28話 『調査報告』
イプシロンとの面会を終えた俺は、続けてサラの牢獄を――訪れなかった。
先に片付けないといけない仕事がある。
白虎に頼んでいた調査――あの、自称『蔡 丘錬』についての報告があがってきたのだが……どうやら自称ではなく、正真正銘の蔡 丘錬だったらしい。
蔡本家の嫡男であり、次期当主――つまりは、あと数十年もすれば華の政治を牛耳る重鎮となる人物だ。
そんな存在からの依頼とあっては、無下に扱うわけにもいかない。
とはいえ、ちょうどよく、依頼であるところの『尹 狼鮮』についての情報は集まっている。それを横流しすればいいだけの、楽な仕事だ。もちろん、イプシロンに関する情報は教えないがな。
白虎に頼んで、報告がまとまったとの連絡は丘錬に届けている。
白虎がついでに話し合いの場所を用意してくれていて、その約束の時間が迫っていた。
――
店の個室で待つこと半刻。
襖の向こうに気配がやってきたのを感じた。
直後、襖が開かれる。
そこに立っていたのは、眼鏡をかけた男性――蔡 丘錬だ。
遅れたことを一言詫びるでもなく、荒い足取りで部屋を横切り、無言のままに俺の対面に腰を下ろした。
ちょっとだけイラッときたが、そこは俺もいい大人。
営業スマイルを崩すことなく、報告書の入った封筒を椅子の上から取り上げようと手を伸ばした時。
「おい。聞いたぞ」
突然、低い声で唸るように丘錬が言った。
動作を止め、視線をあげると、丘錬が眼鏡越しに俺を睨み付けていた。
「いったい、どういうことだ」
「どういうことと言いますと?」
「しらばっくれるな! 黒衣衆が、尹を拘束したのだろうが!」
……どこからそんな情報が漏れたのだろうか?
このことに関しては、緘口令が敷かれているはずだが。
丘錬の目を見ると、確信を持って言っているように見える。
……これは、とぼけても無駄っぽいな。
問題は、どこまで漏れているかだが……。
「そうですね。確かに黒衣衆の方で尹 狼鮮を拘束しました」
「――っ! すぐに解放しろ! 何かの間違えだ、僕が保証する!」
目をかっぴらいた丘錬は、身を乗り出して両手で机を叩く。
その衝撃で眼鏡がズレたが、本人は気付いていないらしい。
なんでそんなにハッスルしてるのか不思議だが……残念ながらこっちには物が揃っている。
「まずは、こちらを見て下さい。尹 狼鮮に関する報告書です」
隣の椅子から取り上げた封筒を丘錬に差し出すと、バシッと半ば奪い取るようにして丘錬は封筒を掴んだ。
それを両手で持ったかと思うと、封筒ごと中身の報告書を引き裂いた。
……おい。
「報告なんてどうでもいい! とにかく、早く尹を僕の前に連れてこい! ……話はそれからだ」
ドカリと椅子に腰を下ろして、丘錬は大仰に腕を組んだ。
……なんだこいつ。
大分頭がイッてるんじゃないか?
こんなやつが次期当主とは……華も、かなりヤバいかもしれない。
「それはできません。尹 狼鮮は罪人ですから」
「だからそれは誤解だと――」
「内宮に侵入している尹 狼鮮を捕らえたのは、私ですから。誤解ではありませんよ」
機嫌悪そうに口を噤んだ丘錬は、まるで汚物でも見るかのような目で俺を見てきた。
「いくらだ?」
「……はい?」
「いくらで、お前は言うことを聞くんだ?」
……賄賂かよ。
蔡家の人は皆さん賄賂が大好きだよな。
あげたり貰ったり……飽きないのだろうか?
