22話 『返り討ち 前編』
サラとイプシロンを闘仙府の宿舎に送り届けてから、俺は真っすぐお義父さんの家へと帰って来ていた。
お義父さんは床に転がっていて、お義母さんが用意してくれたのだろう布にくるまって、グースカといびきをかいていた。
俺は容赦なく布をはぎ取って、お義父さんの肝臓のあたりに右手のひらを添える。
肝臓は血液量が多いので、アルコールを分解するのに都合がいいのだ。
別に心臓でもいいけど、間違って電気を発生させてしまって、それで心臓発作なんて流石に笑えないからな……念のため、肝臓だ。
一分もしないうちに、お義父さんはパッチリと目を開き、
「んぁ? 理円? 何を…………オイ」
直後に俺にやられたことを理解したお義父さんは、目を血走らせながら俺の胸倉を掴んでくる。
「何しくさっとんじゃぁ……ボケが。ぶっ殺すぞ?」
こわっ。
けど……ここで怯むわけにはいかない。
「ごめんなさい――でも、緊急事態です。教会から追手が来ました」
「……追手じゃ?」
胡乱な目を向けてきたお義父さんは床から立ち上がって、机のコップをグイッとあおった。
「で、どうする? 儂が殺ったらいいんか?」
再び向けられたお義父さんの目は、既に普段の物とは全く異なっていた。
光は無く、ただただ真っ暗闇の……ゾワリとさせられる瞳。
「いえ、できれば生きたまま確保という方向でお願いします。……私の友人なので」
「そうか、分かった。理円が言うならそうしようかの。儂の手助けはいりそうか?」
「はい……追手は二人、そのうちの片方だけは、お義父さんの力を借りたいです」
「ふーん。で、追手というのは……今、どこにいるんじゃ?」
「闘仙府です」
僅かに、お義父さんの目が見開かれた。
「ついさっき、私が二人とも送りましたから」
「……それは、確かなんじゃろうな?」
「はい」
「はぁ……そうか」
溜息を吐きながら、お義父さんはドカリと椅子に腰を下ろした。
顎を軽くあげて、天井にいつもの皺くちゃの眼差しを向けている。
「で、儂はどっちの相手をすればいいんじゃ?」
「尹さんの方をお願いします」
「りょーかいじゃ」
――
お義父さんの家を出て、急ぎ黒衣衆の官府に向かっている途上。
「――」
独特の気配に足を止めると、物陰に若い女性が隠れていることに気が付いた。
わざと足音を立てるようにして、そちらへと向かうと、
「……今晩は風が強いですね」
女性の方から話しかけてきた。
「ええ、せっかくの花が落ちないか心配です」
「本当に。蜜蜂も悲しむでしょう」
「土が甘くなれば、土竜は喜ぶかもしれませんね」
「土竜様、白虎様より連絡です。内宮に侵入者、と。白虎様は黒狼様の警護を、手の空いている者で周囲を警戒しています」
……侵入者か。
「数は?」
「確認できているのは、一人です」
ということは……サラとイプシロンじゃないのか?
いや、イプシロンならもしかしたら……黒衣衆でも認識できないほど低いレベルに魔素をコントロールできるのかもしれない。
自分で確認してみないことにはよく分からないな。
「……分かりました。今向かっている最中なので、白虎へは私から返答しておきます。蜜蜂は他の者と同様に警戒に当たって下さい」
「了解しました」
頭を下げて、蜜蜂は夜闇に消えていった。
その背中を見送ってから、俺はさっき以上に道を急ぐ。
白虎に任せておけば、大抵のことは何とかなるだろうけど……やっぱり心配だ。
イーナの身に何かあったらと思うと気が気でない。
――急ごう。
――
「早かったですね」
背中を向けたままに、白虎が言ってきた。
俺は後ろ手で襖を閉め、
「もともと向かっている途中でしたから。――イーナは」
「二刻程前からお休みになっています。本人は起きていたかったようですが……先日の占で疲れが溜まっていらっしゃるのでしょう」
床には布団が敷かれていて、イーナはそこでスヤスヤと眠っていた。
白虎はその脇に座って見守ってくれていたようだ。
俺は白虎とは反対側の布団脇に腰を下ろして、
「蜜蜂から聞きましたが……何か新たな情報はありますか?」
「いえ、特には。少し前にこの周辺まで近付いてきたので、もしやと思いましたが……何事もなく。今は女官の宿舎の辺りにいるようです」
「そうですか。やはり――」
サラとイプシロンのどちらかだろうか?
