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蛍の灯る花  作者: 雪田
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 ページをめくる。

 居間の机の上で開いたその横に、いつかもらったちょうちん花を置いた。

 押し花にして作ったしおりは、ほたるのお気に入りだ。

 咲いていた時期が梅雨だったことだけを頼りに、ページをめくる。

 紫陽花と一緒に、庭のすみに咲いていた花。

 白くて、そんなに大ぶりな花ではない。ちょうちんのような、変わった形の花弁をつり下げていた。

 春乃さんの本の部屋から持ってきた植物図鑑には、たくさんの付箋が貼られていて、それはすべてこの庭で咲いている植物のことを示していた。

 庭いじりは、春乃さんから高義さんへと受け継がれた趣味なのだそうだ。


「あ」


 ほたるは、ページをめくる手を止めた。

 付箋が目印になって、ほたるの探し物を教えてくれている。


「春乃が、好きな花でね」


 いつのまにか後ろに立っていた高義さんが、図鑑の開いたページをのぞきこみながら言った。

 手に大きな洗濯カゴをぶら提げている。

 その花は、写真の中でも律儀に頭を下げていた。

 下に、ちょうちんのような花弁の中に、昔、子どもたちが蛍を入れて遊んだということから由来されたらしい、その名前が記されている。

 高義さんが、ほたるにくれた花だ。


「最初に会ったときに気づいたんだ、そいつはほたるさんの花だった、とね」


 ほたるは、ありがとうと言った。

 心の底から、ありがとうございます。

 やっと言うことができた。

 時間が開いてしまった分、なんだか物足りないないような気がして、ほたるは、畳の上に正座をして指をついて、深々と頭を下げた。

 いやいや、と、頭の上で高義さんが焦った声を出すのがわかった。

 洗濯カゴを横に置いて、あぐらをかいて畳に拳を突き立て頭を下げる。

 まるで戦国時代の武将のよう。

 ほたるのぎこちなさに比べ、さすがにさまになっている。

 盗み見ていたほたると目が合って、高義さんはにやりと笑った。

 ほたるも負けまいと、にやりと笑ってみせた。







 雨の降る日は、黙っていても許されるような感じが、好きだ。

 いつもよりも優しさが割増しのような気がする。

 雨を通した、少しぼやけた世界のほうが、やわらかく、はちみつのように甘いように、ほたるの目には映るのだ。

 洗濯物が乾かなくて困るという主張は、節子と高義さんからそれぞれ。

 でも、それはまだ、ほたるの言葉ではないから。

 久しぶりにやってきた空からの恵みを、庭で精一杯に葉を広げた植物たちが受け止めている。

 差し出して、受け入れて、世界がきちんと循環している様子をながめていると落ち着く。

 深刻な水不足を嘆かれた今年の夏の暑さも、これで少しはゆるやかになるかもしれない。

 夏から秋へと移り変わる。その手助けを庭でしていた高義さんは雨の降り出しに襲われたようだ。

 縁側にたどり着いた彼の髪はしっとりと濡れていた。

 ほたるがタオルを差し出すと、お礼を言って首に巻いた。

 ほたるは小さくため息をつく。

 首から再びタオルを取って、頭をごしごしと拭いてやる。

 春乃さんが抱いただろう長年の苦労について、少しだけ思いを馳せながら。


 庭先で、黄色の傘がくるくると回っていた。エジソンくんだ。

 彼は今、手で持たなくてもさせちゃう楽ちん傘を開発中だ。

 なんでも、人類がロケットで月や火星にまで行けるようになった時代において、一番進化が遅れているのが傘なんだそうだ。

 その理論でいくと、開発できた暁にはノーベル賞ぐらい獲ってもおかしくなさそうだった。

 いつか、本物のエジソンと肩を並べてしまう日が来るのかもしれない。

 黄色の傘は無駄にくるくると回り、エジソンくんは困ったように首をかしげた。

 その肩に、小鳥のように優雅にとまった傘は、雨に降られながらくるくると回り続けている。

 ゴー、と轟音を響かせて、家の前にバイクが停まった。

 郵便屋さんだった。

 雨の日も風の日も、いつものように配達をしなければいけない。大変な仕事だった。

 郵便受けの代わりにエジソンくんが受け取った。途端、特大のしかめっ面を作った。

 不機嫌さを傘の影に隠そうともせずに近づいてきて、エジソンくんがその手紙を差し出した。

 高義さんに。

 ほたるは後ろからのぞきこむようにして、その手紙を見た。

 沢木春乃様。

 きれいな字だった。細くてやわらかな、女の人っぽい字だなと思う。

 高義さんは裏返して差出人を確認する。

 新浜、雪子さん。と読める。知らない人だけれど、知っている人だった。

 ほたるの視線を感じとって、高義さんが説明した。


「娘からだ」


 エジソンくんの眉がつり上がる。

 つまり、エジソンくんのお母さんからだった。

 エジソンくんとお母さんの雪子さんは、将来の進路のことで喧嘩中、らしい。

 隣の県の全寮制の工専に行きたいというエジソンくんの希望を、雪子さんが反対しているのだそうだ。

 エジソンくんはそこに通って技術をめきめきと磨いて、いつか福祉機器を開発する仕事に携わりたいと思っているらしい。

 エジソンくんはすごい。

 同じ学校の同じ塾に通っているのにどうしてこんなにも差があるものか。

 ほたるは考えるだけでため息が止まらなくなる。

 きっと、今はエジソンくんに言葉が足りないだけで、いつか近い未来に雪子さんにその思いは届くと思う。

 ほたるは今すぐにでも太鼓判を押して手紙を送り返したくなったけれど、余計なことをしなくてもきっと、春乃さんに対するエジソンくんの気持ちは伝わるだろう。

 高義さんは封も切らずに、雪子さんからの手紙を脇に置いた。

 読まないんだろうか。

 確かに春乃さんに宛てられたものではあるけれど。

 ほたるの不思議そうな顔を見て、高義さんは不貞腐れたようにふいっと目をそらした。


「…… どうせ、俺の悪口しか書いとらん」


 さみしげに呟いた白髪混じりの後頭部を見て、ほたるは吹きだした。

 ほたるの笑い声が、雨のしずくに乗って庭のあちこちに落ちる。葉に跳ね返って土に吸い込まれていく。

 エジソンくんの黄色い傘が回っている。

 くるくる。

 どうして止まらないのかわからないらしく、ついにエジソンくんは自分で逆方向に回り始めた。

 くるくる。くるくる。

 やがて、高義さんの肩が小刻みに震え始め、堪え切れなかったように吹きだした。

 雨の憂鬱も障子もすべてを吹き飛ばして、春乃さんがベッドの上でびっくりしていそうな、快い笑い声が響いた。






 おしまい


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