「蔡 丘錬様、一つお尋ねしたいのですが」
「何だ」
「どうして、黒衣衆に尹 狼鮮の調査を依頼したのですか? 諜報部でも、家令でも、相応しい者はいくらでもいたのに」
「……別に。今はどうでもいいだろう、そんなこと」
途端に歯切れが悪くなった丘錬に、畳みかけるようにして俺は続けた。
「丘錬様が答えてくれないなら、他の蔡家の方に尋ねるしかありませんね」
「なっ!? おまっ、僕を脅すつもりか!!」
……ちょっと楽しい。
「脅すだなんて、そんなぁ……人聞きが悪いですよ。ただ私は、勉強熱心なだけでして、分からないことがあると、どうしても気になってしまうんです」
丘錬はギリッと歯を鳴らし、悔しそうな目で俺を見てくる。
果たして、どんな言葉を発してくれるのか、ちょっとだけ楽しみに俺は待っていたのだが、
「……頼む、尹のことを見逃してくれないか?」
おっと、これは意外だ。
てっきり、諦めるかと思ったが、まだ食い下がるつもりらしい。
さっきまでの威勢はどこかに消えて、俺に頭を下げてくる。
プライドを捨ててまでも……そんなにイプシロンのことを助けたいのだろうか?
……勉強熱心とは違うけど、ちょっとだけ理由が気になる。
……聞いたら答えてくれるだろうか?
いや、でも。こいつ、蔡本家の次期当主だしな。
下手に恨みを買うようなことはしない方がいいか……。
「なぜ、それほどまでに尹 狼鮮のことを救おうとするのですか?」
……結局、我慢できなかった。
俺の問いかけに、丘錬は答えようか答えまいか、大いに悩んでいるようだった。
挙動不審で、時折俺を伺うように上目遣いしてくる。
丘錬はかなりの時間悩んでから、
「……他の者には教えない、と、約束できるか?」
「はい、もちろんです」
俺は口が堅いのだ。
「本当だろうな? もし、漏らしたら……僕は全ての力を使ってお前を消すぞ?」
無言で頷くと、ようやく丘錬は決意を固めたようだった。
頬を、ほんのりと赤く染めて、
「僕は多分、尹のことが好きなのだ」
「……はい?」
「将来は、僕の伴侶にしようと思っている。蔡本家当主の伴侶が、前科者だと都合が悪いからな……どうにかならないか?」
恋する乙女のような顔をしたまま、丘錬は縋るような目を向けてきた。
……ちょっと待て。
ちょっと……想像の斜め上を行った。
「あれ? 尹 狼鮮って男ですよね?」
確かに、めちゃくちゃ可愛かったけど……本人曰く、あの姿は男だったはずだ。
「……それは僕も悩んだ」
囁くように言って、丘錬は遠くを見る目をした。
「だから、ちゃんと自分の気持ちを確かめた」
「確かめた?」
「そうだ」と頷いて、
「一度、尹と一緒に風呂に入ったんだ」
「風呂?」
えっ、風呂?
「ああ、風呂と言っても食事と一緒にだぞ。富麗天という店だ、知らないか?」
……なんか、ついさっき聞いた気がする。
「名前だけは」
「だったら話が早いな。その富麗天で尹と一緒に風呂に入って……そこで、しっかりと尹の全身を観察させてもらった」
変態さんじゃないですか。
……いや、富麗天っていうのが、そもそもそういう店なのか?
