04話 『雪解け』
イーナが、神官に――昼食の席で、父上はそう言っていた。
……何となく落ち着かなくて、俺は寝台の上で一度寝返りをうった。
寝床からは、仄かにイーナの香りがする。
一年と少し前。だとしたら、そんなに長い時間イーナはこのベッドで眠っていないはずなのに……それでも、何年もかけて染みついた匂いは中々抜けない物らしい。
……そういえば、イオタは俺の部屋を借りていたと、父上は言ってたよな。
つーことは、イオタは俺の匂いが染みついた寝床で寝ているってことか?
……うん、多分そうだ。
ちょっと、恥ずかしい。
しかも、今日はサラも俺の部屋で寝ているはずだ。
イーナの部屋は狭いから二人を詰め込むわけにもいかないし……かといって、俺が女性陣の誰かと寝床を共にするのは論外だ。
しょうがないとは分かってるけど……やっぱり恥ずかしい。
そんなしょうもないことを考えながら、俺は寝床にうつ伏せになった。
鼻先を、薄っぺらい布地へと埋める。
息を吸い込むと、イーナの香りがした。
懐かしい香り。
上手く表現できないが……風の香りだろうか?
サッパリとした、キレイな香り。
……あれ? もしかして、俺って気持ち悪い?
ゴロリと転がって、天井を眺める。
妹のベッドに鼻を埋めて、その香りを吟味する兄……うん、深く考えるのは止めよう。
今考えるべきは、イーナのことだ。
一年と少し前。教会からスカウトがやって来て、イーナを神官として連れて行った。
……まあ、無いことではない。
普通は『儀式』を通して神官に取り立てられるが、将来有望な人材なら、教会の方から声をかけることもある。
例えば、サラがそうだ。
サラは『儀式』を通すことなく、師匠――クルーエルさんによって聖官に推薦された。
俺の場合も……まあ、いちおう『儀式』は受けたけど、特殊な経路を通って聖官になった。
イーナも、似たような感じか?
「でも……」
小声で呟いて、過去の記憶を掘り返す。
イーナと一緒に過ごした記憶。
その中で、イーナは……『能力』の片鱗を見せていなかっただろうか?
仮に、即座に神官に取り立てられるような才能があるのなら、『能力』の片鱗くらいは『儀式』を受ける前でも出ているはず。
うーん……分からん。
そもそも、エンリ村にいたころは『能力』だとか、そんな物騒な概念を知らなかったから、そんな目でイーナのことを見ていなかった。
片鱗があったのかもしれないし、無かったのかもしれない。
「はぁ……」
溜息を吐いて、俺は瞼を閉じた。
……いずれにせよ、確認しなければいけない。
イーナが、いつの間にか神官になっていた。
それは……まあ、いい。
だけど、イーナの所在くらいは知っておきたい。できる事なら、休暇中に一目会っておきたい。
一年以上経っているということは、既に研修は終えてどこかの教会に派遣されているはずだ。赴任先で……虐められていないだろうか?
心配だ。
幸いにして、俺は聖官。多少の融通は利く。
聖女様自身も、初任務を終えた聖官の願いなら聞いてくれると言ってたしな。
イーナの居場所を調べてもらって、視察をしてみて、仮によろしくない職場ならば派遣先を変えてもらおう。
これ以上この事について考えていても仕方が無いし……今日の所はとりあえず眠ろう。
なんだか今日は……疲れた。
――前髪を、風が撫でた。
季節は冬。
俺の場合は、全身を魔素で覆っているから寒さなど感じない。けれど……部屋には水桶が置いてある。朝、顔を洗ったりするために、寝床に付く前に用意しておいた物だ。
窓を開けて寝たりしたら、表面が凍って邪魔くさい。だから、寝る前に窓は閉めておいたはずだ。
……閉めるの、忘れてたっけ?
瞼を開き、俺は寝床から上体を起こした。
人影。
認識した瞬間、俺は右手に碧色の剣を発現させていた。即座に霧が広がり、人影を包み込む。
――放電。
「ぐぅっ!?」
野太い男の声が聞こえたが……人影は、倒れない。
……誰だ?
