涙壷
親が死ぬと泣かなければおかしいですか?
母が死んだ。享年85才。
葬儀が始まる。
集まる人々、慌ただしい空気。
線香の香りと、ろうそくの炎の揺れる影。
普段は決して着ない喪服の
非日常感が流れる。
ついさっきまで生きていた人との
別離の会。
私は
全く 泣くことができなかった。
一粒の涙さえ、こぼれる気配がないまま
線香の煙と一緒に葬儀が終わる。
熱いお骨を拾う。
ここでも泣けない。
悲しすぎて
なんて、簡単なものではなくて
流す涙を持ち合わせていないのだ。
全く、悲しくないのだ。
無い袖は振れない。
無い涙は流せない。
違和感だけがあるが、しかたがない。
葬儀、その他一連の儀式が終わる。
また日常が戻ってくる。
ささやかな生活だけど、
自分の足で立つ。
「おはようございまーす!」
忌引きの休暇が終わると
また、仕事が始まる。
大きな声で朝の挨拶をしながら
職場に入る。
私の職場は
グループホームという老人施設。
デイサービスのように
「通う」のではなく、そこに「住む」場所。
認知症であることが、そこに住むための
必須条件となっている。
年齢
育った場所
環境
家族構成
性格
認知症の具合
バラバラな人々は
認知症という共通点を持って、ここで
新たな家庭に住んでいるのだ。
新しい家族として。
朝の挨拶への反応の仕方は、
人それぞれだ。
にっこりと笑顔で答えてくれる人。
「おはよう」と返してくれる人。
目線を合わせてくる人。
そして
無反応の人。
男性2名、女性7名。
9名の小さなホームは
それぞれの個性で満ちている職場である。
出勤してまず することは
申し送りノートに目を通すこと。
昨夜の夜勤さんからの
連絡帳のようなものだ。
何か変化があった人の情報が
書かれている。
山坂さん、夕べ転倒したのか…
バイタルに変化なし
頭の訴えなし
歩行に問題なしなので経過観察ね。
念のため、数時間おきにバイタル計っておくか。
顔色と様子も気を付けておこう。
佐藤さんは…あら、また夜中に大失禁。
全部着替えて…床掃除もか。
まあ、出るものは出ないと困るけど。
真下さん、家族さんと外出があるのね。
10時からか。少し前にトイレを済ませておかなきゃ。
今日も忙しくて、でも 決して嫌ではない仕事が始まる。
さあ、入浴からだ。
「あたし、介護の仕事は絶対に無理だなあ」
久しぶりに会った友人の夏海が、
ランチのパスタをつつきながら言う。
高校からの同級生、夏海との付き合いは長い。
彼女は結婚して高校生の一人娘がいる。
病院の受付として、パートで働く兼業主婦だ。
「だって、下の世話とか絶対に無理だし
体力にも自信がないわ。」
私は、下の世話が苦になったことはない。
汚れたら洗えばいい。 消毒すればいい。
それだけのこと。
介護の仕事を始める時は、できるのか正直なところ
不安だったが、難なくクリアした。
自分の知らない部分を見たようで少々、驚いた。
体力はいる。常時人手不足の業界。
ギリギリの人数でまわしているので、いつも忙しい。
でも、やりがいがある。
「由岐子ってお母さんと折り合いが良くなかったよね。
同じくらいの年の人が相手なんでしょう。
お母さんと重なって嫌になったりしないの?」
そうなのだ。
私も不思議で仕方がない。
母が死んでも涙すら流せなかった自分が
ホームの入居者さんとは楽しく過ごせている。
いや
むしろ、かわいいとさえ思えるのだ。
不思議
その一言で片付けてはいけないのだが、その言葉以外見つからない。
母の葬儀が終わってしばらくしてから
私は毎晩のように泣くようになっていた。
葬儀で泣けなかった分の涙ではない。
母親が死んで涙がでないような
そんな「育ち方」をした自分がかわいそうで
泣けて泣けて仕方がない。
底なしの容器から溢れるように
いくらでも涙が湧いては流れる。
熱をもってるように感じるのは私の体なのか
涙が熱いのか
眼の周辺が縁取られたように気色ばんでいる。
物心ついた頃から
母はいつも怒っていた。
そうではない時も、もちろんあったのだろうが
