24話 『任務報告』
応接室で静かに待っていると、目の前のソファーの前方に、二つの円陣が現れた。
キンッ、という鋭い音と共に、上下の円陣の間に、美しい女性が立っていた。
長い金髪に、赤い瞳。目付きは鋭く、強い力が込められている。
聖女様がソファーに腰を下ろすと、胸元の大きな膨らみが、重量感を感じさせる動きで揺れた。
「まずは……王国での任務、ご苦労様でした。概要は既に聞いていますが、詳しい部分はアル聖官の口から聞かねばなりません。
回りくどい話は嫌いなので、端的に聞きますが……どうして、任務を放棄したのですか?」
「それは……」
後ろめたい気持ちから、俺は言葉に詰まった。
けれど……俺は、後悔はしていない。
だからこそ、俺はしっかりと聖女様の目を見返した。
「私情からです」
聖女様が、無言で続きを促してくる。
「聖女様も既に聞いていると思いますが……私の任務中に、王国では多発的に反乱が発生しました。
その中に、私の出身領であるエンリ領が含まれていて……私の家族や友人なども、反乱側に与していました。……彼らを救うには、こうするしかありませんでした」
俺の話を黙って聞いていた聖女様は、ため息をついた。
「なるほど、そういうことですか。……一つ、いいですか?」
「はい」
「なぜ、そうするしかなかったのですか?」
「……はい?」
聖女様は鋭い目を向けながら、平坦な声で続ける。
「そういう事情があったなら、私に相談すれば良かったではないですか。
聖官は、中央教会にとって貴重な存在です。教会の力の及ばない朝国や華ならいざ知らず、王国と帝国では多少の無理は通ります。共和国でも、幾らかは。
アル聖官の親族や知人を保護する程度、どうとでもなったのですよ?」
「……そうだったのですか?」
驚いて、俺は問い返していた。
聖女様は無言で頷く。
……そうか。陛下を殺さずとも、父上たちを護る事ができたのか。
そう思っても……やっぱり、後悔は生まれてこない。
仮に別の選択肢があったのだとしても……あの時、任務よりも父上たちを選んだ気持ちは、今も変わらない。
それに、特別に父上たちだけを護ったとして……その時、父上たちはどう思うだろうか?
自分たちだけが助かって、他の人が死んでいく。そのことを……それを選んだ俺のことを、父上たちはどう思うだろう?
――そして、何よりも。
ニヤリ、と笑う陛下の顔が、眼前に浮かぶ。
あの時、陛下が何を考えていたのか、俺には分からない。
分からないけれど、あの時の表情と声が、全てを物語っていたと思う。
『余は……大切な人を、殺してしまったのだよ』
そして、そのことを、陛下自身が一番責めていた。
罰してほしいと思っていた。
陛下は……俺に殺されることを、望んでいたのだ。
「……聖女様、聞いても良いですか?」
「なんですか?」
「仮に、私が任務を全うして、国王が生き残っていたら……その後、どうなったのですか?」
「どう、とは?」
聖女様は眉をひそめている。
「国王が生き残って、反乱が鎮圧されて。それでも、聖女様は国王の味方についていたのですか? 謀反が起こるほどに、厭われているのに?」
「当然でしょう。そう思っていなければ、最初から聖官を派遣して護ったりしません。今回のような事態を予測したからこそ、前もってアル聖官を派遣していたのですよ」
白けたような顔で、聖女様は言った。
明らかに気分を害しているようだったが、俺は構わずに尋ねた。
「どうして、聖女様は……そんなに国王を護ろうとしていたのですか?」
聖女様は無言を返した。
答えるつもりが無いのかと思った頃に、聖女様は吐き出すように言った。
「それが、教会にとって一番楽だからです」
「……楽、ですか?」
「教会にも当然、国王の所業は伝わっていました。王都教会を通じて、止めるようにと散々言ってきましたが、改善することはなく。
通常であれば、教会の言葉を聞かない国王など、さっさと変えてしまうのですが……私が事態に気付いた時には、王位を継承できる者は全て、先んじて処分されていました」
聖女様は、苦々しい顔でため息をつく。
「おそらくは、全てを予測して行動していたのでしょう。その点を見れば、あの国王は優秀だったようですね」
聖女様の声には、苛立ちが含まれていた。
それは、ラインハルトのような心を痛める声ではなく……もっと、別のものに聞こえた。
「――となれば、国王を続けてもらうしかありません。まあ、私が介入すれば、適当な者を王座に据える事もできましたが……そうなれば、今度は誰を国王にするのか、という問題に突き当たります。
血筋を辿っていけば、候補者は百や二百ではききませんでしたからね。そんな面倒な作業をするよりは……現状維持の方が当面は好ましいと判断しました」
それで、聖女様の説明は終わりのようだった。
俺は薄ら寒いものを感じながら、すがるように聖女様を見た。
「ですが、それだと……処刑される国民たちは、どうなるんですか?」
「もちろん、さらに数が増えるようであれば、対処を考える予定でした。あくまで現時点では、許容範囲内だという判断です」
聖女様は、心の底からそう思っているようだった。表情を全く変えること無く、淡々と言い切った。
聖女様は俺の顔を見て……細く息を吐く。
「――ともかく、理由は分かりました。良かれと思って王国出身の聖官を使ったつもりでしたが、私の判断も間違っていたようですね。
……ですが、そうは言っても、全くの御咎め無しでは、他の聖官たちにも示しが尽きません。
アル聖官の席次を十だけ下げましょう。それに見合った分だけ、褒賞を減らします。それで、構いませんか?」
……減給処分か。
もっと重たい処分が下るかと思っていたが、想像以上に軽い。
俺が頷くと、聖女様はソファーから立ち上がった。上下に、青色の円陣が回っている。
拍動のように強弱を繰り返す、円陣の青い光を見ながら……俺は、考えていた。
上から、聖女様の声が降ってくる。
「では、もう退出してもらって構いません。次の任務に備え、心身を――」
「あのっ」
勢いよく立ち上がった俺に、聖女様が鋭い視線を向けてくる。
怯みそうになるけれど……両手を握りしめながら、口を開く。
「しばらく、休暇を貰ってもいいでしょうか?」
「休暇?」
「はい」と答えて、俺は続けた。
「少し、エンリ領に戻りたいのです」
聖女様は上下の円陣に挟まれたまま、考え込んでいるふうだった。
「どれくらいの期間ですか?」
「……十日ほど」
元々考えていた期間を告げる。
すると、それほど間を置かずに聖女様の声が返ってきた。
「分かりました、十日ですね。そのようにしておきます。他に、何かありますか?」
「いえ、ありません」
「では、私は失礼します。アル聖官も――」
そこで、突然聖女様の言葉が止まった。
何事かと目を向けると、聖女様はどこか遠くを見るような目をしていた。
「そうですね……アル聖官は、エンリ領に戻るのですよね?」
「はい、そうですが……」
困惑しながら返事をすると、聖女様は軽く頷きながら俺を見た。
「でしたら、ついでにお願いしたいのですが」
「……なんでしょうか?」
「現在、エンリ領にイオタ臨時聖官とサラ聖官が留まっているのですが……戻ってくるように指令を出しても、一向に従う気配が無いのです。
可能であれば、二人を十日後に連れ帰ってもらっても、よいでしょうか?」
「……イオタ臨時聖官?」
臨時、とあるからには白メイドの一人なのだろうが……全く聞き覚えが無い。それが、エンリ村にいる?
「神官服を着ているので、見れば分かると思います」
「……分かりました」
俺が不安ながらに答えると、聖女様は小さく頭を下げてきた。
「では、お願いします」
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