05話 『Side change:伯 理円』
暖簾をくぐると、工房特有のムワリとした空気を感じた。
木屑の香りと合わせて、俺はこの空気が結構好きだ。
工房は狭い。
そもそもが、このお店の店主一人のためだけ場所だし、加えて床の至る所には工具が転がっている。その工具と工具の間には木屑の山が出来ていて、おそらくはこの木屑が断熱材の役割を果たしているせいで、工房の中は気温が高いのだろう。
木屑の中には、一人のおっさんが埋まっていた。
「すみません、頼んでいた品を受け取りに来たのですが……」
いつもの事なので、得に気にすることなくおっさんの肩を揺すると、パッチリと一重の両瞼が開いた。
俺の顔を捉えてから、おっさんはムクリと木屑の布団から体を起こし……それから、無言で工房の隅を指差した。
そちらへと目を向けてみると、大小の木片が積み木のようになっている。
取りあえずそこまで向かってみて、それっぽい木片を一つ手に取った。
「これですか?」
「違う、それだ」
それだ、では分からないので、適当に別のそれっぽい物を手に取る。
「これですか?」
「それ」
どうやら正解だったらしい。
改めて右手に収まるくらいの大きさの木片を観察してみる。
生憎と薬筒には明るくないので、お任せにしておいたが……これ、ただの木の塊にしか見えないんだけど……。
魔素を一瞬だけ解放して、木片に微弱な電気を流してみると、この木片がいかに高度な技術で作られているのかを俺は理解せざるを得なかった。
木片を裏返し、パッと見には滑らかな木肌にしか見えない部分に力を込める。
すると、スムーズに木片の一部が動いて、応じてカチリと小さな音がした。
ロックが外れ、木片の中に仕込まれたバネの力によって、薬を入れる部分が外に飛び出してくる。
外装はただの木片でしかなかったこの薬筒だが、飛び出してきた部分には繊細な彫刻が施されている。図案は蓮の花。ここだけは俺が唯一注文を出していた部分だ。
「……凄いですね。いつも通り、大満足の仕上がりです」
「色は、別のやつに付けてもらえ。俺は分からん」
「うーん、そうですね……」
確かに、今のままの蓮でも十分だけど、色を塗った方が華やかになるような気がする。
俺の感覚とは違うが、華では派手な事が正義だからな。お義母さんもそっちの方が好きだろう。
「劉さんのお勧めの工房とかありますか?」
「キンのとこはいい仕事をしてる。秤の鈞だ」
「鈞さんですね。分かりました、行ってみます。それで、お代の方なのですが……」
「今はいい。次につけておく」
言って、劉さんは手を差し出してきた。
苦笑いをしつつ、俺は三日月型の仮面を外し、劉さんに手渡す。
「痛んでるな。予備は?」
「大丈夫です。持って来てますから」
懐から、全く同じ仮面を取り出して、俺はそれを顔に押し当てた。
この仮面は、劉さんが俺の顔に合わせて作ってくれたものだ。本物の皮膚であるかのように、キレイにフィットする。
「明後日、来い」
「はい、分かりました。すみません、いつもありがとうございます」
そんな俺の声は、既に劉さんの耳には届いていない。
真剣な眼差しで、先ほど俺が渡した仮面を観察している。
俺は、そんな劉さんの邪魔にならないように、静かに工房をあとにしたのだった。
○○○
劉さんのお店に行ったせいで、昼休憩はほとんど終わってしまった。残念ながら昼食を摂る暇はなく、俺は一直線に職場へと向かっていた。
鴻狼東部から鴻狼北部へ。
官府の立ち並ぶ区画の、さらに北の端っこに俺の職場は存在している。
「伯 理円です」
警備の武仙に声をかけると、スムーズに内宮の敷地内へと入る事ができた。
俺が三日月型の仮面なんて変な物を身に着けているせいか、大抵の警備は俺のことを覚えてくれている。
職場に辿り着くまでに似たような門をいくつも通過しないといけない為、一つ一つの手間が省けるのは助かる。
最後に、祭事殿の入り口の警備を抜けてから、俺はようやく職場へと帰ってきた。
「兄さん、お帰りなさい」
扉を開けると、すぐ目の前にイーナが立っていた。
フリフリとリズミカルに動く、頭頂部に生えた両耳に一瞬気を取られそうになるが……一年も見ていると、流石に最近では慣れてきたな。
