27話 『面会 イプシロン』
朝、イーナの魔素の調整を終えて、俺は再び闘仙府に戻って来ていた。
日本で言う所の刑務所である監獄は、闘仙府に属する。
本来、内宮に侵入した罪で捕らえたなら、司法院封真部、要は拘置所に入れるべきだけど……細かい話はまあいいか。
サラとイプシロンの場合は、ただの侵入者じゃなくて中央教会の聖官だ。裁判にかけるわけじゃなくて中央教会との交渉に使うので、最初から監獄に入れることになった。
でだ。
サラもイプシロンも、ただの監獄に繋ぎ止めているわけにはいかない。
鋼鉄製の手錠なんてサラだったら飴細工の如く引き千切れるだろうし、イプシロンならそれ以前に転移で牢獄を切断できてしまう。
これはサラとイプシロンに限った話じゃない。
魔素を扱える者全般に対して言える話だ。
というわけで、監獄の奥にはそういう奴ら専用の、特別監獄と呼ばれる場所が設置されている。
二人ともそこに突っ込まれているので、俺は闘仙府の武官の後について、陰鬱とした空気の漂う監獄の廊下を歩いていた。
左右に並ぶのは一般の監獄。
一般とは言っても、ここは闘仙府の監獄だ。
道府の監獄には入れておけない、凶悪な犯罪者のみが集められていると聞く。
これと言って見る場所もないので、左右の牢獄の中を覗いてみるけど……案外普通の人たちが多いな。
大抵は寝台の上で大人しくしている。
たまに鉄格子を握ってガンつけてくるオッサンとか、しなを作ってアピールしてくる若い女とかもいるけど、それはごく一部だ。
どうせ極悪人なら、こんな場所に置いとかないでサッサと処分してしまえばいいのにな。
生かしておくのも金がかかるのに。
今代の皇帝の意向らしいけど、理解できない。
まあ、別に俺には関係ないからどっちでもいいけど。
クネクネと曲がる廊下、何枚もの分厚い鉄製の扉を越えると、突然大きな部屋に出た。
さっきまでの空間と比べると、幾分か明るい。壁も天井も変わらず石積みで、寒々しい雰囲気を受けるけど、それらもちゃんと清掃されていて黒ずんでいたりはしない。
部屋の上の方には鉄格子のはまった採光窓があって、そこから風と光が室内に注ぎ込んでいるようだった。
「ご苦労」
先導の武仙が声をかけたのは、そんな部屋の中で椅子に座っている若い男たちだった。
数は五人。
全員が全員とも、壁に開いた穴に両手を突っ込んでいて、首だけで振り返って頭を下げてきた。
「お疲れ様です。そちらは――」
代表で口を開いた男が俺に目を向けてくる。
目が合ったので軽く頭を下げる。
「面会だ。万が一が起こらないよう、気を引き締めて注げよ」
先導の言葉に、椅子に座っている武仙は苦笑いで「はい」と返し、再び壁に顔を向けた。
先導は振り返って、
「では、伯 理円様。そちらの扉を抜けると面会ができます。牢の内では『仙力』が使えないようになっていますが、念のため……お気を付けてください」
手で示すのは、部屋の端っこの方の扉。
特別監獄には何度か来たことがあるので、勝手は知っている。
俺は先導武仙にもう一度黙礼して、その扉へと向かった。
――
「……気分はどうですか?」
一言目に何と言おうか迷って、結局俺の口から出たのはそんな台詞だった。
「どう見えますか?」
「……あまり良さそうじゃないですね」
ジト目のままに寝台から立ち上がったイプシロンは、鉄格子のすぐ傍まで歩いてくる。
「お久しぶりです、アル聖官。――ちゃんと、色々と説明して下さるのですよね?」
機嫌悪そうに早口で言って、イプシロンは格子を右手で掴んだ。
そのまま前後に揺さぶるけれども、格子はビクともしない。
「まず、コレ。何ですか? 全く『能力』が使えないのですが。こんなの初めて……二度目ですか。初めては、アル聖官でしたね」
「……すみません。私もこの牢獄の仕組みはちょっと……知らないです。中身を魔素が循環してるのは分かるんですけどね。切断して中身を確かめるわけにもいかないですから、それ以上は分かりません」
パチパチと、イプシロンは瞬いて、
「そうなのですか?」
「うーん、イプシロン的にはどうです? 私は中に入ったことがないから分からないですけど、どんな風に『能力』が制限されてます? そもそも使えません? それとも使おうとしたら、魔素が霧散する感じですか?」
「……どっちかと言うと、そもそも使えませんね」
そもそも使えないのか。
……じゃあ、俺には仕組みはサッパリだな。
俺が相手の『能力』を無効化するのは、相手の魔素を乱すことによる。
『能力』ってのは、意識的か無意識かは別として、繊細に魔素をコントロールをすることによって発動することができる。
俺がちょこっと魔素を弄るだけで、『能力』を発動することができなくなるわけだ。
……もちろん、そんな仕組みを一から十までイプシロンに教えるわけがない。
