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31話 『脱獄 前編』



 幸いにして、蔡 丘錬の件については大事にならずに済んだ。


 丘錬の方がどうなったのかは知らないが……まあ、恨まないでもらおう。


 彼も彼で、強制的に諦めさせられた方が幸せだろうしな。


 蔡本家の正門を出た俺は、監獄に再度向かうか、祭事殿に向かうか、悩んだけれど、結局当初の予定の通り一度祭事殿に戻ることにした。


 イーナの昼の調整――一度抜けたところで大した問題もないし、なんなら白虎が俺の代わりにやってくれてるだろうけど、やっぱり心配なので、イプシロンよりも優先だ。


 ついでに、サラの件について、イーナに相談しないといけない。


 期せずしてだが、サラについてはちょっと前にイーナに話して聞かせている。


 大体どんな性格か伝わってるだろうし、俺に危害を加えたりすることはない、と分かってくれればいいんだけど……微妙だ。

 

 もしも口だけでサラが華に残ることに納得してくれなかったら、直接サラと対面させることも考えないといけないかもしれないな……。


 頭の中だけで考えていても仕方が無い。


 ともかくも、まずはイーナに話してみて、それから考えよう。



 ――



「駄目です。絶対に、嫌です」


 そんな俺の楽観的な考えは、完全な拒絶を前にうち崩れた。


「いや、確かにイーナの気持ちも分かるけど。だけどな、サラはそんな悪い奴じゃないから、だから、その……」


 ものすごく話しづらい。


 イーナは聞き上手だから、いつもなら基本的に笑顔だし、絶妙な所で相槌を打ってくれるのに、今日は無表情無言だ。


 相槌どころか頷いてもくれないし、瞬きすらしない。


 強烈な拒絶が肌に伝わってくる。


 自然、俺は早口になってしまう。


「そう! それにな、この間……覚えてるか? サラについてイーナに話しただろ? サラを説得なんて無理だから、だからこっちが折れるしかなくてだな……それに、イーナとも年が近いし、その……なんだ、話し相手にでもなるかもしれないし……」


 自分でも何を言っているのか分からなくなってきて、たまらず俺は口を噤んだ。


 互いに無言のまま視線を交わす。


 実際はせいぜい数十秒だったのかもしれない。


 けれども、俺にとっては永遠かと思える時間を経て、ようやくイーナは口を開いた


「兄さん。私は、兄さんが……大好きです」


 ここでイーナはいったん言葉を切って、下唇を軽く噛んだ。


「だから、兄さんの身に危険の及ぶようなことは嫌です」

「……とは言ってもな。サラは――」

「私は」


 もう一度、サラが危険な奴じゃないこと、それとサラを説得することがいかに困難かを言って聞かせようとしたが、その前に少し大きめのイーナの声が俺の言葉を遮った。


「兄さんが追手を自分の手で迎え撃ちたいと言った時……本当は嫌でしたけど、兄さんがどうしてもと言うから、私は首を縦に振りました。だから今回は、兄さんの番じゃないですか?」

「……確かに、それはそうだが……だけど、俺がどうこう言ってもサラを説得なんて」

「説得をする必要はないじゃないですか」


 どこか怒っているような声音でイーナは続ける。


「教会としてはサラさんが必要なんですよね。別の言い方をすれば、華に行かれては困るという事です。その点ではイプシロンさんの考えとも合うでしょうから、無理やり連れ帰ってもらえばいいじゃないですか」


 無理やり、か。


 そんなこと、あまりしたくないけど、可能ではあるのか?


 聖官拘束でイプシロンはサラを強制転移できるんだし。


 どれくらいの距離の転移が可能なのか知らないけど、数万、数十万回強制転移を繰り返せば、いつかは聖国まで辿り着くだろう。


 ……でも、な。


「だが、仮に強制的に帰らせたとしても、あいつ……自分が納得出来なかったらまたここまで来ると思うんだよな。だから、きりがないし……」

「サラさんがまた勝手に鴻狼に侵入したなら、捕まえればいいじゃないですか。そもそも教会関係者が許可なく華に立ち入ることは禁じられているはず。法律の通りの対応をすればいいだけです」


 即座に、イーナが返してきた。


 ……捕まえるって、


「言っとくが、今回はたまたま簡単に捕獲できたが、本来のサラは手強いんだぞ。そこらの武官が捕まえるなんて不可能だし、俺だって次は上手くできるか分からない。せいぜいがお義父さんくらいだ。サラを確実に捕まえられるのは」

「……サラさんは、何の非もない武官をなぎ倒すような人なんですか?」

「いや――」


 ……あれ?


