06話 『Side change:イプシロン』
廊下を速足で抜ける。
本当は走りたい所だけれど、そんなはしたない事はできない。
聖官たちの目障りになるわけにはいかないし、何より……どこで妹たちが見ているか分からない。姉として、妹たちの模範になるのは当然の事だ。
私の姉は皆……アレなので、せめて私だけでも、しっかりしていないと……。
所々で黒服たちとすれ違うので労いつつ、代り映えの無い廊下を歩くこと、四半刻。
「着いたっ……」
小声で呟いてから、私は足を止めた。
身嗜みを確認。
服にシワは寄っていないか? 髪の毛は乱れていないか? 服に抜け毛なんて付いていないだろうか?
――よし、大丈夫。
目の前の扉を、拳で軽く叩く。
「イプシロンです」
しばらくして、扉が向こうから開かれた。
開けたのは……ベータ。
思わず苦い顔をしたくなるが、ここは我慢だ。今は任務中。姉妹だからと言って、礼儀を軽んじてはいけない。
ベータに頭を下げてから、私は室内に足を踏み入れた。
そのまま、数歩進む。
眼前の執務机では、金髪の女性が羽ペンを走らせていた。
サラサラと、文書の下端に署名を綴って、女性は羽ペンをインク壺に差し込んだ。
「たびたび、休息日にお呼びだてしてすみません、イプシロン」
「いえ……いつものことですから」
申し訳なさそうな顔を浮かべる聖女に、私は淡々と返した。
実際、休日に呼び出されたことに対しては、特に思う所は無い。名目上、十日に一日の休暇を貰うことになっているけれど、その実、半分程は任務に駆り出されている。
仕方が無いとは分かっている。私に分けてもらっている『能力』が、それだけ必要とされているということだ。
「今日は、何を転移させればいいですか?」
「今回は、別件です」
聖女の言葉に、私は少しだけ考えた。
いつもの、何かを転移させる任務ではなく、別件。
それが意味するのは……。
「同行任務ですか」
「はい。サラ・フィーネ聖官との同行任務を、イプシロンにお願いしたいと思います」
「……サラ聖官?」
頭の中に、深紅の髪の毛が特徴的な、小さな少女の姿が浮かんだ。
サラ聖官との同行任務……ということは。
「ひょっとして……もう、ですか?」
「はい。つい先ほど、情報が上がってきました」
言って、聖女は呆れたように溜息を吐いた。
「近年で最年少。それだけでなく、最速らしいですよ。十七歳と六ヶ月。聖官に任じられて二年と五ヶ月。あっという間に、第九席になってしまいましたね……私が提示した通りに」
唇が緩みそうになるのを必死で堪えて、私は真面目な表情を保っていた。
聖女は、愚痴っぽく続けた。
「最低でも、五年はかかるかと思っていたのですが。それだけあれば、朝国の状況も落ち着くはずですし……何とか、ごまかせないでしょうか?」
「それは……」
無理だろう。
私が言うまでもなく、聖女は分かっているようだった。
瞼を閉じて、小さく頭を振っている。
――約束を反故なんてしたら、サラ聖官は暴れるだろう。
想像するだに恐ろしい。
何人の姉妹が消されるか……蘇ると知っているから、遠慮なくサラ聖官は向かってくるだろう。
聖官第九席――教会で最高位の、赤『能力』持ちが。
ふぅー、と細く息を伸ばして、聖女は瞼を開けた。
「仕方がありません。できる限り迅速に任務を終えるように――」
「たのもぉー!!」
「ひゅわっ!?」
突然、扉が跳ね開けられた。
同時、私の喉から変な声が出た。
……聞かれただろうか?
上目遣いに伺うと……含み笑いをした聖女がいた。
聞かれていたらしい。
……頬が少し熱い。
私はちょっぴり恨みを込めながら、突然部屋に乱入してきた妹に目を向けた。
大きな青リボンを揺らしながら、イオタはドシドシと室内に踏み入ってきた。
そのまま、聖女の座る執務机まで進んで――
「アルファ姉ちゃん、どういうことっすか!」
机を力いっぱい叩くと、聖女のことを睨む付けている。
「そんなに大きな声で言わずとも、聞こえますよ」
言いながら、聖女はイオタの手の甲を指先で突っつく。
同時、青リボンが逆立ったのが分かった。
「ごまかすなっす! どうして、私じゃなくてイプシロン姉ちゃんなんすか! 私が姉貴と一緒に行くっす!」
イオタの怒りに晒されても、聖女の表情は全く変化しない。淡々とした調子で、赤い瞳をイオタに向けている。
「もう約束の一年は過ぎていますよ。いつまでガンマに負担をかけるつもりですか」
「そ、それは……」
明らかにイオタの勢いが弱くなった。
なぜかは分からないけれど、昔からイオタはガンマに弱いのだ。
そして……トドメ、とばかりに聖女は続けた。
「それに、これはサラ聖官の希望です。同行する臨時聖官は誰がいいか、と尋ねると、イオタよりもイプシロンがいいと答えましたよ」
「そ、そんなっ!? 嘘っす! 姉貴がそんな事言うわけがないっす!」
「イオタがそう思うなら、そう思えばいいですが。既に決定したことです。あまり駄々をこねていると、強制的に閉じ込めますよ?」