意味も無く内宮をうろつく理由が思い浮かばない。
ただの盗人か何かだったら、ここ――祭事殿の近くには宝物殿があるから、さっさとそっちへと向かうはずだ。
まあ、宝物殿は警備が厚い。
それにビビって逃げようとして……迷子になってるとかもあり得るが。
「……やはりとは、何か思い当たることがあるのですか?」
白虎は下から覗き込むようにして俺を見つめてきて、胸元の隙間から真っ白な……
――っと、いかんいかん。
こういうとこが誤解を生むんだぞ、俺よ。
俺は意識的に白虎の胸元から視線を逸らし、
「ええ。もともとその事について白虎に知らせようと思っていたのですが……教会からの追跡者が既に鴻狼に潜入しているようです」
「それは――」
「心配いりませんよ。どこにいるかは掴めていますから」
「……そうですか。良かったです」
漏らすように言った白虎の目は、俺でなくイーナへと向けられている。
普段の、良く言えば冷静な、悪く言えば冷たい目付きとはかけ離れた、どこか温かみを感じる眼差しだ。
「それで、かねてより予定していた通りに……今の季節なら乾衣殿ですね。そこで追跡者を捕縛する予定です」
「……ということは、追跡者は土竜のお知り合いだったのですか?」
「はい。私の……友人です」
仮に『能力』の分からない者が追跡者だったなら、しばらく調査のために様子見するという選択肢もあったのだが……サラとイプシロンならすぐに行動に移して問題ないだろう。
捕縛したら、二人を人質として、俺を見逃してくれるように教会に交渉を持ちかける計画だ。
ちょっとだけ強引だけど、やっぱり隠れ続けるよりも、ちゃっちゃと精神的に安定したいからな。
多分、上手くいくと思う。
俺なんかよりも、サラの方が価値が高いだろうし。
なんせ、『深紅の風』さんだからな。
……いかん、何度聞いても笑いそうになる。
まあ、『深紅の風』さんは置いといて、イプシロンは……死んでもどうせすぐに復活するから、あんまり人質としての価値はないと思うけど、野放しにするリスクが大きすぎる。聖官拘束のこともあるし、俺が知らない力を持ってるかもしれないしな。
やっぱり、無力化しとく必要がある。
「――追跡者は二人。どちらもこの間の殿試で国府に侵入したようで、一人は尹 狼鮮という名前で宮内府に。もう一人は乍……何とかという名前で闘仙府にいます。調査をお願いしていいですか?」
差し出された白虎の手のひらに、『尹 狼鮮』と『乍』と文字で書くと、
「尹 狼鮮と乍……凛華ですか?」
「ん? ああ……確かにそんな名前だったような。――って、知ってるんですか?」
「それは……二人とも有名人ですから。むしろ、土竜は知らないのですか?」
え? 有名人なの?
白虎は氷の目で俺を見て、
「知らないようですね。諜報部のように様々な情報に精通している必要はありませんが、せめて普通の人たちが知っている程度の情報は持っておくようにしてください。それも務めの一つです」
「……すみません」
白虎は元首領――つまりは俺の先代の黒衣衆のトップだ。
ポッと出でこの座についた俺と違って、実力で数年間首領を勤め上げた……本物だ。
怒られたら反論なんてできるはずもない。
白虎は溜息を吐いて、目を伏せる。
そこではスヤスヤと気持ち良さそうにイーナが眠っていた。
「土竜はもう少し人に興味を持った方がいいですよ。興味が無いから噂話が記憶に残らない。名前も顔もなかなか覚えられない。これは、黒衣衆としては大きな欠点です」
どうやら今日の白虎はお説教モードらしい。
お腹が空いてるのかもしれない。
「……せめて直下の部下たちの名前くらい、そろそろ覚えてくださいよ。今日も、また名前を間違えられたと私に泣き言を言ってきたんですからね」
「え……」
何それ、初耳なんだが。
俺の部下が白虎に泣き言?
「それ、誰ですか?」
「言う訳ないでしょう、そんなこと。
……それに、どうせ言っても分からないでしょう?」
おや、分かりやすい皮肉ですね。
流石に言われたら分かる……と思う。
あんまり自信はないけど。
いや、だって、 蜻蛉やら蝉だとか……とにかくややこしいし。
しかも、俺直下の蟲師って、三十人近くもいるからな。
「……はぁ、今日はこれくらいにしておきましょう。二人についての調査報告は今晩中にはまとめて持ってきます。私は離れますが、黒狼様のお側を任せて構いませんか?」
呆れたように溜息を吐いて、白虎は床から立ち上がった。
「分かりました。今晩はここにいることにします。それで、例の侵入者ですが……いつもの通りの対応で。あとで報告もお願いします」
「了解です。では、私は失礼しますね。黒狼様をお願いします」
ふっと、白虎の姿が消えたように感じた。
ひとりでに襖が開き、夜風が一瞬だけ室内を駆ける。
音もなく襖が閉まると、祭事殿には俺とイーナだけが残されていた。
○○○
スースーと寝息をたてながら、イーナは眠っている。
暇なので、ただボーッとそんなイーナの様子を眺めていると、ピョコリとイーナの頭部に耳が生えてきた。
「……む…うぅん……」
規則正しく続いていた寝息が止まって、イーナは軽く眉をひそめた。
寝心地が悪いのだろうか?
しばらくイーナは唸っていたが、眠気の方が勝ったようで再び静かに寝息を立て始めた。
そんなイーナを、俺は上から覗き込むようにして観察する。
特に、その頭頂部に生える、猫のような耳。
……いや、狼の耳か?
