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12話 『学仙予試』



 黒狼節は三日に渡って行われる。


 もちろん、ただドンチャン騒ぎをしていてもそれなりに盛り上がるのだろうけれど、大昔に黒狼節を企画した役人は、それでは満足しなかったらしい。


 万が一にも中弛(なかだる)みをしないよう、黒狼節の各日には、それぞれ大きな催事(もよおしごと)が予定されている。


 初日、最も盛り上がるのが、黒狼練都(こくろうれんと)と呼ばれている行事だ。


 伝説の黒狼を模した山車(だし)が鴻狼を練り歩き、黒狼節の開始を宣言する。


 山車の上に乗っていた少女は、黒狼の化身……と、建前上はなっているけれど、実際は巫女か何かだろう。


 陳さんから、「すごいから、これだけは見てねー!」と言われたから、サラ聖官と共に街に繰り出したのだけれど、たしかにすごかった。


 黒狼節の間には、他にも様々な行事が、都内の各地で開かれる。


 中でも、屈指の人気を誇るのが――


「乍、最後にもう一度いいですか?」


 私の言葉に、サラ聖官は露骨に嫌そうな顔をした。


 それに気付かない振りをしつつ、私は黒色の瞳を見据えた。


「絶対に、『赤いの』を使ってはいけませんよ」

「……何回も言わなくても、分かってるわよ」

「絶対の絶対ですよ?」

「むぅ……」


 不満気な表情を浮かべているけれど、本当に分かっているのだろうか?


 心配だ。


「……では、何をしてはいけないか、言ってもらっていいですか?」

「『赤いの』を使うこと!」

「もう一つ」


 問い返すと、案の定サラ聖官は言葉に詰まった。


「目立ちすぎないで下さい。あくまで、ギリギリ勝ったというふうに演じて下さい」


 噛んで含めるように、再度サラ聖官に言い聞かせようとして――ふと、私は思い至った。


 そもそも……サラ聖官に、演じるなんてことが、できるでしょうか?


 ……ひょっとして、無理?


 うん……無理ですね。


「そうですね、ではこうしましょうか……」


 とっさに思い付いたことだけれど……これなら、多少は。


「たしか、乍は右利きでしたよね?」

「ん? そうだけど」

「では、武仙(ぶせん)予試(よし)では、右手を使わないことにしましょう」


 サラ聖官は、眉を寄せた。


「どういうこと?」

「こうすれば、意識せずとも手加減ができるはずです」


 指を一本立てながら、私は続けた。


「深く考える必要はありません。要は、左手だけしか使ってはいけない模擬戦、とでも思ってもらえばよいかと」


 釈然としていない顔をしながらも、サラ聖官は「分かったわ」と答えた。


 ……本当に、大丈夫でしょうか?


 不安に思いつつ、私は両手でサラ聖官の手を包み込んだ。


「では、時間が無いので、私はそろそろ行きます。乍の試験を見守れないのは残念ですが……頑張ってください!」


 サラ聖官は大きく頷くと、元気な声で言った。


「うんっ、がんばる!」



 ――



 サラ聖官と別れて、鴻狼の中心部から北部へと向かう。


 あれだけ人と活気でごった返していた中心部とは比較にならないほどに、辺りは静かだった。


 それなりに人通りはあるけれど、その行き交う人々が落ち着いているから、騒々しいという印象は受けない。


 音だけではなく、匂いも変わった。


 街道に沿ってビッシリと立ち並んでいた屋台は、嘘のように姿を消してしまった。


 そこから撒き散らされていた、様々な食べ物の匂いも、ほとんど消え去っている。


 代わりに漂うのは、香の薫り。


 道に沿って整然と並ぶ屋敷から、漂ってくるようだ。


 私は、そのうちの一つへと足を向けた。


 門扉の脇に、『学仙予試』と書かれた立て札があるのを横目で確認してから、私は開けた院子(いんし)へと目を向けた。


 入って正面に受付所があって、そこには既に、数十の人が折り畳まれるようにして並んでいた。


 最後尾に付くと、何人かがこちらを見て、小さく笑ったような気がした。


 ……何か変だったでしょうか?


