26話 『返り討ち 後編』
板の床に座っていると、どこかから声が聞こえた。
「二人とも、来たようです」
白虎の声。姿は見えないけど、どこか近くにいるのだろう。
他、青馬と狒狒――現在鴻狼にいる三人の獣師全てが、この建物にいるはずだ。
この三人の気配はさっぱり分からないけど、俺でもサラとイプシロンの気配くらいは感じ取ることができる。
右手を小さくあげて「分かった」と伝えると、俺は再び目を閉じた。
あと、四半刻もしないうちに、サラは俺の眼前までやってくるだろう。
……そういえば、お義父さんの家で会った時、サラもイプシロンも姿が変わっていた。
サラは髪色と目以外は、なんとなく雰囲気が違うかな? ってくらいだったけど、イプシロンは明らかに別人の容姿だった。
あれ、どんな仕組みなんだろ?
んー、まあ、イプシロンって聖女様の分身らしいからな。自由に見た目を変えれるのかもしれん。サラは……髪を染めて、目はカラコン? カラコン的な何か、かな?
俺は仮面を外して、頬を手のひらで撫でた。
サラとイプシロンを拘束して、それを使って教会と交渉すれば……もう、顔を隠す必要はなくなる。この仮面ともお別れだ。
でも、やっぱ金髪に碧眼って悪目立ちするからな。
普通に街を歩いてる分には問題ないけど、やっぱり国府に勤めているのはほとんどが純粋な華人だ。皆が皆、黒髪に黒い瞳。
髪の毛は続けて黒染めするにしても、瞳の色は仕方が無いって思ってた。けど、カラコン的な便利な道具があるなら、使わせてもらいたい。
イプシロンに聞いたら教えてくれるかな?
――なんてことを考えているうちに、サラとイプシロンの気配が、乾衣殿のかなり奥まで入って来ている。
もうそろそろ、お義父さんとぶち当たる頃だ。
右手に握った仮面をチラリと見て、それを付け直そうか一瞬迷ったけど……付けないことにした。
仮面は懐にしまって、素顔のままに立ち上がる。
――深呼吸。
胸いっぱいに空気を吸うと、部屋に染みついた香の薫りを強く感じた。
乾衣殿は、香の種類ごとに部屋が分けられている。
桃に蘭、茶……何となく、そんな感じの匂いのする部屋もあった。
そして、俺が今いるこの部屋からするのは、橘の――柑橘の香りだ。
――
勢いよく扉が開かれると、深紅の鎧が見えた。その鎧は、部屋に数歩踏み入った所で足を止める。
目が合った、と感じた。
それは正しかったようで、次の瞬間には鎧の顔の部分だけが霧と消えて……中から懐かしい顔が出てきた。
肩の辺りで切り揃えられた深紅の髪の毛に、同色の炎のような瞳。
「……アル、よね?」
「久しぶりだな、サラ」
「どうしたの、ソレ。きもちわるい」
「……?」
気持ち悪い?
慌てて自分の服装を確認してみるが……別に変じゃないよな?
