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21話 『誕生会 後編』



 男装客の名前は『尹 狼鮮』。


 女性客の名前は『乍 凛華』。


 乍の方はともかく、尹 狼鮮なんて普通過ぎて普通じゃない名前がそう頻繁にあるとは思えない。ついでに、宮内府に勤めている新人学仙だとか……。


 コレ、完全に例の人だよな?


 自称蔡家の坊ちゃんが調べてほしいとか言ってた……。


 というわけで、俺は積極的に尹さんに話しかけていた。


 ……他意は無い。


「――へぇ、理円さんも『冗福』によく行くんですね」


 胸の前で両手のひらを合わせつつ、首を傾げる尹さん……。


「安くて、何より出てくるのが早いですから。時間が無い時に重宝しています」


 本当は、俺があの店を使ってる一番の理由は、客の回転が早いからだ。店員と客の関係が希薄で、過度に干渉してくることもない。


 短時間の報告になら、具合のいい環境なのだ。


「そうですよね! それに、それなりに美味しいですし!」


 ニッコリと、尹さんは微笑む。


 大口を開けて笑わない所が奥ゆかしい。


 ご飯を食べる時も一口一口が小さくて……大和撫子って感じだ。


 よしよし、取りあえず『尹 狼鮮は冗福を行きつけにしている』って情報は、手に入ったな。


 俺ってば、ちゃんと仕事してるわ。


 ……この情報、報告に使えるのだろうか?


 そもそも、蔡家の坊ちゃんがどういう目的で尹さんを調べようとしてるのかも不明だし。


 ……尹さんが、蔡家が気にかけるほどのトラブルに巻き込まれているとは思えないんだが。


「おーい。ほれ、(たちばな)。二人の分。食いな」


 ちょっと前に席を立っていたお義母さんが帰ってきたかと思うと、両手いっぱいに黄色の果物を抱えていた。


 そこから一抱えほどを俺と尹さんの目の前の机に転がして、お義母さんは残りを窓沿いの机で酒を飲んでいるお義父さんと女性客の元へと持っていった。


 お義父さんは既にかなりの量を飲んでいるらしく、顔が真っ赤だ。


 女性客の方も頬が仄かにピンクに色付いて、目がトロンとしている。


 ……これは明日、二日酔いコースだな。


 アルコールの分解なんて俺なら余裕でできるけど、なぜかは知らないがお義父さんにはアルコールは自力で分解しなければならないってポリシーがあるらしい。


 前に良かれと思って分解したら、初めて本気でブチ切れられた。


 ……まあ、ポリシーならポリシーで別にいいんだけど、翌日にお義父さんを介抱しながら闘仙府まで連れていく俺の苦労も考えてほしい。


 何度言っても聞いてくれないが。


 女性客の方も、俺が送らないとな……。


 ちょっとだけ鬱な気分になりつつ、意識を目の前へと戻すと……尹さんが早速橘の皮を剥いている所だった。


 あまり橘を食べるのに慣れていないようで、たどたどしい手付きだ。


 俺が見ていない間に尹さんが一カ所に集めてくれたらしく、橘は食卓の中央あたりにまとまって置かれていた。そこから一つ手に取って、しばし無言で、尹さんと二人並んで橘の皮を剥く。


 先に剥き終えたのは俺だった。


 前世でよく食べた蜜柑(みかん)よりちょっと小ぶりな実を一つ、口の中へと放り込む。


 ――んー、すっぱいッ!


 この橘、レモンみたいに酸っぱい果物だが……鴻狼ではよく食べられている。


 この酸味が、脂っこい華の料理と相性がいいのだ。


 食後に食べると、口をサッパリとさせてくれる。


「理円さん、剥くの早いですね。コツでもあるのですか?」


 横を向くと、橘の皮を剥くのに四苦八苦してる様子の尹さんが、困り顔で俺の方を見ていた。


「んーと。ああ……下の方から剥いてるから難しいんですよ。ヘタの方から剥いてやったら、皮が千切れずに底までいけますよ」

「へぇ……そうなんですか。んしょっ……あっ、本当ですね!」


 軽く目を見開いて、尹さんは驚いている。


「……尹さんは、鴻狼の人ではないのですか?」

「あっ、そうなんです。魯道の泉玖郷って所で、知ってますか? ――って、知らないですよね」


 俺の顔に『知らない』とでも書いてあったのか、尹さんはクスクスと笑って、


「ものすごい田舎です。橘なんて食べるの初めてで……やっぱり、鴻狼ではよく橘って食べるのですか?」

「そうですね。屋台なんかでも普通に売ってますし、よく皆食べますね。……私はそれほど頻繁には食べないですけれど、美味しいですよ」

「へぇ、そうなんですね。楽しみです――」


 皮を剥き終わった尹さんは、口を一旦止めて、橘の実を口の中へと入れた。


「――っっっ!?」


 直後、目を真ん丸に見開いて声にならない悲鳴をあげる。


 どうやら、想像していた味とは違ったようだ。


 涙目を俺に……非難の目だろうか? 恨めし気に見てくる。

 