警戒心が跳ね上がる。
瞳に魔素を集中させ、侵入者をしかと見据えると――
「……一号さん?」
「夜分に御無礼。お許しを、アル様」
静かな声で、一号は言った。俺の電流の影響が残っているのか、少しだけ声が震えている。
どこから入った、なんて問の答えは分かりきっている。
俺は、半開きになっている板窓に目を向けた。
隙間から冬の風が吹き込み、カタカタと音が鳴っている。
……多分、やろうと思えば、無警戒な俺を殺す事さえ可能だったろう。
思えば、セイレーン領でもそうだった。俺に気付かれることなく接近し、攻撃を加えてこようとしていた。
昼間の、イオタからのお仕置きへの対応を見る限り、訓練場で相対したら俺の方が強いだろう。けれど……そんな、正々堂々なんて甘い状況は、現実には存在しない。
つまり、一号の方が俺よりも強いのだ。
俺よりも強い、得体の知れない相手と二人きり。
近くには……サラとイオタはともかくも、父上と母上がいる。
そこに、一号以外の三人がいないと、どうして言い切れる?
内心、ヒヤリと思いながら、俺は一号の顔を見つめていた。
「実は、お伝えしたいことがあり、こうしてアル様の御部屋を訪ねさせて頂いたのです。御休みの所申し訳ありませんが……少しだけ、私に御時間を下さいませんか?」
明らかに、一号の方が有利な立場にいるのに……不気味な程に腰が低い。
「昼間に色々尋ねた時は何も答えてくれなかったのに……もしかして、他の人には聞かせたくない内容ですか?」
「はい。アル様だけに」
俺だけに……サラやイオタには、聞かせられない?
ゴクリと、唾を一つ飲み込んだ。
「それは、どんな?」
隙間風が吹き込んで、一号の黒髪を揺らす。
「イーナ様についてです」
○○○
「こう?」
サラの声に、編み物をしていた母上は目を上げた。
「あらぁ……ちょっと、待ってね」
微笑みつつ母上は椅子から立ち上がって、サラが座っている椅子の後ろへと移動した。
サラの背中側から両手を前に出して……サラの両手を握る。
「ここでちょっと失敗しちゃってるみたいね。もう一回、一緒にやってみようか、サラちゃん」
「分かったわ!」
元気よくサラは答えて……グチャグチャの塊を握りしめた。
靴下を作っているようだが……糸の塊にしか見えない。サラに編み物なんて高度な事が出来るとは思えないが……母上なら、もしかしたら奇跡が起こせるのかもしれない。
「アル、手が止まってるぞ」
「あっ、すみません、父上」
言って、俺はナイフを動かした。
刻むのは、肉の塊。さっき、ちょっと遠出して狩ってきた猪だ。
血抜きは現地でやってきたのだが、保存用に小分けにする作業を今はやっている。
俺が刻む係。父上が塩を揉み込む係だ。
冬の間、森からは生き物が減る。だから冬の間の食糧を蓄えておくのだが……想定外の来客が七人もあっては、当然足りなくなる。
まあ、王国は豊かな土地だ。他の領に行けば食べ物くらい分けてもらえるから、餓死の心配なんてないが……自分たちのせいで発生した問題だ。金で解決するのも嫌なので、自分で狩る事にしたわけだ。
ちなみに、母上から聞いたところ、一号から四号も、俺と同じようにどこかからから食糧を用意してくれていたらしい。
イオタとサラは……まあ、なんだ。気が向いた時に、森で魔物を狩ってくれているらしい。
「それにしても、こんな大きな猪……どこで狩ってきたんだ?」
塩を肉の塊に塗り込みながら、父上が言った。
「えーっと、西に三十キルくらいですかね。ウェリントン領の近くです」
「……三十キル?」
変な表情のまま顔をあげた父上は、すぐに呆れたような顔をした。
「たった一、二刻で、いったいどこまで行ってるんだ。……まあ、それはいいとしても、他の領で勝手に狩りをするのは王国法違反だぞ?」