 さすがに今は、男物の芳に着替えている。これも、陳さんに用意してもらったものだ。


 自分の身体を見下ろしてみても、特に笑うような所は見当たらないけれど……。


 そんなことを思っている間に、私の後ろにも人が並んできた。分厚い眼鏡を耳にかけた、裕福そうな印象を受ける青年だ。


 芳の懐から糸綴じした冊子を取り出すと、右手だけで広げて、そこに書かれている文章に目を通し始めた。


 よくよく見てみると、似た様子の人はたくさんいる。


 色鮮やかな、つまりは高価な芳を身にまとい、本なんて高級品を手に、最後の勉学に励んでいる人たち。


 もちろん、私と似たような服装の者や、あるいはもっと粗末な格好の者もいるけれど……思えば、先ほど私のことを笑ったのは、その全員が裕福げな者たちだった。


 長年生きてきた経験から、なんとなく察することができた。


 華の学試と言えば、身分を問わず優秀な人材を登用するための仕組み、という知識を持っていたけれども……少し修正する必要があるかもしれない。


 仮に、そうなのだとしたら……下手をうてば合格できないかもしれませんね。


 心の中で呟いて、しばし、どうするべきか考える。


「おい、さっさと進め」


 冷淡な声に、ハッと我を取り戻す。


 背後に目を向けると、先程の男性が、鋭い目付きで私のことを見下ろしていた。


 ……進め?


 怪訝に思いつつ辺りに意識を向けると、どうやら列が動き始めているようだった。


 私の前に並んでいた人は、既に数メル先を歩いている。


「あっ、す、すみません!」


 慌てて前に進む。応じて、私の後ろで焦れていた人たちも、荒い足取りで付いてきた。


 気が立っているのだろう。これから始まる、人生を左右する一大事を前にして。


 ――それほど時間も経たず、私の番がやって来た。


「手形と氏名を」


 受付官の言葉に、入国の際にも使った手形を懐から取り出し、それを手渡した。


(いん) 狼鮮(ろうせん)です」


 偽名を伝える。


「字は普通か?」

「はい。令尹(れいいん)に、鮮やかな狼です」


 受付官は右手元の藁半紙に墨で私の名前を綴った後、左側に置かれていた(いん)を手に取った。


 朱液に浸してから、私の手形に押し付ける。


「お前は二二三番だ。奥の門を抜けたら内院に出る。係の者がいるから、指示に従うように」


 手形を差し出しながら言ってきた受付官に頷き返して、私は指示されたとおりに、塀沿いに庭を歩いた。


 私の一個前の人の背中が見えるから、それを追いかけていると迷うことはない。


 少しもしないうちに塀が途切れて、内院へと繋がる門にたどり着いた。そこに、武官と並ぶようにして役人が立っていた。


「何番だ?」


 開口一番聞かれた言葉に、「二二三番です」とだけ返す。


「よし。では、奥から順に詰めて、御座(ござ)に座っているように。まだ本を広げていてもいいが、朱手形を分かりやすい位置に出しておくことを忘れずにな」


 頷き返してから、視線を内院へと向ける。


 青空を天井に、広々とした空間が広がっている。四方を白塀で囲まれ、外界から隔絶された内院には、緑の御座が整然と敷かれていた。


 その一つ一つに、一人ずつが腰を下ろしている。


 持参した本をめくっていたり、隣の席の者と談笑していたり、あるいは敷物の上に突っ伏して眠っていたり……。


 私は自分の位置に着くと、履き物を脱いでから御座に腰を下ろした。


 筆記具用意してくれると聞いていたので、今日は身一つで来た。なので、特にやることがない。


 ぼーっと、空を眺めている間にも、続々と参加者が内院に入ってくる。


 半刻ほどして、広大な内院をびっしりと覆うように用意されていた緑の御座、その三の二ほどが埋まったところで、締め切りのようだった。


 外院と内院を繋ぐ扉が、閉められる音が聞こえた。


 私以外の参加者もそのことに気付いたようで、人の声や、身動きする音が、次第に消えていく。


 ――だから、その音はやけに大きく聞こえた。


 私たちと向かい合うようにして建っている、大きな(やしき)