今の俺とイプシロンは、仲間ではないから。
俺にはサッパリだってことだけを伝えて、昨日、俺がどうやってイプシロンを倒したかって質問に対しては、白を切った。
イプシロンの方も俺が話たがってないことは分かったようで、何も言わずに話題を変えてくれた。
「……アル聖官はやはり、教会ではなく華を選んだのですね」
寝台の上に腰を下ろしたイプシロンが、俯いたままにポツリと言った。
「……」
無言で、仮面を外す。
何となく、素顔で話すべきだと思ったからだ。
「そう、ですね。私は既に聖官ではなく、武仙です」
「……そうですか」と呟いて、イプシロンは顔を上げる。
灰色の瞳で……俺の内心を見透かそうとしているかのように、俺の顔を覗き込んでくる。
「なぜ、と聞いてもいいですか? 何か教会に不満があったのか、それともかなりの好条件を華から出されたか……あるいは、何か困っていることでもあるのか。聖女には伝えませんから、私に、教えてくれませんか?」
――やっぱり。
イプシロンの態度には……俺に対する敵対心を感じられない。
むしろ友好的。俺を抹殺するよう命令が下っているようには見えない。
華に来たのがサラとイプシロン――俺の知り合いという時点で何となく分かってたが……二人が華に来た目的は、俺を殺すことではなさそうだ。
じゃあ、何のために来たのか。
……それを俺から尋ねるのは、あまりにも皮肉というものだろう。
「私が教会を捨て、華を選んだのは……すべきことがあるからです。教会に不満なんて……むしろ、申し訳ないくらいです。色々与えてもらって、まだ何も返していないのに」
「……すべきこと、ですか?」
「はい。私がやらねばならないことです」
うだうだと、具体的に言うつもりはない。
全部が俺の都合で、教会には関係ない。
多分、イプシロンだったら……事情を全て話したら理解を示してくれるだろう。
それが分かっているからこそ、言い訳じみたことをしたくなかった。
「……そうですか。それがアル聖官の意思であるなら、私から言うべきことは、ありません。――ただ一つだけ。教会に敵対するようなことは……極力しないでくださいね。指令が下れば、例え……伯 理円であったとしても、私は従わないといけませんから」
「敵対さえしなければ、教会は私のことを見逃してくれるのですか?」
こんな質問をするのは、イプシロンに失礼だと分かっているけど、これは、俺にとって大切なことだ。
今見逃してくれても、またいつ教会が俺を狙ってくるか分からない……って状況だと、俺はおちおち眠っていることさえできない。――一生。
だから、この部分に関しては確認しておく必要がある。
俺の問に、イプシロンは気分を害した様子もない。
真剣な表情で口元に手をやっている。
「……全ては聖女の考えですから、どういう基準でそういった命令を出しているか分かりません。教会に明確に敵対したなら、確実に命令が下りますが……。今の所は、放置する方針とは聞いています」
……明確に敵対。
……あれ? 今の状況って、そういうことにならないだろうか?
白メイドと聖官を拘束って、なかなかのヤバさだと思う。
それどころか、元々の予定では二人の身柄を使って教会を脅す予定だったんだけど……。
――シンプルに、俺はイプシロンに相談することにした。
「……やめた方がいいでしょうね」
イプシロンは苦笑いしつつ、
「聖女はともかくベータがうるさいでしょうから。聖女はベータの意見を重視する傾向があるので」
「やっぱりそう思いますか」
無言でイプシロンは頷いて、寝台から立ち上がった。
牢獄の中央あたりまで歩き、そこで足を止める。
俺の方へと顔を向けて、
「――というより、それを私に聞きますか。人質に人質をどうするか聞くなんて、色々と変ですよ」
「イプシロンは頼りになりますから」
「……褒めても何も出ませんよ」
とか言いつつも、イプシロンは上機嫌に自分の意見を聞かせてくれた。
「聖女には私の方から言ってみます。サラ聖官も理円さんが殺されることなんて望まないでしょうから、意見を言ってくれると思います。――今の朝国の状況は知っていますか?」
「ええ、まあ……それなりには」
前触れも無く出てきた単語に困惑しながら、頷く。
朝国と王国・帝国――ひいてはそのバックに控える教会が、最近頻繁に小競り合いをしていることは、周知の事実だ。
朝国が支配する小大陸と、教会勢力の支配する大大陸西方――その二つの間を繋げる地域での緊張がかなり高まっている。前世で言うところのアラビア半島。
「このまま事態が悪化すれば、朝国との全面戦争に突入する恐れがあります」
イプシロンが軽い調子で落とした爆弾発言に、俺は自分が呆けた顔をしてしまっているのが分かった。
「……え、戦争?」
聞き間違えだろうか?