記憶に残る母はいつでも怒っていた。
母に褒められた記憶は一切ない。
愛されていると実感したこともない。
私は器用な子供ではなく
特に勉強ができたわけでもなく
器量がいいということもなかった。
小学校の頃の記憶はあいまいだが
いくつか、鮮やかに心に刻まれた風景がある。
私の一番の友達
紗耶香ちゃんは、とてもかわいい子だった。
長い髪は天然パーマで毛先がクルッとしてて
少しだけ茶色くて、日が当たるとキラキラした。
大きな目と長いまつ毛。
着ている服も、私とはずいぶん違う感じのものだった。
事あるごとに、母がため息まじりに言う。
「紗耶香ちゃんは美人なのに、アンタは不細工で垢抜けないねえ」
今になれば笑ってしまう。
今なら言い返せる。
そりゃ、アナタの子供だから。
紗耶香ちゃんは美人のお母さんにそっくりじゃん。
だけど、愛情に飢えた子供は
自分が悪いと思い込んでしまうのだ。
自分を肯定できない英才教育を受けたようなもの。
情けないことに、成人するまでそのことに
気づかなかった。
いつか、言い返してやろう
そう思っていたのに、死んでしまったので
それもできない。
もうひとつ
鮮やかな記憶になっている風景がある。
小学校に続く道を私と母が並んで歩いている。
私はそれを、後ろから見ている構図の記憶だ。
なぜ第三者のように見ているのかわからないけど
着ていた服まではっきりと覚えている。
その日、私はずる休みをした。
なんとなく学校に行かずに、布団の中で
丸くなっていたかったのだ。
頭が痛いといって、渡された体温計を毛布でこすり
37、1度という絶妙な微熱を作成した。
私が病気になると、なぜか母の機嫌が悪くなる。
仮病であっても、本当に病気で高熱が出てても
お昼に定番のお粥と梅干しを、
無言で出してくれる以外は寄り付かない。
その日は、私の心がどう動いたのか
午前10時くらいに学校に行く気になった。
「学校に行く」
そう言うと母は珍しく笑顔を見せた。
嬉しかった。
学校までの道もうきうきするくらい楽しかった。
記憶はそれを後ろから見ているという構図だ。
学校に着くと担任の先生に
母が一言二言、話をしている。
私はそのまま授業を受けた。
母の笑顔が嬉しくて心がほこほこしていた。
数週間後
小学生の私はまた同じ事をする。
またあの笑顔が見たかった。
いつも、怒ってばかりの母の笑顔は印象的すぎた。
絶妙な微熱は成功した。
頃合いを見計らって、また言う。
「学校に行く」
今度は笑顔はない。
笑顔のかわりに
「もう恥ずかしくて連れていけないわ!」
吐き捨てるような言葉が帰って来た。
その日は、お昼のお粥もなかった。
混乱した。
同じ事を言ったのになぜ違う状況になるのか
幼い私には理解できなかった。
悲しくはなかった。
「私は恥ずかしい子なんだ」という言葉が
心の底に静かに沈んでいった。
職場のグループホームにいる利用者の方々の年齢は
平均85才。亡母と同年代だ。
最高齢は98才。山下千代さんという。
車椅子を使っているが、立つことはできる。
認知症はかなり進んでいて言葉の数は少なくなった。
彼女はスタッフには名字ではなく「千代さん」と
名前で呼ばれている。
「山下」は結婚してからの名字なので
記憶から離れてしまい、旧姓も時々離れる。
名字で呼んでも反応がない事が多い。
「千代さん」という名前は記憶が深いのだろう。
数少ない言葉数の中で、
千代さんの発する回数が一番多いのが
「お母ちゃん」
時折、お風呂に入るのを拒否する千代さん。
これからお風呂に入る
それを理解できなくて、わけがわからなくて
でも、どんどん服や下着までも脱がされて…
そんな時にはいつも
「お母ちゃーん」「お母ちゃーん」
と、とうに見送ったはずの母親を呼ぶのだ。
千代さんの他にも、母親の話をする人は多い。
グループホームに入居する時には、
着替えや身の回りの物を持ち込んで頂くが
「これもあれもお母さんが買ってくれた」
と、思っている率が高い。
実際には娘さんや息子さん、そのお嫁さんなどが