 俺が元々言いたかったのは、サラがそんなに危険な奴じゃないってことだったはずだ。


 どうして、サラがいかに脅威かを俺は説明してるんだ?


 全く逆だ。


「……いや、だから……その――」

「兄さん、もう一度だけ言います。私は嫌です。サラさんが鴻狼にずっといることなんて耐えられません。お引き取り願ってください。説得が難しいのだとしても、方法はいくらでもあるはずです」


 毅然とした態度で、サラは再度自分の考えを言った。


 最初から全く変わらない、深い拒絶だ。


 ここまで言われて、それでも自分の意見を押し通す術を俺は知らない。


 あくまで、イーナは俺の身を案じて言ってくれているのだ。


 一度目は俺の我儘を聞いてくれた。二度目も聞いてくれと、強制するわけにはいかない。


「……分かった。イーナがそう言うなら、サラには何とかして帰ってもらおうか」


 俺はイーナの座る御座の対面に置いていた簡易椅子から立ち上がり、それを右手で持ち上げた。


 御座の隣には衝立があって、茶道具やらなんやら、来客の際に見苦しくならないように色んな小物が置かれている。


 簡易椅子を茶道具の隣に突っ込んで、俺は御座へと背中を向けて階段を降りる。


「兄さん」


 そこへ、後ろからイーナの声がかけられた。


 階段の途中で足を止めて、その場で振り返る。


 そこには、御座から立ち上がって、心配そうな顔で俺を見下ろすイーナがいた。


「どうした?」

「……その、」


 俺を呼び止めたわりに、イーナは何を言おうか考えていなかったようだった。


 視線は揺らぎ、唇は言葉を紡ごうと微かに開け閉めする。


「……ごめんなさい」


 蚊の鳴くような声が、イーナの喉から漏れた。


「……突然どうした」


 困惑のままに聞き返すが、イーナは何も答えない。


 ただ、泣きそうな顔で俺のことを見つめている。


「……」


 少し迷ってから、俺は階段を上った。


 そのままイーナの目の前まで向かって、軽く屈んでイーナと視線を合わせる。


「どうかしたのか? 体の調子でも悪いのか?」


 うんうん、とイーナは首を左右に揺する。


 それもそのはずだ。ついさっき調節をしたばかり。体に不具合はないことは俺自身が確認している。


 ……けれど、明らかにイーナの様子はおかしい。


「私は――」


 小さな声で、囁くようにイーナは続ける。


「兄さんがいてくれるだけ心強いんです。だけど、それは私のわがままで……私のせいで兄さんをここに繋ぎ止めてしまってる。……本当は、兄さんは帰りたいんじゃないんですか?」


 イーナの言葉を聞いて、俺は驚いていた。


 そんなふうに思ってるなんて、全く想像していなかったから。


「そんなことは……」


 ――ない、と言えるだろうか?


 俺は、イーナのすぐ傍にいることが大切だと思っていた。


 黒狼様とか意味の分からない存在に祀りあげられて、こんな狭苦しい場所に繋ぎ止められているイーナの傍にいることが、俺のすべきことで、それが当然だと思っていた。


「だって、兄さん、楽しそうでした。サラさんのお話をしてくれた時、生き生きとしていました。前に、クルーエルさんの話をしてくれた時も……全部全部、エンリ村からいなくなって、私とここでまた出会うまで、その間のお話を聞かせてくれる時、兄さんはいつも嬉しそうです」


 ……そうなのか?


 俺、そんなに露骨に態度に出ていただろうか?

 

「……確かに、改めて言われると、教会で聖官として働くのは刺激的だったし、楽しかった」

「やっぱり――」

「だけど」


 イーナを遮って、俺は確信を込めて言い切る。


「ここで黒衣衆の首領として働くのもそう悪くないぞ。聖官と比べたら刺激は少ないけど、逆に言えば危険が少ないってことだし、それなりの給金も貰える。もちろんイーナをここに一人でいさせたくないってのもあるけど、それがなくても、そこそこ俺は満足してる。だから、イーナが気に病む必要は全然無いから」


