02話 『舎弟』
父上に言われた通り、俺は物置小屋――元ロンデルさん宅に向かっていた。
相変わらず、村人たちは俺を遠目に見るだけで、近寄ろうとはしない。
討伐隊の人たちならまた違う反応をしてくれるんだろうが……運が良いのか悪いのか、接点のあまり無い村人としか会わなかった。
無心で歩き、ロンデルさん家まで残り数十メートルまで達した所で……俺は、家の中に人の気配があることに気が付いた。普通の人間ではない。明らかに、強い魔素の気配。
父上曰く、俺を待っている人がいる、とのことだが……まあ、思い当たる人物は一人しかいない。
聖女様からも、聖国に連れて帰るように言われてるしな。
扉の真ん前まで来て、軽く二回ノックをすると、少しも経たずに扉が内側から開かれた。
目に映るのは、深紅の髪の毛――
……ではなかった。
真っ白な髪の毛を、大きな青色のリボンで一つにまとめている少女。
灰色の瞳と、目が合った。
「お前、何奴っすか!」
馬鹿でかい声で、そんな事を叫んできた。
少女の口から放たれた唾の飛沫が、俺の顔面にふりかかる。
……それを服の袖で拭って、俺は家の内部に目を向けた。
外と比べて室内は暗いので、よく見えない。何かが床に転がっていることだけが理解できた。そこまで確認した所で――
ガシッと、胸倉を掴まれた。
「無視するとは良い度胸っすね! いいでしょう、上下関係ってもんを、私が分からせてやりますよ!」
……マジマジと、少女の顔を眺める。
少女は、どう見積もっても、小学生から中学生くらいにしか見えない。
勝気そうな……生意気そうな顔だ。なまじ顔の造作が良いから、余計にムカつく。
冷静に観察している様子が勘に触ったのか、少女は雑な手付きで、俺の胸を突き飛ばした。
二、三歩、後方に足を動かした俺を、少女は、三、四歩前に足を進めて追いかけてくる。
下から俺の顔を見上げて、握った右拳を――
俺の顔面に突き出そうとした所を、止められた。
後ろから、少女の右手首を掴む手があったからだ。
少女はビックリした表情を浮かべたまま固まって……ギギギ、と首を後方に捻る。
そこには……ムスッとした顔のサラがいた。
「あ、姉貴……」
「なにしてるの?」
「その、不審者がいたので、排除しようと……」
「ふしんしゃ?」
サラは、首を傾げる。
見るに、単に『不審者』という単語を知らないだけっぽいのだが、少女は、『誰が不審者なのか?』という問いかけだと判断したらしい。
ビシッ、と。
自由な左手で、俺の事を指差してきた。
危うく、鼻の穴に人差し指が突っ込まれる所だったので、俺はちょっとだけ顔を動かした。
斜めになった視界で、サラと目が合う。
「サラ、こいつ……誰?」
「これは――」
俺の問に答えようとしたサラの声を、少女の元気な声が遮った。
「私は、姉貴の舎弟っす!」
……舎弟?
サラに目を向けると、こてんと首を傾げている。どうやら、サラにも状況が分かっていないらしい。
俺とサラのアイコンタクトを見て取ったのか、少女は、不思議そうな顔でサラに尋ねた。
「こちらの御仁は、もしや……姉貴のお知り合いっすか?」
「アルは、ワタシの弟子よ」
……俺って、サラの弟子だったのか。
まあ、何でもいいが……。
俺にとってはその程度の事だったが、少女にとっては衝撃的な情報だったらしい。
「えっ!」と馬鹿でかい声で言って、真ん丸お目目で俺の顔を凝視している。
「姉貴の御弟子さんっすか!」
困惑しながら頷くと、少女は勢いよくその場に跪いた。
「先ほどは、失礼しました! 私っ、サラ姉貴の舎弟、イオタって言います! 姉貴の御弟子さんって事なら、アル兄貴って呼ばせてもらって構わないでしょうか!」
――
「どうぞっ!」
大きな声と同時、床の上に湯呑が置かれた。
勢いが良すぎたせいで、中に注がれていた水が、辺りに飛び散っている。
「……ありがとうございます」
「いえっ、感謝なんていりませんとも! 存分にこき使って欲しいっす!」
湯呑を持ってきたイオタは元気よく言うと、その場に正座をした。
背筋がピンッと伸びていて、物凄く綺麗な正座だ。
その姿に見惚れていると。
「アル」
前方で、胡坐をかいているサラが言った。
原因は不明だが……サラはさっきからずっと、ムスッとした表情をしている。
深紅の瞳で睨み付けながら、不機嫌そうに言った。
「どうしてワタシを置いていったの?」
……置いていった?
