23話 『返り討ち 中編』
――前触れも無く、パッチリと開いた瞳と目が合った。
「あ、え、兄さん!?」
慌ててイーナが起き上がってきたので、頭をぶつけないように咄嗟に身を退ける。
「なんで兄さんがここに!」
ハラリと、イーナの肩から艶やかな黒髪が滑り落ち、胸の前側へと垂れる。
「いや、なんか今、内宮に侵入者がいるらしくてな。念のため黒狼様を護衛しないといけないんで……嫌かもしれないが、我慢してくれ」
「いっ、いえっ! 嫌だなんてそんな……むしろ……」
ゴニョゴニョと何かを続けて言ったようだったが、小さすぎてよく聞こえなかった。
「ん? むしろ……何だ?」
「……いえ、何でもないです」
顔を伏せたイーナの耳――頭から生えている方が、ピョコピョコと小刻みに動く。
どうやら、かなり動揺してるらしい。
ちなみに俺の分析によると、イーナの耳は尻尾についで感情の現れやすい場所だ。
嬉しい時はピーンと突っ張る。
不満な時はペタリと伏せられて……今みたいにフルフルと震えるのは、感情が定まってない時だ。
あくまで俺の分析だけどな。
でも、そうは間違ってないと思う。
――
「侵入者って、久しぶりですよね」
お茶を淹れて持って来たイーナは、俺の目の前に湯飲みを置いてから布団の上に腰を下ろした。
女の子座り。
華の服でそんな座り方をしたら、太腿のあたりが丸見えだ。
兄として、はしたないと注意すべきだろうか?
今は俺だけだからいいけど、黒衣衆には男連中もいる。
そんな無防備な動作をして欲しくない。
けど、兄が妹にそんなことをわざわざ指摘するのも……意識しているようで逆に気持ち悪い気もする。
うーん……難しいな。取りあえず今回はスルーしておくか。
「だな。毎度毎度、見せしめをちゃんとしてるのに……やっぱり学ばない人も一定数いるからな。まあ、今回はちょっと毛色が違うかもしれないけど」
イーナに隠し事をしてもどうせバレてしまうので、隠したりはしない。
案の定イーナはキョトンとした顔をしたあとに、目がどこか遠くを見ているかのように合わなくなった。
「……教会から。どういうことですか、兄さん」
「どういうことって言われても。俺もちょっと前に気付いたばかりだから、今白虎が調査してくれてるとこ。ちょうどいいや、今女官の詰所のあたりに例の侵入者がいるらしいから、見てみたら?」
「……そうですね。やってみます」
キリリとした顔になったイーナは、ゆっくりと両目を閉じて……深く息を吐いた。
今この建物には、俺とイーナしかいない……はずだ。
二つの息の音だけが、薄暗い部屋に響く。
ゆっくりと、イーナは目を開いて、
「確かに。今回の侵入者は……かなりの手練れみたいです。ほとんど見えませんから。武仙で言うと、かなりの高官くらいのはずですけど……」
「……やっぱりな。武仙の高官がわざわざ人生棒に振る理由も思い付かないから……十中八九、まあ……サラかイプシロンだろうな」
「……サラ、イプシロン?」
俺の瞳を覗き込みながら、イーナが呟いた。
「ああ、件の教会からの追手だ。まず、サラの方は……俺の、そうだな……師匠だった人だよ」
「兄さんの、師匠? でも、サラって女の人の名前ですよね。兄さんの師匠って男の人だったんじゃないですか? 確か、そう――クルーエル」
……ん?
「あれ? 俺、師匠の名前とかイーナに言ったことあったっけ?」
「一度だけ。私に話してくれたこと、覚えてませんか? 確か去年の十一月の頃だったと思います。火打石が湿ってでもいたのか、火鉢になかなか火が付かなくて。その時兄さんが『師匠なら一瞬なのにな』ってボソリと言って、私が『師匠って誰ですか』って聞いたら、『クルーエルさんって人で、教会で俺を鍛えてくれた人だ』って」
「……ああ、そういえばそんなこともあったな」
というか、よくそんな細かいことまで覚えてるな。
俺なんかついさっき会った人の名前も忘れちゃうのに。
これが地頭の違いってやつだろうか?
「まあ、そのクルーエルさんが、教会が割り当ててくれた正式な師匠なんだけど……サラは、それより前の俺の師匠だな。俺が教会に入る前、『能力』――いや、ここでは『仙力』だったか。まあ、それを発現するのを手伝ってくれたのがサラだ」
「……教会に入る前? えっと……兄さん? 兄さんって、あの日。『儀式』を受けている最中に消えてから、ずっと教会にいたんじゃないんですか? 私、ずっとそう思ってたんですけど……」
……言ってなかったっけ?
