誕生、ドラゴンスレイヤー
炎の壁が目の前に迫っている。
「くそっ」
ガスレバーを引き、操縦桿を目一杯押し込んで機体を沈めてかわす。
風防にこびりついた炎が風圧で吹き飛ばされると、ようやく視界がひらけた。
舌打ちしながら周囲を見回す。
「そこかっ!」
黒い尻尾を揺らしながら竜が視界の左隅を横切った。
計器を確認、吸入圧、排気温度、回転計の値を確かめる。
竜の吐いた炎――正しくは火炎溶解液という――は掠めただけらしく異常はない。絞っていたレバーを再び開く。
機体を左へバンクさせ、操縦桿を引き付ける。
座席に押し付けられ、息が詰まる。敵を正面に捉えた。
照準眼鏡を覗き込むと、十字の中央に黒い翼を羽ばたかせて逃げようとする竜の姿が浮かびあがった。
機関銃発射ボタンを押し込む。
両翼の固定機関銃が景気よく曳光弾を撃ち出すが、命中した銃弾は硬い表皮に弾かれて虚しく火花を散らす。
「このっ……!」
一杯までレバーを押し込み、距離を詰める。
照準眼鏡からはみ出すほど接近してようやく表皮を貫通し体液が吹き出して竜が悶える。
剥がれた表皮がぼろぼろと崩れ、機体の外板にぶつかって硬い音をたてる。
「やった……」
力尽きた竜は地面に叩きつけられ、動かなくなった。
操縦桿を太腿に挟んで小物入れを探り、駆除証明書と通信筒、筆記具を取り出す。
「十四時四二分、と」
航空時計を確認し、現在時刻を書き入れた駆除証明書を丸めて通信筒に入れる。
速度を緩めて高度を落とす。失速せぬようフラップを半分ほど下ろしてから開いてキャノピーを開くと、風が操縦席の中で暴れまわった。バランスを崩さないよう右手で操縦桿を支えながら左手に持った。通信筒を竜種の死骸めがけて投下する。
原野に紅白のリボンの付いた通信筒が吸い込まれたのを確認し、俺は進路を東へ向けた。
わずかに南風を受けながら愛機はハルビンの馬家溝飛行場へ降下する。
水曜の今の時間帯は定期の旅客機もないから、好きなところに降りられるだろう。
キャノピーを開き、顔を半分出して着陸点を覗く。軸線はきっちりと乗っている。
地面が近づくにつれて沈下の勢いが緩やかになる。
目印になっている白い防水布を車輪で蹴飛ばさないよう少し先のところでレバーを最小まで引いた。
ゴロゴロと車輪が音を立てる。充分減速したところで軽く右のブレーキをかけると、機体が右を向く。
最初に目に入ってくるのは整備された誘導路に沿って並ぶ陸軍航空隊の格納庫だ。
少し離れたところに小奇麗に建っているのは航空会社、一番はずれに建てられているのが俺たちの使う整備用格納庫と、その横にへばりついた宿舎だ。
雨でできた水たまりに脚を取られないよう飛行場の隅へ機体を走らせていると、頭上を影が横切った。
頭上を見上げると、はらりと落ちてきた白い羽毛がプロペラの気流で吹き飛ばされて操縦席の中に飛び込んできた。
「エンジン切る前に寄るなって言っただろ! 挽き肉になるぞ!」
「なに? きこえない!」
俺は頭上を旋回する羽毛の落とし主めがけて叫ぶが、エンジン音にかき消されて聞こえていない。
ため息をつきながら俺はエンジンを停め、機体を停止させた。プロペラが止まると機体が揺れた。主翼の上に乗った彼女のせいだ。
「おかえり! どうだった? おにぎり美味しかった?」
リベカは嬉しそうに翼を揺らしながら操縦席を覗き込んできた。
「一〇メートル級を仕留めた、おにぎりは……具が片方なかったぞ」
飛行の折り返し点で具無しの握り飯をかじった時の落胆は言葉にできない。
「ちゃんと梅干しを入れたはずなんだけど……」
それについてはこれ以上突っ込まないことにする。
「で、市になんか掘り出しもんはあったか?」