 これが俺の本心だ。


 最初、華に残ることを決めた時は、イーナのことが大きかったけど……実際一年間ここにいてみて、案外と居心地は悪くない。


 自由は少ないけど、そんなの大した問題じゃない。


 本来なら、俺はエンリ村の村長として一生をあの小さな村でずっと暮らしていたはずなのだ。それと比べたら黒衣衆の首領なんて、かなりアクティブな仕事だろう。


 まだ不安そうな顔をしているイーナの頭を、ガシガシと右手でかき混ぜて、俺は祭事殿の出口へと向かう。


 さっきまでと違って、自分でも分かるくらいに俺の足取りは軽やかだった。



 ○○○



「両名は既に別の場所へと移送されています」

「え――?」


 監獄の入り口で、いつもの通り用件を伝えると、そんな言葉が返ってきた。


「いや、移送って……つい昨日まではいたはずですが」

「はい。今朝早くに」

「ですが――」


 サラとイプシロンの身柄を移送するなんて話、聞いてない。


 監獄は闘仙府の管轄。しかも今回の案件は特殊だ。お義父さんに話が来ないはずがない。


 だけど、今日の午前中に会った時は、そんなことお義父さんの口からは一言も……。


「……そもそも、特別監獄はここ以外にはないはずです。移送するにしてもどこに?」

「申し訳ありません。私には何とも……」


 表情を見るに、本当に知らないようだ。


 まあ、ただの受付だから、そんな細かいとこまでは知らないか。


 もっと上役に話を……つっても、一番上がお義父さんだからな。


 ……何か緊急の理由があって、そこにお義父さんがいなかったからしかたなく実行したのかもしれない。となると、話を聞くとしたら……。



 ――



 アポなしで何とかなるか不安だったが、大して待たされることもなく、俺は応接間へと通された。


 既に相手はソファーに座っていて、知らない間柄でもないので俺は特に断ることもせずにその対面へと腰を下ろした。


「どうも理円さん。お父さんはお元気で?」


 先に口を開いたのは、マッチョなおじさん――闘仙府のナンバー2、苦労人の(えん) 汪騎(おうき)さんだ。


「ええ、はい。暇そうに釣りをしてましたよ。――今日、会ってませんか?」

「最後に目撃したのは一昨日ですね」


 ……おかしい、汪騎さんに話をしておくって、午前中に会った時は言ってくれてたのに。


 お義父さんは基本、適当な性格だけど……こういう大切なことはちゃんとしてくれる人だ。


 そのはずなのに……これはおかしい。


「理円さんからも、そろそろ役所に来るように言ってくれませんか? 大闘仙にしか処理できない書類が大分溜まってまして」


 言って、汪騎さんは両手で四十センチほどの幅を示した。


 どうやら、四十センチ分の書類が溜まっていると言いたいらしい。


 そんな汪騎さんの様子からは、普段との違いを見て取れない。


 俺に言うべきこと――サラとイプシロンを移送したことを言い出す気配がない。


「あの――それは、私の方から父に言っておきますが、今日は別の用件で来たのですが……」

「えっ? あ、そうですか? すみません、てっきりいつもと同じかと思っていて、失礼しました」


 汪騎さんは本心から意外そうな物言いだ。


 ……これは。


「私への、教会からの追手を二人、捕まえて特別監獄に入れてもらっているのは知っていますよね?」

「ええ、はい」

「先ほど監獄に向かったところ、今朝早くにその二人を移送したと聞いたのですが……」

「……えっ――」


 ……やっぱり、汪騎さんも知らなかったらしい。


「移送、ですか? そんなこと、私は把握していませんが……」


 「ちょっと待っていてくださいね」と言って、汪騎さんは慌ただしく扉から出て行った。


 数分して、手に二枚の紙を持って戻ってきた。


「こちら、見て下さい」


 汪騎さんはその二枚の紙を並べて机の上に置いた。


 身を乗り出して内容を読むと……片方の紙には、上の方に大きく『尹 狼鮮』と、もう片方には『乍 凛華』と書かれていた。


「収監記録です。ここ――」


 汪騎さんは、紙の中央あたり、四角い朱印を指差した。


「ここに印を押してありますよね。これが、監獄の中に入れました、という証です。そして、その下。ここは空白でしょう?」

「はい」

「ここにも証の印を押して、初めて監獄から人を出す事が出来るのです。逆に言えば、そうでなければ出してはならない。これは徹底していることです。だから、ここに印が押されていないということは――」

「二人とも、監獄から出ているはずがない?」

「あるいは……」


 汪騎さんは言いにくそうに口を噤んでから、漏らすように言った。


「脱獄です」



 ○○○

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