01 堕ちてきた天使
「はぁ…!はぁ…!」
私は巨大な岩石が剥き出しになっている、荒廃した荒野を駆け抜けていた。
様々な大きさの岩をブーツで飛び移る。腰元に据えた二本の日本刀型“神器”が互いにぶつかり合い、ガチャガチャと音を立てる。
「くっ……!もう!」
後ろを一瞬振り替えると、今さっきまで私が乗っていた岩が粉々に砕け散るところだった。
「ゴギァアアアアアア!」
岩を砕きながら、一頭の黒い竜が口を大きく開いて追いかけてきている。
二足歩行というか二足走行で、両手の翼を広げ追いかける竜は目の前の岩など目もくれずに私だけを見据えていた。
レベル1のこのエリアで中級愚神が現れるなんて……!
腰元の神器をちらりと一瞥し、軽く手を添える――
戦うか……いや。私には勝てない……!
「っ!?」
考えながら走っていたせいか、岩の小さな出っ張りに足をかけてしまった。
「しまった――—」
勢い良く前のめりにこけた私の背後に、黒い竜が追い付き、大声で咆哮をあげた。
「ガアアアアアアアアアアア!」
「ひっ……あ…!」
びりびりと空気が震えるのを感じ、私の脳内が一気に恐怖に支配される。情けないことに腰が抜けてしまったようだ。
駄目だ ……私はここで死ぬんだ。死ぬならせめて大好きなモンブランに溺れて死にたかった。来世ではパティシエになろう。
私が来世に望みを託し始めた瞬間。私の横を黄色い光が駆け抜けていった。
その光は一直線に竜の翼を直撃し、翼膜に風穴を開けた。
「ギャアアアアアア!」
竜が泣き叫ぶように咆哮をあげた。その光の主は竜の体を蹴り、その勢いで私の前に着地した。
その姿は全身黒ずくめで、漆黒のコートに同色のパンツとブーツ。背中の鞘まで黒だった。
服装に加えて黒髪黒眼。全身黒ずくめだ。
「あなた……。日本人…?」
「話は後だ」
強引に話を断ち切り、その人が前を向くと、丁度竜が攻撃を仕掛けるタイミングだった。
竜の巨大な爪が、血のように赤い光に包まれていく。ヤバイ……!アタックスキル。【ドラゴンクロー】だ!
「ギャアアアアアアアア!」
今日何度目かの咆哮をあげながら、赤い爪を黒いジャパニーズに向けて振り下ろす。
「逃げッ……!」
そう言い終わるより早く。ジャパニーズは手にした黒い剣に紫の光を纏わせ、赤い爪に真っ正面からぶつけた。
「っとと……!」
お互いの攻撃がぶつかり、眩い光と空気が震えるほどの振動を発生させ、お互いの技が相殺された。
その反動でジャパニーズは数歩後ろに下がったが、竜は――
「ゴギャアアアアア!」
突如竜の肩が爆ぜ、腕が体から遠く離れた場所に落ち、黒い煙となって消えた。
肩の傷口から血のように黒い煙が噴き出している。
「終わりだ」
再び剣が光に包まれたかと思うと、目の前の竜は頭から又にかけて一刀両断されていた。
その瞬間。竜は大量のポリゴンの欠片に戻り、砕け、空に消えていった。
ピコーンという電子音。黒いジャパニーズは自分のポケットからタッチパネル式の携帯を取り出すと、画面をスクロールして見詰めていた。
「【ヴァルキリーの羽】に【ヴァルキリーの黒翼】か……。まぁまぁかな」
一人でそう呟き、携帯を仕舞う。
それからゆっくりと私の方に歩いて、未だに立てない私に「立てるかい?」と手を差し出してくれた。
「はい…なんとか」
その手を掴み、よろよろと立ち上がる。うぅ……情けない。
「この辺じゃヴァルキリーなんてめったに出ないんだけどな。運が良いのか悪いのか」
「わ、悪いに決まってるじゃないですかぁ!」
ただ神器の練習の為に来たのに、まさかそこで中級愚神に出会うとは……。うう…なんてついてないんだろう。
「まだ足が震えてるみたいだから、俺がギルドまで送っていくよ」
「いえ!そこまでしてもらうわけには!……と言いたいところですが、お願いします」
「うむ」
黒いジャパニーズはさっきとは違う意味で手を差し出してきた。
「俺はシンタロー。日本人だ。よろしく」
「ミイナです。よろしく」
差し出された手をしっかり掴んで、やっと私は顔 が紅潮しているのに気付いた。
ミイナをおぶったシンタローは、そのまま荒野を駆け抜けていく。
「へぇ!最近プレイヤーになったんだ!おめでとう!」
「まだプレイヤーと言っても駆け出しですから!」
岩から岩へ、ひょいひょい飛び写っていくシンタロー。人一人を背負っているのに、バランスを崩すこと無く、安定していた。
2034年。世界は堕ちてきた天使。“愚神”によって壊滅寸前まで追い込まれていた。