まあ、特にしつこく聞かれもしなかったからな……言われてみれば、あの日。『儀式』の日に転移してからの細かいことをイーナに言ったことがない気もする。
そもそも、自分が何をしてたか、なんてことを細かに教えるのって……気恥ずかしいし。
……でも、まあ。
イーナはずっと俺の事を心配してくれてたみたいだし、話さないといけないかな?
いい機会だし。
「んーとだな。説明するとなると難しいんだけど……エンリ村から教会に跳んだは跳んだんだけど、そこからすぐに別の場所に跳ばされてな。そこで会ったのが、サラだ」
「……サ、ラ」
一音一音を噛みしめるように、イーナは呟いて、
「そのサラが、兄さんに『仙力』の使い方を教えたんですか?」
「うーん、まあ。ちょっとだけ語弊はあるけど、間違ってはいないな」
ほとんど自力で『能力』を発現させたつもりだったけど、今になって思い返してみれば……あの時のサラのアドバイスは正鵠を射ていた。
俺の二つの『能力』。
華に来てから判明した……電気じゃない方の『能力』を、サラはあの時には既に見抜いてた……んじゃないかな? 本能的に。
だから、師匠ってのも、あながち間違いじゃない。
「その、サラって人のお話。もう少し聞かせてもらってもいいですか?」
なぜかは分からないけど、イーナはサラに興味津々のようだ。
布団の上で姿勢を正して、真面目に授業を受ける優等生って感じ。
……サラについての話、か。
話題には事欠かないし、俺自身の話じゃないから話しやすい。
……聞きたいって言うなら、語るのもやぶさかでもないかな。
――
「兄さん、後ろ」
話がちょうど途切れた時、イーナの声に俺は振り返った。
「お話し中失礼します。報告、よろしいでしょうか?」
「ああ、お願いします」
ふと見ると、白虎の後ろ。
襖の隙間から薄っすらと朝日が差し込んでいる。
……マジか。
いつの間にか、朝?
そんな……何時間も話してたつもりは無かったんだが、つい気分が乗ってしまった。
夜の変なテンションになってたかもしれない。
「まずは内宮の侵入者について。明け方まで内宮内をあちらこちらへと移動していましたが、つい先ほど姿を見失いました」
「見失った?」
驚きだ。
白虎が補足していた相手の姿を見失うなんて。
「はい。忽然と――まるで転移でもしたかのように、姿が消えました」
……ああ、なるほどな。
ニコリともせずに白虎が紙束を手渡してきたので、受け取ってパラパラと中身に目を通す。
その間、白虎が口頭で横から説明してくれた。
「『尹 狼鮮』と『華 凛華』両名についての調査はまだ時間がかかるので、取りあえずすぐに調べられる物だけをまとめてきました。
どちらも魯道泉玖郷咸陽の農家出身。戸籍上は姉弟となっていますが親同士が再婚とのことで血は繋がっていないとのことです。現在蟲師を同郷に向かわせていますが、何分遠いので現地調査の結果をあげられるまでは時間がかかりそうです。
では、まずは『尹 狼鮮』の方から――」
白虎の口からは、一晩で調べたにしたら十分すぎる程の情報が伝えられた。
それによると、サラもイプシロンも、華に来てからは特段大きなボロを出していない様子。
唯一のミスが、
「続いて、昨日の内宮への侵入者の件ですが。おそらくは『乍 凛華』であると思われます。『乍 凛華』を確認したことのある複数の蟲師から、同一の魔素の波長だったとの報告が上がっています。
まだ確定ではありませんが、昨日の侵入者の体に印を付けておいたので、『乍 凛華』の体に同様の印を確認できれば、確定と言っていいでしょう」
内宮、というか……祭事殿に近付いたことだろうな。
祭事殿の近くには、必ず獣師の誰かが張っている。
獣師の誰もが卓越した魔素操作の能力を持ち、自己の魔素をほとんど完全にコントロールしている。
自分の魔素――つまりはノイズをカットできるからこそ、自分以外の魔素に対する感知能も高い。
サラの戦闘能力は白虎以上にあるのだろうが……やっぱり、一点特化の専門家を騙せれるわけもない。
白虎の説明は続く。
「それで、下手人の姿を見失った件ですが。『仙力』によるものかと思われます。
土竜の言っていた教会からの追手、片方はサラ・フィーネ聖官のことだと思うのですが……もう一人のイプシロンというのは……もしかして、イプシロン聖官のことでしょうか?」
