通に眠るし、朝日が昇ったらパッチリと目覚める。


 全部、知ってる。


 知ってるからこそ、俺にとってイーナは妹なのだ。


 周りがいくら、黒狼様だのなんだの祀り上げようが、俺にとっては何一つ変わらない。


 あくまで、イーナはイーナだった。


 そのはずなのに――


「あなたの話から判断するならば、イーナは正真正銘、黒狼という存在なのでしょう」


 イーナも聖女様と同じように人間を越えた存在で、そして、俺に加護を与えている。


 そんなことをオメガが言ったから、俺は反射的に否定していた。


 イーナは聖女様とは違うと、俺は言っていた。


 ……なぜか、認める事が嫌だった。


 ……そのかいもなく、今、イーナが黒狼様だと、オメガによって補強されてしまったわけだが。


 聖女様も、否定する気配が無い。


 黒狼様のことを最も知り尽くしている黒衣衆に続いて、聖女様までが、お墨付きを与えたということだ。


 イーナは、黒狼様なのだと。


「その話は、もういいでしょう。時間は限られているのですから。重要なのは、その次のはずです」


 焦れたように聖女様が言った。


 もう、いいですか? そう言っているかのようにオメガが目を向けてきたが……そろそろ潮時だろう。


 俺が頷くと、オメガは口を開いた。


「では、続きから。問題は、あなたの体の中にイーナの魔素が入っているという点なのです」


 言って、オメガが左手の人差し指を一本立てる。


 それを、右手で摘まんで、


「あなたの中には、このイーナの魔素――」


 今度は中指を立てて、それを摘まむ。


「あなた自身の魔素――」


 続けて、薬指と小指を摘まみながら、


「弧帝の魔素と……そして、聖女の魔素があります」


 合計四つ。我ながら意味不明だ。


「聖女の力によって、あなたは転移しました。その際、力の対象となったのは、先ほどあげた四つの魔素全てとなります。そして、イーナの魔素が、あなたの中には存在している」


 ……ここまで言われたら、流石に俺でも理解できる。


 俺は『聖官拘束』によって、聖女様の『能力』の対象となる。


 そして、俺を構成するのは、俺自身、聖女様、弧帝……そして、イーナの魔素。


 俺を転移させることは、すなわち、これら四つの魔素を転移させることになる。


 なら、転移をしている最中に、俺を構成する魔素と全く同じ魔素を持つ存在が飛び込んできたら?


 ……要は、事故みたいなものだったのだ。イーナも一緒に中央教会に転移できたのは。


 一人、納得しつつ頷いていると、


「つまり、転移が成功したのは魔素だけということです」


 聖女様がポツリと言ったのが聞こえた。


 意味が分からず聖女様の方を見ると、ちょうど続けて言うところで、


「運よく体が分解することはありませんでしたが、全てが上手くはいかなかった――合っていますか、オメガ?」

「はい、その通りです」


 淡々とした口調でオメガが返す。


 困惑しつつ正面を見ると、オメガは俺のことを見ていた。


「確か、妹なのですよね?」

「え、はい」

「残念ですが、私の手には負えません。今、イーナは転移の失敗で精神が分解している状態です。再び目を覚ますことは、望めないでしょう」



 ○○○



 扉を開けると、消毒液の香りがした。


「あぁー、おわりましたかぁー?」


 イーナの横たわるベッド――ベッドは、青色の直方体で囲まれていた。


 その直方体のすぐ外。そこに丸椅子を置いて座っていたガンマが、ノンビリとした口調で言った。


 それが、ガンマの素の喋り方だということは知っている。だけど……今は、勘に触る。


 俺は真っ先に部屋の中に入り、ガンマを押しのけるようにしてイーナの枕元に向かう。


 直方体に右手を添えて、魔素を乱すと、結界はガラスのように砕け散った。


「えぇー、なんでぇ……」


 ガンマを無視して、イーナの頭を両手で包む。


 ――放電。


 目を閉じて、念入りにイーナの全身状態を確認する。


 結果は……。


 ――やっぱり、正常だ。


 起きている時ほど活発に脳は活動していない。


 けど、確かに電気は流れている。眠っている時の、典型的な状態だ。


「おいっ、イーナ」


 肩を揺すりながら、声をかける。


 それでも、ゆっくりとした寝息は乱れない。


 起きる気配がない。


「……イーナ。――イーナっ!」


 耳元で叫びながら、強くイーナの体を揺さぶる。

 

