精霊の館 〜熊とおでん〜
前に書いた作品の続編(?)になります。
魔物の声が反響する樹海の中を歩く。
息が上がり、体は鉛を付けられたかのように重くなり一度転んでしまえば立ち上がる事は出来ないだろう。
しかし、大きな体は樹海を歩くうえで障害となる物が多過ぎる。
地面から盛りでた大樹の根、視界を塞ぐ枝や葉、身を隠す場所の少なさ。
まだ距離はあるが、闇夜を照らす松明の火が何本も見える。
オレ、死にたくない。
どうしてだ?オレは、間違った事をしたか?
オレは、流れそうになる涙を手の甲で拭い森の中を歩き続ける。
獣の目は、人間では見通せない闇を容易く見通してくれる。
一晩中歩き続け、夜が明けた頃には周囲に人の気配はなくなっていた。
誰もいない、よな。
警戒しつつ小川の水を舌を使って飲む。
我武者羅に渇ききった体を潤す為に、水を飲む。
「い、生き返った……」
不意に視線が水面に映ったオレを見る。
そこに映っているのは、黒毛に灰色の毛が混ざった熊だ。丸太のように太い手足に、冬に備え蓄えた太い腹、つぶらな双眼は自信なさげな様に見える。
オレは、思わず水面に映った自分の姿を両手で隠す。
「やめろ……やめでぐれ……」
オレは、化け物なんかじゃねぇ。
オレだって、こんな姿に生まれたかった訳じゃねぇんだ。普通に生まれたかった。普通に生まれて、普通に友達を作って、嫁さん貰って、父ちゃんや母ちゃんが笑ってくれればそれで良かった。
なのに、こんな、こんな獣の姿で産まれた所為でオレは父ちゃんや母ちゃんに見放されて、弟妹からも気味が悪い化け物、と呼ばれた。
12歳で生まれ育った村を追い出されて、街に行ったけど「魔獣」と呼ばれて直ぐに追い出された。
その後は、人と関わる事がない様に森の奥で暮らす様になった。
魔物もいたが、村育ちだったおかげで腕っぷしは強い。それに、この熊の体は怪我の治りが早く、五感も鋭い。風邪や病気にもかからない。
そのおかげで何年も人と関わらずに、暮らして来れた。
だけど、森で迷っていた女の子を助けてオレの平穏は死んだ。
女の子を町の近くまで届けたのを町の人間達に見つかり、オレを『人攫いの化け物』と読んで追って来たのだ。
違う、と何度叫んでも誰も聞いてくれない。
オレが、他の奴等と違うからか?
再び歩き出そうとしたオレの背中にドスッと鈍い音を立てて矢が突き刺さっていた。
突然の焼ける様な痛みに絶叫する。そして、走り出す、疲労と激痛すら忘れて走り続ける。
しかし、走った先から次々と鎧を着た兵士や軽装を纏った人間達が現れオレを攻撃して来る。
「やめてぐれっ、オレは、化け物、じゃない!」
「死ね!人攫い!」
「攫った子供達を何処にやった!」
「この人殺しっ!死ねっ!」
どうして、どうして誰もオレの言葉を信じてくれない?
オレはただ、望んでいただけなのに。
腕や足を斬られ、逃げる事も反撃する事も出来ず、オレを取り囲む人々の怒りと憎しみに染まった顔を眺める。
自然と涙が流れた。
「やめでぐれ……オレは、ただーーっ」
胸に矢が突き刺さった。
急激に体の力が抜け、その場に倒れ伏す。
男達が剣を構えて歩いて来る。
オレは、ただ優しくして欲しかっただけなのに。
笑って、欲しかった。こんな姿だけど、それでも良い、と笑いかけて欲しかった。
…………それだけで、良かったのに、どうしてだ?
