彼女の仮装ごと
「トリックオアトリートですよ、先輩」
肩辺りまで伸びた黒髪を揺らしながら彼女が話しかけてきたのは、学校が終わった直後だった。
ちょうど教科書やらノートやらをバッグに入れ終わった頃だ。彼女も同じく終わったらしい、スクールバッグを肩にかけ、彼女はいつも通りニヨニヨ笑う。
「…………」
「トリックオアトリートですよ、先輩」
「そういうならせめて仮装しろ」
わー! とでも言わんばかりに両腕を上げた彼女は、なんのハロウィーンっぽい仮装もしていなかった。
俺も伊達にこいつの彼氏をやっているわけじゃない。からかうのが好きなこいつが、ハロウィーンなんてイベントを逃すはずがないと思っていた。しかし素のままくるのは予想外だった。
「普通こういう時、何かしらの仮装してくるもんだろ」
「全く馬鹿野郎ですね、先輩は。ここは学校ですよ? 公共の場所で仮装だなんて、羞恥心がないのかと失笑を禁じ得ません」
「お前渋谷で馬鹿騒ぎしてるやつらに謝ってこい」
そういうのも分からなくはないが、人には人の楽しみ方があるだろうに。
そう言えば、彼女は少しも悪びれた様子もなく笑ってみせる。
「そんな全身コスプレをしろって言ってるわけじゃないだろ。こう……カチューシャみたいなやつとか、小物、とか……」
「お? もしやですが、先輩」
瞬間、彼女は一層笑みを深めた。そしてグイッと距離を縮めてくる。俺より身長が低いせいで、上目遣いに。なんだこれ、ほんとなんでこいつこんないい匂いするんだ。
彼女は楽しそうに目を細めると、「も、し、や」と続け。
「私の仮装、みたかったんですか?」
「は、はあ!?」
「もう、先輩はしょうがないですねー。言ってくれれば――まあ、しませんけど」
「しねえのかよ!」
「しませんよ。恥ずかしいじゃないですか」
フフ、とまた軽い笑みをこぼしながら彼女は一歩距離を取る。遠ざかった気配にどことなく寂しさを感じつつ、こいつにも恥ずかしいなんて感情あったのか、なんて頭に浮かんだ。
いや、よく考えたら。
「こいつ恥ずかしがるの割としょっちゅうだよな……」
「む」
彼女は不満そうに顔をしかめる。
やべ、聞こえてたのか。つい口に出してしまったけど声量は抑えたつもりなのに。
追求されると思いきや、彼女にとっては流してもいいことだったらしい。「それはそうとして」と前置きして、最初と全く同じトーン、そしてポーズで言った。
「トリックオアトリートですよ、先輩」
「いやだから……」
「言っときますが、仮装はしませんよ」
「お前それだとただお菓子をたかりにきただけじゃねえか」
「うるさいです、先輩。ほら、早く選んでくださいな」
しょうがないな……、とため息を漏らし、顎に手を当てた。そんな俺を、彼女はやはりニヤニヤしながら見つめている。
お菓子なんて普段から持ち歩いてるものじゃない。彼女もきっとそう思ってる。お菓子がなくていたずらをして、俺を恥ずかしがらせて……なんてことを楽しみに笑っているのだろう。
だがしかし。
俺は内心ほくそ笑んだ。
俺も彼女と長い付き合いだ。それくらいは予想できる。だから俺は今日、朝からお菓子をいくつか買っておいたのだ。
「ほらほら先輩、早く選んでください」
「……そうだな」
「まあ、普段無駄遣いもしない先輩のことです。お菓子なんて持ってな――」
「ほい、お菓子」
カバンからチョコを一つ取り出して、彼女に渡した。「え」と、小さな声。
面白いのが彼女の反応だ。珍しく目を丸くして、渡されたチョコをぼーっと見つめていた。
やった。やってやった。
正直、そう口に出そうでしょうがない。でも出したら出したで面倒そうで、必死に言葉とにやけそうになる顔を押しとどめる。
「先輩……これは、なんでしょう」
「なにって、さっきからお前が欲しがってたお菓子だが?」
「…………へぇ」
ビクゥッ! と俺はつい体を震わせた。
なんだ今の声は。聞いたことがないくらいに低い声だった。
「そうですか、そうですか。先輩はそういうことをするんですね」
「いや……えっと……」
「……あむっ」
「え?」
唐突に、彼女はチョコを口に入れた。
あんな声を出しておきながらの行動に、俺はあっけにとられる。
もにゅもにゅと何度か口を動かし、喉が波打つ。
かと思えばまた最初と同じような笑みを貼り付けて、言った。
「トリックオアトリートですよ、先輩」
……なるほど、そうきたか。
「……お菓子なら、あげたよな?」
「なにを言っているんでしょうかこの馬鹿野郎な先輩は。お菓子なんてどこにもないでしょう?」
お前はどれだけ俺にいたずらをしたいんだ。
そう飛び出しそうになるのを、寸前のところで飲み込む。
「なるほど、ないのか、お菓子」
「ええ、ないですね、どこにも」
いっそわざとらしいくらいに満面の笑みを彼女は浮かべた。
いやまて、ここで何か反抗したら終わりだ。それに俺だってこうなるのはなんとなく予想していた。
大きく息を吐く。そしてカバンから新たなお菓子を取り出し、彼女に渡す。
「……お菓子」
「よかったな、あったじゃないか」
危ない危ない。今度こそガッツポーズをするところだった。
「ま、これでお菓子ももらえたことだし、さっさと帰る――」
「あむっ――へんはい、といっくほあとりーほでふ」
「お前……」
しかし、余韻に浸る間も無く、彼女はそのお菓子を食べてしまった。もぐもぐ口を動かしながらもどこか得意げな顔をする彼女に、俺は引きつった笑みを浮かべる。
「そうか、そうくるなら、とことん付き合おう」
「はて、なんのことでしょうか。先輩、トリックオアトリートです」
彼女の笑みを受け、俺は新たなお菓子を取り出した。
◆
「先輩のカバンは四次元ポケットですか」
「それはこっちのセリフだ」
ひとしきりお菓子を食べ尽くした彼女に、俺はため息を漏らしつつそう言った。
おかしいぞ。俺もなかなかの量を買ったつもりだったんだが。
「食いすぎなんだよ」
「なんのことです? お菓子なんてなかったですけど」
「まだそれ続けんの?」
もういいんじゃないだろうか。途中から二人ともムキになっていたし。
俺もなかなかの量のお菓子を買って、しかもこいつに全部あげることになってしまった。
チョコにポッキー、プリッツ、飴、ポテチ、ぷっちょ、キノコの山、たけのこの里、エトセトラ。いや、たけのこの里だけはなぜか投げ捨てていたが。
「ふふふ、トリック、オア、……っ、トリート、です」
楽しそうな笑みを浮かべながらもどこか苦しそうな彼女に、何度目かもわからないため息を漏らした。
いや、完敗だ、ある意味。彼女の執念に完敗だ。
正直そこまで悔しくもないが、頭をかきむしりながら、「そうだな」と口にする。
「お菓子はもうないよ」
「フフフ、そうですか、お菓子、ありませんか。ならいたずらしないといけませんねー」
「ああもう、好きにしてくれ」
「……とりあえず、今日増えるであろう体重の責任を取ってもらわないと」
「それは知らねえよ」
「なにイタズラしましょうかねー」
「無視か」
俺のツッコミも総スルー。
なんだこいつ、と顔をしかめた。
でも。
楽しそうなこいつの顔を見てると、別にいいかと思えるのもまた事実だった。
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