「ああ、ただいま。体調はどうだ?」
「少しくらいなら大丈夫ですよ。兄さんは心配しすぎです」
イーナは柔らかく笑ったかと思うと、俺の右手を握ってきた。
引っ張られるので、されるがままに祭事殿の奥の方へと足を進める。
祭事殿の奥には階段があって、その上の御座からは建物の全体を見下ろせるようになっている。
御座はこの建物、祭事殿の主のための物。つまりは、『黒狼様』のための椅子で……階段を上ったイーナは、その椅子に俺を座らせた。
「疲れてるでしょうから、兄さんはここに座っていてください。私、お茶を用意してきますね」
イーナは俺に背を向けて、御座の隣に置いてある衝立の陰に向かった。
後ろ側から見ると、芳のお尻の辺りが少しだけ膨らんでいる。それだけでなく、服の裾からは黒色の毛並みの綺麗な尻尾が覗いていて、それが犬のように結構な勢いで左右に揺すられていた。
本人曰く、揺すろうと思って揺すっているわけでなく、勝手に動いてしまうらしい。
……今日は機嫌がいいようだ。
イーナは屈んで、そこに置いてある急須を手に取った。慣れた手付きで湯飲みに茶を注ぎ、両手で持って立ち上がる。
「どうぞ。お昼ご飯を食べてないみたいですから、少しだけいつもより甘めに淹れておきましたから」
「ありがとう」
熱々の湯飲みをイーナから手渡しで受け取って、早速一口啜ってみると、
「どうでしょうか?」
「うん、美味しいぞ。最近どんどんお茶を淹れるのが上手くなってるな」
「えへへ、女官の人に教えて貰ってますから……」
照れ笑いをしたイーナは、ちょっとだけ上目遣いになって、俺に視線を向けてきた。
「それで……その、そろそろお昼の調整をしてもらっていいでしょうか?」
「ああ、そうだな……ん」
膝の辺りをポンポンと叩くと、イーナは恐る恐るといったふうに俺の太腿の上に座ってきた。
イーナの熱い体温に、普通の人には存在しないお尻の器官の感触。朝昼晩と日に三度、一年以上毎日やっていることなので、特に感慨があったりはしない。
そもそも、妹だしな。
もっと他の赤の他人だったら、ドキドキしたりしたのかもしれないけれど、イーナに対して緊張したりはしない。
俺は躊躇なくイーナの両耳の先端を掴んだ。
「んっ」
イーナは微かに体を震わせて、短く漏らした。
心持ち、体温も上がった気がする。
俺の頭頂部には耳なんて生えていないので、あまりよく分からないのだが、ここは触られるとくすぐったいらしい。足の裏みたいな感じかなと勝手に思っている。
なので、極力手を動かさないようにしながら、
「じゃあ、始めるぞ」
「はい。お願いします……」
返事を聞くと同時に、俺は両手へと意識を集中させた。
そこを起点としてイーナの体の中へと潜っていき、数えきれないほどの素点を経由し……最後にイーナの尻尾から俺へと戻ってくる。
……よかった、今日も特に問題は無さそうだ。
いつものように、イーナの体に溜まり過ぎている魔素を、俺を通して排出して、ついでに魔素の流れも整えておく。
過剰な魔素が消えていくにつれて、俺の目の前に生えていた耳が、徐々に引っ込んでいく。
直接は見えないけど、俺の内太腿を撫ででいた感触も消えていくのが感じ取れた。
最初の頃は、全意識を集中しても一刻以上かかっていたこの作業も、最近では片手間に十分程度で終わるようになった。
会話をする余裕さえもある。
それは、イーナも知っているので、
「兄さん、薬筒なんて用意して、どこか遠出をする予定でもあるのですか?」
「ん? いや、そんなわけないだろ。イーナを置いて出るわけにもいかないしな。他の人に贈る用だよ」
「――っですよね!」
「っと、あまり動かないでくれ。魔素が乱れるから」
「あっ、すみません……」
右手だけを耳から離して、イーナの頭をポンポンと叩いてから俺は続けた。
「今度、お義母さんの誕生日だから、そのお祝い。去年はゴタゴタして渡せなかったし、そもそも誕生日ってことも知らなかったからな。色々とお世話になったし、少しだけでもお返ししたいから」
「……」
なぜかイーナは無言になって、ついでに魔素も大幅に乱れた。
……なにか、気に障ることでも言ってしまっただろうか?