「魔素。ワタシが知ってるのとぜんぜんちがう。アルはもっとキレイだったのに」
……ああ、そういうことか。
「魔素を隠してるのは、わざとだよ。教会からの追手に――サラとイプシロンに見つかるわけにはいかなかったからな」
「……わざと、ワタシたちから隠れてたの?」
「そうだな」
「どうして?」
「そりゃあ、俺は教会から逃げたんだからな。見つからないように隠れるのは当然だろ」
「……逃げた?」
サラは困惑したような表情を浮かべた。
「アルは、じぶんからここに来たの?」
「ここ?」
「華に」
なんだか会話が噛み合ってない気がする。
俺は教会から逃げた。で、逃亡した聖官を処罰するためにサラとイプシロンが派遣されてきた……という認識なんだけど。
「なあ、サラ。一つ、聞いてもいいか?」
「なに?」
「サラは何のために華まで来たんだ」
「アルをいっぱつなぐるため」
あ、やっぱり俺を処罰するために来たらしい。
サラは自分の言った言葉で、自分のすべきことを思いだしたのか、ニギニギと拳を握っている。
その様子に内心ビビりつつ、俺は頑張って笑顔を顔に張り付けた。
「俺を殴りに来たのか? 言っておくが、俺は強くなったぞ。サラなんかに出来るかな?」
ピタリと、サラの動きが止まった。
顔を上げたサラは、眉間に皺を寄せ、プクーッと頬っぺたを膨らませていた。
「どういうイミ?」
「そのままだが? サラなんかに殴られてやるほど、俺は弱くない」
「……ふーん」
つまらなそうにサラは呟いて、次の瞬間には頭が深紅の鎧で覆われた。
「そんなに言うなら、ホンキでなぐっていいのよね?」
答える代わりに、俺は右手に碧色の剣を握っていた。
剣は端から空気に溶けて、碧色の霧が俺の周囲を包む。
――同時。
深紅の残像だけが見えた。
早すぎて、全く目が追い付かない。
さっきまでそこにあったサラの姿が消えていて、目の前まで迫っていた。
俺の腹を殴らんと、サラの右拳は固く握られていて――
――
緑『能力』は、何かを生み出す『能力』だ。
俺だったら電気。
フレイさんなら水。
師匠なら炎。
セボンさんなら石鹸。
『能力』で作り出した物質は、普通の物質とは性質が異なる。
一つ目が、継続的に魔素を補給してやらなければ、魔素に戻ってしまうという点。
元々魔素から発生した物質だから、いつまでも存在し続けるなんてことはない。最初に投入した魔素量に比例して、物質がその形を保っていられる時間は変わる。
二つ目は、魔素を注ぎ入れることで、物理的、化学的に操作できる点。
物理的ってのは、そのまま。フレイさんの蜃気楼やフレイさんのファイアーボールみたいに、生み出した物質を好きなように操れるってことだ。
化学的、の方はセボンさんを思い出せば分かりやすい。セボンさんは体液として石鹸を生み出せるが、その石鹸は弱酸性の玉子肌にも優しいものから、ちょっと強めの洗剤まで、調整することができた。
俺は、自分が電気を自在に操れるのは、二つ目の性質によるものかとずっと思っていた。
でも、華に来て……白虎の元で魔素を抑える訓練に四苦八苦している時に、ある違和感に気が付いた。
例えば、フレイさん。
フレイさんは自分の『能力』で作った水を操ることができる。
あくまで、自分の『能力』で、だ。そこら辺の水たまりに落ちてる水は、一ミリリットルたりとも操ることはできない。
じゃあ、俺は?
俺は、条件さえ合えば人の思考を読むことができた。
脳内を微弱に流れる電気を捉えること――つまりは、自分の『能力』で作った電気以外を読み取ることによって。
『能力』のサポートがなければ、脳内電流なんて理解できるはずもない。
なのに、俺は『能力』で作ったわけでもなんでもない、ただの電気を読み取っていたことになる。
気付いてしまえば、簡単な話だった。
俺の緑『能力』は、電気を生み出すこと。
俺にはもう一つ。青『能力』がある、というのはずっと前から知っていた。
それが何なのか。師匠の元で散々悩んで、結局見つけることができなかったけど……何の事はない、見つからないのも当然だった。
だって、俺は最初から二つ目の『能力』も使っていたのだから。
俺の二つ目の『能力』。
青『能力』は――
――
驚きで見開かれたサラの目を覗き込みながら、俺は素手でか弱い少女の拳を受け止める。