言葉の意味を捉えかねて、何も言えずにサラを見ていると……サラは、床に転がされている男たちに目を向けた。
「アルは言ったわよね? みんなを倒すのと、こいつらを捕まえておく。ワタシはアルが帰ってくるの、ずぅーっと待ってたのに……どうしてワタシを置いていったの?」
そこまで言われて、ようやくサラが何を言わんとしているかを理解した。
そうだった。サラに指示を出してたんだった。
完全に俺が悪い。
「ごめん」
頭を下げる。
「何と言うか……その、サラがあそこで待ってることを完全に忘れてて……そのまま、一人で帰ってしまいました」
「……わすれてた?」
「はい」
沈黙が、部屋の中を満たす。
次に続くは怒声か暴力か。
サラが何をしてこようと大人しく受け止めるつもりで……頭だけは魔素で保護しておく。
……結局、怒声も暴力も落ちてこなかった。
代わりに。
「……アル、あたま上げて」
落ち着いた声でサラは言った。
言われた通り、神妙な面持ちで顔を上げる。
視界の中央には、機嫌の良さそうなサラがいた。
頭のてっぺんを、こちらへ傾けている。
「ワタシ、アルに言われたとおりにやったわ! ほめて!」
尻尾があったら、ブンブン振ってる感じだった。
ちょっと当惑しながら、俺はサラの頭を撫でた。
……何というか、犬にじゃれつかれてる気分だな。嫌いじゃないけど。
サラの頭を撫でながら、俺は床に転がっている男たちに目を向けていた。
四人とも、荒縄でグルグル巻きにされている。
「その人たちは……まだ、目を覚まさないのか?」
「うんっ、ずっとねてるわね」
「……そうか」
続いて俺は、男たちの反対側で綺麗な正座をしている少女に目を向けた。
この白メイドが、聖女様の言っていたイオタなのだろう。
頭を撫でるのを止めると、サラは顔を上げた。
サラの目を見ながら、イオタを指差す。
「……なんで、姉貴って呼ばれてるんだ?」
「さぁ? 呼びたいって言うから、好きにしたらって言っただけ。――それより、『あねき』ってなんなの?」
……相変わらず、サラは適当だ。
面倒なので、俺は答えたくてウズウズしている少女へと話を振った。
「イオタ、どうぞ」
「お任せくださいっす、兄貴!」
言って、イオタは膝先をサラに向けた。
「まず、姉貴とは何か、についてっすが……簡単に言うなら、自分より強い御方のことっす! 姉貴は私よりも強いので、姉貴――つまりは、お姉さんと呼ばせてもらうことにしました!」
「オネエサン……お姉さん? へぇ……そんな意味なんだ。なら、ワタシはイオタのお姉ちゃんで、アルはワタシのお姉ちゃんなの?」
「なの?」の部分でサラが俺に目を向けてきたので、取りあえず否定しておく。
「兄貴は、姉貴よりもお強いんすか!?」とか馬鹿でかい声で言っているイオタの質問は無視して、俺は真面目な表情を浮かべた。
「一つ聞きたいのですが、良いですか?」
「もちろんっす! なんでも聞いて下さい!」
両拳を胸の前で握りしめながら、真剣な表情でイオタは言った。
イオタの服は、見覚えのある物。イーナが着ていた服だ。
田舎娘の普段着なので素材は簡単な物なのだが、イーナが自分で付けたのだろう、小さな花の刺繍が胸元には付いている。
イーナは中学生くらい、対してイオタは小学生くらいの体格だ。服のサイズが合っていない。
垂れ下がった服の襟から、青色の『Ι』が見える。
「イオタ臨時聖官。聖女様から帰還命令が出ているはずですが……知りませんか?」
「……? 知ってるっすけど……兄貴って、聖官だったんすか?」
「そうですが」
「なるほど、それで……」
イオタはふんふんと頷くと、灰色の瞳を向けてきた。
「兄貴は、私を連れ戻しに来たっすか?」
「……まあ、それもありますね」
「帰りたくないっす!」
元気よく、イオタは言った。
床の上をハイハイで進んで、イオタはサラにすり寄った。
「姉貴と一緒にいたいっす!」
サラはサラで悪い気はしないらしく、よしよし、とイオタの頭を撫でている。
かなり雑な手付きだが、イオタは嬉しそうに目を細めている。
「……サラ。サラにも帰還命令が出ているはずだよな?」
「そうね!」
「なんで帰らなかったんだ?」
「アルが、こいつらを捕まえとけって言ったから!」
……そうだった。
つまりは、俺のせいか。
「実は、俺、十日間の休養を貰ってな。聖国に帰る時、サラとイオタを連れて帰るように言われてるんだが……サラはそれで大丈夫か?」
「分かったわ!」
ニッコリ笑顔のサラの返事を聞いて、今度は、大きな青リボンがトレードマークの少女へと目を向けた。
「イオタも、サラと一緒なら構いませんか?」
「それなら、喜んでっす!」
よし、これで心置きなく休暇を過ごせるな。
あとは……。
立ち上がった俺は、サラとイオタの不思議そうな目を受けつつ……荒縄で縛られている四人の男たちの傍へと向かった。
しゃがみ込んで、一番手前の男の頭を鷲掴む。
――放電。
微弱な電流を流す。
同時、男の全身構造が俺の頭に刻まれた。
異常が無いかを確認する。
特に、腹部。
サラに蹴飛ばされていた位置だ。
大きな損傷は……無いな。
腹筋が痛んでるのと、腹の中にちょっとだけ水が溜まっているが……大したことはない。
それと、もう一つ。
「起きてますよね?」
問いかけても、男はなんら反応を示さない。
呼吸も心拍も、全く変わらない。
けれども……脳味噌だけはごまかせない。
首筋に、ちょっと強めの電気を流してやると――
「うぅッ!?」
男は堪らず飛び起きた。
一秒と経たずに、男は『しまった!』という表情を浮かべたが……もう遅い。
サラとイオタは立ち上がって、俺の両脇に移動してきた。
「なに? 起きてたの?」
「寝たふりとは……舎弟にあるまじき行動っすね。後で教育しないと……」
男は、イオタの発言の方に過敏に反応した。
表情が強張っている。
「さて……お話を聞かせてもらっても、よろしいですか?」
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