「ふふふ、すごいのが手に入ったよ」
待ってましたとばかりにリベカは指を二本立てた。
「モービル油、二缶」
「本物かそれ? 空き缶に廃油を詰めたんじゃないか?」
「純正に決まってるでしょ! 蓋もピカピカだったし、荷札は英語だったし!」
「英語ねぇ……」
昭和十七年、四月。
ようやくアメリカからの輸入品が満州の蚤の市まで届くようになっていた。
「それと、さっき東さんが呼んでたよ」
付け加えたリベカの指差す先で、眼帯をつけた軍人がタバコをふかしていた。
「お前それ先に言え! 弾補充しとけよ!」
「はいはーい」
「マサ、遅いぞ」
陸軍で俺と同期だった東はちょうど吸い終わったタバコを捨てて靴底で踏み消した。
「悪ぃ、ウチの伝書鳩が道草食ってた」
「さっき草を摘んでたが、まさか本当に食うのか?」
「それ多分あいつの晩飯のかさ増し用」
ちなみに、しばらく稼ぎが悪いと俺の飯にも草が混じる。
「で、どうなんだマサ?」
喫茶店の席につくなり、東は俺に切り出してきた。
「何が」
「あの鳥娘とはよろしくやってんのか?」
「うーん、わからん……」
リベカは俺によく懐いている。それは確かだ。
満ソ国境で拾ったばかりのときは口数も少なかったのが、いまでは機関銃ばりによく喋る。
「もう抱いたんだろ?」
「げっふ!」
吸いかけの朝日の葉を派手に吸い込み、俺は大きくむせながら口の中に貼り付いた葉を吐いた。
「なんだよ、鳥娘にだって穴はあるだろ?」
左手で作った輪に右手の人差し指を抜き差ししながら東が続ける。
「『炒り豆と小娘はそばにあると手が出る』って言うし」
吸いながらこんな話をしていたら何度むせこむかわからないので、俺は朝日を箱に戻した。
「あれのどこが炒り豆だ、かんしゃく玉の間違いだろ」
あるいは羽の生えた五〇キロ爆弾ともいう。
「味見くらいしてもいいだろ、命の恩人なんだし」
三年前、ソ連との国境付近を九七戦で飛んでいた俺と東は墜落した輸送機からどこかの娼館へ売り飛ばされる寸前の彼女を助けて連れ帰った。
俺が陸軍をやめ、払い下げの軍用機で依頼を受けて竜と戦う武装民間機に転向したのはその時だ。
「なんかそれをダシにするのは卑怯だと思うんだ」
「相変わらず善人ぶりやがって」
「そのうちにはっきりさせるよ。東も内地に帰るのか?」
四年続いた戦争もなんとか落とし所が見つかり、大陸に駐留する部隊の段階的な引き揚げが始まったとこの間の新聞で読んだ。
「ばか言え」
東はきっぱりと首を横に振り、眼帯に覆われた右目を指さした。
「アメ公から俺の右目を取り返すまでは戻れるか」
停戦交渉がまとまる直前、中国軍にアメリカの「義勇軍」が加わり、東はP-40に右目をやられた。
操縦士免状こそ取り消しにならなかったが、それ以来地上勤務にされて久しい。病床で停戦の知らせを聞いて暴れた東の気持ちは痛いほどに分かる。
「停戦でだぶついた機体が奉天に溜まってるっていう話だ。鳥娘とデエトがてら冷やかしに行ってみたらどうだ」
奉天はこのハルビンの南、列車で行っても特急なら半日とかからない距離だ。もちろん、何かのついでに飛行機で行けば三時間少しで着く。
「九九式で十分だよ。整備も楽だし脚も頑丈だし、リベカがいじり壊す心配がない」
ようやく真面目な話題になった。俺はデエトという引っ掛けは無視し、朝日を取り出して軽く卓上でたたき吸口を潰して咥えた。
「今日び竜相手でも七・七ミリが二丁じゃ苦労するだろ」
今日の空戦を見透かされているような気がして、俺は黙って火をつけた。
「空飛ぶ戦車でも斡旋してくれるのか?」
一口吸って煙を吐く。
「戦車はヒコーキ屋の俺にゃ無理だが、対戦車砲付きのヤツなら心当たりがある」