……聖女も、なかなか酷いことを言う。
案の定イオタは押し黙ってしまい、室内には沈黙が満ちた。
そこに、微かに響いたのは……。
「うぅ……」
顔を伏せたまま、イオタは肩を震わせていた。
……どうしよう。
姉として慰めた方が……でも、イオタとはあまり関わることが――
「うわぁぁー!! アルファ姉ちゃんのバカッ! アホッ! マヌケッ!」
甲高い声で叫びつつ、イオタは部屋を出て行った。
しばしの間、扉を呆然と見てから、私は視線を聖女に戻した。
「たしか、イオタはサラ聖官と行動を共にしていましたよね? イオタがここにいるということは……」
声を伸ばしながら、聖官拘束を使ってサラ聖官を探す。
やはり……中央教会にはいるようだ。
「それでは、サラ聖官を探してきます」
「頼みました。できるだけ早く、帰ってきてくださいね?」
――
目ぼしい場所を探す事、半刻。
中央教会の端、荒野の風を感じる場所へと私は来ていた。
この辺りには、とりたてて特別な建物は無い。
中央教会を彩るために、花々が咲き乱れているだけだ。
通常ならば、中央教会の植物は一年を通して、その植物の最も美しい状態に保たれているけれど……見ると、疎らに萎れている花がある。
イオタが中央教会での任務から解き放たれて一年と少し。イオタの代わりにガンマが頑張ってくれているけれど、やはり、本職には及ばない。
少しずつ、解れが出てきている……。イオタには可哀そうだけど、やっぱり、もう限界だ。
サラ聖官に同行するならば、月単位の任務となるだろう。今からさらにそれだけの期間が経てば……看過できない影響が出てしまう。
聖女もその辺りを知っているからこそ、あれだけ強い言い方をしたのだろう。
咲き乱れる花畑。
その間に埋もれるようにして……深い赤色が見える。
……少しだけ、悪戯心が出た。
そろり、そろりと、足音を立てないように、目標に近付いていく。
下生えの芝生を静かに踏みしめながら……私は、上から覗き込んだ。
青色の神官服を小さく丸めて、それを枕に、緑の上に寝転がっている。
わずかに砂を含んだ風が流れて、髪の毛が額を撫でた。
思えば……初めて会った時と比べて、随分と髪の毛が伸びた。
男の子みたいな長さだったのに、肩口をくすぐるくらいの長さで切り揃えられている。
サラ聖官の代名詞、深紅の髪の毛と……今は見えないけれど、深紅の瞳。
サラ聖官の髪の毛は艶やかに陽光を反射していて、同性からしても羨ましいくらいに綺麗だ。
無意識に、その髪の毛に触れようと指が伸びて……。
――深紅の瞳が私を見ていた。
「イプシロン、どうしたの?」
「あっ、すみません……つい、綺麗だなと思いまして」
サラ聖官は、不思議そうに瞬いた。
「キレイ?」
「えっと……その、髪の毛が……」
私が答えると、サラ聖官は右手を動かして、自分の耳元近くの髪の毛を一房摘まんだ。
そのままの姿勢で、サラ聖官は輝くような笑顔になった。
「これ、アルもカッコいいって言ってくれたの!」
私は、目を少し細めていた。
――眩しい。
少し、こっちが恥ずかしいくらいだ……。
私が何も言えずにいる間に、サラ聖官は背中で跳ねあがるように立ち上がった。
私のすぐ傍に着地して、下から覗き込んでくる。
「ちょっとジャマだけど、イプシロンの言うとおり伸ばしてよかったわ!」
「……それは、良かったです」
「それじゃあ、行くわよ!」
……行く?
私の疑問に構わず、サラ聖官は私に背中を向けて、芝生の上をずんずんと歩き始めた。
仕方ないので、意味が分からないまま、サラ聖官の背中を追いかける。
頭の中を、疑問が回る。
……行く?
どこに?
「……あの、サラ聖官?」
サラ聖官の隣に追い付いて話しかけると、歩調を緩めることなくサラ聖官は視線を向けてきた。
「なに?」
「ひょっとして……もう、出発しようとしてますか?」
「しゅっぱつ?」
「その……華に向けて」
サラ聖官が旅支度をしているように見えない。簡素な服の上から、神官服を羽織っているだけだ。
王国や帝国なら転移で一瞬だから、普段着のままでも問題無いけれど……華は遠い。
共和国にある最東の教会から、早くても半月。街道に沿わず、道なき道を進んで、ようやく半月だ。
何も準備もせず、宿場町に沿って華に向かうなら、倍以上の時間がかかる。
「とーぜんでしょ!」
何馬鹿な事を言っているのか? そんなふうに、呆れた表情を浮かべるサラ聖官。
……やはり、サラ聖官は相変わらずだ。
――次の瞬間、サラ聖官は芝生の上に転がっていた。
強制転移による急な景色の変化によって、サラ聖官は少しだけ驚いたようだった。軽く目を見開き……ようやく、私の話を聞く余地が生まれている。
「サラ聖官、いいですか……」
芝生の上に膝を下ろした私は、サラ聖官の両肩に手のひらを乗せた。
「いったん、落ち着きましょう」
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