もう体は動かない。
意識も遠のいて行く。
でも、声が聞こえた。ここじゃない、何処か遠くから。
なんて言ってるかはわからないけど、オレは必死に手を伸ばした。
その時、風が吹いた。温かく、優しい風。
パチパチッも弾ける音と火の熱を感じる。そして、頭に置かれた濡れた布と体にかけられた暖かな毛布の肌触りを感じた。
オレは、ゆっくりと目を開ける。
視界はぼやけて良く見えないが、誰かがいる事は分かった。
「まだ、休んでいて下さい」
若い少女の声だ。
頭に置かれていた布が違う物に変わる。その時、少女の小さく温もりのある手が額に触れる。
「熱は下がったみたいですね」
オレは、無意識に少女の手を握った。
力を入れれば折れてしまうほどに、細く小さな手だ。
「また、後で来ますので」
少女の熱が消える。
その途端、オレの心は例えようのない不安に襲われた。
気付いた時には、少女を抱き締め泣いていた。
「1人にしないで……オレ、化け物じゃ、ない」
怖がられると思った。軽蔑され、罵倒されると。
でも、少女はオレを抱き締め返してくれた。
それが嬉しくて、思わず甘えて顔を擦り寄せてしまった。
「チセ、変な音がしたがーー」
ーー扉が開いたと同時に放たれた殺気で正気に戻った。
お、オレ、女の子をベッドの上で抱き締めて何やってんだ!?しかも、胸に顔を擦り寄せて!!
次に視線を扉の方に向ける。
そこには、牙を剥き出しにした白い虎が両手をバキバキと鳴らしながら近付いて来た。
ーーこれは、死んだ。
オレの獣としての直感がそう告げる。
でも、殺されるとしてもこれだけは言わなければいけない。
「本当にすんませんでした!!」
「てめぇ、良い度胸だっ!!外に出ろ!その首、俺が斬り飛ばしてやる!!!」
腰から剣を抜こうとする虎の男を少女が止める。
「グランさん、落ち着いて下さい」
「チセ。何でオメェが1番冷静なんだよ!」
「グランさんも偶にするでしょ?」
「した事ねぇよ!誤解を招く様な事言うな!」
いつの間にか、会話から弾き出されたオレは2人の様子を眺める。
小柄な少女の方は、綺麗な黒髪黒目で肌は初雪の様に白く透明感がある。そして、着ている白いシャツには、先ほど俺が押し付けた所為で皺が寄っていた。
虎の男は、小柄な少女とは正反対に巨漢だ。オレよりは小さいが、体に残る古傷があり鍛え抜かれた戦士という印象を受ける。
「それより、自己紹介をしましょうか。私は、榊原 千世です」
「俺は、グランだ」
「オレ、は、アガット」
簡単な自己紹介が終わり、安心したのか盛大に腹がなった。
「良かったら、何か食べますか?」
「良いの、か?」
「勿論。2日も寝込んでいたので、消化の良い物にしますね」
そう言って部屋を出て行くチセを目で追い。いなくなってから、グランさんに視線を戻す。
「はぁ。お前、何処から来たんだ?」
「オレは、ヴァリノールの山奥に住んでいた。ここも、ヴァリノールなのか?」
「ヴァリノール……大陸の東側の国か。……残念だが、ここは、精霊の森だ」
精霊の森。昔聞いた事がある様な気がする…………。
「西大陸に存在する世界屈指の危険地帯。その1つが、ここだ」
ベッドに座ったまま、オレは口をアングリと開けて固まった。精霊の森は、どんな軍隊でも決して侵す事の出来ない聖地とも死んだ魂が向かう地とも呼ばれる危険地帯。オレの生まれ育った村では、悪い事をすると精霊の森に連れて行かれる、と言うのが定番だった。
「で、でも、何でっ」
西大陸で最も東側にある大国だ。どんなに急いでも、南側にある精霊の森までは10日はかかる筈だ。
「精霊が使う裏道を通って来たんだろうな」
「精霊って、御伽噺に出て来る奴か?」
御伽噺に出て来る精霊は、魔王に立ち向かう勇者に加護を与える存在。上位種になるほど、人間の姿に近付くと言われている。
「そうだ。ま、信じる、信じないはてめぇ次第だ。もし直ぐに帰りたければ、チセに頼めよ。俺は、まだ1人で移動するので精一杯だからな」
「そ、そういえば、ここは精霊の森なのにどうしてこんな建物がある?」
「悪りぃが、俺も詳しい事は知らねぇ。古株の連中に聞けば、少しは分かると思うがな」
「なぁ、ここは一体何なんだ?」
オレの質問に、グランさんは何と説明したら良いの悩む様に少し考え込んでいる。
今まで、誰もオレの話を聞いてくれなかったのに……。
「俺達は、ここを〝精霊の館〟と呼んでる。簡単に説明すれば、飯と宿を提供してくれる場所だ。勿論、対価は必要だがな」
「金、持ってない」
「怪我は治ってんだ。窓拭きでも、皿洗いでも出来る事やりゃ良いんだよ」
そう言われて、自分の体を眺める。
怪我が治ってる。どうしてだ?