そこを起点に電気を流し込むと、一瞬だけ全身を痙攣させて……サラは、パタリとその場に倒れた。
……大丈夫だとは思ってたけど、上手くいってよかったな。
というか、なんださっきの。
早すぎだろ。
なんでゼロモーションであんな急加速が出来るんだ。
「……流石ですね。噂には聞いていましたが、これほどとは」
いつの間にか白虎がサラの傍に立っていた。
「まあ、サラですからね。『深紅の風』とか上手く言ってると思いますよ。確かに風にしか見えませんでしたし」
サラには『深紅の風』とかいう二つ名が付いてるらしい。
なんか中二病っぽくて笑えるけど、前世でもスポーツ選手に厳つい通称が付いてたからな。
いろんな場所で目立ってる人に恥ずかしい二つ名が付くのも、似た感覚なんだろう。
お義父さんも『東方無双』って呼ばれてるらしいし。
懐から三日月型の面を取り出して顔にはめると、仮面の向こうで、白虎が床に倒れたままのサラを見下ろしていた。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんだか……やるせないなと思いまして」
「やるせない?」
「サラ・フィーネ聖官、『深紅の風』と言えば……この一年、最も活躍していた聖官ではないですか。実際、噂に違わぬ実力を持っているでしょうに、土竜の前では何も発揮できないのが……その、努力が報われないなと思いまして」
……確かに、サラは努力をしたのだろう。
実際、俺の耳にも『深紅の風』さんの頑張りは数えきれないほど入ってたしな。
山賊や海賊が壊滅させられたってのは飽きる程聞いたし、そこそこの被害を出していた魔物も、一瞬でぶちのめしたとも聞く。
華まで届く活躍なんてごく一部だろうから、実際はもっと大量の任務をこなしていたんだろう。
「……そんなこと言っても、仕方ないじゃないですか。あのままぶん殴られてたら、下手したら死んでましたよ?」
「いえ、それはそうだと分かっているのですが……気持ちの面で」
いくら努力して『能力』を磨いたとしても、俺に勝つことはできない。
ただし、これは最初の数戦限定だ。もう一回、あるいは二回戦って、種が割れてしまえば、俺は二度とサラに歯が立たなくなるだろう。
「今回は、俺の勝ちだな」
小声で言って、俺はサラの身体を抱え上げた。
そのまま、扉へ向かおうとすると、先んじて白虎が開けてくれていた。
軽く会釈をして、扉を抜けようとした時、
「土竜は、サラ聖官の噂はよくご存じなのですね」
白虎が小さな声で言ってきたので、足を止める。
「どうしました?」
「いえ、なんでもありませんよ」
言葉だけを残して、白虎の姿は消えていた。
○○○
イプシロンを無力化しておく約束だったのに、元気なイプシロンがお義父さんの肩を揉んでいる場面に出くわした時は、思わずブチ切れそうになった。
幸いイプシロンが完全に油断してくれてたおかげで、簡単に無力化することができたが……今から思うとヒヤヒヤする。
サラとイプシロンを闘仙府の特別監獄に突っ込み、乾衣殿をちょっと壊しちゃった(サラが踏み込んだ所の床が、ベッコリと凹んでいた)ことを宮内府にごめんなさいしに行って……と色々やってる間に夜は開けて、朝。
空が白んできた中、俺は祭事殿に帰ってきた。
「兄さん、おかえりなさい」
当然の様に俺の来訪を予期していたようで、襖を開けるとすぐ目の前にイーナが立っていた。
「昨晩はお疲れ様でした。布団を用意しておいたので、少しだけ休みませんか?」
見ると、いつもはイーナの布団が敷かれている場所に、真新しい布団が敷かれていた。
ついさっきまでは眠気なんて全然無かったのに、布団を見ると眠たくなってくるから不思議だ。
「ありがとな、イーナ。折角だから少しだけ寝るわ。半刻経ったら起こしてくれ」
「はい。分かりました」
布団の中は、ほどよく温かかった。
ちょうど人肌くらい。
多分、湯たんぽか何かでも入れて、温めてくれてたのだろう。気が利く妹がいると、こういう時に快適だ。
口元まで布団をかけると、風のようないい香りが仄かにして……
「おやすみなさい、兄さん」
最後にイーナの柔らかな声が聞こえて、俺は自分でも気付かないうちに眠りに落ちていた。
○○○