 白塗りの壁に緑の釉薬(ゆうやく)の塗られた瓦屋根。


 壁に沿っては、建物をグルリと囲むように縁側(えんがわ)がある。


 漆で黒く塗られた手摺(てすり)には、繊細な透かし彫り。


 手摺は邸の正面で途切れ、そこから階段が伸びている。


 邸の出入口は、そんな階段の頂上にあって……閉ざされた扉の向こうから、複数の足音が聞こえてきた。


 足音が止まると同時、板戸がゆっくりと開く。


 最初に見えたのは、眉間に三本の深い皺を刻んだ老人だった。


 顎には立派な髭を持っていて、髪の毛と揃えて真っ白だ。


 老人が邸から出てきたのに続いて、何人もの男女が邸から出てくる。その大部分は、両手に大きな荷物を抱えている。


 老人は、扉の正面、縁側の上で足を止めた。


 それに対して、紙束を抱えている者たちは階段を下り、各々列の間へと散っていく。


 御座の上へと、それぞれ一部ずつ紙を裏返しに置いていく。別の、筆記具が入っているらしき木筒も、順繰りに配布される。


 しばらくすると、私の正面にも紙束が置かれた。紙に透けて、細かな字がビッシリと並んでいるのが見て取れる。


 全員分を配り終え、列の間から人が消えて、所々に官服をまとった人が残るだけになった時……。


「今日この日に――」


 老人の声が、しんと静まりかえる内院に響いた。


「ここに集まってくれた諸君は、国を担うに足るか、判断されんとしている。やる気に満ち溢れている君たちと、ぜひ道を共にしたいと私は思う。――だが、席が限られているのは、知っての通りだ」


 例年、選出されるのは五名程度だと聞いている。まずは、そこに入る必要がある。


 思いつつ、私はふと思い出した。


 私はがここ――采官府(さいかんふ)にやって来た時に向けられた、意地の悪い笑み。


 あまり目立ちたくないので、三番か四番で通過しようかと思っていたけれど、仮に正当勝負ではないのだとしたら、そんなに甘いことでいいのだろうか?


 落ちてしまっては、元も子もない……。


 ――『デルタ』――


 ――『こちらデルタ。どうしましたか?』――


 頭の中で呼び掛けると、すぐにデルタは反応してくれた。


 ――『今日予定していた件なのですが、変更をお願いできますか?』――


 ――『学仙(がくせん)予試(よし)における、情報提供の件ですか』――


 ――『はい。それについてです』――


 ――『どのような変更ですか?』――


 ……どれくらいが、いいでしょうか?


 ――『正答が十の七になるようにと頼んでいましたが、十の八……いえ、十の九まで上げることは可能ですか?』――


 ――『検証中です。しばしお待ちを』――


 検証とやらは一瞬だった。瞬きもしない内に、再びデルタの声が聞こえてくる。


 ――『検証の結果、可能と判断します。提供する情報を変更しますか?』――


 ――『はい。お願いします』――


 ――『了解しました』――


 短い返答を最後に、デルタとの通信が切れたのが分かった。


 いつものことだけれど、それが少しだけ寂しい。


 感謝の言葉くらいかけさせてほしいのに、その時間がいつも無い。


 直接会って声をかけるにしても、誰がどのデルタなのかよく分からないし……。


「――諸君の健闘を祈っている」


 ちょうど老人の話も終わったようで、締め括りの言葉と共に、頭を下げているのが見えた。


 老人が後ろに下がって、別のもう少し若い中年女性が前に出てきた。


 試験にあたっての細則を語っている。


 不正には厳罰が、時間は二刻、うんぬん……。


 ぼんやりと聞いてみた所、例年と変わるところはないようで安心した。


 私が今臨んでいる学仙予試の仕組みは単純だ。


 筆記試験による成績、上位五人前後が選出され、明日開催される学仙(がくせん)殿試(でんし)への飛び入り参加を許可される。


 この学仙殿試を経て、各官府から声をかけられた者たちだけが、はれて学仙(がくせん)――国府の文官へと任じられるのだ。


 中年女性の説明は、しばらくしたら終了した。


 昼の十二刻。晴天の空の下。


 銅鑼(どら)の音が響き渡った。



 ――



 紙束の封を切って、パラパラと中身に目を通す。


 哲学、社会制度、法律、歴史、宗教、文学、詩歌……。


 一問一問はそれほど難解には見えないけれど、とにかく量が膨大だ。


 一日や二日で対策できるものではないだろう。それこそ、年単位の努力が不可欠だ。


 当然ながら、私が自力で解いたとしても、大した点数は取れないだろう。


 ……こういったズルは、あまり好きではないですが。


 ――『デルタ』――


 ――『こちらデルタ。どうしましたか?』――


 ――『始まりました。情報提供をお願いします』――


 ――『了解しました。情報提供にあたって、視覚の共有が必要です。許可を申請します』――


 ――『許可します』――


 ――『イプシロンの許可に伴い、視界を構築します。しばらくお待ちください』――


 デルタの言葉が途切れて、少ししてから再開した。


 ――『視界の構築に成功しました。以降、二刻の間、イプシロンの視界はデルタと共有されます』――


 とのことだ。


 これで、デルタは問題文を読むことができる。


 私は木筒から筆を取り出して、紙束の一頁目を開いた。



 ○○○

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