「はい。向こう側がかなり本気のようでして。どうやら、王国が現在混乱しているのを見て、幾らか領土を奪えると思っているようです」
王国では、大規模な反乱の末にクーデターが成功した。
クーデターの首謀者、名前は忘れたけど、どっかの伯爵だかのお偉いさんだったと思う。そいつが満を持して新たな国王に名乗りをあげようとした所で……教会が介入した、らしい。
らしい、というのは、俺はそれ以降の王国のゴタゴタに関してあまり知らないからだ。
意識的に王国の話を聞かないようにしてたし、そもそも華と王国は大陸の端と端だ。
情報を集めようとしなければ、詳しい話は入って来ない。
朝国からしたら、今の王国の状況はチャンスに映るだろう。
で、小競り合いが起きている……というのは理解してたが、まさか全面戦争だなんて大事になってるとは、思ってなかった。
……俺にも、少しだけ責任があるのだろうか?
俺が陛下のことを生かして、反乱を鎮圧していたら、今のような事態になっていなかったと思う。
まあ、何度同じ状況に陥ったとしても、俺は同じことをしただろうからな。後悔は無いが……少しだけ、申し訳ない気もする。
「――というわけで、教会は現在戦力を欲している状況です。サラ聖官にも大きな期待を寄せているので……彼女の機嫌を損ねて、任務拒否なんてことをされるのは、聖女も避けたいはずです。理円さんを見逃して欲しい、とサラ聖官が言えば、通る可能性は十分あると思います」
「……なるほど」
イプシロンの意見は……かなり有望な気がする。
サラの存在が貴重という論理なら、サラを人質に取って脅しても同じ結果が得られるかもしれないが、同じ結果を得られるなら無駄に教会に喧嘩を売る必要もないだろう。
「分かりました。相談に乗ってもらってありがとうございます。そっちの方面で考えてみます」
「感謝なんていりませんよ。人質に取られる、なんて恥ずかしいこと……私もされたくありませんから」
ちょっとだけ唇を突き出して、イプシロンは恨めし気な瞳で俺を見つめてくる。
俺は、ちょっと考えて、
「……できるだけ早く、二人を解放するように働きかけます。それと……何か欲しい差し入れとかありますか?」
イプシロンは数度、俺を見つめたままに瞬きしてから……目を閉じて沈黙した。どうやら、どんな差し入れが欲しいか真面目に考えているようだ。
しばしの後に、
「鴻狼の南東に、『フレイテン』というお店があるのですが……知っていますか? 富に麗しい、天空の天で、『富麗天』です」
……富麗天、聞いたことが無いな。
首を横に振りつつ返答すると、
「知らないなら知らないでも問題ありませんけど……とにかく、その『富麗天』です。そこでの食事を食べそこなってしまったので、それを食べたいです」
とのことだ。
忘れてしまいそうなので、富麗天、富麗天と口の中で三回呟いて、
「分かりました。では、次に来た時――多分、今日か明日になると思いますが、その時に持ってきます」
「ありがとうございます、お願いします」
イプシロンの声を聞きつつ、俺は仮面を取り出して、それを顔に付けた。
そのまま、部屋の扉を開けようと振り返った所で――
「アル聖官」
後ろからイプシロンの声が聞こえて、俺は足を止めた。
再びイプシロンへの方へと顔を向けると、
「サラ聖官とは、もう話したのですか?」
「ん? ああ……昨晩、少しだけ」
「今日は?」
「いえ……話してないですけど」
イプシロンのとこに来る前に、サラの牢獄を覗こうかと思ったけど……やめておいた。
サラよりもイプシロンと話した方が建設的な話ができると思ったからだ。
「サラ聖官とも、ちゃんと話してくださいね?」
なぜか、イプシロンがわざわざそんなことを言ってきた。
「ああ、はい。時間が取れた時にサラとも会ってみます」
「時間が取れた時、ではなく、できるだけ早く話してあげてください」
「……? 何か、急ぎの話でもあるんですか?」
本当なら、この後サラの方に行く予定だったけど……思ったよりもイプシロンとの会話に時間を取られたからな。
別に急ぐわけでもないし、今日はやめて明日訪ねようかと思ってたんだが……緊急の用件があるなら話は別だ。
……でも、サラから俺への緊張の用件ってなんだろう?
何かあるとは思えないんだが。
イプシロンは苛立ったように寝台を両手で叩いた。
「そうではなくて! ……はぁ……とにかく、できるだけ早くサラ聖官と話してあげてください。これは、私からのお願いです」
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