「あはは、ですね。でもまあ、王国法とか……しばらく、あれでしょう? それに、誰にもバレていないですし」
「……全く」
苦笑いをした父上は、再び塩を揉み込む作業に戻ったのだった。
――
「ふぅ……」
猪の解体を終えた俺は、家の外に出ていた。手のひらで額を拭って、そこに目を向ける。
そこには乾いた手のひらがあった。
「……なんと言うか」
汗の一滴も付いていないと、仕事をした気がしない。
昔、エンリ村にいた頃は、猪の解体なんてした後は汗ビッショリだった。
それが今では、果物を刻んでいるのとなんら変わらない。
大した力を入れずとも、肉と骨の間に刃が滑り込んでいく。
……色々、俺も変わったってことだ。
「もしかして、一号さんがいたりしますか?」
家の前に広がる大きめの広場。そこに一人でポツンと立ったまま、俺は独り言を呟いた。
「どういたしましたか、アル様」
気付いた時には、近くに三号が出現していた。
「一号に御用がおありでしたら、呼んできますが……」
「いえ、三号さんで大丈夫です」
ちょっとバツが悪く感じながら、俺は二十代後半くらいの男性――三号に目を向けた。
「三号さん、本当は……なんて名前なんですか?」
「それは――」
「大丈夫です。もう、決めましたから」
無言で、三号の黒い瞳が俺を覗き込む。
目を逸らさず、それを見つめ返すと――三号は、その場に跪いた。
「では、改めて。私は、コクエシュウチュウシ『バッタ』と申します」
「……コクエシュウチュウシ、バッタ?」
「はい」と答えて、三号は地面に、
『黒衣衆 蟲師 飛蝗』
と書いた。
無論漢字とは違うが、聖官拘束によって、華語におけるそういう意味なのだと理解できる。
「これが、三号さんの名前……」
「はい。蟲師は隊名、飛蝗が号です。以前は他の名もありましたが……既に捨てました」
「飛蝗さんは……いつから、エンリ村にいるんですか?」
「今日で、四七三日になります」
簡単に飛蝗は言ったが……彼らは、一年以上もの間、エンリ村にいたのだ。
俺が二ヶ月と続けられなかった任務を、一年以上も。
魔物を倒すのは簡単だ。盗賊を殲滅するのも朝飯前。
だけど、ひたすらに退屈で……それなのに、一瞬も気を抜いてはいけない仕事は、本当に難しい。
「ありがとうございました」
頭を下げる。
「ずっと、エンリ村のことを護ってくれていたんですよね? 昨日、一号さんから聞きました」
「それは当然のことです。黒狼様の御家族となれば、私共からしても大切な方々なのですから。アル様に感謝して頂くまでもなく――」
「それでもです」
今思うと、ゾッとする。
聖官は、王国国王や帝国皇帝にさえ、アポ無しで面会できる地位だ。
王国の貴族位で言うなら、公爵や侯爵にしか許されないほどの特権。それに見合うだけの給金も中央教会から支払われている。
王国エンリ領出身のアル・エンリは、聖官だ――そんな情報が漏れてしまえば、どうなるか。
それを、俺は考えねばならなかった。
十二歳の、雪の日。
二人の大切な人が消えてしまった。
その姿を追い求めて、マオさんから手がかりを手に入れて。俺は、ずっと聖官として活動してきた。
だけど、俺にとって……大切な人はそれだけではなかったはずだ。
父上に母上、討伐隊のおっちゃんたち。ラインハルトとミーシャさん。
それを、忘れてはいけない。
陛下の護衛任務を通して、俺は……それを確認しなければいけないと思った。
そのために、わざわざ休暇を貰って、エンリ村に帰ってきた。
――大切な人たちを、二度と失わないために。
「お願いします。私を、イーナの――妹の元まで連れて行ってください」
○○○