「……あの、兄さん」
「なんだ?」
「私の誕生日が……この間の二月にあったことは知っていますか?」
「ん? 知ってるけど」
イーナの誕生日は二月の……正確には知らないけれど、二月のどこかだ。
「私、十五歳になったのに……兄さん、何も言ってくれなかったんですけれど」
「そういえばそうだったな。おめでとう」
「……ありがとうございます」
ちょっと不満を滲ませながらイーナは返事をしたけど……なんでそんなに機嫌を悪くしているのか、理解できない。
そもそも、王国では誕生日なんてそれほど重視されないのだ。
唯一、一歳の誕生日だけは祝うけれど、それ以外は特に祝うことはない。十五歳の誕生日は確かに特別だけど……大人の仲間入りできるのは、あくまで『儀式』を受けた後だ。
『儀式』で村をあげて盛大に祝う代わりに、個々人の十五歳の誕生日を祝ったりはしない。
イーナだって、これまでの誕生日、俺はずっとスルーしてきたけど、文句を言われた事なんてなかった。
それが、なんで今になって突然言ってくるのか……。
……まっ、いいか。
「よし、終わったぞ」
耳から手を離すと、イーナは俺の太腿の上から立ち上がった。
その場で、クルリと回れ右をして、
「兄さん、まだお話は終わっていませんよ。一つ、聞きたいことがあります」
毅然とした態度で言ってきたイーナに軽く困惑しつつ、俺は小さく頷いた。
イーナは、言おうか言うまいか迷っていたようだが……意を決したように口を開いた。
「兄さんは、私と芙苑さん、どっちが大切なんですか?」
……?
「質問の意味が分からないんだが」
どうしてそんな突然、俺がイーナとお義母さんのことを比較しないといけないんだ?
「だから、兄さんは私と芙苑さんのこと、どっちの方を大切だと思っているのか、と聞いてるんです!」
「……えぇと……まあ、目の前でイーナとお義母さんの両方が死にかけてて、しかもどちらかしか助けられないんだとしたら……たぶん、イーナの方を助けるとは思うけど」
真剣な表情で俺の言葉を聞いていたイーナは、俺の瞳を覗き込みながら、
「つまり、兄さんは私の方が大切ってことですよね?」
「……まぁ……そうなるな」
……確かにそうなるけど、面と向かって聞かれるとなんだか恥ずかしい。
「兄さんは私のことが大切?」
「うん? えぇと……そりゃぁ、そうだな」
「兄さんは私のことが大好き?」
……ん? なんかニュアンスが変わったような気がするけど……。
「そうとも言えるかもしれないな」
「兄さんは私のことを愛してる?」
「いや、それは違うだろ」
反射的に突っ込んでから、俺はイーナの顔を正面から見た。
そこでようやく気付いたが、イーナの唇の端っこが小刻みに震えている。
どうやらからかわれていたようだ。
俺は溜息を一つ吐いて、
「分かった分かった。悪かった。今度、イーナにも何か買ってやるから、機嫌を直してくれって。――何か、欲しい物でもあるか?」
「兄さんが欲しいです」
「いや、そういうのはもういいから。貴金属は……たしか駄目だったから……そうだな」
何かよろしい物が無いかと、周りへ目を向けていると、
「あっ、兄さん! 言わないで下さいよ。私、兄さんが何をくれるか楽しみにしてますから」
慌てた様子でイーナが言ってきた。
……つまり、自分に聞かず、俺のセンスで決めろってことか?
一番面倒なやつじゃんか。○○が欲しい、って言ってもらったほうが楽なんだが……まぁ、しょうがないか。
「……分かったよ、近いうちに用意しておくから」
「はいっ、楽しみにしてますね!」
無防備に向けられたイーナの笑顔に、思わず――。
それを自覚しそうになった瞬間、俺は慌ててイーナから目を逸らす。
「言っておくが、あまり期待しないでくれよ」
「すっごく楽しみにしてます!」
……自分の鼓動が落ち着いたのを確認して、俺は再びイーナへと目を向けた。
「そんなこと言っても、俺が用意できるものなんてたかが知れてるからな。黒狼様に見合う物なんてそうそうないんだし」
「そんなことないです! 兄さんがくれたものなら、私……なんでも嬉しいですから」
「なんでも、ねぇ」
疑心暗鬼に俺はイーナを見つめた。
イーナは、俺のことは見えない、と言っていたが、本当に見えないのだろうか?
もしかして、既に俺が何をプレゼントするか見えていて、なんでも嬉しいだなんて言ってるんじゃないだろうか?
仮にそうなんだとしたら、手間が無くて楽なんだが。
いや逆に、俺が何を買ったとしても喜ぶってことが確定してるってことだから、何を買うか悩む必要も無いってことか?
いや、でも、もし本当に俺のことが見えてないんだとしたら、適当に選んだらイーナの期待を裏切ることになるし。でも、何でも嬉しいって言ったんだから、期待を裏切ることはないのか?
……ああ、ほんと、深く考えだしたらキリが無いな。
タイムパラドックスって言うんだったか?
時間系の話が絡むと、色々と面倒なことが起きること。
創作物として見ている分には面白い題材だったけど、実際に目の前に現れると、ただただ面倒な存在だ。
――未来予知。
まさか、イーナにそんな力が宿るなんてな……。
○○○