違いは正直分からないが。
これ、何なんだろうな?
イーナの体に過度に魔素が溜まった時にピョコリと生えてきて、調節で魔素を排出したら消えてしまう。
尻尾もそうだ。
少なくとも、一緒にエンリ村で暮らしてた頃には、こんな物は生えていなかったはずだ。俺が華に来た時には、既に今みたいになっていた。
……正直、イーナの耳とか尻尾を見ると、自分でもよく分からない気持ちになる。
いや、まあ……率直に、言葉を飾らずに言うなら……かなりイイ。グッジョブだ。美少女にケモ耳と尻尾の組み合わせは、最強のタッグだと言い切れる。
――ただ、それが狼の耳ってのが、よくない。
それが、イーナが『黒狼様』なのだと、俺に主張してきているように思えるからだ。
――
最初、エンリ村で……一号――今では、栗鼠という号なのだと知っているが、その栗鼠からイーナについての話を聞いた時、俺は半信半疑だった。
考えてみて欲しい。
自分の妹が知らないうちに拉致されていて、しかもその拉致した理由が……妹を神様として祀り上げるためだと言われたら。
「なるほど」と言って理解できる人はごく少数だろう。
少なくとも、俺は「なるほど」とは言えなかった。
ただただ困惑した。
『妹を誘拐した。返してほしければ金を払え』
こう言われた方が、俺は理解できただろう。
嬉々として誘拐犯をぶっ殺して、さっさとイーナのことを救出していた。
でも、
『黒狼様は鴻狼にいらっしゃいます。アル様のことを大変心配していらして……ご迷惑とは思いますが、一度私どもと共に華までご足労願ってもよろしいでしょうか?』
こんな風に言われたので、俺は怒りを爆発させるタイミングも分からないまま、黙って栗鼠の話を聞いていた。
その話を聞いてるうちに、どうやら全くの嘘でもない、と俺は思ったのだ。
何よりも……。
――あの、雪の日に。
ロンデルさんと一緒に目撃した巨大な漆黒の狼の姿。
それから、父上に買ってもらった図鑑で調べた、漆黒の狼と酷似した魔物。
『黒狼様』というのが、どうやら、その図鑑の魔物と同じ存在だという事に、俺は途中で気が付いた。
そして、ロンデルさんの娘のイーナが……黒衣衆から黒狼様だと認定された。
全くの無関係だとは、俺には思えなかった。
いずれにせよ、俺は一度華に行くべきだと思った。
栗鼠たちが、ただ気の狂った集団なのか、それとも、何か……あるのか。
できるだけ早く、確かめたかった。
――
鴻狼に辿り着くと、一人の老人が俺を迎えてくれた。
伯 狼円。
名前だけは知っていた。
『赤』
世界の赤『能力』持ちで、最も強いと教会が判断した人物。
最初の印象は、気持ち悪い、だった。
危うく吐く所だった。
ギリギリまで高密度に練り上げられた赤色の魔素。
その魔素自体が真っ赤に発光して、辺りを不気味に照らす。
圧倒的な存在感。
全身を鉄鎖で縛られているような圧迫感。
自分と比較しようとすら思わない。
無理。
勝つ勝たないとかじゃない。
山と押し相撲するようなものだ。
で、その意味不明な存在は、一言言ったのだ。
「今日から儂が、お前の父親じゃ」、と。
意味不明だった。
ただ、断って気分を害してしまったら、次の瞬間には俺は爆散しているかもしれない。
そんな恐怖を感じて、俺はぎごちなく頷くことしかできなかった。
――
イーナは、『黒狼様』として祀り上げられていた。
決して、胡散臭い新興宗教とかじゃない。
ガチの……神様だった。
華の国府、その最奥。
内宮の祭事殿で……イーナは大切に大切にされていた。
誰も農作業を手伝えなんて言わないし、食べるにも困らない。
絹糸製の上質な着物を着れて、柔らかな布団でグッスリと眠れる。
ただ、一つだけ忘れてはいけないことがある。
食べ物も服も、全部。イーナが黒狼様だからこそ、与えられているものだった。
イーナには、自由がなかった。
イーナはイーナじゃなくて、黒狼様でないといけない。
フラリと街を散歩したり、ましてやエンリ村に帰ることなんて、そうそう許されるような状態ではなかった。イーナは、これからもずっと華の鴻狼の、内宮の……祭事殿にいるしかないのだ。
……でも、まあ、よくよく考えてみれば、大して悲観的になることでもない。
本来なら、イーナはどこかの子爵家にでも嫁いで、人生の大半を邸の中で過ごすはずだったのだ。
場所が、祭事殿か、どっかの子爵家か、それだけの違いしかない。
むしろ、大抵の貴族の家に嫁ぐよりも、こっちの方が圧倒的に待遇はいいだろう。
――なんてことを思いつつ、俺は華で生きていくことを決めた。
○○○