 ……それでも、ピクリともイーナは動かない。


 瞼が微かに震えることさえしない。


 ゆっくりとした寝息も、メトロノームのように規則的に続く。


 イーナの側頭部から手のひらを離して……代わりに、頭頂部からピョコリと生えている狼の耳をギュッと握りしめる。


 温かい感触は、しっかりとした弾力を感じさせながら歪む。


 こんなに強く握りしめたら、イーナはビックリして目覚めるはずだ。


 昔、初めてイーナの耳を触った時、これよりもずっと弱く握ったけど、それだけでもイーナは変な声をあげながら飛び上がった。その時は、こっぴどく叱られたっけ……。


 だから、こんなに強く握ったら……絶対に起きるはずなのだ。起きないとおかしいのに――。


 全く乱れることなく、イーナの胸は息に合わせて上下する。


 ……その動きを、ジッと見ていると、気が付いた。


 イーナの脇腹の辺り。呼吸に合わせて上下しているけど、変な形に膨らんでいる。何かを服の中に入れてあるようだ。


 普段なら気にも留めない。だけど……俺の腕は、伸びていた。


 イーナの懐に手を入れると、イーナの熱い体温と、お腹の柔らかい弾力を感じた。指先が、固いものに触れる。


 それは、小さな陶器製の筒だった。両端に白い布を被せ、それを紐で巻いて蓋をしてある。


 首を傾げ、その筒を軽く振ってみると、シャカシャカと音がした。中に何かが入っているようだ。


 一瞬だけ悩んだが、俺は一端の紐を緩めていた。白布を取って、中を覗き込む。


 ……何かが入っているのは分かるが、暗くて何かは分からない。まあ、少なくとも危険な物ではあるまい。

 

 筒を傾け、中身を手のひらに出してみる。


 ……何だ、これ?


 黒い粉末……いや、ちょっと緑っぽいけど――


「あっ……」


 手が……震える。


 なんだ、この気持ち。


 ――熱い。


 胸の底が、熱くて、熱くて、焼けそうだ。


 ……手のひらの物を、丁寧に、少しも落としたりしないように、丁寧に筒の中に戻す。白布を被せ、固く、紐を巻き付ける。


 筒を、もとにあった場所に戻した。


「……はぁ」


 熱い息を吐きだして、俺は、部屋の入り口の方へと目を向けた。そこでは、三人が立ったまま俺のことを見ている。


 左にイプシロン。


 心配そうな顔で、立ちすくんでいる。


 右にオメガ。


 キッチリとした姿勢で直立している。


 そして……二人の真ん中が、聖女様だ。


「……イーナは、本当にもう目覚めないのですか?」

「ええ」

「どうにもならないのですか?」

「それは、先ほども言ったはずです。私には、治し方は分かりません」


 俺から目を逸らして、聖女様はイーナに目を向ける。


「言っておきますが、謝罪も保障もするつもりはありません。勝手に入ってきたのは、その娘なのですから。ただ、一つだけ……中央教会には、各地からあらゆる『能力』を持った人間が集まってきます。……いずれ、その娘を治すことのできる者が……現れる可能性はゼロではないでしょう」

「……ゼロではない?」


 聖女様の言葉に……俺の中のどこかで、何かが完全に壊れたのを感じた。


「……ゼロではない?」


 視界が滲む。


「ゼロではない、って?」


 食いしばった歯の間から、ギリッと音が鳴った。


「それっ、本気で――」

「アル聖官」


 目の前に、イプシロンが立っていた。


「……駄目です、それ以上は」


 見ると、オメガも聖女様を護るような位置に移動している。加えて、聖女様とオメガを取り囲む、青色の直方体。


「……なんで」


 ……なんで、こんなことになってる。


 俺のせいか? 俺が、何かを間違えたのか?


 何かが違ったら、こんなことには……。


 ……イーナの寝息が聞こえる。


 規則正しい、深い息。


 まるで、眠っているよう――?


 ……なにか、聞こえるような?


 意識が、その違和感に向かう。

 

 ――やっぱり、聞こえる。


 どこからか、何かを叩くような音?


 ――その音の正体に気付くのに、それほど時間はかからなかった。


 突然、勢いよく入り口の扉が開く。


「アルっ!!」


 叫びながら部屋に飛び込んできたのは、神官服姿のサラだった。



 ○○○

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