整えてくれたものなのだが
他の人の物と混ざらないように書かれた名前までもが
「ここに来るのにお母さんが書いてくれた」
と、はにかみながら話してくれる。
そんな時の表情は、幼児のように素直で若々しい。
母が死んでも泣けない中年女と
1世紀近くを生き抜いてきて母親に甘える高齢者たち
この違いはなんなのだろう。
それとも、年を重ねれば私も母親を呼ぶように
なるのだろうか。
現状は、夢に出てきたら
言いたかったことを思いっきりいって
罵ってやろう
そう思って待っているような状況であるのだが。
あまり変化を好まない私の日常は極めて平坦だ。
休日はほとんど出掛けずに自宅で過ごす。
前日から引きこもるための準備をしておく徹底ぶり。
出勤日は、帰り道にあるスーパーで買い物をして
足早に帰宅する。
待っていてくれる存在があるからだ。
築25年の賃貸住宅の3階。
1DK、日当たりよし。
新しくはないが交通の便がよく、
古い分、家賃が弱冠安い。
ドアを開ける。
「ただいま」
廊下の奥のリビングから、ひょこっと顔を出す黒猫。
ゆっくりと、近づいてきてなめらかに足元にまとわりつく
愛しい存在。
名前は「福」
御年 19才。
猫としてはかなりの高齢ぶり。
タンスの上や冷蔵庫などの高いところに
飛び乗ったりはできなくなったが
まだ、ベッドには上がることができる。
よく食べよく眠り、毛づやもよすぎるくらい。
福との出会いは私が30代の頃。
離婚をしてひとりになって
ただただ孤独を噛みしめていた頃だ。
自宅に帰る途中の草むらに小さな小さな黒猫がいた。
まだ少しヨタヨタした足取りの子猫。
か細い声で鳴きながら必死に生きている。
一応、一瞬考えたが連れて帰った。
大家さんに交渉して、家賃を少し上乗せする事で
猫を飼う許可をもらった。
黒猫の中でも、爪まで真っ黒の猫を「福猫」という。
名前はすぐに決まった。
「福」は少なくとも暮らしの中のあちこちに
ささやかな暖かい彩りをもたらしてくれた。
出窓で日向ぼっこをしている福を
見ているだけで気持ちがなごむ。
夜は喉をゴロゴロと鳴らせてベッドに入ってくる。
ゴロゴロは私の子守唄。
福と一緒の眠りは安息そのものだ。
母が死んで、自分が可哀想で泣いてても
福はそれにつきあってくれる。
ただそばにいる。
それだけで十分、私を慰めてくれている。
泣くだけ泣いたらゴロゴロと一緒に
眠りの海に沈むように落ちていく。
もし、福が死んだら私は泣くのだろうか。
母が死んでも泣けなかった私は情というものを
はたして持ち合わせているのだろうか。
ふとした時に不安になる。
「千代さん、私はひどい娘なのかな」
私は、グループホーム最高齢の千代さんに聞いてみた。
千代さんは「お母ちゃん」以外はほとんど言葉はない。
今日は穏やかな日のようで、ほっこりと微笑んでいる。
「私、母が死んでも泣けなかったんだよ。」
珍しく、目を合わせてくる千代さん。
目を細めて微笑む千代さん。
つかの間の千代さんとの時間は
止まったように私の心の底に沈んでいく。
そんなことをしている場所は
トイレの中だ。
千代さんは1時間ごとにトイレに行く。
正確には、スタッフが連れて行く。
千代さんだけでなく入居している人すべて
いつ排泄したか、どれだけ水分を摂ったか
食事は何割食べたか、生活の全てが記録される。
それによって、何時間ごとに排泄があるのか
割り出してトイレで排泄できるように
誘導するのが大事な仕事の一つだ。
食べること、出すこと
人間の基本的な営みは、高齢になっても
認知症になって記憶がこぼれるようになっても
少しも変わらない。
ああ 今日も忙しかったなぁ
独り言を言いながら自宅のドアを開けた。
ふとした違和感が私を包んだ。
最初は、何なのか全くわからなかった。
福が迎えに来ていないのだ。
お腹を空かせているから、たいていの日は
私を出迎えて甘い声で鳴くのに。
遠くで走るパトカーのサイレンが
やけに近くで聞こえる。
その音をかき消すくらいの大きさで
心臓が脈打つ。
福
ふくー!
