34話 『三の加護』
「あなたの妹。あれは……本当に生きているのですか?」
至極真面目な表情で、聖女様は言った。
「生きているのかって……当然です。ちゃんと温かいし、息もしていましたし……」
「そうですね。私にも、普通の人間に見えました」
拍子抜けするくらいにあっけなく、聖女様はついさっき自分で言った言葉を翻した。
「だからこそ、理解できないのです。あれは聖官ではない。なのに、私の『能力』で転移できた。だとすれば……生物ではなく、物である、という結論に行きつくのですが……どこからどう見ても、あれは生きています」
聖女様の言葉の意味が、今の俺になら理解できる。
『能力』で、他の人間に干渉することは……難しい。
魔素をほとんど持たない一般人と、聖官、それくらいの実力差があれば、干渉することは可能だ。
相手の魔素の間に自分の魔素をねじ込んで、無理やり『能力』を発動する。
俺がやれば、相手は体内に発生した電気に貫かれて、一瞬の後に絶命するだろう。
師匠がやれば、体内から炎に焼かれ、もしかしたら圧力で爆発するかもしれない。
全部が全部、そんな簡単にことが済めば、どれだけ楽だろう。
実際は、そんなに簡単ではない。
そもそもからして、自分の魔素をねじ込むことが難しい。
相手に多少の心得があれば抵抗されるし、仮にねじ込めたとしても、『能力』を発動するなんて繊細な作業を行うことは不可能だ。
嵐の中、トランプタワーを作るようなものだ。
相手が全くのド素人で、抵抗らしい抵抗もされなければ可能だけど、少しでも抵抗された瞬間、『能力』は不発に終わる。
俺の青『能力』だって、一瞬だけ相手に干渉するにすぎない。針でチクリと刺すようなものだと思えばいい。
干渉されるなんて全く思ってない相手の魔素を、一瞬だけ乱す。俺が出来るのはそれくらいだ。
だから、種に気付かれてしまえば、二度と俺の『能力』は通用しないだろう。
聖女様は、『聖官拘束』で聖官を『能力』の対象にすることができる。それは、聖官が聖女様と半ば同一化しているからだ。
自分で魔素の動きが理解できるようになってすぐに、俺は自分の中にある違和感に気が付いた。
自分の魔素の中に、異物が紛れ込んでいる。俺自身の魔素と完全に混じりあった……聖女様の魔素。
これが、『聖官拘束』の種。
聖官になる時、俺は青色のビー玉みたいな物を飲まされた。おそらく、あれが原因だろう。
違う視点から見れば、聖女様でさえそんな小細工をしなければ、他の人間に干渉することなんて不可能なのだ。
そのはずなのに、イーナは転移した。不可能なはずなのに、事実、イーナはここにいる。
俺は聖女様から視線を外して、ベッドに横たわるイーナにそれを向けた。
「私にも理由は分かりません。だから……今、確かめてもらっているのですが……」
聖女様も俺と同じように、イーナに目を向けている。
聖女様でも分からない。イーナが今、そんな状態になっている。
ゴクリと、唾を一つ飲み込んだ。
分からないから、今、イーナが転移した理由を調べていて……それで? その理由が分かって……そして聖女様は、どうするのだろう?