愚神には人間の兵器が全く通用せず、軍隊まで出動したが全く歯が立たなかった。
それを救ったのは、“神器”に選ばれた一人の人間。
愚神には神器の攻撃しか通用せず、神器に選ばれた少年は世界中の愚神を倒して回っていた。
少しずつだが、神器に選ばれた人間は増えていき、彼らは最初に選ばれた少年を筆頭に一つの組織を結成した。
“対愚神戦闘組織”。通称“ギルドナイト”。
ギルドナイトは“神器を持ち、愚神と戦う者”を“プレイヤー”と名付け、徐々に仲間を増やしていった。
倒した愚神の素材を使い、人工の神器を作ることが成功してから、プレイヤーの数が爆発的に増え、今では世界中にギルドナイトの基地が存在し、日々愚神と戦っている。
まるでアニメ やゲームのような世界だが、この世界は現実だ。
シンタローとミイナはギルドナイトの本拠地である、トウキョウ支部に所属している。
と、その時。ミイナのホットパンツのポケット中でピピピと音が鳴り、取り出したタッチパネル式の携帯には、受話器のマークと共に『着信:シノン』という文字が表示されていた。
「げっ……。お姉ちゃん」
「どうかしたか?」
「いえ!なんでもないです!」
そう言って画面の『切断』を指でタッチする。すると着信画面は消え去り、いつもの待ち受け画面に戻った。
「お。ちょっと寄っていっていいか?」
「はい。いいですけどどこに……。うわっ!?」
そう言うとシンタローは今までの倍程の跳躍をして、ある岩石の一角に着地した。
「これこれ。一仕事終えたらこれがなくちゃな」
着地したところにあったのは、古びた赤い長方形の中に様々な飲み物が並んでいる箱だった。
「これって……自販機ですか?」
「そ。ちょいと古いがちゃんと動くぜ?」
そう言うとシンタローは自販機の認証パネルに自分の携帯をかざし、購入可能のランプが着いたジュースの中から赤い缶ジュースを選んだ。
押したとほぼ同時にガコンと重みのあるものが落ちてくる。それを取り出し口から取り出したシンタローは、座り込んでいるミイナに投げ渡した。
「うわわっ! …と」
「あんまり振るんじゃないぞ。危ないから」
そう言うとシンタローは同じ手順で自分の分のジュースを買った。
「さてと……」
グローブをはめた手でプルタブを起こすと、プシュッという心地よい音と共に、糖分を含んだ匂いがシンタローの鼻腔を刺激した。
たまらずゴクンと喉を通すと、弾ける泡がシンタローの身体中を刺激するようだった。
「っはぁ! やっぱ渇いた喉には これだな!」
実におじさん臭い一言を放つシンタローだが。そんなシンタローを見て、ミイナは恐る恐る缶に口を着けた。
「っぐ!!?」
喉に流し込んだ瞬間。ミイナの内側で謎のパチパチが暴れだす。舌がヒリヒリしてたまらずむせかえってしまった。
「あぁ悪い。炭酸苦手だったか?」
隣ではすでに飲み干したシンタローが空の缶を側のゴミ箱に投げ入れた。ミイナはこんな飲み物を飲んだことが無かった。……炭酸?
「コーラっていうんだよ。俺は好きだったんだけどなぁ。今じゃあんまり売ってないからレアだぜ」
へぇ。コーラっていうのか。と関心したミイナは再び口を着けた。
ごくん。とその弾ける液体を飲み込む。初めから分かっていればパチパチとする刺激も平気に思えて、むしろ心地よいくらいだった。
コーラはミイナの身体中を駆け巡り、ヴァルキリーに追い回され続け、疲れ果てたミイナの体に染み込んでいく。
「っぱあ!」
シンタローを見て親父臭いなぁ…と思ったその仕草も、これなら納得だ。ミイナは炭酸の魅力に深くはまりこんでしまった。
コーラを飲み干した二人はまたしばらく移動し、ようやくギルドナイトのトウキョウ支部に到着した。
「ほら。もう歩けるだろ」
「はい…。ありがとうございました」
シンタローの背中から降りたミイナは、よろよろと立ち上がった。
二人で入り口のゲートを潜り、エントランスに入る。学校の体育館ほどの大きさのエントランスには、様々なプレイヤーでごった返していた。
「やっと帰ってこれましたぁ~……」
全身の力が抜けたように、エントランスの長椅子に座り込むミイナ。シンタローはその横に腰かけた。
「大変だったな。突然ヴァルキリーに出くわすなんて」
「ほんとですよ……。まだプレイヤーになったばかりなのにいきなり中級愚神なんて」
せめて“オリジナル”に選ばれていたら。と呟くミイナ。それを聞いて、シンタローは何かを思い付いたように立ち上がった。