呼びながら部屋に入って行った。
いた。
いつも一緒に寝ているベッドの上だ。
暖かくなったので、日が落ちてもそのまま
寝込んでいるのだろう。
福
ただいま。
アンタ、よく寝てるねー
声をかけて気づく。
息をしていない。
名前を呼びながらゆすってみる。
くたくたと艶のある毛並みの身体が動く。
ゆするのをやめるとそのまま静止する。
無言で、しかも素早く私は行動した。
病院に行かなくちゃ。
だって寝てるのとかわらないんだもの。
病院に
病院に行かなくちゃ
かかりつけの動物病院はすぐ近くだ。
毛布にくるんだ福を抱いて走る。
切れる息に気がつかないくらいの速さで走った。
病院につくともう診察時間は過ぎていたが
シャッターが半分開いていた。
シャッターを叩いて声をかける。
先生ー!先生ー!
開けて下さい
福が!福が!
気がついたら診察室にいた。
音に気づいた先生が開けてくれたようだ。
その辺の記憶が抜けている。
診察台の上の福。
丁寧に聴診器をあてる先生。
固まってしまって動けない私。
ただ、毛布を福のかわりに抱きしめている。
「心臓、止まってるね。どこにいたの。
ベッド?けっこう高さあるでしょ。
そこに上がれたんだから元気だったんだよ。
苦しんだような表情じゃないし
吐いた後もない。
ああ ふかふかであったかくて気持ちいいなぁ
って、寝てるうちにふっと心臓が止まっちゃったんだね。
まぁ 大往生だね。」
ひとしきり慰められてから帰路につく。
行きは全速力で走った道を
ゆるゆると歩いては休み
歩いては休みながら。
腕の中の福は相変わらず眠っているようだ。
福が死んだら…
後はどうするのかは以前から決めていた。
自宅から遠くない所に霊園があり
火葬から納骨も供養もしてくれる所だ。
お骨をいったん自宅に引き取り
その気になった時に納骨することもできる。
準備はしてはいたが、そんな日は永遠に
来ないかのように思っていた。
自宅に着いたらすぐに福を毛布のまま
ベッドに寝かせた。
いつものように一緒に寝よう。
もう今日は夕食もお風呂もいらない。
霊園に電話して段取りしたら、もう寝よう。
福を横たえたベッドに慎重に滑り込む。
いつもの半開きの口。
年の割にピンとハリのあるひげ。
つやつやの被毛。
なにもかも同じなのに、福は明日にはお骨になるのだ。
長い間、ありがとうね。
また、生まれ変わってうちにおいで。
涙があふれて髪の毛を濡らす。
今夜はゴロゴロがない。
子守唄がない。
子守唄のない子供は眠れない。
それでも明け方には少しはウトウトしたのだろう。
早朝の来訪者で目覚めた。
霊園のお迎えだ。
今日も仕事だから火葬には立ち会えない。
夜にはお骨になってピンクの骨壷に入って帰ってくる。
ほとんど眠っていないから頭が痛い。
頭痛薬を飲んで出勤する。
また一日が始まるのだ。
排泄、食事、レクリエーション、水分補給
入浴…
ほぼ変わりなくグループホームの時間は
流れて行く。
そんな中、ちょっとした事があった。
例の千代さんのトイレ介助に入った時だ。
千代さんには尿意がない。
膀胱にある程度貯まれば出るか、
トイレに座った条件反射ででるか、
どちらかだ。
車椅子でトイレに移動し、手すりを持って
しっかり体を支えると千代さんは立ち上がる。
今日はパットが汚れていない。
よし、間に合ったぞ。
パットが汚れていないとなんとなく嬉しくなる。
トイレに座ってしばらく待ち、
排泄を確認してから立ってもらう。
その瞬間、残っていたと思われるお小水が
立ち上がる事で膀胱が圧迫されたのか
ぽとぽとと溢れ、私の手に流れてきた。
それは手袋をはめてる部分をつたい
素手の肘あたりまでを濡らした。
温かい…
千代さんの体温が流れてきた。
そう感じた。
生きてるって