そういう店でそういうことをやっても、別に構わないと思うけど。
つーか、イプシロン、何してんだ。
ちょっと見る目が変わるんだが。
混乱する俺を他所に、丘錬は微かに興奮しているような声音で続ける。
表情は、どこか恍惚としているように見えた。
「もちろん、男の部分もしっかりと見た。そして、分かったんだ。僕はやはり……尹のことが好きなのだと。恋をしているのだと。例え男の部分があろうとも、それで僕の気持ちが変わることはないのだと」
――ちょっと頭をまとめてみよう。
大前提が、尹 狼鮮の正体はイプシロンだということ。
で、俺が昨日イプシロンのことを捕まえた。
どこかからそのことを聞きつけた丘錬が、尹 狼鮮を解放するよう要求してきて……その理由は、丘錬が尹 狼鮮に恋しちゃってるから。
……そう考えてみると、どうして丘錬が俺に尹 狼鮮の調査をするように求めてきたのか、推測も立つ。
多分、ストーカーよろしく恋焦がれる相手の情報を知りたかったけど……その調査を蔡家の手の者に頼むのは憚られたのだ。蔡家の、他の人に知られたくなかったんだろう。
それが何でなのかは……これは完全に俺の想像だけど、やっぱり、尹 狼鮮は蔡本家次期当主の相手としては、不相応なのじゃないだろうか? 男だし、確か、農家の子という設定だったはずだからな。
――いや、まあ……こんなこと考えても無駄なのだが。
そもそもからして、丘錬が恋しているところの、尹 狼鮮なんて人物は実在しない。
あれの正体はイプシロンだ。
尹を見逃すも何も、イプシロンは解放された途端に教会に帰ってしまうだろう。
丘錬の目の前にまた現れて、なおかつ伴侶になることなんて、百パーセントあり得ない。
……でも、こんだけ色々と聞いといて、尹を解放する事なんてできねぇよバーカとは言いづらい。そんなことしたら、決定的に丘錬から敵視されてしまう。
……うん。
「分かりました。少し、かけあってみます」
「――っ!? 本当かっ!!」
パアーっと輝くような笑顔を丘錬は浮かべた。
……心が痛い。
「あくまで、かけあってみるだけですよ。尹 狼鮮の身柄は、既に私の元にはありません。最善を尽くしますが、私の影響力などたかが知れていますから」
「それでも構わないっ! 感謝する!」
丘錬は身を乗り出し、両手で力強く、俺の両手を掴んできた。
手のひらは熱くて……俺は必死に、渋い表情をしそうになるのを堪えなければならなかった。
○○○
テンション高めの丘錬との、早めの昼食を終えて、俺は件のお店を訪ねてみることにした。
見たいような見たくないような……複雑な心境で歩くこと、数分。
さっきのお店で聞いていた通りにすぐ近くにあったそのお店は……拍子抜けするくらいに上品な建物だった。
いつだったか、お義父さんに連れて行かれそうになった類の店は、緑や赤の極彩色で店先を塗るという習慣があるらしいが、今俺の目の前に聳えている巨大な建物に安っぽい色は無い。
漆の黒に漆喰の白……所々に散らされた黄金。三色で統一されている。
……これが、『富麗天』だろうか?
そうと思って見なければ気付けないほどの、小さな看板が店先に出てるけど……。
その看板のすぐ脇には、めっちゃ美人な女性が立っていた。
ゴクリと、唾を一つ飲み込んで、俺はそちらへと足を向けた。
「……あの」
「ひゃっ!? あ、は、はい……どうされましたか?」
気配ゼロの不審者から話かけられた女性は驚いたようだったが……そこは流石プロ。一瞬後には動揺を隠して、笑顔を浮かべた。
ただ……目だけは笑っていない。
瞳が上下に動き、おそらくは俺のことを値踏みしているのだろう。
「その、ここ、『富麗天』で合っていますか」
「ええ、はい。そうですよ」
「一人、入れますか?」
「失礼ですが、ご予約はお取り頂いているでしょうか?」
……予約?
「いえ、取っていませんが」
「……大変申し訳ありませんが、当店は完全予約制となっておりますので……ご案内はできかねます」
女性は眉を寄せ、申し訳なさそうな表情を作る。
「えっ、そうなんですか。えっと、じゃあ……今、予約って取れますか?」
「失礼ですが、御紹介状はお持ちでしょうか?」
……御紹介状?
「いえ……その、御紹介状ってなんですか?」
「当店は一見様お断りとなっていまして、御紹介がありませんと、ご予約を取ることはできないのです」
「……すみません」
なんか、すみません。
羞恥のあまり気配を消して隠れてしまいそうになったが、グッと堪える。
「いえ、こちらこそすみません。また、よろしくお願いします」
こういうやり取りには慣れてるのか、女性は柔らかな笑みを浮かべて頭を下げてきた。
俺は唇の端が引きつりそうになるのを堪えて、雑踏の中へと姿を消した。
○○○