「そうだ。その神器、貸してみな」
「へ?」
言われるがままに、腰元から日本刀の神器、“数打”を一本外し、手渡す。
「よし。ちょっと待ってな」
神器を受け取ったシンタローは、エントランスの奥にある階段を駆け上がると、様々なショップが並ぶ二階に足を踏み入れた。
「 よぉシンタロー。上質な黒ブーツが入ったんだがどうだ? 今なら安くするぜ?」
「悪いけど今急いでるんだよ! でも割引はしてください」
「シンタロー! この前のポーション代払いやがれ!」
「うるせー! パチモン掴まされたんだからお詫びの品だろ!?」
フロアの両端に並ぶ様々な店のカウンターから店主が顔を出す。その全てに答えてフロアの奥の小さな店の扉を開けた。
「おーいデイゴ! いるかぁ!?」
「だぁあ! もううっせーな! んなデカイ声出さなくても聞こえてるっての!」
シンタローが叫ぶと、店の奥から赤髪の少年がめんどくさそうに出てきた。
炎のように赤い髪は威嚇するように逆立ち、タンクトップからは筋肉の付いた腕が伸びている。作業着のようなゆるいズボンを履いた少年は、頭を掻きながらカウンターに座った。
「んで。今日は何の用だよ」
「こいつを頼むぜ」
先ほどミイナから受け取った数打をカウンターに置き、携帯を操作してアイテム欄からヴァルキリーの素材を選択して実体化させる。
何も無かった所から光の粒子が発生し、それは一瞬で黒い竜の爪に変わった。
爪。翼膜。鱗。様々な黒竜の素材を実体化させ、カウンターに並べた。
それを見たデイゴは、目をぱちくりさせ、
「んだシンタロー? 今更こんな中級愚神の神器なんか作って」
「いいから頼むよ。知り合いのなんだ」
「はぁ……。まぁ誰のであろうと、この俺様が名刀にしてやんよ!」
デイゴは数打と素材を抱え込みカウンターの奥に消えていく。シンタローはカウンターを乗り越え、その後に続いた。
「ここは神器鍛冶しか入れない神聖な場所だぞ」
「固いこと言うなよ。いつものことじゃないか」
デイゴの注意を軽く受け流し、板張りの床にどっかりと座り込むシンタロー。それを見たデイゴはやれやれといった感じでため息をつき、黙認した。
デイゴは目の前の高温の炉の中に数打の刀身と素材を入れ、溶かした二つを一緒に合わせた。
それを少し冷やして固め、薄く、長方形状に伸ばすと、再び炉の中に入れて高温の赤い鉄片を取り出す――
デイゴお気に入りの金槌の神器。“金剛丸”を手にして、まだ赤い鉄片を何度も叩く。
「これで終いだ!」
最後の一撃を、一層気合いを入れて打ち込むと、鉄片が眩い光を発光させて、そこに黒い刀身の刀が完成した。
「へぇ……。なかなかじゃないか」
シンタローが神器を手に取り、様々な角度から眺める。
元の数打と同じく日本刀型の神器だが、その刀身はヴァルキリーの黒に染まっていて、洗練された形にヴァルキリーの荒々しさを感じる。
「どうよ。俺様特製神器。名付けて“宵闇”」
自信満々に両手を腰に手を当てたデイゴが、威張るように言った。
「お前の神器を越えたかもよ?」
「バカ言え。まだまだだよ」
そんな軽口を言い合いながら店を出たシンタローは、エントランスで待つミイナの元へ急いだ。
「あ! シンタローさん!」
エントランスのベンチに腰掛けていたミイナがシンタローを見つけて大きく手を降る。
「悪いな待たせて。これはプレゼントだ」
ミイナに出来立ての宵闇を手渡す。帰り際に受け取った鞘も、ヴァルキリーの素材で出来ていた。
「これ……。ふぉおおおお! ヴァルキリーの神器じゃないですかぁ!」
初めは「?」を浮かべていたミイナだったが、その刀身を見て嬉しそうに声をあげた。
「俺からのプレイヤー祝いってことで」
「ありがとうございますっ! 私がんばります!」
本当に嬉しそうに、宵闇を両手で抱き締めるように抱えるミイナ。それを見ているとシンタローまで嬉しくなってきた。
「よろこんで貰えてよかったよ。じゃあ俺は――」
シンタローが言いかけた言葉を遮るように、エントランスにサイレンが鳴り響き、続いてスピーカーからアナウンスが聞こえてきた。
『緊急事態です。愚神の群れがこちらへ向かっているようです。下級愚神ばかりだと思われますが、手の空いているプレイヤーは援護をお願いします』
「ミイナ。行くぞ」
「はい! シンタローさん!」
ミイナが腰元に宵闇を差すと、シンタローたちはエントランスの出口に向かって走り出した。