息を殺して……ローとマスクの白メイドの動作を見つめる。どちらも、真剣な表情で作業を続けている。
部屋の中には、時計の針の音が響いていた。
――
まず、ローがイーナの頭から手を離した。それに続くようにして、マスクも手を離す。
マスクが聖女様に顔を向けて、一度だけ頷いたのが分かった。
イーナのベッドを囲んでいた青色の立方体が砕けて、俺とイーナの間を隔てていた物が消え去った。
「診断は終わりましたが、私の手ではここまでです」
澄んだ声を響かせて、マスクがベッド際から聖女様の元へと歩いてきた。
マスクは俺へと顔を向けて、
「失礼。少し、御手を借りても構いませんか?」
「えっ? え……あ、はい」
戸惑いつつも、俺は右手をマスクへと差し出した。
その手を、躊躇いなくマスクは両手で掴んだ。
――冷たい。
ヒンヤリと、マスクの手は冷たかった。
氷のように、とは言わないが、かなり温度が低い。
その手のひらから、ヌルリと舐めるような気持ち悪い感触が這い上がってきて……反射的にマスクの手を払いのけようとする直前に、マスクは俺の手を離していた。
「ありがとうございました」
淡々と言って、それでマスクが俺に言うべきことは終わったようだった。
再び聖女様へと向き直る。
「詳しい経緯に関しては予想の範囲を出ません。ですが、結論だけを言うならば、精神の分裂です。聖女の一番心配していた事態になることはないと思われます」
「……そうですか」
横で聞いていた俺を、チラリと聖女様が見てきたのが分かった。
「オメガ、詳細については口頭で……そこの、アル聖官にも聞かせながらするよう、頼んで構いませんか?」
「ええ、問題ありません」
サッパリとした調子で言って、マスクの白メイド――オメガは俺と聖女を交互に見てから続けた。
「少し長くなりますから、場所を移しましょうか」
○○○
「あれ、ローは?」
キョロキョロと辺りを見回しながら、イプシロンが言った。オメガが、マスクを震わせて答える。
「彼女なら、工房に戻りましたよ。辛気臭いのは苦手、と」
「そ、そうですか」
言って、イプシロンは扉を閉じる。
「まったく、あの子は勝手に……」
扉の閉じる音に混じって、小さく聞こえた。
ローがいないんだとすると、これで面子は揃った。
俺の座るソファーの隣には、聖女様が座っている。
その対面にオメガ。
俺の対面には誰も座っていない。
聖女様の左後方にベータが立っていて、イプシロンが扉の傍という配置だ。
ちなみに、ガンマはイーナと一緒にさっきの部屋に残っている。
正直、俺はガンマのことをほとんど知らない。
けど、イプシロンが大丈夫だと言うなら……少しの時間だけ、イーナのことを任せてもいいと思えた。
「では、まずはどこから始めればいいでしょうか?」
「……私ではなく、アル・エンリに話しているつもりでお願いします」
オメガの顔が俺に向く、
「ふむ、では」
オメガが、胸元のポケットから小瓶を三つ取り出した。それぞれに、青、赤、緑の粉が入っている。これは、
「魔素の……粉末?」
「はい」
瓶の蓋を外して、オメガはそれぞれの粉で三角形に小さな山を作った。
「では、あなたの色を見せて下さい」
「えっ、と、はい」
よく分からないけど、まあ、別に減るもんでもない。魔素を注ぐと、山が崩れて三角形の中央に新しい山ができた。
「ご覧の通り、あなたの色は、青三、緑七です。このうち、青のキドには八十五と七十三、緑のキドには九十三と三十八が混じっています。それぞれの比率は……順に、一、二、二、五。全体としては青のキドが七十七、緑のキドが五十四。合わせて六十一ですね」
……ちょっと待て。
いきなり、そんなにたくさん言われても分からない。
ふと、視線を感じて横を見ると……聖女様が俺のことを見ていた。
「な、なんですか?」
「いえ……すみません、アル・エンリ。これから私が言う言葉を、繰り返して言ってもらっても構いませんか?」
「え? はい……別に構いませんが」
どういう意図かは分からないが、断る理由も特にない。
「では――『マオ様は世界で最も可愛らしいお方です』」
……はい?
聖女様は真剣な表情で繰り返した。
「『マオ様は世界で最も可愛らしいお方です』」
「……マオ様は世界で最も可愛らしいお方です?」
何でこんなことを言わないといけないんだろうか? 前にも、同じことを言わされた気がする。
いや、確かにマオさんは可愛らしいお方だけど。……世界一かは分からないが。
さっきのやり取りは、俺にとっては全く意味不明だったが、どうやら聖女様にとっては重要な意味を持っていたらしい。
聖女様は愕然とした顔をして……俺に強い視線を向けてくる。
……そこまで、異常な反応をされると……ちょっと怖い。俺が、何かをしてしまったんじゃないかと……。
「オメガ! もう一度、比率を聞いても?」
バッと身を翻して、聖女様は大きな声を出しながら膝を叩いた。対するオメガの声は淡々としたもの。
「一、二、二、五です」
「五?」
「はい、五です」
……五?
五……どういった意味を表す数字なのか、聖女様はその数字を聞いて、難しい顔をして黙りこくってしまった。
……困惑のままに辺りに目を向けると、聖女様の後方に立っていたベータと目が合った。
「……気持ち悪いですね」
一言言って、ベータはプイッと顔を逸らす。
……気持ち悪い。えっ、なんで突然、罵倒されてるの? 俺?