「そうですね」
端的に肯定すると、白虎は渋い顔をしつつ俺を見て、
「兄さん! そのイプシロンって人、ものすごく強いらしいですけど、本当に大丈夫なんですか!」
おそらく、白虎にイプシロンについての質問をした未来を読み取ったのだろう。
イーナが、青い顔をしながら俺に縋り付いてきた。
「えーと、どんなのを見たのか分からないから何とも言えないけど……イプシロンの相手はお義父さんがやるから心配ないよ」
「でもっ! もし狼円さんが負けたら、兄さんが相手をすることになるんですよね?」
「そりゃあ、そうだけど」
「駄目です! 兄さんに少しでも危険があるなら、そんなこと、私は許しませんからっ! ――白虎! 狒狒! 青馬!」
黒狼様の命令に従って、白虎が立ち上がり……いつの間にか、ニマニマと笑う年老いた男性と、細面の若い青年が俺の周りを囲んでいた。
……獣師が他に二人もいたのか。
全然気づかなかった。
俺は黒衣衆の首領だが、あくまでも黒衣衆は黒狼様の手足。
イーナが命令すれば……三人が三人とも、やる気満々って顔をしてる。
次にイーナが指示を出した瞬間、獣師三人と……正確には分からないが、二桁の蟲師が俺に襲い掛かってくるはずだ。
……近くにサラとイプシロンがいる今の状況で、派手に電気を使う訳にはいかないからな。純粋な体術だけだったら、俺はなすすべも無く拘束されてしまうだろう。
腕を組んで俺をキリッとした目で見つめるイーナを捉えて、俺は小さく溜息を吐いた。
――
俺は教会から離れたと言っても、別に教会に恨みがあるわけじゃない。
だから、できるだけ教会に迷惑のかかることをするつもりはなかった。――例えば、秘密の漏洩とか。
でも、背に腹は代えられない。
ここだけの話にする約束をして、俺は『聖官拘束』について説明した。
つまりは、イプシロンの『能力』の対象となるのは聖官の俺だけで、お義父さんを対象にすることはできないことを。
どうやら、華に伝わっていたイプシロンの武勇伝は……過去の強力な逃亡聖官を一瞬にして打ち倒したというものだったらしく、
「なるほど……確かに土竜の話が真実であるなら、大闘仙が遅れを取ることは無いでしょうね」
「……本当にそう思う?」
「はい、黒狼様」
半信半疑といった様子のイーナは、白虎の意見だけでは満足できないらしい。
狒狒と青馬にも目を向けて、その二人が頷き返してきたのを確認して……ようやく、俺へと目を向けてきた。
「分かりました。そのイプシロンって人が、狼円さんにとって大した脅威ではないのは認めます。――でも、そうなんだったら、サラさんの相手を狼円さんがして、イプシロンの相手を白虎にでもやらせれば――」
「イーナ」
俺が名を呼ぶと、イーナは怯えたように口を噤んだ。
「それは散々話し合っただろ? 『追手が来たら、できるだけ自分で片を付ける』。これは、譲らない」
「でも、兄さん……」
「邪魔をするなら、たとえ教会に俺の居場所がバレたとしても、ここで暴れる。面と向かっての勝負なら……俺は黒衣衆で一番強い」
俺よりも確実に強いのは、お義父さんと大技仙……くらいじゃないだろうか? 武仙の全てを把握してるわけじゃないから、正確には分からないけど。
まあ、単なる初見殺し、しかも対人に限るからな。尺度は色々あるけど……幸いにしてこの場にいるのは全員人間だ。初見ではないが。
もちろん、本当に『能力』を解放して……特にイプシロンに俺の居場所がバレるようなことをするつもりはない。
顔を合わせた瞬間ぶっ殺される可能性も捨てきれないから。
そうなれば、もう……イーナの傍にいられなくなる。
でも、他の人に教会からの追手の対応を任せておいて……それでもしも、俺が寝ている間に人が死ぬようなことがあったら、目覚めが悪い。
自分でやれるなら、無理ない範囲で自分で対応する。
リスクがあるなら、さっさと助けを借りる。
これが俺の出した結論で……散々、イーナに言い聞かせてきた話だ。
イーナは、むすーっと唇を突き出してから、
「分かりました。……でも、無事に帰って来てくださいね」
ウルウルとした瞳で、上目遣いに見てくる。
「……もちろん。ヤバそうだったら、他の人にも手伝ってもらうから」
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