温かいって事なんだ。
当たり前の事だけど、
頭でわかっていたことが、初めて体でそう感じた。
腑に落ちた とはこのことなのか。
その日の仕事帰り
私は花屋さんに立ち寄り、花瓶と
それにふさわしい分量の花を買った。
夜には、福がお骨になって帰ってくる。
納骨がいつになるのか決めていない。
しばらくは自宅に置いておきたかったのだ。
お骨の横には花を飾ろう。
普段、花など買わない私だけど珍しく
そんな気持ちになっていた。
「ただいま」
誰もいない部屋に言葉が響く。
着替えもせずに花を花瓶に活け、置き場を
模索する。
とりあえず、福が好きだった日向ぼっこの
出窓にしよう。
花瓶の位置をあれこれ考えてると
インターフォンが鳴った。
福が帰ってきた。
いつも迎えてもらっていた私が、
今日は「おかえり 」と、迎える番なのだ。
19年ぶりの1人の夜。
早々にベッドに入る。
ベッドからは出窓の福のお骨が見える。
だからなのか、寂しくはあるけど
死にたくなるほどでもない。
もしかして福が死んでも泣けない冷血漢なのかという
不安は、昨夜の号泣で払拭されていた。
福との年月を思い出しながら
私は今日の千代さんとの出来事にも
思いを巡らせていた。
生きてる って、温かいってこと。
福も19年間温かかった。
私の手も足も体も温かい。
腑に落ちた出来事が、なにかの糸口のように思えて
それを探すように思いをめぐらせる。
母も死ぬまで生きていた。
温かかったんだよな…多分…
当たり前のことじゃないの。
自分でおかしくなって一人で
くすりと笑った。
死ぬまで生きるのは当たり前のことだし
何をいまさら…
そう思った瞬間、心臓がどくんと鳴った。
私には母の手の記憶がない。
温度を感じた記憶がない。
だから、いなかったのと同じように
遠い存在だと思えるのか。
でも、覚えていないだけで私にも
母の体温を感じていた頃もあったはず。
誰もが感じてきた母親の体温。
子宮の中だ。
望まれた子供であろうと
疎まれた子供であろうと
子宮の中では平等に、体温を感じて成長する。
産んでくれてありがとう。
なんて陳腐な言葉ではなくて
否定しても反発しても、反論できない事実。
母が死んだ時に流れなかった涙は
体温に姿を変えて私の中に流れている。
不細工で垢抜けない娘と
皆に「よく似てる」と言われる母親。
愛情の表現の仕方を知らない母親と
それを求める術を持っていない娘。
なんだ
似た者親子じゃないか。
そう感じた時、肩の力が抜けて
同時に眠りに落ちた。
夢も見ないような深い深い眠り。
私の中に体温として流れている涙の源流が
見えたような気がしたが
一瞬にして全てが泡のように消えた。
翌日は休日。
深い眠りから覚めたのは昼だった。
泥のように眠るとかこのことか。
何年分も寝たような感じがした。
おはよう。福。
返事はないが、声をかけるだけで
慰められる。
出窓を見ると、昨日活けたばかりの花が
活け方が悪かったのか、
午前中の直射日光が強すぎたのか
見事にしおれてしまっていた。
置き場所をかえなきゃねと考えながら
買い物に行き、昨日の花屋に寄る。
ヒマワリの黄色が目に飛び込んで来た。
生け花用の小ぶりのヒマワリをひと束
手に取る。
まだ若くてやんちゃ盛りの頃の福を
思い起こさせるような元気な色の花。
店頭でしばらく考えて
私はもう一つ小さな花瓶を買った。
透明ガラスの小さな一輪ざしだ。
花は赤いバラを一輪。
きちんとトゲが処理された優しいバラ。
その時、私にも涙の入れ物ができた。
透明で小さな水を満たす容器。
まだ溢れる事は当分ないだろうけど
花のための水は入れられる。
可愛そうな私はもういない。
読んで頂きありがとうございました。
初めて書き上げる事ができました。
感謝。