「それにしても、後で風呂入れよ?」
「風呂?水浴びの事か?」
グランさんは、そんな所だ、と頷く。
「流石に汚れ過ぎた」
そう言われて足下とベッドを見る。
抜け落ちた体毛や泥が床を汚し、オレが寝る前は白かった筈のシーツは泥や血で汚れている。毛もゴワゴワしているし、今まで気にしていなかったが臭い気になる。
ま、まずい。オレはこんな体で、チセを抱き締めてしまったのか。
今になって恥ずかしさを感じる。
「まぁ、てめぇが俺達に危害を加えないなら、俺達もてめぇには一切手は出さない。だから、安心しろよ」
「…………」
今のこの気持ちを何と表現すれば良いんだ?
胸が苦しいのに、嫌な気分じゃない。自分でも、自分が理解できない。
部屋の扉が開き、チセが鍋を運んで来た。
「今日は、『おでん』です」
大きめの皿に大きめの具材が盛られた料理。鍋から取り出したと言う事は、煮込み料理なのか?
それにしても、皿越し伝わる熱と香る魚介系の香りが鼻孔をくすぐり、食欲をそそる。
「これはジャガイモ、こっちは卵、ちくわ、腸詰、それに大根……」
具材を1つ1つチセは説明してくれるが、頭の出来が悪い所為か直ぐには覚えられない。
だからこそ、自分の食欲のままにかぶりつく。円形の大根と呼ばれた物は、一切抵抗なくほろりと崩れ、出汁の旨味が口全体に広がる。
熱い。が、美味い!
「はふ、はふっ、美味い」
胃の腑の形までそのままに温まり、身体の心から解されて行く。
黒くふにゃふにゃしたコンニャクは、意外な歯応えがあり、串に刺したギュウスジの蕩けるような濃厚な味わいも堪らない。
真ん中に穴の空いたちくわも、出汁をこれでもかと吸い込んで美味い。
ジャガイモも、味が染みて他とは違う甘みと食感が面白い。
そして、腸詰。歯で噛み切った途端に口の中で肉汁が広がり、他の具材にはなかった肉の濃厚な旨味と出汁の旨味が混ざり合う。
言葉に言い表せない幸福感。
あっと言う間に食べ終えてしまった。
本当にあっと言う間だった。
「グランさん、アガットさんの分なのに食べ過ぎですよ」
「良いじゃねぇか。どうせ、多めに作ってんだろ?」
溜め息を吐いたチセは、オレに向かって頭を下げる。
「すいませんでした。直ぐに、お代わりを持って来ます」
「その必要はねえだろ」
「ぇ?」
オレは、グランさんを見る。
もしかして、グランさんはオレの事が嫌いなのか?同じ魔獣同士、仲良く出来れば良いと思ってたのに。
「食堂に連れてけば良いだろ?場所は俺が教えてやる」
「アガットさんが、それで良ければグランさんに任せます」
「だそうだ。で、てめぇはどうする?」
「でも、オレみたいなのが一緒で良いのか?」
「あ?」
「オレは、魔獣だ。周りの奴等は、オレを化け物だって……」
不安で俯くオレの手に、チセの手が重なる。
「!」
「貴方がどんな姿をして、何と呼ばれていようと、貴方は人です。だから、そんなに自分を嫌わないで下さい」
「……こんな熊みたいなオレでも、ここにいて良いのか?」
「姿形は関係ありません。アガットさんが、ここにいたいと望むなら好きなだけいて下さい」
オレは、生まれてからずっとこの姿が嫌いだった。
でも、この時だけは自分がこの姿が生まれて来て少しだけ良かった、と思えた。
この姿のおかげで、オレは本当の優しさに出会えたから。