「水、いりますか?」


 コクコクと頷くので、木製のコップに水を注いで尹さんに渡す。


 両手で受け取った尹さんは、すぼめた唇にコップの端っこをあてがって、


「……理円さん、すごく酸っぱかったのですが」

「橘ですからね、そういうものです」

「……そうなんですか? えっと……その、何と言うか、私の口にはあまり……」


 難しい顔をしながら、尹さんはまだ大部分が残っている橘を俺に差し出してくる。


「よければ、食べてくれませんか?」

「ああ、いいですよ」


 受け取って、早速一欠片を口に放り込んで、口をモゴモゴさせていると、尹さんが隣から俺の事をジッと見つめていることに気が付いた。


 そこまでガン見されると、何と言うか……照れる。


 耐え切れずに俺は口の中の物をゴクリと飲み込んで、


「……どうかしました?」

「いえ、顔色一つも変えずにそれを食べられるなんて、凄いなと思いまして……やっぱり、小さい頃から食べていると、慣れるものなんでしょうか?」

「小さい頃? 私も小さい頃は鴻狼に住んでいませんでしたから、初めて橘を食べたのはつい二年ほど前ですよ」


 俺の言葉に、尹さんは不思議そうな顔をした。


「えっ、でも……狼円さんって、ずっと鴻狼に住んでいるはずですよね? 私の故郷でも、鴻狼には狼円ありって、聞いてましたけど……」


 言いながら、なぜか知らないけれど尹さんはまた一つ橘を手に取って、その皮を剥き出した。


 自分で食べるつもりだろうか? ……いや、無意識か?


「……ああ、それは。私はお義父さんの実子ではなくて、養子ですから」


 というより、養子という設定だ。


 お義父さんが任務先で拾った孤児で、つい最近まで田舎で隠して育てられていた、という。


 ……華に来た当初に突然、『儂が今日からお前の父親じゃ』なんて言われた時は面くらったな。


 なんでも、俺を華に呼び込むにあたって正体不明だと具合が悪いので、誰かからそういうふうにするように指示が出ていたらしい。


 実際、伯 狼円の養子って立場はなかなか強力で、突然やって来た俺が黒衣衆の首領の座につくにあたっても、他部署から茶々を入れられることはほとんどなかった。


 この立場になければ、そうスムーズにことは進まなかっただろう。


 そして、この設定。


 あるエピソードの信憑性を高めるための補強材、という重要な役目も担っている。


 それは――


「小さい頃に家が火災に遭いまして。家族は全員亡くなって、一人だけ生き残った私は孤児院に引き取られました。そこから拾ってくれたのがお父さんです」


 俺の話を聞いた尹さんは、期待通りにちょっとだけ気まずそうな顔をしてくれる。


 その視線は自然、俺の顔の上半分を覆う仮面へと向かって……それを見計らって、俺は人差し指で仮面を突っついた。


「あっ、やっぱり気になりますか? コレ」

「い、いえ……すみません」

「いや、謝る事ではありませんよ。御想像の通り、この下には火傷の跡がありまして……こうして隠しているという訳です」


 こう言っておけば、大雑把な華人と言えども、流石に仮面を外してその下の顔を見せろとは言ってこない。


 教会から追われている身としては出来るだけ顔を隠さなければならないけれど、顔を隠していては内宮へと出入しにくい――つまりはイーナの傍にいられない、という状況を解決するために考え出した作り話だ。


 もちろん、この仮面の下には傷一つない俺の顔があるだけだ。


「……いりますか?」


 二個目の橘となると要領が掴めたのか、あっという間に皮を剥き終えた尹さんは、なぜかそれを自分では食べずに俺へと差し出してきた。


 ……これは、どういう意味だろうか?


 やけに真剣な表情をしてるけど。


 尹さんの地元では、相手に悪い事を聞いたら何かをあげるという風習でもあるのかもしれない……のかな?


 取りあえず、尹さんの細い指から橘の実を一つ摘まみ取って――


「お二人さん、仲ええのぉ!!」


 同時、後ろからお義父さんが覆いかぶさってきた。


 危うく橘を落としそうになったので、お手玉をしていると、


「二人だけ端っこでコソコソしよってからに! こっち来て飲まんかい!」


 機嫌良さそうに言ったお義父さんは……やはり、大分酔いがキテいるようだ。


 呂律が若干回ってない。


「お父さん、飲みすぎですよ。明日も仕事があるんですから控え目に――」

「うるさいわ! これくらい、小便すれば覚める!」


 ……何言ってんだ、この人は?


「とか言いながら、いつも二日酔いじゃないですか! 闘仙府まで連れて行くのは私――」

「相変わらず、理円はお堅いのぉ……おっ?」


 軽く苛立ちつつ小言を言うと、お義父さんは何かを思い付いた様子で、


「あっ」


 気付いた時には、俺は自分の方へと倒れ込んできた尹さんを胸で受け止めていた。


 ……柔らかい感触と、フワリといい香り。


 どこか、その香りには覚えがあって…………俺は、ボンヤリと尹さんの顔を見つめていた。


「※※※※※※※※、※※※……※※※※※※?」

『お似合いも何も、私……男ですよ?』


 尹さんが、真っ赤な顔を俺へ向けてくる。


 ……違和感に気付いてみれば、色んな所が引っ掛かる。


 特に、さっき……触れ合っていた時に感じた、魔素の特徴。


 ちょっとだけ変だったけど、確かに覚えがある。


 少し離れた場所で酔い潰れてしまっている女性客なら、もっと分かりやすい。


 こっちもちょっとだけ俺の記憶とは違うけど、改めて注意を払ってみると、明らかに知ってる顔……。


『理円さん。狼円さんの冗談なんて気にしないでくださいよ? ――そういえば理円さんにはまだ言っていませんでしたが、こう見えても私は正真正銘の男なんです。よく女性と間違えられますけれど……』

「ああ……大丈夫ですよ、分かってますから……」


 ……今更ながら、分かったよ。


 『尹 狼鮮』と『乍……?』、下の名前は忘れたが。まあ、今となってはどうでもいい。


 ……なにせ、どっちも偽名なのだから。


 だよな? イプシロン、サラ?



 ○○○

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