さらに困惑がつのって、無意識にイプシロンの姿を探してしまうが……さすがに身を捻じって、真後ろのイプシロンに助けを求めるわけにもいかない。
「……あの、五とか何とか、何なんでしょうか?」
仕方ないので、斜め前に座っているオメガに話しかける。
「あなたの魔素の構成です。この三色法では、魔石が魔素の状態を反映することは知っていますか?」
「はい」
俺の色は、緑と青。
応じて、魔石の緑と青の粉が、机の上を移動している。
「中央は、全体を十として、青が三、緑が七で構成されている――つまり、あなたの魔素は青三、緑七で構成されている、と理解できます」
「……確かに」
どんぶり勘定ではあるが、確かに、青の山と緑の山の減りから考えると、それくらいの割合になっている。
「そして――キド、という概念は知っていますか?」
「いえ」
「では、これを」
オメガが中央の山に手を伸ばし……そこから何かを摘まみ取った。
それを、俺に向けてくる。
「? ――」
手のひらを出すと、オメガはそこにポトリと何かを落とした。
「どちらも、青です。ですが、その二つの輝きは違います」
見ると、俺の手のひらの上には、二粒の魔石粉が乗っている。
どちらも青。だけど……オメガの言う通り、微妙に違う。
片方は、目の覚めるような綺麗な青。
もう片方は、それと比べると少しだけ色が鈍い。
――輝き。
輝度。
「その輝き度合いを表したのが、輝度です。この輝度は、魔素の質を表します。最も純粋な色を基準として、百段階で考えるのが普通です。そして――」
俺は、手のひらから視線を上げて、机の上の山を見つめた。
「この輝度は個々によって生まれた時に決まっていて、一生涯変化することはありません」
「へぇ」
そうなのか。初めて知った。
で、つまりは、俺の魔素は輝度の違う物が混じってるってことか。
「そして、普通は、一人の魔素の輝度は一つで統一されています」
「え、でも……これ」
「明るい方は、私の魔素です」
ここで、聖女様が割り込んできた。
明るい方……この、鮮やかな青。
「……じゃあ、こっちの鈍い方が私の元々の魔素ですか?」
「いえ、違います。あなたの魔素は――これです」
中央の山に腕を伸ばして、オメガはまた魔素粉を摘まみ取った。
手のひらを開けて待っていると、緑色の粉が一粒落とされた。
見ると、緑っちゃあ緑だけど……色が鈍い。
抹茶みたいな色だ。
あれ? でも……中央の山を見ると、かなり鮮やかな緑も混じっているように見えるんだが。
自分で、その鮮やかな緑の粉を摘まみ取ってみる。
やっぱり……綺麗な緑だ。
さっきの抹茶と比べると、こっちは若草の色。
全然違う。
……というか。
「……あの、青が二種類で、これ、緑も二種類ありますけど……輝度は一人で一つに統一されてるんですよね?」
聖女様の青に、俺自身の緑。
あと二つ。どう考えても、計算が合わない。
オメガに尋ねると、オメガは聖女様の方を見た。
その視線につられて横を向くと……渋い顔をした聖女様が、机を指差した。
「その青が、私の魔素。鮮やかな方の緑は、コテイの物です。そして、残りの二つが、おそらくは自分自身の物でしょう。二つなら、非常に稀ですが……全くいないというわけではないですから」
コテイ?
どこかで聞いた気がするが……ああ、弧帝か。
忘れた頃に、目の前に現れる名前。
今はフレイさんだが、少し前までは『緑』を担っていた存在。
その弧帝の魔素が……俺の中に?
「そういえば、初めて聖女様と会った時、弧帝がどうとか言ってたような……」
「その弧帝です。アル・エンリ、あなた自身に心当たりはないらしいですが、あなたには弧帝の加護が付いています。しかも――」
口を閉じて、ジッと、聖女様が俺の顔を真っすぐに見つめてくる。
「……え、っと、どうかしましたか?」
緊張に耐え切れずに口を開くと、聖女様は「いえ……」と顔を逸らす。
「私から、いいですか?」
オメガが軽く手を上げた。
聖女様は佇まいを直し、続けて俺もオメガに注意を向ける。
「先ほど、聖女が言ったことですが、違います。この――青、輝度七十三の魔素。この魔素は……おそらく本人のものではありません。これも、また別の加護かと思います」
オメガは、青色の魔石粉のうち、わずかに色の薄い方を指差しながら言った。
……ちょっと頭が混乱してきた。
えっと、俺の魔素は四種類混じっていて……。
一つが聖女様の物。これは、聖官に任じられた時の、あの石が由来だろう。
二つ目が、弧帝の物。これは……俺にも心当たりがないけど、なぜかあるらしい。
三つ目が、俺自身の物。
で、四つ目。鈍い方の青が……また別の物?
「ここからが、本題です」
オメガの澄んだ声が、やけに部屋に響く。
「結論から言いますと、これは、あの娘による加護でしょう」
○○○




